第三話
巨大樹の聖域のある島から四時間ほどかけて海を渡り、最も近くに見えた陸地へと降り立った白い和装の少年ソウタとエプロンドレスの女性ウシオ、そしてみのむし状態から開放された秘書、三人の姿は再び広い森の中にあった。降り立った地点は聖域の番人ガルドが空飛ぶトカゲと称した生物の飛び回る鋭く天を突いた山からやや右方向にある広大な森の付近。鳥人形によって上空から集落らしき建造物を確認し、遥か遠方からわざわざ森を抜けて集落を目指し移動している真っ最中であった。日は既に直上まで昇ってきている。
悠長にしている暇はないはずのソウタ達が何故直接鳥人形で集落に行かないのか、理由は主に二つ。一つは警戒され、ガルド達との間に起こったようなトラブルをなるべく避ける為。二つ目はこちらの世界の暮らしぶりや文化といった最低限の知識をその集落から得る為、小鳥人形を使って数日の間森の中から様子を見ようというものである。帰還方法や『神吏者』を見つける為には少しでも多くの情報を集めなければならず、その為には初対面の相手からの警戒は可能な限り低減させなければならない。そう考えソウタは、ここで多少の時間を掛けてでも慎重に事を運ぶべきと判断した。ついでに『魔獣』という存在も一度確認したいという思惑もあり、遭遇しないものかとの期待を胸に森の中を散策しながら集落へ……かれこれ一時間ほど歩き続けていた。
「魔獣……会いませんね? 地球で見られるものと同じ様な小動物はちらほら見かけますが」
ソウタのやや右後ろを歩くエプロンドレスの女性ウシオが、聖域の森とはまた違うよくある一般的な森を見渡しながらぽつりと呟いた。
「その小動物が実は魔獣……なんて事は流石にないのかな。地球のものと違いがわからない」
先頭を歩くソウタが木の枝に止まっている小鳥を見上げながら同じく呟くように相槌を打つ。
「はぁ……あ……あの……はぁ……、少し……休み……ませんか……はぁ……はぁ……ぶへッ」
最後尾を歩く秘書が息も絶え絶えに躓き倒れながら休憩を提案した。その手には先程まで自分をぐるぐる巻きにしていた下級人形が抱きかかえられている。ソウタとウシオは立ち止まって振り返り、やや遅れ気味な秘書に良い解決策を提案し返した。
「休みたいならいくらでも引きずってあげるけど」
「そ……そちらの人形に、乗せて貰うとか……いう選択肢は……っはぁ……ないですか……はぁ……」
却下、とむべもなく切り捨てられ涙目になりながらもよちよち歩きで必死に着いてくる秘書を眺めると、ソウタはおもむろに目を閉じた。
「……このペースだと一週間はかかる、流石にもう少し近くまで飛んでおくべきだったかな」
――人形との視覚共有。ソウタの作る人形はソウタ自身と任意で視覚や聴覚と言った感覚を共有する事が出来る。その際目を閉じ意識を集中する必要がある上に距離にも制限があるものの遠く離れた人形の視点を借りられる利点は大きく、現在上空を旋回しながら森全体を見渡している偵察用小鳥人形の他、ソウタ達を囲むように配置された三体の小鳥人形が森の枝から枝へと飛び移り周囲を警戒していた。
視覚共有を終え目を開けたソウタは改めて肩で息をする秘書を眺め、ため息混じりに提案を飲む事にした。
「仕方がない……試したい事もあるし、少し休憩する」
「あぃ………………ぁます……」
おそらく感謝だろうが言えてなかった。崩れるように地面に倒れ込み大きく深呼吸する秘書を放置してソウタは近くの倒木へ腰を下ろすと、右手の人差指を立ててその指先をじっと見つめ始めた。
「何を試すんですか?」
ウシオはソウタの隣へ腰を下ろすと一緒に指先を見つめながら尋ねる。
「人形を使わないで出来る事、その思索と実験」
そう言いながらソウタは指先に意識を集中し、普段依代に込めているオーラを圧縮するイメージで立てた指先に固めていく。ある程度固めた所で指を掲げ振りかぶって、固めたオーラを投げ飛ばすように前方の木へと放った。固めたオーラは軽く放り投げた程度の速度で木に向かっていくと、当たる前に弾けて散った。
「……何も起きませんね」
オーラは本来肉眼で見えるものではないので当然ウシオにも見えていない。
「……ゆっくり飛んで当たる前に散った、失敗だ」
ため息混じりにウシオの為にわざわざ実況してあげるとソウタは再び指を立て先程よりも時間を掛けてじっくりとオーラを固めていく。
「圧縮と速度が足りない」
先程は例えるならば野球ボールほどのオーラを固めたもの、今度はサッカーボールほどのオーラを指先へと集中させていく。固める事自体は難しくはないようで、しっかりと固められたオーラを先程よりも更に力強く、目の前の木へと投げ放った。一回目よりは速くなったもののオーラはやはりゆっくりと進み、木へと辿り着くと表面にかすかに傷をつけて散った。
「……少し削れましたね」
ウシオが見たままを呟き、ソウタはふうと一つため息を吐き俯くように考え込むと、考えられる課題点を独り言のようにつらつらと挙げていった。
「圧縮自体は問題ない、気を体から離すイメージが出来てない。体から離れると急速に圧縮が解けていく、その前に目標まで届かないと」
俯いたまま目を細め、体の内側から外側へと高速で力が飛んでいくイメージを膨らませる……が、どうにもしっくりきていなかった。
「(飛ばす……投げる……放つ……撃つ……射る……)」
ソウタは声には出さず心の中で様々な力の飛ばし方を模索する一方で、視界の端で寝っ転がったままの秘書に視線を向けると鼻先に止まった虫を指で弾くのをぼーっと見つめていた。
「(弾く……弾く、か)」
でこぴんの要領で指をピンッ、と二回弾くと、ソウタは再び指を立て指先にオーラを集中させていく。サッカーボールほどのオーラをしっかりと圧縮すると指を折り曲げ、親指で抑えながら目の前の木へと狙いを定め……指を強く弾いた。ソウタの想定以上に高速で放たれたオーラは一瞬で木に到達するとその表皮をパァンッ!? と激しく炸裂させるように弾け散らした。
「木の表面が弾け飛びましたね、成功ですか?」
「悪くはない……けど、もう少し精度と威力を上げないと使えない。この距離でこの程度では」
木までの距離は三メートルほど、この距離であれば木の一本や二本は貫通させたい、と言いながらもソウタは初めての試みにそれなりの手応えを感じていた。
「必殺技みたいでかっこいいですねー、名前とか付けないんですか?」
下級人形とごろごろしながらすっかり呼吸を整えた秘書がひっくり返った顔でソウタへと声をかけると、ソウタは下級人形を操り転がっている秘書の顔面へ蓋をするように覆い被せた。もがもがと暴れる秘書から目を逸らし、ソウタは正面を見据え思案する。
「(必殺技……名前……)」
こんな威力で倒せる相手ならばそもそも敵ではないが、等と考えながらもまんざらでもなかったソウタは、弾けた木の表面を見つめながらこの技に名前を付ける事にした。
「(弾いて、削る……貫く……穿つ、穿つ弾……一点を穿つ……点で穿つ、これか)」
――点で穿つ、穿点。
顔面を塞がれもがく秘書を尻目に無表情ながらも満足気に立ち上がったソウタは、再び下級人形で秘書をみのむし状態にすると一路集落を目指し先を急ぐのだった。
片目を閉じて鳥人形との視界共有を併用し周囲を警戒しながら、ソウタとウシオの二人は尋常成らざる速度で森の中を駆けていた。夕暮れにはまだ遠いものの日が随分と傾いてきた頃、先程一週間かかると言っていた道程は既にその約半分を走破しようとしていた。最大限の警戒を続けてはいるものの、未だ魔獣とおぼしき姿は確認できていない。このまま集落まで何事もなく着くのか――そんな事をソウタが考え出した直後、ウシオの耳がある音を捉えた。
「ソウタ!」
