第四話
農村バードルフの村長に勧められたサポーターという職業に登録する為、馬車に乗って王都まで来たソウタ達一行。様々な紆余曲折がありながらも目的のサポーター組合に辿り着き門戸を叩いたソウタ達であったが彼らの姿は現在組合入口の外、組合の建物に背を向けた状態で立ち尽くしていた。相変わらず周囲からは好奇の眼差しが向けられているが気にかけるそぶりは見られない。というよりは、その余裕がないという様子であった。
「これからどうしましょうか、ソウタ?」
白い和装の上からエプロンドレスを纏った女性ウシオが右手を頬に添えやや困ったといった様子で小首を傾げながら隣に立つ白い和装の少年ソウタへと尋ねるが……返事はすぐには帰ってこなかった。なぜならソウタは左手で目元を覆い隠し、俯き加減に頭を悩ませているからである。小さな風の妖精スイカが小さな手のひらでソウタの頭を優しく撫で慰めていた。様子を見て分かる通り、ソウタ達はサポーターに登録できなかった。ソウタは左手の位置を目元から口元へずらし小さくため息を吐くとようやく、ウシオの問いかけへ答えを返す。
「どうすると言っても……こうなったらお店を回って直接仕事を探すしかない。登録自体にお金がかかると、少し考えればわかったのに……」
「村長さんも特にそういったお話はされていませんでしたから、迂闊でしたね」
サポーター組合を利用する為の登録には銀銭というお金が一人一枚必要だという話を、つい今しがた組合の受付の人から聞いたばかりであった。
「詳しくないと言っていたし仕方がない、こっちも年齢の事しか聞かなかったし」
お金を稼ぐ準備の為にはお金が必要……人間社会の辛い現実が壁となってソウタ達の前に立ちはだかっていた。
「とにかくその銀銭とか言うのが一枚でもあればいい、一人でも登録さえできればあとはどうにでもなる……はず」
そう言うとソウタは周囲をぐるっと見渡した。そこは円形の広場で商店街である、お店はいくらでも目に入る。
「まずはこの広場のお店からあたってみよう。銀銭の価値がわからないけど、事情を話せば協力してくれる人がいるかも知れない」
こうしてソウタ達は広場のお店を一軒一軒順番に巡り、丁寧に事情を説明して協力してくれる人を探した。時刻は地球で言う所の午後五時少し前、日暮れまであまり猶予はない。
そこから時を進める事約三十分あまり――。
「うちに人を雇う余裕はないんだ、すまんが他をあたってくれ……悪いね」
ここが円形広場の商店街最後のお店であったが、取り付く島もなく断られてしまった。ソウタ達は広場の商店街に並ぶ店舗ほぼ全てを回り、その全てで尽く断られていた。しかしソウタは諦める事なく行商人等も含めて虱潰しに声をかけて回ろうと、大通りに向けて来た道を戻っていく。
……そんなソウタ達の後ろ姿をじっと見つめる人影が、商店街の片隅にちらりと顔を覗かせていた。腕を組んで佇む見慣れた姿に気が付いた近くの店の主が声をかける。
「……ん? おおアル、そんなとこで何してんだい、夜の買い出しかい?」
声をかけられた人物はソウタ達から視線を外す事なくあごでソウタ達の方を示すと、質問に質問で返した。
「……今大通りの方へ行ったアレ、何か知ってるかい?」
あごで示された方向へ目を向け店主がソウタ達の後ろ姿を微かに捉えると、今しがたソウタ達本人から聞いた事を話して聞かせた。
「アレ? ……ああ、アレか。何でもそこの組合に登録に来たけど金がねえってよ、仕事探して一軒ずつ店回ってんだと。うちにも来たよ、美人さんも居ったが……カミさんがおっかなくてすぐ断ったがよ」
「ふうん…………流れのサポーター……ね」
事情を飲み込んで尚、その人物はピクリともせず真っ直ぐに一点だけを見つめている。その意図はわからぬものの、焦れた店主は再び佇む人物へ声をかけた。
「そう珍しくもねえが、見た事ねえ珍奇な格好しとったな。それより、買ってくのかい?」
再度声をかけられようやく視線を店の商品へ向けると、その人物はやや思案した後目の前の二つの品を指してこう告げた。
「……そうだね、じゃあこれとこれ、籠ごと貰うよ」
籠ごと、と言われ一瞬目を丸くした店主はすぐさま膝を叩いて顔をほころばせた。
「はっは! 何だい、珍しく景気いいじゃねえか」
「たまにはね」
そんなやり取りを交わし店主が勘定の計算をしている間も、アルと呼ばれた人物はソウタ達が大通りへと消えた道をただじっと見つめていた。
再び時を進める事同じく三十分あまり、地球で言う所の午後六時少し前と言った所。茜さす夕暮れもまもなく終りを迎え、夜の帳が下りようかという時刻。昼間を営業時間としている店舗の多くが店先の片付けを済ませ閉店作業を黙々と進める中、王城正面から街の中心部を南北に流れる水路の欄干に腰掛けるソウタ達の姿があった。銀銭一枚を求め商店街中の店舗を巡る事約一時間、大通りの行商人のみならず、街の中心部にまで足を伸ばし水路沿いの店舗を北から南へ、声をかけて回り歩き続けたソウタ達であったが……結果は散々なものであった。流石のソウタもこれには堪えるものがあったのか、先程から天を仰いだままぴくりとも動いていなかった。ウシオとスイカが揃って心配そうな顔でソウタを見つめる中、最初に沈黙を破ったのはソウタであった。
「まさか……通貨たった一枚がこれ程の障害になるとは思わなかった。見込みが甘かったな」
ソウタが一時間街を歩き回って分かった事は、ソウタの狙いが余りにもハマり過ぎていたという事だった……すなわちミルドである。
「人々の注意や警戒をあえて向けて貰う為に造った、それがこんな所で仇になるとは……」
よそ者であるソウタとウシオ、秘書の三人に向けられる様々な意識を、より大きなものに向けて貰う事で相対的に和らげる……そんな思惑でミルドは造られた。ただその為には三人とミルドの間にわずかでも距離がなければならない。あっちが目立つからこっちが霞む、一緒に居ては意味がないのである。今回の仕事探しにおいても断られる理由の大部分はミルドを見て店主が怖がってしまった為であった。農村での活躍がここ王都にも伝わっていればまた状況は変わっていたかも知れない、あるいはミルドのビジュアルをもっと違うものにしていれば……そんな後悔を一人、ソウタは胸の内で噛み潰していた。
天を仰いだまま微動だにしなかったソウタであったが、しばし目を伏せたかと思うとようやく重い腰を上げ動き出した。
「夜間を営業時間にしているお店もあるはず、次はそのへんをあたってみよう」
気を取り直して再び仕事探しを続けようというソウタにウシオが問いかける。
「このままミルドも連れて行くんですか? また断られてしまうのでは」
