第二話
――……また声が聞こえる……
――けど……なんだろう……?
――いつもと違う……温かい感じ……
――体……は、やっぱり動かない……
「――……ソウ……!」
――……ああ……懐かしい声……
「――……ウタッ、……ソ……タッ!」
――……○○○……大丈夫……だか……ら……
「――ソウタッ!」
ふわふわと朧げな意識に唐突に叩きつけられた呼び声にソウタがハッと目を覚ますと、いつも穏やかに見守ってくれているウシオの焦った表情が視界に飛び込んできた。
「ソウタ! 落ちてます、このままでは……ッ!」
両手で頬を叩き目覚めたばかりの未だ明瞭としない意識を強引に叩き起こすと、まるで無重力空間にいるような浮遊感がある事に気がついた。――そう……コンテナは今まさに、自由落下の真っ最中であった。ソウタはすぐさまウシオに三人を糸で結ぶよう指示を出し全員が繋がっている事を確認すると同時に緊急脱出用のレバーを思いっきり引いた。
「――出るぞ!」
ボンッ!? という炸裂音と共に中空へと飛び出したソウタはウシオに抱えられながらもすかさず袖の中から一枚の小さな紙を取り出すと、それを軽く握りしめた後思い切り落下方向目掛けて投げ飛ばした。小さな紙はもちもちとした柔らかそうなものをまとい始めるとみるみる内に膨れ上がり、コンテナの三倍はあろうかという巨大な鳥へと変貌を遂げた。巨大な鳥人形は柔らかな背中でソウタ達を受け止めるとくるりと身をひるがえし、未だ自由落下を続けるコンテナ目掛けて急降下する。その大きな足でがっしりと、見事にコンテナを掴んでみせると翼を大きく広げ滑空の体勢に入った。
ソウタとウシオが鳥の背中の上でもみくちゃになりながらも全員の無事を確認し落ち着きを取り戻すと、視界いっぱいに広がる雄大な絶景が二人の瞳に飛び込んできた。鳥人形は滑空しながら壁に沿って緩やかに高度を下げていく。右側には雄大な自然や周囲を取り囲む山々が映る一方、左側を向くと仄かに光を帯びた巨大な茶色い壁がゆるりと弧を描きながらどこまでも続いていた。
ドタバタとした想定外の状況と景色に気を取られ思考が追いつかなかったソウタだったがふと、あれだけうるさかったはずのあの男の事を思い出した。秘書である。
「ウシオ、あいつは?」
ソウタがウシオの方へと目を向けると未だ意識を失ったままのその男がウシオの膝に頭を乗せていた。
「脈と呼吸はありますが、まだ目を覚ます気配はありませんね……大丈夫でしょうか?」
ウシオが心配そうにソウタへ問いかけると、ソウタは眠ったままの秘書をじっと見つめ確信めいた答えを返した。
「……大丈夫、正常だ。しばらくすれば目を覚ますはず、様子を見よう」
秘書の男をウシオに任せソウタは足元の鳥人形に目を落とす。じいっと見つめ、言葉にはせず一人胸の内で浮かんだ疑問に思考を落とした。
「(……ここまで大きな物を出すつもりはなかったのに……動転して加減を間違えたか……)」
自身の手を見つめながら一人反省すると改めて、周囲の景色、状況に意識を向けた。
「(眼下には森、その向こうには取り囲むように連なった山、コンテナから飛び出した直後には確か海のようなものも山の向こうに見えた。そして何よりも……)」
心の中で状況を整理していたソウタはおもむろに後ろを振り返ると、そびえ立つ壁を見据えゆっくりと視線を上へ上へと見上げていった。するとあるものが視界に映り、ソウタは目を見開いて驚きの声を上げた。
「あれは……」
ソウタの目に飛び込んできたもの、それはあの『ナニカ』と同じ、満点に煌めく星空だった。しかもその規模は『ナニカ』の比ではなく、頭上に広がるほぼ全ての空が星空で覆われていたのである。巨大な壁は上に行くにつれて徐々に枝分かれするように広がりを見せ、星々を湛える漆黒へと伸びていく。
ソウタはそのまま星空を見上げながら少しずつ視線を壁と反対方向へと進めていく、やがて星空は唐突に途切れ白い雲の流れる青空へと繋がっていた。
「(向こうには青空が見えてる……夜というわけじゃない)」
星空と青空の境界線はややギザギザと、またゆったりとした曲線を描きながら壁に沿って歪な弧を作り出していた。ゆらゆらと揺らめく様はまるで風に吹かれる樹木のシルエットに酷似している。
信じがたい光景ではあったがソウタは『ナニカ』の形状を思い返しながら一つの仮説を立て、まるで自分自身に問いただすように小さく呟いた。
「巨大な木……若葉……まさか……、本当に植物なのか……?」
やがて地上へと近付くと壁から連なるうねうねぼこぼこと隆起した地形が現れた。
「根っこ……もはや疑う余地すらないのか……」
ソウタは未だ信じがたいとすっきりしない表情を見せていたが、目に映る光景が真実をありありと告げていた。
コンテナをそっと地上へ降ろし、紙切れへと戻した鳥人形を袖にしまうとソウタは悠然と佇むその堂々たる姿にただただ圧倒されていた。