突然の呼び声にソウタは急ぎ立ち止まると、身を低くしてウシオの次の言葉を待った。
「……声……だと思います、あちらから」
ウシオが声のする方向を示すとソウタはすかさず示された方向に最も近い小鳥人形を操り、声の出どころを探った。木々の間を縫うようにスルスルと進んでいくと、それはソウタ達から三キロ程の距離にいた。
大型の犬か狼といった容貌の獣が興奮した様子で樹上に向かって吠え続けていた。樹上からは何やら女の子のような声が聞こえてくるものの、その姿を確認する事は出来ず、「こっち来ないでー!」だとか、「あっちいけー!」だとか、そんな事を獣に向かって叫んでいるようであった。
「ソウタ、どうしますか?」
ウシオから指示を促されたソウタは引き続き、小鳥人形の目を借り現場を眺めながら頭を悩ませていた。
「(ここは広大な森のど真ん中、そんな所まで女の子が一人で来られるものか……上から見えない村が近くにあるのか……何れにせよ人ならば恩を売って損はないか……いや、これが魔獣の罠という可能性も……)」
わからないことだらけで考えがまとまらないものの、ソウタは意を決すると直ぐ側に控えていたウシオとは別の人影に視線を向けた。
「こいつを使う」
ソウタの視線の先には身長二メートルはゆうに超える大きな白い人形――ではなく、身長よりも巨大な剣を鎖で担いだ二メートル超の見慣れない大男が立っていた。
――ソウタの持つ異能、人形遣い。生命エネルギーに似た力を依代へ込める事で人形を生み出し使役する力。人形は白いもちもちとした体を形成し、その形状や硬さまでをも自在に変化させ様々な状況に臨機応変に対応する事が出来る。しかしこの人形の体は元々そういう仕様、というわけではない。人形を構成する物質は依代の性質によって変化する。普段使われている依代はもち米由来のデンプン溶液に浸して作られており、その為人形はお餅のような肉体を形成するというわけである。こういった性質を応用すると人間そっくりの人形を作り出す事も出来たりする。この際に使われる依代は一種類ではなく、普段とは違う特別に作られた黒い紙片、骨や髪と言ったヒト由来のモノ、これらを組み合わせて作り上げられる。
ただし、依代は何でも良いというわけでもない。ソウタの力は生命エネルギーに近いもの、それ故無機物を依代にした場合人形には出来るものの柔軟性に欠けた扱いにくいものとなる上、込められる力もわずかでほぼ役に立たないという制約も併せ持つ。
それは聖域の島での事。横穴を抜け島の外へ出た際に見つけたガラクタの山、ソウタはそのガラクタの山から人骨や人間用の防具類、そして鎖に大剣等を拝借し、いかにも屈強そうな大男風の人形を作り出していた。魔獣という脅威があるこの異世界で子供と若い男女の三人だけで旅をしているのは不自然、と言う考えによるものである。
「ちょっと怖くて、かえって警戒させてしまうのではありませんか?」
ウシオが当然の疑問を問いかけてくる。無愛想な強面、ボロ布で作った服、遺体が身に着けていたサイズの合っていない防具、そして目を引く柄の端に鎖を結びつけた大男の身長を更に越える巨大で無骨な大剣。誰が見ても男の佇まいは異様であった。
「構わない、どうしたって警戒はされる。だからその警戒を受け持って貰う為の囮としての役割もある。人ならばより存在の大きい、目立つものに意識を引っ張られるものだ」
まずはもう少し近づいて様子を見よう、とソウタ達は声のする方へ音を立てないよう注意しながら距離を詰めていった。獣を肉眼で捉えられる距離まで近付くと、凝視していたソウタがある事に気がついた。獣の持つ変わったオーラである。
「あの野犬……お腹の辺りに変な気の偏り……? 塊、が見える」
通常生き物の持つ生命エネルギーは全身を満遍なく、常に巡っているものである。その過程で体から滲み出すものもあるわけだが、そこに濃淡のようなものは存在しない。人や獣のオーラを数多く見てきたソウタにとっても初めての事であった。
「もしかしてあれが魔獣……かな、地球では見た事がない」
「強そうですか?」
ソウタと一緒に茂みに身を隠しているウシオが問いかけると、ソウタはゆっくりと首を振ってこれを否定した。
「いや、見た感じは地球の犬と大差ない……火を吹いてきたりしなければ」
異世界という事もあり念の為万が一の事態も想定する。ソウタから視線を送られた大男の人形は剣と一緒に担いでいたみのむし秘書を雑に下ろすと一人獣の方へと歩き出した。
獣はすぐに人形の接近に気づき警戒の姿勢をこちらに示してきた。未だ茂みの奥、大男の全貌は見えていないはずだが確かな敵意と警戒のオーラを滲ませている。やがて人形の姿をしっかりと視界に捉えた獣は野生ならではの勘か、すぐさまその異質さに気づいて一歩後ずさりを見せた。人の姿をしている、しかし人間ではない。その不気味さを感じ取った獣はけたたましく人形に吠えかかると、姿勢を低くした後勢いよく飛びかかって――は、こなかった。野生の獣は勝てない勝負はしないという。相手との力量差を察したのか、あるいは不気味さ故か、獣はゆっくりと後ずさるとくるりと踵を返し、あっさりと森の奥へと走り去っていった。
魔獣の存在というものを実感こそ出来なかったもののとりあえず女の子を助ける事は出来たようで、ソウタとウシオがホッと胸をなでおろし一息ついていると森に喧しく女の子の声が響き渡った。
「わああああああああああああああ怖かったああああああッ! ありがとおおおおおおッ!?」
樹上の女の子が泣き叫んでいるようで、大男の人形だけでは怖がらせてしまう、とソウタ達も女の子の元へ駆けつけようとしたその時、ソウタは思わず自身の目を疑った。
――小さな女の子が木から飛んで降りてきたかと思うと大男の周りを泣き喚きながら飛び回っている――
見たありのままを言葉にするとこうなるのだがこれだけでは説明不足であろう……補足していくと、まず女の子は小さい。どれほど小さいかと言うと恐らく身長十数センチ程しかない。次に、飛んで降りてきて男の周りを飛び回っている……これは文字通り飛んでいる、羽もなく宙にふわふわと浮いているのである。姿は人と言って差し支えなく、ほんのり淡く、薄く明るい緑色の光りに包まれている。
綺麗な子ですね、とウシオが呑気な事を言っている隣でソウタは俯き片手で目元を覆い隠し頭を悩ませていた。
「(そっちのパターンは想定していなかった……何だあれは……精霊? 妖精?)」
最初の知的生命体とのコンタクトはトラブル続き、しっかりと対策なども考え満を持して迎えた二度目のコンタクトは人ですらない。いよいよ異世界らしくなってきた旅の先行きに一抹の不安を募らせるソウタであった。
呆れ顔のソウタ、穏やかに微笑むウシオ、そして今日も引きずられているみのむし秘書の三人が、不思議そうな顔をして大男の人形の周りを飛び回る小さな女の子の元へと合流すると、女の子は目の合ったソウタの目と鼻の先まで猛烈な勢いで近づいてきた。思わずソウタが仰け反ると小さな女の子はじわじわと喜びを表情に滲ませて至極嬉しそうに話しかけてきた。
「やっぱり! 私の事見えてる! 見えてるよね!」
嬉しそうな小さな女の子の言葉を聞いてソウタは逆にじわじわと苦い呆れた表情を見せていた。
「……見えないのが普通なのか……」
無視する選択肢もあったな、とソウタは心の中で後悔を滲ませた。そんなソウタとは対照的に、小さな女の子はこれでもかと喜びを爆発させている。
「だああああぁぁぁぁ…………っれも! 反応してくれないんだもん! 人とお話できたの私初めて!」
溜め息を一つこぼすとソウタは気を取り直して彼女が何なのかを問う。……前に自分達の紹介から始めた。