「……仕方ない、その辺に置いていって万が一通報……兵士でも呼ばれたらそれこそ仕事探しどころではなくなってしまう」
強面の大剣担いだよそ者の大男が何をするでもなくその辺に突っ立っている……想像しただけでも通報ものである。ミルドにもいずれ活躍の機会は必ずある、とソウタは自身にも言い聞かせるようにウシオを諭すと、すっかり暗くなった街並みへと目を向けた。空はすっかりと日が落ち、建物の外に備え付けられたランタンに灯った仄かな光が暗くなった街を照らしている。地上の明かりが乏しいお陰か頭上に広がる満点の星空が鮮やかに瞳に映る。何を思っているのか、ソウタがしばし星空を見上げているとその背中に突然元気のいい大きな声がかけられた。
「いたいた! こんな所にいた、あっちこっち探し回っちまったよ」
その声にソウタ達が視線を向けると、そこにはがっしりとした良い体格のエプロンをした女性がこれまた気持ちのいい笑顔で立っていた。自分達に声をかけているのか、ソウタ達が戸惑いを見せるも女性は全く意に介さず会話の主導権を掻っ攫っていく。
「アンタ達、仕事探してんだろ? 流れのサポーターが登録できなかったって話は聞いてるよ」
仕事と聞いて一瞬期待したソウタだったが、その女性のオーラと視線を見てやや警戒せざるを得なかった。悪意と言うわけではないが何か企みのあるオーラ、そして視線は真っ直ぐにウシオを捉えていた。ソウタは次の女性の言葉を待たずに一つ断りを差し込んだ。
「仕事は探しています、ですが如何わしいものであれば丁重にお断りいたします。稼げれば何でも良いわけではありません」
ソウタから警戒感を向けられた女性は、一瞬間を置いて苦笑いをこぼすと謝罪と弁明を続けた。
「ごめんよ坊や、うちはそういうんじゃない。ただそっちの美人さんに期待して声をかけたのは確かだ、気を悪くしたなら謝る」
この通り、と頭を下げる女性のオーラは嘘のない純粋なものであった。悪い人ではなさそうだとソウタも反省し、疑いを向けた事を謝罪し改めて詳しい仕事の内容について尋ねた。
「それで、お仕事というのは何でしょう? 銀銭一枚、できれば三枚頂けるものであると嬉しいのですが」
「今夜の稼ぎ次第ではあるけど……銀銭三枚、それと今晩の宿も付けたげるよ。どうせ泊まるとこもないんだろ? 仕事は店についてのお楽しみさ」
どうする? と女性は腰に手を当て首を傾げながらソウタの返答を待った。報酬は願ってもないものだが何故仕事内容を伏せるのか、乗って良いものか悩むソウタの背中にそっとウシオの手が添えられた。
「行ってみましょう、ソウタ。行動あるのみ、ですよね?」
穏やかに微笑むウシオの顔を見上げ、大きな欠伸をするスイカと歩き疲れ足元でうずくまっていた秘書を一瞥すると、ソウタは小さく溜め息をこぼし女性に決心を告げた。
「決まりだね。着いといで、すぐそこだよ」
ソウタの返答に女性はにこりと笑顔で応えると、くるりと踵を返して手招きし来た道を戻っていった。ソウタ達も置いて行かれないよう急いで後を追う。
異世界四日目の夜。軒先にぶら下がったランタンと家屋から溢れる灯りに照らされて、ソウタ達は暗がりの小路を行く。ようやく仕事を見つけられたのは喜ばしい事であったが一体何をさせられるのか……どうにも不安を拭いきれない複雑な心境のソウタであった。
「――いらっしゃいませ!」
わいわいがやがやと賑わいを見せる夜の王都の一角にウシオの可憐な声が響き渡る。自慢のエプロンドレスを惜しげもなくはためかせ、両の手に料理と飲物を携えて店内を忙しなく、されど笑顔を絶やさず優雅に駆け回るその魅力的な所作に店内の誰もがウシオの虜となっていた。呆れた顔の貼り付いたソウタはその様子を眺めながら手元も見ずにテキパキと洗い物を片付けていた。
「この仕事内容伏せる意味ありました? アルさん」
もはや仮面のような呆れ顔のまま目も向けずにソウタは隣に立つ女性、アルに真意を問う。
「男が細かい事気にすんじゃないよ、あっはっはっは!」
仕事を見つけられず途方に暮れていたソウタ達に声をかけてくれた豪快に笑う女性アルの案内でソウタ達が訪れたのは、円形商店街と街の中心部を南北に流れる水路を結ぶ小路の中間に位置する宿兼食堂のお店であった。食堂は夜のみの営業で仕事終わりの王都民のお腹を満たす憩いの場となっている。アルは街でウシオの姿をひと目見るなり絶対に客足が伸びる! と確信し食堂のウェイトレスとして雇う事を画策していたのだった。
「アタシの目に狂いはなかったね、いつもの三倍……いや四倍は来てるよ」
実際食堂の盛況ぶりは凄まじいもので、三つある四人掛けのテーブルもカウンターも次から次へと入れ代わり立ち代わり客が入り続け、店内に入りきれない客が窓に張り付く程であった。まるで光にたかる虫である。そしてその様子を見た通行人や口コミで話を聞いた人々がまた集まり……と切りがなかった。
調理場では食堂の主人ベルゴが秘書を裏方に付け黙々と料理を作り続けている。ホールにはウシオの他にもう一人、アルとベルゴ夫妻の娘であるリコが客の食べ終わった食器を片付け、洗い物担当であるソウタの元まで運ぶお手伝いをしている。強面の大男ミルドはどこで何をしているのかと言うと、二階への階段に座りウシオに如何わしい目を向ける酔っ払った男性客にギラリと鋭い目を光らせていた。スイカはというとミルドの後ろに隠れた下級の頭の上ですやすやと寝息を立てている、初めての王都に昼間はしゃぎすぎたようである。
空前絶後の大盛況を記録した食堂は営業開始からわずか三時間足らずで食材が尽き、あっという間に閉店を余儀なくされた。渋々帰る客にすまないね! とアルが店の外まで見送り、店内がようやく落ち着きを取り戻すと寡黙な主人ベルゴからソウタ達へ夕食が振る舞われた。
「頂いてよろしいんですか? ボク達まだお金を持っていませんが」
ソウタが問うもベルゴは黙って頷くとすぐに調理場へ引っ込んでしまい、変わりに戻ってきたアルが答えた。
「遠慮なんかいらないよ、ちょっと多めに買っといたのに食材が尽きるなんて初めての経験をさせて貰ったお礼さね」
それでは、と感謝を伝えありがたくご馳走になると、食後のデザートに恒例の質問攻めが待っていた。カクカクシカジカと幾度目かの設定解説を手短に済ませるとアルと娘のリコから予期せぬ初めての質問が飛んできた。
「ウシオちゃんのそのエプロンは自分で作ったのかい? リコも欲しいって言って聞かないんだよ」
ウシオの身にまとうエプロンドレスに注目が集まると、傍目にもわかるほどウシオのテンションが跳ね上がった。これまでも何度か触れる機会があったが、ウシオのエプロンドレスは純粋な彼女自身の趣味である。人の姿を得たウシオは人の身に付ける多種多様な衣服に強く関心を持ち作り方まで学ぶと、その中でも何故かエプロンドレスにハマり自作してしまう程に傾倒していった。そしていつしか自分で身につけるのみならず、多くの人にエプロンドレスの素晴らしさを知ってもらい広く普及させたいという野望すら抱くに至っている。エプロンドレス熱に火のついたウシオを止めるすべはなく、異世界王都のファッション史に勝手にエプロンドレスの名を刻みつけていく。これ異文化の侵略にならないかな……、と考えながらもソウタは諦めの境地で生き生きとしたウシオを穏やかな顔で眺めていた。
「ほらこれ、今日働いてもらった分だよ」
エプロンドレスの話が終わり宿兼食堂の女将アルから手渡されたのは二十枚の四角い銀貨だった。小さいが二十枚もあるとずっしりと重量を感じる。
「ウシオちゃんに十と、坊やと料理を手伝ってくれた彼二人で十の合わせて二十、一旦これでいいかい?」
相場などわからないのでとりあえず十分だとソウタは笑顔で感謝を述べた。客が勘定に払っていたものもこの四角い銀貨だった、聞くわけにもいかないがここまでに得られた様々な情報を総合してこれが銀銭であるとソウタは仮定する。
「サポーターに登録できればあとはどうにかなります。本当に助かりました、ありがとうございます」
ソウタが改めて感謝を述べると、アルはかしこまってソウタ達にある提案を持ちかけた。
「坊や達、しばらく王都にいるんだろ? ならうちを拠点にする気はないかい? 通りにあるような立派な宿じゃないが、食事もつける」
アルの話を要約すると、今夜の評判が広まってこれからもしばらくウシオ目当ての客足が見込める。手伝って貰えるならもちろん報酬も出す。朝晩二食付けて銀銭八枚は決して悪くない条件だと思う、という事らしい。良し悪しに関してはソウタ達にはわからなかったが、女将アルの並々ならぬ熱意がオーラには表れていた。
私は構いませんよ、と早くもリコに懐かれたウシオが賛成に一票投じ、自分も賛成です、と食事に釣られた秘書までもが二票目を投じた。なら断る理由もない、とソウタは女将へ身を正すと深々と頭を下げた。
「これからしばらくの間お世話になります、よろしくお願いします」
「ああ! こちらこそよろしく頼むよ!」
歓喜に染まるオーラをまとって満面の笑みを見せる女将アルはスッと立ち上がると、ランタンを手に持ちソウタ達の泊まる部屋へと案内してくれた。お店の入口から入ってすぐ右の壁沿いに階段があり、二階には客室が三つ、階段を上った所から見て横一列に並んでいる。手前二つがいわゆるシングル、そして一番奥にダブルの少し広い部屋が一つあった。ソウタ達が案内されたのはその一番奥の部屋、食堂を一望できる廊下を通って中へ入るとまず目につくのは丸いテーブルと二脚の椅子、そして長方形の部屋の奥に二つのベッドが並んで置かれている。部屋の一番奥の壁には窓があり、建物の裏側のスペースを見下ろす事ができた。早々に奥のベッドを確保した秘書がまた五秒で眠りにつく。
「ベッドが足りないね、隣も使うかい? どうせ誰も来ないから使ってくれて構わないよ」
尋ねながら持ってきたランタンをテーブルに置くアルへ、この部屋だけで問題ない、とソウタは遠慮を告げた。
「恐らく寝る為だけの部屋になると思うので十分です、ありがとうございます」
「そうかい、他に必要なものはあるかい?」
ソウタは事前に伝えていたミルドの食事についてだけ再確認すると、明日に備えて早く休むとアルと着いてきたリコにおやすみの挨拶を送った。アルとリコが去るとソウタは手前のベッドに腰掛け、懐から時計を取り出しキリキリとゼンマイを巻いていく。それが一日の終わりを示す合図であるかのようにふうと肩の力を抜くと、そのままプツッと糸の切れた操り人形のように隣へ座るウシオへともたれ掛かった。力ないボヤキが口をついて出る。
「……こちらに来てから今日が一番疲れた」
「大変な一日でしたね、お疲れ様でした」
一番働いたであろうウシオがいつものように穏やかに優しく抱きとめソウタを労っていると、目を伏せたソウタはとてもか細い声で弱気に小さく呟いた。
「不甲斐なくてごめん……頑張るから……もっと……」
そう言うとソウタは電池の切れた玩具のようにそのまま時計を握りしめ座ったままの姿勢で眠ってしまった。
「ソウタ……」
珍しい弱音に驚いたウシオは静かに寝息を立てるソウタを起こさぬようそうっと、何も言わずに優しく包み込むとゆっくりとベッドへと寝かせた。穏やかな寝顔をさらりと撫で、時計を握りしめる小さな手にそっと手を添えて囁くように、寝ているソウタへ語りかける。
「――………………」
その囁きは誰の耳に届く事もなく、ウシオはいつもの優しい穏やかな表情でしばしソウタを見つめると、隣に横たわり朝までソウタの手を握りしめていた。
異世界五日目、ソウタは珍しい朝を迎えていた。いつもの温かく柔らかな圧迫感はなく、隣を見るとウシオのきれいな寝顔が見られた。窓の外に目を向けると空はまだ日の出を迎える前のようで未だ星の瞬きを見る事が出来る。窓から更に下に目を向けると、隣のベッドには秘書と下級とスイカが折り重なって出来た鏡餅が鎮座していた。アルかベルゴか、階下からは既に物音が聞こえてきたがそのまま起き上がる事なくしばしぼうっと天井を眺めていると、目を覚ましたウシオがソウタの頬を優しく撫でた。二人は姿勢を変える事なく短く小声で朝の挨拶を交わすとしばしの沈黙の後、ウシオが声をかけようとしたのを遮ってソウタが先に口を開いた。
「頼ってばかりで、自分だけでは何も出来ないと、そう思った」
昨夜の反省か……伏し目がちに天井を見つめたままうわ言のように心の内を吐露するソウタに、ウシオもソウタの頬をゆっくり優しく撫でたまま応える。
「不甲斐ない事なんてありません、一生懸命頑張れていますよ」
「……頑張るだけなら誰でも出来る、頑張るだけじゃダメだ」
ソウタは手に持ったままだった時計を顔の前にかざすと、時を刻む針を見つめながらその小さな身に抱えているものを少しずつ吐き出していく。
「どんなに偉そうに振る舞った所で、ボクに力がない事には変わりない。自分の力で認めて貰わなければ、もし帰れたとしても、そこにボクの居場所はない。頼ってばかりじゃ、守られているばかりじゃ、ダメなんだ」
ソウタはホサキやレベッカ、調査隊員達にガルド、農村の村長夫妻やアルとベルゴ夫妻、そしてあの金髪の男、ザックの事を思い出していた。ザックの当たりが強いのは自分が弱いからだとソウタは考えていた、そしてその考えは間違っていない。ザックから見てだけではない、最高戦力群の中でも特にソウタの力は弱かった。オーラを捉えられる力を持っているからこそ、ソウタは常にその現実を直視し続けてきた。この任務は自分への試練、そんな小さな少年の中で張り詰めていたものが昨夜、ふとした拍子に緩んでしまった。