「ボクはソウタ、こっちはウシオ、これは秘書、この大きいのが……あー……ミルド」
考えるのを忘れていた大男の人形に即興で名前を付け紹介を終えると改めて、君は何なのか、ソウタは女の子へと尋ねた。
「私はねー、…………………………そう言えば名前なかった! でも風の妖精だよ! 精霊達が教えてくれたの!」
「君は妖精で、他に精霊もいるのか……風という事は他の妖精もいそうだな……。何故吠えられていた?」
ソウタが再び呆れ顔で溜め息をついていると妖精の女の子は不思議そうな顔をして答えた。
「しらない! 私を見るといっつも意地悪してくるの! それより、私の事は見えるのに精霊は見えないの? こーんなにいっぱいいるのに?」
妖精の女の子は身振り手振りも加え全身でいっぱいをアピールしていた。ソウタは周囲を見渡してみるが、そこには何の変哲もない森が広がっているだけである。
「……何も見えないけど、ここにも精霊とやらがいるの?」
ソウタが問うと妖精の女の子はいーっぱいいる! と言いながら先程隠れていた木の周りをぐるぐると回って何とかいっぱいを伝えようとしていた。ソウタはやや思案した後静かに目を閉じると、オーラの巡りを操作して目に集め、一時的に視力を強化してもう一度周囲を見渡してみた。
ゆっくりと目を開いたソウタの視界には、数え切れない程の無数の小さな光の粒がゆらゆらと宙空を揺蕩う様子が映っていた。森の中にも、木々の上にも、その更に上にも、風に揺れる光の粒が果てしなく広がる情景はまるで夢を見ているかのような錯覚すら覚える神秘的なものであった。
「見えた? いいいいぃぃぃぃっぱい居るでしょ?」
「ああ……見え、た……っ」
強引な強化の影響で目に痛みを覚えたソウタは反射的に目を閉じるとゆっくりとオーラの巡りを正し、整えていった。心配そうに窺うウシオに問題ないと告げ、開かれた目にはもう精霊の姿は映っていなかった。
「こちらに来てから、もしかしたらずっとすぐ側に居たのかな」
異世界という自身の想定を上回る未知との邂逅に感動を覚える一方で、もっと気を引き締めなければ気づかぬうちに足元を掬われるかもしれない……そんな警戒感をソウタは強く噛みしめていた。
「こちらって? ソータ達はどこから来たの?」
ソウタの言葉に興味をくすぐられたのか、好奇心旺盛な妖精がソウタの顔の周りをぐるぐると鬱陶しく飛び回っていた。もしかしたら精霊の存在のような何か貴重な情報を知っているかもしれない。そう考えたソウタは自分達の事情を小さな妖精につまびらかに話して聞かせ、知っている事があったら教えて欲しいとお願いすると、小さな妖精はそれはもう元気いっぱいに答えてくれた。
「よくわかんないけど楽しそう! 私も行きたーい!」
「(やっぱり無視するべきだったかもしれない……)」
ため息を吐いたソウタの顔が再び呆れに染まる隣で妖精と挨拶を交わしていたウシオがある不便を指摘した。
「一緒に連れて行くなら何かお名前が欲しいですね」
名前! 欲しい! とウシオの提案に妖精は再び鬱陶しく顔の周りをぐるぐる回りだした。既に着いてくる事が確定している流れに突っ込む気力すらなく、あまりの鬱陶しさにソウタはものすごく適当に名前を考え始める。
「……風の妖精ということだから、フウ」
安直ではあるもののそれほど悪い名前ではないとソウタは考えていたのだが妖精の反応はあまり芳しくないようで、うーん、と唸り難しい顔をしていた。
「じゃあフウコ……フウカ……フウリ……」
フウにあれこれくっつけて見るもののピンとくるものは無いようで、相変わらず唸りながら同じ姿勢でその場をくるくる回転している。オルゴールの飾りのようである。自身で考えるのを諦めたソウタは良いアイデアはないかとウシオに尋ねた。
「ボクのはお気に召さないと……ウシオ、何かある?」
「綺麗な緑色をしていますから、スイ(翠)を入れるのは如何でしょう?」
ウシオのアイデアは琴線に触れたようで妖精の回転はピタリと止まった、だがもうひと押しが必要な様子であった。ソウタは忘れかけていた翻訳の法則を思い出し、この妖精にこちらの提案がどう伝わっているのかを考えていた。意訳で伝わると思われるのでソウタの提案はカゼコやカゼカ、カゼリと言った微妙な感じに伝わっているのかもしれない、その考えに従って改めて、今度はきちんと意味を込めて提案してみた。
「スイカ(翠花)」
その名を聞いた瞬間妖精はカッと目を見開いて再びソウタの鼻先に勢いよく迫ると感情を大爆発させた。
「それだあああああッ!? それ! それがいい!」
「……気に入って貰えたようで何より」
小さな妖精は初めて手にした自分の名前を何度も連呼しながらソウタ達の周りを飛び回り、その小ささなど感じさせない大きな元気で最大限の喜びを表現していた。
異世界へ訪れてからもうあと数時間で丸一日が経過しようかという午後のひと時。こうしてソウタ達の旅に新たな同行者、小さな風の妖精スイカが加わる事となるのであった。
「きゃああああああ! はやああああああぁぁぁぁい! すごおおおおおおぉぉぉぉい!」
再び集落を目指して移動を再開したソウタ達は先程同様、尋常成らざる速度で森の中を駆け抜けていた。みのむし状態の秘書は引き続き大男の人型人形ミルドに大剣と一緒に担がれる一方、ウシオの少し開けた襟元にすっぽりと収まった新たな旅の同行者、小さな風の妖精スイカはこれまで経験した事のない速さに驚愕と歓喜の叫びを上げていた。さながらジェットコースター気分であろう小さな妖精の大きな叫びが夕暮れに染まる森に響き渡っている。ほどなくしてソウタ達は目的の集落の手前約五キロ地点まで迫り、徒歩一週間の道程を日が沈み切る前に完全走破してみせた。
「ソータ達はやーい! すごかったー! ……あれ、村まで行くんじゃないの? もうすぐそこだよ?」
旅に加わったばかりのスイカが不思議そうな顔で尋ねると、警戒をウシオとミルドに任せ片目を閉じたまま腰を下ろしたソウタが改めて事情を説明する。
「ボク等はこちらの世界の何もかもを知らない、だから常識とかその辺をあの村から教えて貰う。数日はここで野宿する予定だよ」
「ふーん、よくわかんないけど大変そー」
全く理解してなさそうな呑気な妖精は、またもやミルドに雑に降ろされ身悶えしているみのむしをつんつんしながらふわふわと眺めていた。
「あ……の……ずびばぜん……そろそろ空腹が……」
昨夜以降何も口にしておらずお腹の虫をならすみのむし、もとい秘書が食事の提案するとソウタは秘書に巻きつけていた下級人形の中から例の物を取り出し秘書の手へと手渡した。
「その下級の中に多少の備えは持ってきてある。水カプセルもあるから遠慮なく食べるといい」
「手ぶらだと思ったらここにあったんですね……ありがたく……頂戴します……」
手渡された例の携帯糧食を見つめ秘書は喜びに打ち震えていた。それはもうすごい涙である。そんな様子を片目で冷ややかに見ていたソウタはため息混じりに目を閉じると、集落へと飛ばした鳥人形の視点に意識を集中するのであった。
その集落はどうやら農村のようで、建物の密集した住宅地と広大な畑、牧場や家畜用と見られる厩舎や風車の他近くを流れる川沿いには水車も見られた。そしてそれら全てを取り囲むように長大な防壁が築かれており、魔獣という驚異のある世界である事が見て取れる。木やレンガに白や黄土色の壁の、造りのしっかりした家屋にはガラス窓も見られる。きちんとした水路も整備されたきれいな畑など、夕暮れ時という事もあり人はまばらだが素朴で確かな文化、社会が形成されているようである。煙突から煙の上る一軒の家の窓辺から中を覗くと食事の様子も知る事ができた。テーブルの上にはパンや焼かれたお肉、野菜の入ったスープなどが並べられている。質素ではあるかもしれないが十分な量を得られているようである。更に服装にも注目すると、派手な飾りなどは見られないもののしっかりと縫製された衣服と呼べるものを誰もが身に着けていた。牧歌的な、素朴な農村の原風景と言えるものがそこにはあった。