そんなソウタをいつも側で見守っているウシオだからこそ、その苦悩を受け止めこう伝えることが出来る。
「ホサキさんやレベッカさん、他の皆さんも、あなたが弱いから、手を差し伸べてくれるわけではありません。もちろん私も」
「あなたを大切に思っているから、力になりたい、頼って欲しいと、そう思うんです」
「あなたもちゃんと成長していますよ、そばで見てきた私が保証します。ソウタはこれからもっと強くなる、だから不甲斐ないだなんて、思わないで下さい」
「誰にだって出来ない事はあります、頼る事は、決して悪い事ではありません。今はまだ、たくさん頼って下さい。皆で力を合わせて、一緒に帰りましょう」
降り積もるかのようなウシオの愛情を受けてソウタは黙って小さく頷くと、それ以上二人の間に言葉は必要なかった。照れ隠しかあるいは……、袖で目元を隠したソウタをウシオがぎゅうっと、いつもよりも強く抱きしめていた。空が白み日が昇るまでの僅かな時間、ウシオは温かくソウタを包み続けた。
しっかりと日が昇り朝を迎えた食堂には調理場からいい香りと美味しそうな音色が響いていた。階段を降りながらソウタとウシオはカウンターを拭いていたアルと調理中のベルゴ、寝ぼけた目をこすりながらカウンターに座るリコと朝の挨拶を交わす。
「おや、おはよう、二人共早いねぇ。よく眠れたかい?」
朝から元気なアルにお陰様で、と相槌を打ちソウタとウシオの二人は揃って表へ出ると、朝日を浴びながら大きく伸びをして商店街の方へと目を向けた。この小路は円形商店街から放射状に伸びた道の一本で、商店街中央に建つ組合の建物をここからも見る事ができる。組合をじっと見つめる二人の様子を見ていたアルが窓を開けながら声をかける。
「組合も流石にこんな朝早くからはやってないよ、朝食食べて、少しゆっくりしてな」
言葉の通り早朝という事もあり小路にも商店街にも人気はなく、しんと静まり返っていた。ソウタとウシオが再び食堂の中へ戻るとカウンターに座り一足先に朝食をとっていたリコがあー! と大きな声を上げた。何事かとアルが駆け寄ると、そこにあるものを見て突然笑い出した。
「あっはっは! 何かと思えば、『妖精の恵み』じゃないか。珍しいね、今日はきっといい事があるよ」
妖精の恵み? とソウタが小首を傾げ尋ねると、アルはリコのデザートの果物を手にとってこちらに見せながら説明してくれた。
「ほら、ここに小さくかじったような跡があるだろ? 妖精がかじった跡だって、昔から縁起のいい事とされてんのさ」
そう話すアルの隣で、いつの間にか起きてきたスイカが両手で口を抑えながらほっぺたをぱんぱんに膨らませてもぐもぐしていた。
「恵み、ね」
食い意地の間違いでは、と思いながらも満足気なスイカを見て穏やかに笑みをこぼすソウタであった。
その後揃って朝食を済ませ、商店街の方から微かに賑わいが聞こえてくるようになるとアルやリコに見送られ、いよいよサポーター登録の為ソウタ達は再び組合の門戸を叩くのだった。
――サポーター組合。遠い異国から伝わった仕組みで、組合を通じて仕事と働き手を結ぶ斬新で画期的な職業システムである。仕事の仲介を受けるにはまず組合への登録が必要とされ、一人に付き銀銭一枚の登録料がかかる。サポーターは登録時に星と呼ばれる三段階の階級のようなものに振り分けられ、自身の階級を示すピンバッジが配られる。サポーターとしての活動時にはこのピンバッジの着用が義務付けられており、低い方から順に一つ星、二つ星、三つ星と呼び、基本的に自身の階級以下の仕事しか受注する事は出来ない。
星を増やす、階級を上げるには地道に実績を積み重ねると共に、組合から提示される昇級試験に合格する必要がある。実績と信用を以って組合から認められる必要があり、決して容易なものではない。
各星ごとの仕事内容は概ね決まっており、一つ星は街中での雑事全般。二つ星からは危険な街の外での活動が主となり魔獣に対抗できる戦闘能力が必須となる。そして三つ星は人類の脅威となるような強大な魔獣の討伐や貴重な物品の入手など、街から遠く離れたものが主体である。
一見すると二つ星と三つ星の違いが分かりづらいが、二つ星の仕事は行商の護衛が一般的となっており街や砦から遠く離れる事はほぼない。また、現在三つ星を与えられているサポーターはここ王都にはおらず、実質あってないようなものとなっている。
仕事の流れはというと、まず任意の依頼を受注し組合から受託証を受け取る。次に受託した依頼をこなし依頼人から受託証にサインを貰う。そしてサイン入りの受託証を組合に届ければ依頼完了、依頼人から組合に預けられている報酬を受け取る事ができる。ただし行商の護衛依頼は組合のある王都から離れた場所での依頼達成となるので、報酬は組合に預けるのではなく依頼人本人から受託証へのサインと一緒に受け取る事になる。受託証はできれば依頼を受けた組合で返す、無理であれば最寄りの組合で構わない。
「大まかな説明ではございますが、ここまでで何かご質問等ございませんか?」
入り口からすぐ正面に位置する受付カウンターにて、ソウタ達は登録の手続きと仕組みなどの説明を受けていた。
大きく扉の開け放たれた入り口から入って左側には、階級を示す星のマーク(※五芒星ではなく十字の四芒星)の描かれた掲示板が掲げられた広々としたスペースがあり、そこに依頼内容の書かれた紙がピンで貼り付けられている。入り口の右側には壁とカウンターに挟まれた通路、その奥には四角いテーブルと椅子がいくつか並んでおり雑談スペースのような空間となっている。カウンターの向こうにはうず高く積まれた書類の山とそれを手早く処理していく数名の職員の姿が見られる。
ソウタは受付嬢の説明を頭の中で反芻しながら現状思い付くいくつかの質問をぶつけてみた。
「ではいくつか、まず登録時の階級はどの様に決まるんでしょうか?」
「はい、えーこの後所長との面接を受けて頂きますが、問題なければ無条件で一つ星となります。二つ星以上を希望される場合は別途試験を受けて頂く必要がございます」
この手の質問には慣れているのか、受付嬢の受け答えは結構な早口で鮮やかなものであった。
「その試験というのは?」
「主に模擬戦で戦えるかどうかの確認をさせて頂く事が多いですね。相手は二つ星の方であったり、所長が直接相手をする事もあります」
なるほど、と呟くように相槌を打ちつつソウタは次の質問に移る。
「登録できたらすぐに依頼を受けられるんでしょうか?」
「登録の手続きに少々お時間を頂く事となりますのでー……そうですね、最短で明日からになるかと思われます」
受付嬢は後ろの職員の方をちらりと見るなり歯切れ悪く答えた、事務の進捗状況でも確認したのだろうか。
「では最後に、依頼は複数を同時に受ける事ができますか?」
「依頼の抱え込みなどが発生しかねませんのでその都度での判断となってしまいますが、一応三件まで可能となっております」
よくわかりました、と粗方気になる事を聞き終わると、ソウタ達は面接とやらを待つ間掲示板に貼られた依頼の内容を邪魔にならないよう気をつけながらまじまじと眺めていた。ミルドはでかいので隅っこにいてもらう。
説明にもあった通り一つ星の依頼は街中での雑事が殆どで、報酬が銀銭一枚なんてものも見られる。荷運び、部屋の片付け、ゴミ拾い、売り子、屋根の修理に農場の手伝いなんてものもあった。確かに子供でもできそうである。そんな中掲示板の隅っこにぽつんと取り残されている依頼があった。
――『王立大書庫の蔵書整理』、報酬……大金貨一枚。
異世界の通貨をまだ銀銭しか見た事のないソウタは大金貨がどれ程の価値なのか、恐る恐る受付嬢に聞いてみた。
「大金貨ですか? 我々みたいな庶民には縁ないですよねぇ、角銀貨で言うと百枚、銀銭だと千枚になりますね」
二つ星の行商護衛の報酬が角銀貨二十枚前後らしいので五件分、驚くような高額報酬である。何故そんな依頼が隅っこに貼られているのか、これも一つ星の依頼なのかと問いかけると受付嬢は苦笑いを浮かべながら困った様子で答えた。
「そのぉ……蔵書量が大変膨大でして、中々引き受けて頂ける方がいないんですよねぇ……」
「どれくらいあるんですか?」
「えーっと……約、十万冊ほど……」
百冊片付けてようやく銀銭一枚、しかも依頼達成まで報酬は貰えない。誰も手を付けないのも納得の低賃金であった。しかし情報収集が目的のソウタにとっては報酬の低さなど些末な事、書庫があるというのは願ってもない事であった。面接の準備が整ったと声がかかるまで、ソウタはその依頼書をじいっ……と見つめ続けていた。
声がかかり職員の案内で向かった先は建物の二階にある所長の部屋だった。職員が軽くドアをノックし中からどうぞ、と聞こえたのを合図にソウタ達は揃って中へ通される。出迎えてくれたのはどこか西洋貴族のような気品漂うスマートな服装の男性だった。凛々しいヒゲの整った、おじさんというよりはおじさまと言った印象である。ソウタ達がよろしくお願いします、と挨拶すると男性はえらく歓迎ムードでソウタ達をソファへと誘った。
「はじめまして、私はここの所長を務めているリデルだ。君達を待っていたんだよ、間が悪くて昨日は申し訳ない事をしたと思ってね」
話が読めずウシオと顔を見合わせるが、とりあえず名乗って挨拶を返し、ソファに腰を下ろしながらどういう事かと尋ねた。
「バードルフの村長から手紙を貰ってね、君達の事をよろしくと綴られていた。だが私の下に手紙が届いたのが君達が帰ってしまった後でね」
気づけていれば昨日の内に登録の手続きを済ませられたと聞き、ソウタは溜め息……ではなくウシオと二人で呆れ笑いを交わしていた。手紙を届けたのはソウタ達を馬車に乗せてくれた行商人だったという、村長は恐らく入場料の時と同じ様なサプライズのつもりだったのだろう。しかし行商人は一緒に組合まで手紙を届けるよりも先に自身の商いを優先した、結果入れ違いとなりソウタ達は必要のない苦労をする羽目になったのだった。
過ぎた事です、とソウタは気にしないように伝えると、リデルは書類を手に取り早速登録の話へと話題を変えた。
「登録はウシオさんを除いた三人だね、ミルドさんが二つ星を希望……」
書類を読み上げながらちらりとミルドの方を見やると、強そうだね、とリデルは不敵な笑みを浮かべた。するとリデルは入り口とは別方向にある隣室の扉に向けて声をかけた、返事と共にパタパタと足音が近づいてくる。リデルが隣室から顔を見せた職員に模擬戦を頼めそうな二つ星が居るか確認を頼むと、職員は頷きすぐに扉を閉じてまたパタパタと足音を立て階下へと降りていった。その間に念の為三つ星を希望したらどうなるのか、ソウタはリデルへ問いかけた。
「残念ながら、登録時に直接三つ星を希望する事はできない。模擬戦の相手がすぐに用意できないというのもあるし、現在この王都には三つ星のサポーターがいなくてね」
三つ星の依頼自体を受け付けていないんだ、とリデルは申し訳無さそうに答えた。確かに掲示板にも三つ星の依頼は貼り出されていなかった。ソウタはふと思いついたように過去の三つ星の依頼内容について聞いてみた。
「主に一般の兵士や二つ星には荷が重いと思われる魔獣の討伐なんかになる、それこそ君達が農村で相手した様な、ね」
農村を襲撃した象ほどの巨体を持つ犬のような魔獣、あれも過去に討伐依頼が出ていたらしい。その時は広大な森に潜む魔獣を見つけられず断念したとの事だった。ソウタは当時の依頼を受けた三つ星についても質問を重ねてみる。
「彼らは現在王国軍に所属している。戦闘能力に長ける有望な人材には軍から直接声がかかる事がある。あとは別の国へ移ったり、様々だ」
熱心に質問を重ね真っ直ぐに耳を傾けるソウタにリデルは強い好感を抱いたようで、とても穏やかに微笑みソウタへの敬意を表した。
「君はいいね、村長の手紙にあった通り真面目でしっかり者、王都の人は外から来た人に厳しいが君ならすぐに馴染めるだろう」
突然褒められやや気恥ずかしさを覚えながらソウタは感謝を述べた。そんなやり取りをしていると先程と同じ足音がパタパタと聞こえ隣室の扉から職員が報告に顔を出す。
「所長、見つかりました、ハマーさんが引き受けて下さるそうです」
職員の報告に感謝を返し労うと、リデルはすっと立ち上がりソウタ達に建物の裏手へと移動を促す。
「では、早速お手並み拝見といこうか。模擬戦は裏手にある広場で行う、我々も行こう」
所長室を出て来た道を戻り階段を降りてすぐ右、掲示板のスペースから裏手に出る扉をくぐると、建物の裏に広々とした空間が広がっていた。丸太でできたカカシ等もある。隅には木箱に乱雑に放り込まれた木剣や木槍など演習用と見られる道具が置かれている。広場は当然だが屋外で、低い柵が設けられているものの周囲の商店街からは丸見えであった、朝早くにもかかわらず賑わいを見せる商店街の客から再びソウタ達に視線が注がれる。
ソウタ達が周囲の視線も意に介さず広場をキョロキョロと眺めていると背後から道を開けろと声がかかった。