「(機械的なものは見られないけど十分な知性と秩序がある、これだけちゃんとしていれば……)」
村の様子を眺めながらソウタは十分な情報収集が見込めそうだと期待を膨らませる一方で、課題についても意識を広げていった。
「(この中に留まる為には……何をおいてもまずはお金か、仕事があれば信用にも繋げやすい)」
どの様な仕事があるのか、再び鳥を羽ばたかせると職業に関係ありそうな建物を探し巡っていく。農村という事もあり畑仕事には事欠かないであろう、他にも畜産や酪農関係、農産物の加工などの建物も見られたがそんな中、ソウタは住宅地の一角に気になる建物を見つけた。一見ただの住宅のようだが入り口は開け放たれており、中には複数の武装した男性達が飲んだくれている様子が見て取れた。入口の看板には待合所と書かれている。
「(文字も読めるのか、収穫だ。武装兵と酒、魔獣がいるわけだからその備えとかだろうか……酩酊状態で役に立つのか疑問だが)」
魔獣への備え、今度はそこに着目し人形は空高く飛び上がり防壁に沿って移動していく。要所に門扉と見張り台のようなものはあるが見張り番や衛兵のような人の姿は見られなかった。
「(警備はしっかりしているとは言い難いな……意外と平和なんだろうか。防壁も石造りの部分と丸太で作った簡素な部分がある……人手か材料不足かな)」
防壁を見ていると一箇所、大きく開ける作りになっておりそこから外へ道が伸びている場所があった。恐らく村の入口と見られるその近辺には大きな荷車が複数停められていて、その造りから馬車のようなものである事がわかる。馬がいるのか、気になったソウタが村の中を探していると村の端にその姿を見つける事が出来た。よく見る馬よりやや大きかったが確かに馬である。
「(随分とでかいな……。あっちの牧場にはヤギか羊のような動物もいた……人形越しじゃ気が見えないけど……魔獣じゃないよな)」
一通り街を見て回り鳥を空高く舞い上げると上空に留めながらソウタは村を見下ろし、見ていないもの、見ておきたいものを考えていた。
「(情報を集めるなら書物の類もあると助かる、あとはお金の現物や取引も一度見ておきたいけど……)」
もっと情報が欲しいソウタであったが時は既に夕刻を過ぎ辺りは徐々に薄暗くなってきていた。
「(夜は人の動きが止まる、明日にするべきか……)」
鳥人形を近くの高い枝に留め、ソウタが一度視覚共有を終えようとした――その時だった。
――ドォンッ!? と、五キロ離れたソウタ達の所まで響く程の地鳴りと共に無数の遠吠えらしき声が鳴り響き、更に立て続けに再びドォンッという振動とバキバキミシミシッと何かが軋む音までもが響き渡った。鳥を介しソウタが音の出どころを探っていると整然と並ぶ畑の奥、森と村を隔てる防壁に築かれた木造の門扉が三度目の轟音と共に激しく音を立てて打ち破られる瞬間を見た。スイカに吠えていたのと同じ野犬、魔獣の襲撃である。打ち破られた門からのそのそと村へ侵入を果たす無数の魔獣達の中に一匹、ひと目で群れのボスと分かる程の巨大な姿があった。背丈は象くらいあるだろうか。
「なになに、何の音!?」
「ソウタ、一体何が?」
ソウタは視覚共有を維持したまま片目を開けて立ち上がると、狼狽えるスイカ達に状況を伝えどう動くべきかを思案する。
「(助けに入る……常識も何もわからないまま突っ込んで、最悪罪人扱いでもされたら……しかしここで情報源を失うわけにも…………間の悪い、何一つままならない……)」
微かな苛立ちを覚えるソウタだったが、フウと一息吐くと瞬時に落ち着きを取り戻し、ウシオ達に村へ救援に行く旨を告げた。
「恩を売るチャンスと前向きに捉えよう。うまく行かなければその時対策を考える、今は人命を優先する」
ソウタの指示を受け四人は急ぎ村へと駆け出すのであった。
その頃村ではカンッカンッと警鐘が鳴り響いていた。いち早く気づいた村人が村と畑の境目辺りに建てられた物見櫓に登り金属の板を木槌で叩いて危険を知らせている。村の住宅地と畑の間にも丸太を使った木造の簡素なものではあるが防壁が立てられており、心許ないものの一時的なバリケードにはなりそうである。その防壁の扉を急ぎ閉めると村人達はカンヌキを掛け、村民総出で迎え撃つ準備を進めていく。女子供を家へ押し込め、男達は武器を手に村中を駆け回り篝火を焚いて回っていた。衛兵や憲兵といった兵隊らしき姿は依然どこにもなく、ソウタが気にかけていた武装兵も酔いつぶれてしまっていて出てくる気配はない。
村中が慌ただしく騒然とする中ソウタ達は村を取り囲む防壁の前まで辿り着いていた。ミノムシ秘書をミルドに担がせ各々軽々と防壁の上へと飛び乗り身を低くしながら村内部の状況を見渡すと、ソウタはこれからの動き方の指示を飛ばした。
「ウシオ、ここからは糸や怪力はなしだ。基本はミルドに任せる、目立つ行動はなるべく避けて。スイカはウシオから離れないように」
二人の返事を確認するとソウタ達は素早く住宅地側に降り立ち、集まっている村人達の方へと駆け寄っていった。
「な、なんだお前ら、なにもんだ! 一体どっから入ったッ!?」
突然駆け寄ってきたよそ者に気づいた村人達は当然武器を向け、警戒を露わにする。多少の距離を開けたまま、ソウタは刺激しないよう穏やかに落ち着いて声をかけた。
「突然申し訳ありません、我々は旅のものです。警鐘を聞き、何かお力になれないかと駆けつけました。勝手に入った事はお詫びいたします」
魔獣はびこるこの異世界で旅人という設定が通用するのか、一つ目の関門がそこにある。村人達は旅人を名乗る怪しい三人組をじろじろと眺めると、ある人物に目を留め村人同士でこそこそと何かを話し始めた。ソウタの目には警戒に混じる期待のオーラが見えている。短いこそこそ話が終わると一人の茶色い髭を蓄えた恰幅の良い男性がずいっと一歩前に出てきた。老人と言うほどではないが若くもない。
「わしはこのバードルフの村長を任されてるもんだ」
村長を名乗る男性にソウタも自分達の紹介を返し、迷いのオーラをその目に捉えながらもう一度ダメ押しで協力を申し出た。
「……正直、村のもんだけじゃ追い払える自信がねえ、そっちの強そうな兄さんに頼らせて貰えるかい。もちろん礼はする」
第一関門は突破できた。安堵を胸に隠しソウタが村長と固く握手を交わしていると、一人の女性が息を荒げて駆け寄ってきた。
「あんた! あんたッ!?」
「お前っ何してんだ! 家入ってろって言っただろ!」
どうやら若いご夫婦のようで、慌てた奥さんが旦那さんへ駆け寄ると崩れ落ちるように座り込み旦那さんへすがり付くように涙ながらに訴えた。
「あの子が……どこを探してもあの子がいないのよ! まだ帰ってきていないのッ!?」
子供の行方がわからない……事情を把握した村人が騒然とする中、悟られないよう袖で片目を隠し鳥の目を借りて子供を探していたソウタだったが、オーラの見えない人形越しでの捜索は難航していた。中々子供を見つけられずにいると物見櫓から子供がいたぞと大きな声が上がった。警鐘を鳴らしていた村人の声である。櫓の村人が指差す方へすかさずソウタも鳥を向けると茜に染まる畑の暗がりに子供の姿を見つけた。畑の周りで遊んでいたのか、土に汚れた子供は背の高い作物に身を隠してはいたが嗅覚の鋭い獣に通用するはずもなく、野犬に逃げ道を塞がれあの巨大な魔獣がじわりじわりとにじり寄っているさなかであった。その距離はもう二メートルもない。
「まずい、ミルドッ!」
ソウタの声を受けミルドは防壁を隔てた子供に向かって一直線に駆け出すと丸太の防壁上に着地できるよう高く大きく跳躍し、空中で大きな剣を槍のように構え子供と魔獣の間めがけて豪快に投げ飛ばした。放たれた大剣は風を切って大地を穿ち大量の土を巻き上げながら、柄の端に結ばれた鎖をなびかせて止まった。突然飛んできた大剣に魔獣が一歩引くのと同時に、更に大きな塊が剣と子供の間に飛び込んでくる、ミルドである。強烈な跳躍力で足場にした防壁の一部を破壊しながら一直線に飛び込んだミルドは、なびいた鎖を左手で掴み勢いのまま剣を引き抜くと素速く左から背中側に回して右へ、反時計回りに遠心力を掛け、そのまま右手で柄を握ると眼前の魔獣めがけて思い切り鋭く薙ぎ払った。剣圧によって盛大に土煙を上げる鮮烈な一閃は周囲の作物を尽く切り払うが、巨体に似合わず俊敏な魔獣は瞬時に飛び退き直撃を避けていた。しかし完全には避けきれなかったようで、先端を僅かにかすめた魔獣の右目からは真っ赤な血が滴り落ちていた。低く唸りながらミルドを睨みつけるこの魔獣もまたミルドの異質さには勘付いていた。鎖を左手に巻きつけ、剣を右肩に担ぐように構え直すミルドから目を離さず徐々に後ろへ下がるともう一度、魔獣は大きく飛び退いて距離をとった。ものの数秒、ミルドと魔獣が睨み合っていると突然魔獣は戦闘の姿勢をやめ、空に向かって大きく遠吠えを上げた。増援か、と村人やソウタが警戒を強めるのもつかの間、畑に散っていた野犬達は遠吠えを合図に踵を返すと侵入してきた門を通ってそそくさと森へ退却していった。最後まで残った魔獣のボスもミルドから目を離す事なく、睨みつけたままゆっくりと後ずさるとゆっくりと、静かに森の暗がりへと走り去っていった。時間にしてわずか数分、黄昏の襲撃はこうして夜の帳と共に幕を下ろした。
無事子供を連れて戻ってきたミルドに村人達は群がり、歓喜と称賛を浴びせ大いに盛り上がっていた。子供も無事夫婦の元に戻り、家族揃って安堵に大粒の涙を見せている。物見櫓の上から全てを目撃していた村人は目を疑うようなミルドの活躍をまるで我が事のように自慢気に、集まった村人達へ話して聞かせていた。
人だかりの一歩外にいた村長の元へ歩み寄るとソウタはミルドの壊した防壁と畑の謝罪を伝える。
「とっさの事とは言え防壁を壊してしまって申し訳ありませんでした、畑の作物も……。我々に出来る事があれば何でもお申し付け下さい」
「いやなに、どっちも取り返しのつくもんだ、大した事じゃない。それよりも礼を言わせてくれ、お陰で一人の犠牲も出さず追い払えた、ありがとうよ」
それにしてもあの兄さんすごいな、と村長もすっかりミルドの活躍に夢中になっているようであった。概ねソウタの狙い通り、大きく目立つものに人々の注意は惹きつけられていた。人々から矢継ぎ早に声をかけられ困惑気味のミルドにボロが出ないうちにソウタは助け舟を出す事にした。壊された門の修理は即取り掛からねばならず夜を徹しての作業になる、護衛もなしでは作業も進まないだろう……という事でミルドを使って欲しい旨を村長に提案すると、それはありがたいと話す村長のオーラに再び警戒の色が滲んだ。恩を押し付けすぎても見返りを期待していると思われ警戒される事がある、軽い要求も合わせてソウタはバランスを取っていく。
「代わりと言ってはなんですが一晩の宿をお貸し頂けませんか、お礼というのであればそれで十分です」
「……ふっ、恩人にその程度で済ませたとあっちゃ村のもんに示しがつかん、うちに来い。しっかりもてなさせて貰うよ」
村長は苦笑いをこぼすとミルドの周囲に出来た人だかりに向けて手を叩きながら声を張り上げ、急ぎ門の修理に取り掛かるように指示を出した。ミルドが護衛につく旨を伝えると人だかりからは再び大きな歓声が沸きあがった。ミルドと沸き立つ男性達にあとの事を任せ、ソウタ達は村長宅へと案内されると村長から事情を聞いた村長の奥さんに熱烈な歓迎を受けていた。夕刻だった事もあり食事の準備をしていた奥さんは突然の来客にも嫌な顔一つせず、これじゃ全然足りないわねと再び台所の方へ忙しなく消えていった。大きなテーブルのあるリビングのような所へ案内されると食事を待つ間、村長からの質問タイムが始まった――第二関門である。
「お前さんら、随分変わった格好をしとるがどっからきたんだ」
「その……詳しい場所はお話できないのですが、この服は我々の村の伝統的な民族衣装で、村の長となる者が試練の際に着る事になっています」
――即興ではあるがソウタの考えた設定はこうである。自分はとある村の長候補で、長となる者は見聞を広める為一年間外の世界を見る旅に出なければならない。ウシオと秘書は付き人で、ミルドは村の近くで行き倒れ介抱された恩返しにこの旅の護衛を買って出てくれた傭兵……と言う設定である。何一つこの世界の情報のない状況で、ソウタがひねり出した苦肉の策であった。ウシオのエプロンドレスは彼女の趣味という事で押し切る。
「その若さで長候補か、通りでしっかりしとるわけだ。村の場所は秘密というわけだな、ハッハッハ!」
設定の世界観が大分古いがどうやら信じて貰えるだけの説得力はあったらしい。質問され続けてボロが出ても具合の悪いソウタは、逆に質問攻めにする策に打って出た。
「ひとつご相談なのですが、実は旅の資金が底を突いてしまいまして仕事を探しています。この村でお仕事を頂く事は可能でしょうか?」
「ふむ、仕事か……見ての通りうちは農村で仕事と言ったら土いじりばかりだ、荷運びなんかもあるが人を雇う程のもんでもねえ」
時期的にも人手は足りていて人を雇うような仕事はこの村では見つからないかもしれない、との説明を受けるとそこで村長は代替案を教えてくれた。
「ここから馬車で二日程の距離に王都がある、そこに行けば仕事も見つかるかもしれん。それこそ『サポーター』に登録してもいい」
「(サポーター? 急に英語になった……複数の意味が混ざったか……?)」
初めて出てきた言葉にソウタは翻訳の法則に照らし合わせながら分析するも、より正確な情報を得る為詳しい説明を求めた。
「知らんか? サポーター組合が運営しとる職業斡旋所のようなもんだ、仕事と働き手の仲介をしとる。うちの村にも王都から来たのが何人かおるが……ありゃ駄目だな」
村長はやれやれと言った様子で首を振りながらため息をこぼした。ソウタは待合所で酔いつぶれていた武装兵の事を思い出しながら、サポーターというものについて質問を続ける。
「そのサポーターというのは誰でもなれるんでしょうか? 例えば年齢制限のようなものがあるとか」
「わしも詳しいわけじゃないが、そういった話は特に聞かんな。子供のサポーターもいると聞いた事もあるし、多分問題なかろう」
簡単に仕事が見つかるのであればお金の心配は必要なくなるかもしれない、ソウタはサポーターという職業に大いに期待を膨らませていた。やや表情が緩んだのかもしれない、ソウタの様子を見ていた村長が今後の予定を尋ねてきた。
「お前さんら、しばらくこの村に留まるか? 必要ならしばらくうちに泊まってもらって構わんが」
ありがたい申し出ではあった。本来であれば数日はこの周辺に留まり、しっかり文化や常識を把握してから飛び込む予定だったが、突発的な状況に振り回され行き当りばったりでも既に足を踏み込んでしまった。現状それ程不審には思われていないのであればいっその事行ける所まで行ってしまおう、動き出してしまったものは仕方がない。そんな前向きとも言い訳とも取れる考えに落ち着いたソウタは、村長のありがたい申し出を丁重にお断りした。先を急ぎたいという事にしてソウタが明朝には王都に向けて出発したい旨を伝えると、それならと村長は明朝出る行商の馬車に乗せて貰えるよう手配してくれると申し出た。