「随分ご立派な剣担いでやがるが……何だその格好、どんな奴かと思えば……やる気あんのか?」
「おはようハマー、朝からすまないね」
リデルが挨拶を送った男、ハマーと呼ばれた男性はミルドより身長こそ低いものの体格は引けを取らないほどの大柄で、体にあった防具をしっかりと身に着けていた。綺麗に剃り上げられたスキンヘッドに朝日が光る。欠伸をしながら気怠そうに隅に置かれた木箱へ向かうと彼はそこから大きな木槌を取り出し肩に担ぐや広場の中ほどに立ちミルドを鋭く睨みつけた。
「ではミルドさんも、木箱からお好きな武器を持って彼の前へ」
リデルが声をかけると、ミルドは何も言わず剣を担いだままハマーの前へと進み出た。いつの間にかぞろぞろと増えていた見物客からもどよめきが沸き起こる。リデルが慌ててその剣は使えませんよ! と声をかけるがやはりミルドは反応せず怪訝な顔のハマーと視線を交わしている。
「剣を使う気はないと思います。素手でいい、と言う事ではないかと」
ソウタがフォローすると目に見えてハマーのボルテージは上がっていき、木槌を構えるとさっさと始めろと語気を荒げてリデルをせっついた。
「二人共! これは模擬戦だからね! やりすぎてはいけないよ!」
警告するも両者共に返事もなく、リデルは頷くソウタを一瞥し渋々と言った様子で開始の合図を送った。
ミルドとハマー、二人の模擬戦はわずか十秒余りで勝敗が決した。自慢の怪力で木槌を豪快に振り回したハマーだったがその攻撃がミルドに当たる事はなく、ひょいひょいとあっさり避けられボルテージが最高潮に達したハマーは飛び上がりミルドの顔面めがけて渾身の一撃を振り下ろした。模擬戦で出していいものではないであろうその攻撃を、ミルドはあろうことか右手一本で真正面から受け止めた。頭上から振り下ろされる渾身の一撃を受け止めるとその衝撃はドンッ!? と大地を揺らし、ミルドの足を地面にめり込ませる程であった。木槌を握力でがっしりとホールドしたミルドはハマーの体勢を崩し転ばせると、そのまま相手の顔面めがけて木槌を思いっきり叩きつけ――ようかという所でリデルからそこまで! と声がかかり、寸止めにて模擬戦は終了となった。
大地を揺らす程の衝撃で更に商店街中から注目を浴びる事になった模擬戦は終わると同時に一瞬にして静寂から歓声に変わり、午前中にも関わらず商店街はお祭りかのような賑わいを見せた。
「これはまた……想像以上にとんでもない人が現れたね」
リデルもまたミルドの力を目の当たりにし、信じられないという驚愕の表情を見せていた。
興奮冷めやらぬ見物客を残し再び所長室に戻ってきたソウタ達はリデルから惜しみない拍手を送られていた。
「正直まだ自分の目が信じられない、ハマーは今王都にいる二つ星の中でも上位の実力者だ。それを右手のみで完封とは……いやはや」
出来る事ならすぐにでも三つ星を送りたい気分だよ、と話すリデルにソウタは首を傾げて尋ねる。
「組合のトップであるリデルさんに、その権限がないんですか?」
ソウタからのもっともな質問にリデルは苦笑いを見せると、肩をすくめて事情を話した。
「サポーター組合というのは国営の事業でね、私もただの中間管理職に過ぎない」
所長であるリデルにあるのは二つ星の任命権までで、三つ星は王城へ申請を出さなければならないのだと言う。
「もし希望するのなら申請書を作っておくけれど、興味はあるかい? 通常は多少実績を積んで貰うんだけど、その実力なら申し分ない」
リデルはミルドに視線を送り問いかけるが当然反応はない、代わりにソウタが質問を挟む。
「その場合の試験というのは、元三つ星の方との模擬戦になるんでしょうか?」
恐らく、と頷きながらリデルは短く答えた。三つ星の実力には少なくない興味があった。木槌を軽々と振り回し渾身の一撃は大地を震わせる、そんな実力の持ち主が二つ星上位だと言う。この世界における強者がどれ程のものなのか、確認したいという思いは山々であった。しかしソウタはミルドを一瞥して思案するふりを見せるとリデルへ向き直り穏やかに答えた。
「彼を軍に引き抜かれると困るので、今は遠慮させて下さい」
「ふふ、そうか、そうだね」
リデルは笑みをこぼして頷くとおもむろに立ち上がり、ソウタ達へ少し待つように言い残し隣室の方へと消えていった。しばらくして戻ってきたリデルは手に何やら小さいお盆のようなものを持っていた。
「これがサポーターである事を示す証になる徽章だ、活動時は必ず常に見える所に付けて欲しい」
お盆の上にはシンプルな十字の四芒星をかたどったピンバッジが三つ置かれていた。二つ星のものは四芒星が斜めに重なっている。
「手続きの都合上活動は明日からになってしまうが……他に聞いておきたい事はあるかな?」
リデルの問いかけにソウタは手にとったピンバッジを眺めながらやや思案すると一つ、仕事の事ではなく登録者の事を尋ねた。
「……こちらに所属しているサポーターの中に『精導術』というものを扱える方はいらっしゃいますか?」
「精導術? いや、私の知る限りサポーターの中にはいないと思うが、誰か探しているのかい?」
ソウタは怪訝な表情を浮かべるリデルへ精導術への興味を話して聞かせた。農村で初めてその言葉を耳にし、どのようなものなのかぜひ一度見てみたいのだと、慎重に言葉を選びながら探りを入れる。
「ふむ……低位のものであれば街の水路や家庭でも見られるが、高位となると宮仕えが殆どで私もちゃんと目にした事はないくらいだ」
リデルの発言の前半部分、水路や家庭で見られるとはどういう事か、ソウタは食い気味に素直な熱心さを演出する。
「私も余り詳しくないんだが、精導術というのは『精霊文字』というものを使って精霊の力を借り、様々な現象を行使するものだと聞いた事がある」
その文字が水路の底や竈の中に刻まれているのだという、ソウタはこの後見に行こうとすぐに決めた。ついでなので高位の精導術とやらについても深堀りしてみる。
「今話した通り私も実際に見た事はないからこれ以上はわからないな、高価な『精霊結晶』を必要とするらしいけど」
『精霊文字』に『精霊結晶』――ここで得られるのはこれくらいか、とソウタは感謝を述べて話を切り上げ今日組合でやる事はこれで全てかとリデルへ尋ねた。
「そうだね、あとは事務処理が済み次第活動を始めてもらえる。急がせるから明日には出来るはずだよ」
ああそうだ、とリデルは何かを思い出しミルドの方を見ながら二つ星の依頼における注意事項を教えてくれた。
「行商の護衛依頼の手続きは前日に行うんだ。その日の内に依頼人に会って翌朝の出発の時刻なんかを決めるからこの後やって行くといい」
「正式な登録前ですけど、よろしいんですか?」