「ただし馬車の出る時間は朝早いぞ? 起きられるか?」
少し意地悪な笑顔を向ける村長にソウタも笑顔を返し感謝を伝えた。するとそこにお待たせしましたー、と奥さんが料理のいい香りをまとって現れ、テーブルに次々と美味しそうな料理が並べられていく。テーブルが料理で埋め尽くされると村長の合図で賑やかな食事会が始まった。テーブルの下に隠れて果物を頬張るスイカ、例の物を我慢して難を逃れご馳走にありついた涙の鬱陶しい秘書、奥さんとエプロンドレスの話に花を咲かせるウシオ、華やぐ食卓を囲み、異世界で初めての温かい食事にソウタ達はありがたくもてなしを満喫するのだった。
食事の後、二階の部屋を寝室にと案内されたソウタは提供された部屋で懐中時計のゼンマイを巻いていた。普段は物置にしているという部屋には木箱を並べて上に藁を敷き、更に筵(※むしろ、藁のゴザのようなもの)を敷いただけの即興のベッドが二つ並んでいた。これがこの世界の一般的な寝具というわけではなく、突然の事にちゃんとしたものが用意できなかっただけである。綿や羊毛のふかふかの寝具もあるようだが一晩の為に用意させるのも悪いとソウタが辞退した為この様なベッドになっている。
片方には下級を枕に既に大の字になった秘書と、そのお腹の上で同じく大の字になったスイカが仲良く寝息を立てていた。横になってものの五秒の早業であった。もう一つのベッドにはソウタとウシオが並んで腰掛けている。ソウタが時計を見つめていると、小声でウシオがミルドの事を問いかけてきた。
「ミルドの事は放っておいて大丈夫ですか? まだ喋らせるわけにもいきませんよね、食事の事も」
特殊な依代によって造られている人間そっくりの人形ミルド、喋る事自体は可能だが『ナニカ』を通らず直接光を浴びていない為異世界の人々と会話が可能なのか……色々あった為ソウタも見落としまだ確認できていなかった。食事も人形には必要ない、見られていなければどうとでも言えるがもてなしとなると断るわけにも行かず、一番の功労者に何も食べさせないなんて事を村長が受け入れるはずもない。
「言葉はスイカと確認できるとして……門の修復にどれだけ時間がかかるかわからないけど、現状は問題ない。朝までかかってくれれば食事もやり過ごせると思う」
目を閉じミルドと鳥の視点で壊された門近辺の状況を把握すると、今夜は眠れないな、とぼやきながらソウタはやや疲れたと言った様子で時計を懐にしまった。するとそれを見ていたウシオは優しくソウタを抱き寄せ、小さな子供をあやすように頭を撫でながら、穏やかな甘い声でソウタへ語りかけた。
「休める時は休みましょう、先は長いですから――。大丈夫、ソウタならきっと出来ます。大丈夫――」
ウシオの抱擁を形容するならば天国という他ない。実際の天国がどのようなものかはさておき……優しく、温かく、極上の柔らかさに包み込まれたが最後、誰もその至福に抗う事は許されない。かく言うソウタも例外ではなく、これまで幾度となくこの抱擁に意識を刈り取られていた。そして今日もまた――ソウタの意識は穏やかな声に導かれるまま溶けるように……天国へと沈んでいった――
空も白む前の翌朝、ウシオにぎゅうっと抱きしめられたソウタの頭は大きく柔らかな双丘の間に深く埋もれていた。ソウタが天国から意識を取り戻し小さく身じろぎすると、気付いたウシオはそっと抱擁を解いた。
「おはようございます、ソウタ。よく眠れましたか?」
お陰様で、と朝の挨拶を返しウシオと一緒にソウタはゆっくりと体を起こすとすぐにミルドの状況を確認する。やはり壊れた門扉の修復は一晩で片付くものではなかったようで、未だミルドは壊れた門の外に一人、森を睨みつけながら仁王立ちしていた。門の内側には新しく取り付ける木造の扉が組み上がり、地面に横たわりながら歪んだ門の修復と朝の日の出を待っていた。次に鳥の視点を借りて村の入口の方へ目を向けると、馬車の準備を進める男性と村長が話し合っている所が見えた。昨夜話していた馬車の手配をしてくれているようである。ミルド周りでトラブルもなかったようでソウタはホッと胸をなでおろすと、上空を旋回している鳥人形の視点を借り日の出の瞬間を待った。徐々に空が白み始め、遥か地平線に陽の光が顔を見せた所で時計を取り出しウシオと共に時間を確認する。すると神の悪戯か、この世界の一日の周期は地球とほぼ変わらない二十四時間前後である事がわかった。
「この時計動いてるだけで実は壊れてるんじゃ……」
「見た感じ問題なさそうに見えますけど」
異世界と思っていたここが地球のパラレルワールドと言う可能性も……なんて事を考えながらとりあえず今はこの時計を信じる事にし、ソウタはそっと懐へしまうと階下からいい匂いが上ってきている事に気付いた。ウシオと顔を見合わせ、よだれを垂らして爆睡している秘書とスイカを起こさないよう静かに部屋を出ると、階段を降りている所で帰ってきた村長と出くわした。
「おお、何だもう起きたのか。飯の匂いにでも釣られたか?」
またもや意地悪な笑顔を向ける村長にさらりと朝の挨拶を返すと、気にかけていたミルドの食事について問いかけられた。
「ミルドさんっつったか、昨夜差し入れを持って行ったんだが手を付けて貰えんでな。一晩中何も食ってないが大丈夫なのか?」
「あー……すいません、お伝えし忘れていました。彼はひと目があると気になるそうで、実は我々の前でも食事をしないんです」
王都への道中で摂る事になると思う、と何とか取り繕うと、話を聞いていた奥さんが持っていけるものを用意してくれると申し出てくれた。
「そうか、馬車の方は今しがた話はつけてきた、朝食を済ませたら案内しよう」
何から何までお世話になりっぱなしである。ソウタとウシオは改めて村長夫妻へ心からの感謝を伝えた。
その後人形を使って秘書とスイカを叩き起こし揃って朝食を頂いたソウタ達は、村人と交代して戻ってきたミルドと合流し村の入口で待っていた行商人に挨拶をして馬車の荷台へと乗り込んでいく。早朝にも関わらず見送りには村長夫妻だけでなく多くの村人が集まってくれていた。子供を救われた若い夫婦や物見櫓の人の姿も見られる。最後にソウタが馬車へ乗り込もうとしたところで、ここに来て難しい顔をした村長から声がかかった。
「ずっと気になっとったんだが最後に一ついいか……そいつは一体何なんだ?」
村長の指差す先、そこに居たのは寝ぼけた秘書……の抱えた下級人形だった。白くもちもちと動く美味しそうな姿に人々の注目が注がれる。
「これ、も……あまり詳しくは言えないのですが……精霊……や妖精のような、そういった力を借りて動く人形で……旅のお目付け役みたいな感じです」
ソウタは頑張って考えた。
「ほおー……ちゃんとしたもんを見るのは初めてだが、これが噂に聞く『精導術』ってやつか」
またしても知らない単語が出てきたが何とか納得して貰えたらしい、ソウタは誰にも悟られないよう一人胸の内でため息を吐いていた。
「あっという間だったが、お前さんらが来てくれて本当に助かった。村を代表して礼を言わせてくれ、ありがとう。また近くに寄った時は顔を見せてくれ、必ずな」
村長が感謝を述べて頭を下げると、集まった村人達も揃って頭を下げ思い思いに感謝を述べた。ソウタも続けて感謝を返す。
「頂いた恩はいつか必ずお返しに来ます、本当にお世話になりました。皆さんもお元気で」
頃合いを見計らい村の扉が開かれると、馬車はゆっくりと王都へ向けて動き出した。離れゆく馬車に村人達はいつまでも大きな声で感謝を叫び、その姿が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。一部ウシオへの求婚やミルドへの弟子入り志願が紛れ混んでいた気がしたが気のせいという事にする。
ドタバタと不本意に始まった異文化交流を何とか乗り越え、ソウタ達は一路、更なる交流と情報を求め王都への街道を突き進む。
――時速にして約十キロ前後で。
農村バードルフから一路王都へ向けて、荷物と一緒にソウタ達を乗せた馬車が二台、街道を縦に並んでゆっくりと歩を進めていた。街道は進行方向に対し左に川と右に防壁で挟まれており、向かいから馬車が来てもすれ違えるだけの十分な道幅が確保されている。右側の防壁は石造りでバードルフの防壁にも繋がっており、森と人の生活圏をしっかりと隔てている事になる。路面はと言うと、村を出た直後は土の地面がむき出しであったが進むにつれて細かい小粒の石が敷かれた舗装路に変わり、揺れも少なく乗り心地の面でも快適さは増している。前を行く馬車には王都へ運ぶ荷物がぎっしりと積まれており、重そうな荷車を四頭の大きな馬が協力して牽引している。その後ろを着いていくように、荷台の半分ほどの荷物と旅人四人を乗せた馬車が二頭の大きな馬に引かれ、ゆっくりと長閑な景色を楽しませてくれていた。農村から王都へは極めて緩やかな上り坂になっているようで、進むにつれて段々と川の水面が遠のいていった。カタカタと細かい振動を下級人形の座布団で打ち消し、ソウタがミルドとスイカの会話を確認しているとウシオがある事が気にかかると顔を寄せ小声で尋ねてきた。
「早々に村を出てしまいましたけどあの大きな魔獣、また襲ってこないでしょうか?」
「いつかは来るかも知れないけど、片目が潰れたし随分と森の奥に引っ込んだようだからしばらくは大丈夫だと思う」
ソウタは人知れず一匹の小鳥を尾行に付け、大型魔獣の行方を把握していた。遠すぎて範囲外の為視覚共有は出来なかったが稼働中の人形の位置は把握できた。大きな恩の出来た村、万が一があれば飛んでいく算段をソウタはきちんと考えていた。色々と抜けている事もあるが多くの事を考えなければならない状況でも人々への配慮は忘れていない、ソウタの成長と思いやりを感じたウシオは優しくソウタの頭を撫でた。
「あー! 私もなでなでされたーい!」
様子を見ていたスイカがうらやましい! と割って入ってくると、ウシオはいつも通りの穏やかな笑顔で優しくスイカの頭を撫でてあげた。
「頼んだ確認は終わった? ミルドの言葉」
撫でられてくすぐったそうにはしゃぐスイカにソウタが小声で尋ねると、わかるぅー、ととろけきった表情と返事が帰ってきた。何はともあれちゃんと通じる様で安堵する、とはいえ好き勝手喋られてボロが出ても困るのでミルドには寡黙キャラを貫いて貰おうとソウタは決めた。
「そう言えば、また知らない言葉を村長さんが仰っていましたね」
ウシオはスイカを猫のように撫でくりまわしながら村を出る時の村長の言葉を話題に上げた。下級人形についてのソウタの即興の説明を聞いて、村長のこぼした言葉。
「『精導術』、スイカは知ってる? もしくは聞いた事は?」
ウシオの膝の上でだらしなくとろけている猫――もとい風の妖精に尋ねると、しらなぁい、とまたもとろけた返事が帰ってきた。
「……字面から想像するなら精霊を使った魔法のようなものかな。精霊や妖精に関係するものなら今考えてもボクらじゃわからない」
「人形も使うのを控えますか?」
ウシオが尚もスイカを撫でくりまわしながらソウタへ小声で尋ねると、やや考え込んだ後ソウタは声を抑えつつすっぱりとこれを断じた。
「いや、開き直って使える所は使う。王都でまた事情が変わるかも知れないけど……精霊や妖精はほとんどの人に見えないようだし、ほぼ理解がないと考えていい。村での事のように疑われてもやりようはあると思う」
ただし下級だけ、と補足を加えソウタは座布団にしている下級を軽くポンポンと叩いてみせた。
「目立つのは不本意だけど、村での反応を見る限りよそ者でも利用価値があれば受け入れられる程度の抵抗感だと思う」
あとは敬遠されないよう友好的な姿勢を示せれば十分潜り込めるはず、と期待と不安の入り混じった表情を見せるソウタを、ウシオは何も言わず、再び優しく撫でた。
「……子供扱いも不本意だけど」
ため息混じりに口ではそう言いながらも、ソウタの表情はいつしか穏やかなものへと変わっていた。
「あのぉ……」
そんな穏やかなやり取りに水を差すように、ソウタ達の目の前に横たわるものがか細く声を上げる。
「何故自分はまたぐるぐる巻になっているのでしょうか……?」
ミルドに担がせるわけでもない馬車の荷台の上で秘書はいつものように下級にぐるぐる巻のみのむし状態にされ横たわっていた。
「尻に敷かれると癪だから」
さっきまでの穏やかな表情はどこへやら、すんと澄ました無愛想な顔で冷ややかに答えると、ソウタは王都に着いたあとの話を始めた。
「王都に着いたら仕事して貰うから、今のうちに休んでおいて」
ソウタの言葉に一息間をおいて、え自分もですか? と秘書は震えながら引きつった顔で尋ねた。
「当然、ただの穀潰しを連れてくるわけがない。働かざるもの何とやら、サポーターにはウシオ以外の三人で登録する」
わたしはぁ? と依然とろけたままのスイカが名乗りを上げるが面倒くさいのでスイカの相手はウシオに丸投げし、ソウタは秘書を見下ろしながら尚も続ける。
「何も魔獣と戦えと言ってるわけじゃない。一刻も早く情報を集めなければならないんだ、手分けした方が早い。その為に連れてきた」
ここまで話を聞いて尚戦々恐々とする秘書にソウタはヒヤリと冷たい眼光で追い打ちをかけた。
「嫌なら別に構わない。その下級に詰め込んできた物資が尽きるまで食事は全部それになるが」
圧縮状態の例のブツは一枚の厚さが五ミリ、一日一食半年分を並べてもわずか九十センチという驚異の省スペース携帯糧食である。水カプセルも合わせ十分な量を余裕を持って人形に収める事ができている。
「全身全霊で励む所存です、お任せ下さい!」
秘書は歓喜の涙をこぼしながらとても良い返事をした。御者と馬もびっくりする程の良い返事だった。
「頑張って」
ソウタは小さくため息を吐くと視線を外の景色へ向け、再び穏やかな気持ちでのんびりとした初めての馬車旅を楽しむ事にするのだった。
王都への道程は二日間に渡る。御者の行商人に話を聞くと街道の途中には砦が設けられているそうで、朝から夕まで、その砦を介して二日かけて馬車を走らせるのだという。馬は重い荷車を引いている為所々で休憩を挟まなければならず、半日かけて約八十キロほどを走り一日目の道程を終える。休憩中ソウタが馬のオーラをこっそり整えていたお陰か予定より早く砦に着く事が出来た。
砦は行商の馬車の保護と安全確保を目的に王国軍によって管理運営されているという話を行商人が教えてくれた。馬車を引く馬の替えや調理場、宿泊用の部屋なども備えられている。この砦のお陰で行商の環境は劇的に良くなったんだと夕食の席で酒に酔った行商人が暑苦しく語ってくれた。ここでも服装やミルドの風貌など兵士に怪しまれたのだが、酔った行商人が農村での活躍を語ってくれたお陰で少し警戒が和らいだ。ウシオに声をかけようとする兵士も見られたがミルドが睨みを効かせている為勇気を出して踏み出すものはいなかった。ソウタは神吏者や精導術等について色々聞いて回りたいと考えながらも、王都に入る前にトラブルになっても嫌なので渋々今は我慢する事にした。早々に割り当てられた部屋へと引きこもり、時計のゼンマイを巻くとマットレスのない木製のベッドに人形を敷き、ウシオにぎゅうっと抱えられ今夜も天国へと沈んでいった。