ソウタが尋ねるとリデルは特別だよ、と笑顔で応えた。面接を無事に終え、リデルも一緒に一階へと降りると適当な依頼を見繕い受託の流れをレクチャーしてくれた。受託の手続きを済ませ受付嬢が持ってきた受託証は手のひらサイズの木札だった。文字が書かれているが表面を削れば何度か使い回せるという事で紙より良いらしい。
受託も無事に済ませリデルや受付嬢に見送られながら外へ出ると、相変わらず視線は注がれるものの少し街の雰囲気が変わっていた。今朝までは遠巻きに黙ってジロジロ視線を送られるくらいだったのだが、現在は視線に加えてひそひそ話をする者や手を振ってくる者、声をかけてくる者までいた。表情もどこか穏やかであったり笑顔であったりと嫌な感じは大分ゆるんでいる。昨夜の食堂の評判や先程の模擬戦の影響か、たった一晩で幾分街中が歩きやすくなったようである。
軽快な足取りで大通りに出ると通り沿いにある行商人用に建てられたという三階建ての宿を訪ねる。この宿は行商を活気付かせる為に国が用意したもので、国営であるサポーター組合とも提携しているらしい。入口を入るとホテルのロビーのような受付があり、受託証を見せる事で依頼人との取次を行ってくれる。宿のスタッフの案内で依頼人と面会すると初めは渋い顔をされたものの、模擬戦にてハマーを完封した話を出すと一転、えらく上機嫌となり話をスムーズに進める事ができた。ハマーが王都上位の実力者というのは本当らしい。無事翌朝の出発予定時刻などを取り決め宿を後にしたソウタ達は次に『精霊文字』とやらを確認する為街の中心部を流れる水路の方へと足を向けた。
『精霊文字』なるものを探し並んで水路を眺めるソウタ達であったが、しばらくその存在に気が付けなかった。それは水路を構成する石材の表面に模様のような形で刻まれていた。スイカと出会った時に見せた視力強化をすると文字の周りに集まる精霊の姿も確認する事ができる。スイカ曰くその精霊達は元気がいいのだとか……ソウタにはさっぱりわからなかった。文字、という事もありその存在を認識するとソウタには描かれている意味も理解する事が出来た、水路には『浄化』と刻まれている。所長リデルは文字で精霊の力を借り様々な現象を行使する、それが精導術であると話していた。つまりこの場合、精霊の力を借り水を浄化している、と言う事だろう。実際水路を流れる水はとても澄んでいる、食堂で洗い物をした際も水の綺麗さに驚いた事をソウタは思い出す。
「……これだけだと、下級を精導術でゴリ押すのは流石に無理があるかな。これは低位という事だからまだわからないけど」
「高位のものは『精霊結晶』が必要、と仰っていましたね。高価だとも」
ソウタとウシオが水路を眺めながらひそひそと話をしていると、ソウタの頭の上に座っていたスイカが私あれきらーい、とぼやいた。
「あれ、って……スイカ、『精霊結晶』を知ってるの?」
「うん、きれいだけど……精霊達が閉じ込められちゃうからキライ!」
ソウタの頭の上でぷんすこしている妖精をウシオがなだめている間、ソウタは一人思考の海へと泳ぎ出る。
「(精霊を閉じ込める結晶……精霊を元気にする文字……そう言えば、スイカは『風』の妖精だと言っていた。仮に火の精霊がいるなら集めて元気に……活性化させたら火が起こせるのか?)」
そんな事ができるのなら魔法のような事も可能かもしれない、人形を作り出すソウタの力も精導術で説明できるかも知れない、地球には存在しない未知の技術にソウタの興味は尽きなかった。
その後ソウタ達は街の人達に道を尋ねながら王立大書庫を目指していた。十万冊もの書物が所蔵されているというその建物は活気のある街の東側から遠く離れた街の西側、西門にほど近い大通り沿いにあった。大層立派な建物で、一見すると書庫と言うよりは神殿といった佇まいである。階段を登り大きな扉をノックするも誰かが出てくる気配はなく、何度かノックを繰り返してみたが依然反応は返ってこなかった。扉に手をかけ引いてみると鍵はかかっていなかった。開いた扉の隙間から顔を差し込み中を覗くと、すぐ正面に建つ立派な彫像が目に飛び込んできた。天井の高い広々とした空間は静寂に満ちていて、窓から差し込む光がどこか厳かな雰囲気を感じさせる。きれいな建物と厳かな雰囲気とは裏腹に至る所に木箱が高く乱雑に積み上げられていた。入口から見えるだけでも木箱の数は百や二百では足りないだろう。
ソウタが大きな声で呼びかけると、広い空間に反響したソウタの声にコツコツと足音の反応が返ってきた。やがて姿を見せたのはゆったりとしたローブを身にまとった髪もヒゲも白い年老いた男性であった。
「ほ、来客も珍しければ……格好も珍しい。ここに何か御用かね」
ゆっくりと、しかし確かな足取りでソウタ達へ歩み寄ってきた老人は、ソウタの胸に付いた四芒星の徽章を見るやいなや突然目を見開いて語気を強め、興奮した様子で問いかけてきた。
「君はサポーターか! もしや……あの依頼を受けてくれたのかねッ!?」
ずいっと顔を寄せるご老人を一旦なだめ落ち着かせると、ソウタはそのつもりで様子を見に来たのだと伝えた。落ち着いて話せる場所へ案内してもらい皆が腰を下ろすと老人は未だ落ち着かない様子で口を開いた。
「よもや……無理を承知で出したあの依頼を引き受けてくれる者が現れようとは……これも貴方様のお導きか」
そう話す老人の視線はあの入り口正面に立つ立派な彫像に向けられていた。誰の彫像なのかとソウタが尋ねると、老人は彫像を見つめたまま穏やかに語り始めた。
「この方はの、先代の国王陛下その人なんじゃよ。この大書庫の建設を先頭に立って推し進めた、偉大なお方じゃ」
そう語る老人の目は在りし日を思い出しているのか、とても穏やかに遠くを見つめていた。
「先代……という事は、亡くなられてしまったんですか」
「……建設にようやく取り掛かろうかという、そんなさなかにの。この書庫は陛下の肝いりじゃった……無念を思うと悔恨の念に堪えん」
俯き下を向いた老人のオーラには微かに怒りの色が滲み出ていた。
「……こちらの蔵書量は十万冊ほどあると、組合の方から伺いました。その苦労を思うと頭が下がります」
「陛下は知識を重んじるお方での、「知識と知恵こそが国の未来に最も必要なものである」と、そう口癖のように説いておられた」
大分落ち着きを取り戻した老人はソウタの方を向き姿勢を正すと深々と頭を下げ懇願した。
「年老いたこの身では整理もおぼつかん、この際誰でも良い……どうか、どうか力を貸して頂きたい」
それだけ強い思い入れのある蔵書の整理をよそ者に頼る、そこに何の不安も抱かないはずもない。老人の震える手を見つめながらソウタは穏やかな表情で応えた。