翌朝、日の出前から早々に準備を済ませ馬達のオーラも整えると、馬車は空が明るくなるのと同時に王都へ向けて砦を出発した。一日目同様休憩を挟みながら馬車を走らせお日様が西の空へ随分と傾いた頃、川を挟んだ対岸に巨大な城壁が見えてきた。川の水面はもう馬車からは見えないほど下がり、崖のように街道と対岸を隔てている。誇らしげな行商人曰く、この城壁は全長十キロにも及び王都東の防衛の要となっている、と言う事らしい。朝早く出た事と合わせソウタが馬のオーラを休憩の度に整えていたお陰で、行商人も驚く記録的な速さで王都城門前まで辿り着く事が出来た。未だ日暮れ前、地球で言うところの午後四時過ぎくらいだろうか。
城門前には当然検問が敷かれており、多くの馬車とそれを調べる多くの兵士達が駆け回る姿が見えた。兵士によってソウタ達の乗る馬車も一度止められ、荷物の検品と乗客の確認が行われる。御者の隣に居たソウタとその後ろの荷台に控えるウシオを見て小さく一度目のどよめきが起こると、馬車の後ろから姿を見せたミルドに大きく二度目のどよめきが起こった。そして荷台に積まれたみのむしを見つけた兵士から声が上がり、ここで少し小さなトラブルが起きた。と言うのも、みのむし状態も当然怪しいのだが兵士が気にかけたのはそこではなく、秘書の顔にくっついているあるものについてであった。
「おいお前、降りてこっちへ出なさい」
声をかけられ挙動不審に磨きをかける秘書であったが、ソウタが人形の拘束を解くと大人しく兵士の指示に従い馬車を降りて直立不動の姿勢を取る。
「その顔に付けているものは何だ、取って顔を見せなさい」
これまで誰にも言及されなかった……気を使われていたのかも知れない。秘書の顔には口を除いた左半分を耳まで含めて覆い隠すように白い布のようなものが引っ付いていた。仮面のようなかっちりしたものではなくまた包帯でもない、本当にひらひらとした一枚の布のようなものである。
「あ、いや、これはその、隠すとかではなくてですね、お見苦しいので見せないようにしているといいますか、そのぉ」
秘書の顔には過去に負った怪我の跡が今も残っており、大変見苦しいという事で自らの意思で普段は覆い隠しているという事であった。が、兵士には当然関係ない。いいから見せなさい、と詰められ根負けした秘書がその人にだけ見えるように右からそっとめくりあげると、その顔を見た兵士はうっ、と口元を手で覆い、悍ましいものを見るような目で顔を歪ませた。
「わ、わかったもういい、すまなかった……」
謝罪までしてくれたが兵士は今にも吐きそうな程気分を悪くしたようで、その場を他の者に任せると詰め所の方へと一人駆けていった。そしてそれ以上秘書の顔を追求する兵士はおらず、この場は兵士一人の犠牲で事なきを得た。
その後行商のおじさんにも協力して貰いソウタは丁寧に事情を説明する、どうやら流れのサポーターというのはそれ程珍しくも無いようで、悪さをするなと念を押されたもののすんなりと通行許可が下りた。ただ本来入国には少々お金がかかるそうで、農村の村長さんが何も言わずソウタ達の分を建て替え行商人に持たせてくれていた。また一つ恩が増えてしまった、とソウタはウシオと顔を見合わせ複雑な表情を見せていた。
検問を通過し改めて動き出した馬車は川に架けられた石造りの大きな橋を渡り、巨大な城壁にぽっかりと口を開けた立派な城門をくぐり抜け目的の王都へと到着を果たすのだった。
――王都。ソウタ達のいる周辺で最も大きな街であり、小高い丘に築かれた立派な王城の裾野に広がる城下町である。王国軍によって整備された街道と砦による行商環境の劇的な改善により、遠方とを行き来する行商の数は年々増加傾向にあり、街の賑わいは日々増すばかりである。東城門付近と街の東西を結ぶ大きな通り周辺には多数の商店が建ち並び、王都経済の中心を担っている。また、北に広がる山脈地帯からもたらされる豊富な水資源を活用できるよう街全体に水路が張り巡らされている他、地下水路まで整備されており、他国の住民からも一度は住みたい憧れの都として人気を誇っている。王国の名前はオルレオン、はためく国旗には鮮やかな赤地に黄金の獅子が描かれている。
そんな王都へと降り立った白い和装の少年と同じく白い和装の上にエプロンドレスをまとった女性、巨大な大剣を肩に担いだ大男と白い塊を抱え顔半分を隠した不審者、そして好奇心だけで着いてきた風の妖精の五人の姿は今、東城門近辺の円形広場にあった。東城門を入ってすぐの所、馬車が方向転換出来るよう噴水を中心に大きな円形の広場が設けられており、外周部には馬を外した荷車が並んでいてそれぞれがお店のようにその場で商いをしている。馬は広場の北側に建てられた立派な厩舎で王国兵によって管理されているらしい、必要な時に元気な馬が貸与される仕組みである。スイカも王都へは初めて訪れたらしく、初めて見る大量の人と光景に興奮して好き勝手飛び回っていた。迷子の妖精の探し方を今のうちに考えておく必要があるかも知れない。
周囲から好奇の眼差しが向けられる中、ソウタは行商人と馬に感謝し深々と頭を下げると早速サポーター組合へと向かうべくその場所を尋ねた。
「通り沿いのほら、あそこに左に伸びる横道がある。そこをまっすぐ進めばもう一つの商店街の広場に出る、正面に見える中央の建物がそうだよ。看板も出てるからすぐわかるはずだ」
詳しい説明に改めて感謝と別れの挨拶を告げると、ソウタ達一行は活気溢れる街並みを眺めながら商店街広場を目指し歩き出した。王都東西を結ぶ大きな通り沿いの建物は石造りのものが多く、三階建ての大きなものもあった。一階部分は軒並み商店となっており、右も左も見渡す限りの店、店、店という感じだった。夕暮れも近いという事もあり既に片付けを始めている所もあったが、並んでいる商品に目を向けると大通りは土産物や工業製品が大部分を占め、農産物や生ものなどはあまり見られなかった。街並みや売買されている物品からこの世界の技術レベルなども探りつつ、ソウタ達は教えて貰った道筋を辿りおよそ二十分程をかけて目的の商店街広場とやらに着いた。
大通りの商店街が対外的なものとするのなら、こちらの商店街は庶民の為の商店街と言った雰囲気を感じ取る事が出来た。日用品や農産物を取り扱うお店も見られる。そしてその広場の中央にソウタは目的の看板を見つけた、農村で見られたような木造とレンガ、漆喰と思われる白い壁で建てられた三階建ての立派な建造物。正面に見える大きな入り口の扉は開け放たれており、ソウタ達の位置からでも受付のようなカウンターが見て取れた。
ここから異世界の調査と探索、そして地球への帰還を果たす為の情報収集が本格的に始まる。ソウタ達が意を決して『ナニカ』へと飛び込んでから今日で四日目、未だ帰還方法のきの字もわからず『神吏者』の存在はその影すら掴めていない。先の見通せないこの異世界でしっかりと任務をやり遂げ数多の約束を果たせるのか、ソウタが袖の中で一人拳を握りしめているとウシオがそっとソウタの背中に手を添えた。表情は変わらなくてもわかるのか、見上げるソウタと視線を交わしウシオは穏やかに優しく微笑みかける。ソウタは無意識に強張っていた体の力を抜いて目を伏せ大きく深呼吸をすると、真っ直ぐに組合の入り口を見据え力強く一歩を踏み出した。必ず帰る、その強い決意と覚悟を胸に抱いて。
いざ、ソウタ達はサポーター組合の中へと足を踏み入れるのであった――。
第三話、お読み頂きありがとうございます。橘月りんごです。
ここからしばらくの間は王都を舞台にしたお話が続いて参ります。
初めての作品という事もあり斬新さよりも王道を意識した作りとなっていると思います。
駆け出しの若輩ではありますが、今後ともよろしくお願い申し上げます。