「顔を上げて下さい。初めに申し上げた通り、そのつもりで見に来ました。きちんと最後まで責任を持って、務めさせて頂きます。――彼が」
そう告げたソウタの手が示す先には顔を半分隠した男がいた。にこやかな表情で固まっていたが徐々にだらだらと冷や汗を見せるとその男は震えながらソウタに問いかけた。
「あ、ああ、ああの、あの、ぼ、僕、僕だけ、で、です、か? じ、じゅ、十万、冊を? て、手伝って、くれ、たり、は……?」
ぶるぶると振動しながら尋ねる秘書にソウタはとても良い笑顔を向けこう答えた。
「書類の整理は得意だったよね? たまに様子を見に来るから、ここは任せるね?」
引きつったまま固まった秘書を放置してソウタは老人に活動は明日からになると事情を説明し書庫を後にすると、固まった秘書をミルドに担がせて一足先に宿に返しソウタとウシオ、スイカの三人で夕方まで街を見て回る事にした。
上空から王都の造りを見下ろすと街は中心を流れる水路と大通りによって十字に分割されている。水路に隔てられた東側より西側の方が広いものの賑わいを見せる繁華街は東側に偏っており、西側には王都産業を支える工業地帯や農場などがある。ちなみに王都の主要産業は豊富な水資源を生かした酒である。
大通りに隔てられる北側は王城に向かって上り坂になっていて、城壁に囲まれた王城や上流階級の屋敷の他、城壁外の王城城門の正面には闘技場、その他国政に関わる建物が比較的多く見られる。南側は主に住宅地であり、庶民の生活に必要な商店なども合わせ北側よりも建物のサイズは小さく密度が高い。
また、これまでは気づかなかったが上から見下ろした街の右下、繁華街から離れた南の方にはいわゆるスラムと呼べそうな荒廃した地区があり、更には西側防壁の外、街の外にも関わらず造りの悪い木造建築物が立ち並んでいる所があった。西門付近の兵士に話を聞くと外の建築物は貧民街と呼ばれ、街中のスラムにすら居場所を得られなかった者達の行き着く掃き溜めだという。魔獣に襲われないのかと問うと王都西側の広範囲は王国軍が度々訓練の場として利用しており、周辺の魔獣は狩り尽くしてしまった為比較的安全なのだと教えてくれた。
西門周辺から南下するとだんだん建物の密度はまばらになって行き、替わりに畑が増え緑と土を見る機会が増える。王都最南端は崖になっていて防壁は低く崖下には川が流れ、川を挟んだ対岸には農村へ続く街道が見える。農場の手伝いなどの依頼もあった事を考えると今後この辺りへ赴く機会も増えるかも知れない。
日が傾き空が茜に染まるまで王都を歩き回ったソウタ達は宿に戻ると今夜も食堂を手伝い連日の大盛況を支えた。賑やかな時間を過ごし部屋へ戻るとソウタはベッドで不貞寝していた秘書を叩き起こし明日以降の動きを確認する。
まずミルドは単独で行商の護衛任務をこなし可能な限り稼いできてもらう。砦を経由して隣の港町までは片道二週間もかかるのだという、王都にどれだけ滞在する事になるかまだ不明だが往復でひと月かかるとなると数はこなせない。ミルドと言う存在に価値を見出してもらう為多少派手な活躍が必要になるかも知れない。会話は最低限に、かつ反感を買わないよう要注意。
次に秘書、彼には蔵書整理の傍らこの世界のありとあらゆる情報をまとめてもらう。地球への帰還方法に繋がる可能性があるものは片っ端から調べ上げる。特に『神吏者』、その存在はおとぎ話だという。歴史に古い伝承や言い伝えなど、彼らを探す手がかりとなるものは最優先である。また巨大樹や精霊、魔獣と言った地球にはないこの世界特有のものについてもぜひ調べておきたい。
そして最後にソウタとウシオ、二人は一緒に街の雑事を片付けつつ住民と交流を深め聞き込みによって情報収集を図る。書物にも残らない民間伝承などもあるかもしれない、そういった人知れず残されているものをすくい上げる。社会常識も身につけ、もし可能であれば二つ星へと昇級し今後の動きやすさも上げたい。
当面はこの方針で進める、とソウタが話を終えると不満げな声が部屋に響いた。
「わあーたあーしいーはあーッ!?」
一人だけ役割のないスイカが部屋の中を鬱陶しく飛び回り、暴れ散らかした後ソウタの鼻先に急接近し可愛い顔でむうっと睨みつけている。
「スイカはボクらと一緒、一緒に街の人の話を聞いて気づいた事があれば教えて」
あるなら最初に言ってよー、と機嫌を取り戻したちょろいスイカがソウタの頭の上に座るともう一人不満げな声を上げるものがいた。
「あのぉ……僕の負担激重くないですか? 十万ですよ、十万。いくら何でも一人じゃ無理ですよぉ……」
下級を膝に乗せ抱えながら涙ながらに訴える男にソウタは真剣な表情で向き合う。
「ならまずは精導術から調べて。人形を精導術で説明できるのなら何体か手伝いにつけてもいい」
いつもの冷ややかな感じとは違うソウタの真摯な姿勢に秘書もきょとんとした顔で大人しく聞いていた。
「必ず帰る、その為には今は少しでも幅広く情報を集めたい。ボクの力だけでは任務達成は難しい。困難も無理も承知の上で、力を貸して欲しい」
頼む、とソウタは頭を下げた。ソウタが秘書に頭を下げるのはこれが初めての事であった。今朝のウシオとのやり取りで抱え込んでいたものを吐き出したお陰か、人に頼るという事を、ソウタ自身も受け入れたようである。……素直かどうかはともかく。秘書は目を丸くし、ウシオは優しく微笑んでいた。
「……わかりました。僕だって帰りたいですし、出来る事を精一杯やってみます。まずは精導術から」
秘書も覚悟を決め、明日に備えると言って再び横になると五秒で寝息を立て始めた。ソウタは懐から時計を取り出しゼンマイを巻く、そうして今日の終りを迎える。テーブルに置かれたランタンの火を消しスイカとおやすみの挨拶を交わすとウシオと一緒にベッドへ、二人揃って横になるとウシオがソウタの頭を優しく撫でた。
「……なに」
「いいえ、何でもありませんよ」
囁くように言葉を交わし穏やかに微笑み撫で続けるウシオを一瞥すると、ソウタはぷいっと寝返りウシオに背中を向けてしまった。可愛らしい反応を見せるソウタに嬉しくなったウシオは今宵もぎゅうっと、一晩中ソウタを抱き枕にしたのだった。
第四話、お読み頂きありがとうございます。橘月りんごです。
なろうで定番となっている最初から完全完璧無敵の主人公、というのも嫌いではありません。むしろ好きです。
ですが様々な事に直面し少しずつ変化していく主人公というものを思い描く作業を私はとても楽しく、愛しく思います。
自分を見つめ直し少しずつでも成長を遂げていくソウタを、今後ともよろしくお願い申し上げます。