「植物がここまで大きくなれるものなのか……」
幹はもはや壁のように左右果てしなくどこまでも続いており太さを推し量る事すら出来ず、隆起した根の一本すらその全容は視界に収まりきらない。
「本部塔も結構大きいと思っていたんだけど……」
ソウタの口からは呆れ果てたため息しか出てこず、その様はもはやアリから見た象……否、ミジンコから見たクジラのようであった。
ソウタが眼前の現実に呆れ果てている一方では、ウシオがコンテナに積み込まれていた機器の動作確認を行っていた。意識の戻らない秘書はと言うと下級人形を枕にコンテナの側に寝かされている。幸い積み込まれていた物資に大事はなく、分解されて積まれていた機器の一つを組み立て電源を入れてみると二人の耳に思わぬ声が聞こえてきた。
「――……あ……ん、ん……あーあー、もしもーし」
突然届いた声にソウタがウシオの元へ急ぎ駆け寄ると、ウシオの持つ環境測定用機器の小さな画面にレベッカの姿が映し出されていた。
「レベッ……ベッキー! どうやって……繋がってるんですか?」
「――おーやったー! ダメ元でもやってみるもんだー!」
レベッカは小さな画面の中で嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねるとドヤ顔でピースしている。
「――いやー、どーしても心配だったからこっそり分体を忍ばせといたんだよねー。……んー……でもやっぱだめだねー、本体とは連絡つかんわー」
お手上げポーズのレベッカだったが機器の機能も使って二人の無事な様子を確認すると涙ながらに喜びを伝えてくれた。
「――大気組成はサンプル通り、大気圧、気温、重力、放射線いずれも問題なし……ぐすっ、二人共、無事でほんっとによかった……あっちにはまだ伝えられなさそーだけど、前向きに考えないとね! ってか『ナニカ』の中ってどーだった?」
しばらくお別れだと思っていたレベッカの無茶に呆れながらもソウタとウシオはお互いの顔を見合わせ、笑顔で喜びを分かち合った。
「ベッキー、ありがとうございます。実は入った直後に気を失ったようで覚えていません……ウシオは覚えてる?」
ソウタに問われたウシオは真剣な表情で静かに頷いて見せると、よく覚えています、と穏やかな口調で話し始めた。
「『ナニカ』の中はとても眩しくて、真っ白な所でした。すぐに二人共気を失ってしまって、呼びかけていると突然コンテナ全体ががくっと大きく揺れて……気づいた時には高い所から落ちている最中でした」
「――気を失って落ちた……て事はやっぱり一次も二次も同様と考えるのが筋だよね……ん? 二人共気を失った? ウッシー意識あったんじゃ?」
人数が合わないと混乱するベッキーに突入直前のやり取りを伝え、もう一人こちらへ来ている事を教えた。
「――……マジ? 秘書くん連れてきちゃったの!? ……プッアハハハハハ、君も意外と無茶するんだねー。秘書くん生きてるー?」
「今はまだ意識が戻っていませんが、じきに目が覚めるはずです」
よかったねー、とホッと胸をなでおろす小さな画面のレベッカに、ところで、とソウタは一つ問いかけた。
「ベッキー、着いてきて貰えるんですか? というか、バッテリー大丈夫ですか?」
んーそれねー、と小さな画面のレベッカは両手を合わせると至極申し訳無さそうにゆっくりと頭を下げながら答えた。
「――ごめん、ぶっちゃけるとあんまり長時間は話してらんないんだよねー。積み込んだバッテリーフルに使ってもせいぜい一ヶ月分くらいにしかならないと思う。しかもそれやると他の機器使えなくなるし……そもそも、スペックゴミカスだから着いて行けても役に立たなそー」
変に期待させてごめん、と頭を下げ続けるレベッカに、ソウタ達は今一度感謝と一緒に前向きな言葉を送った。
「こうして話が出来ただけでも嬉しいです、ありがとうございます。無事である以上出来る事がきっとあります、必ず帰るので待っていて下さい」
「――……ヘヘヘ、ありがとー。信じて待ってるし、お礼とやらも楽しみにしとくから」
三人が和やかに会話を楽しんでいると、ふと周囲に散らばる多数の気配にウシオとソウタが同時に気づき警戒態勢を取った。
「……こちらに気を取られて気付くのが遅れました……ごめんなさい」
「……気にしなくていいよ、ボクも気付かなかった。ウシオはあいつを守って」
「――え待って……なんかヤバ気な感じ……?」
壁のような大樹の反対側には鬱蒼とした森が広がっており、姿こそ見えないものの気配はその森の中に散らばっているようだった。ウシオとソウタが森の暗がりに目を凝らしコンテナと眠ったままの秘書を背に警戒を続けていると、森からひとつの人影が歩み出てきた。その手にはナイフと言うには大きい、小型の剣と言ったサイズの武器が握られている。
「……どこからどう見ても人間だよね」
「……ソウタ、木の上にもいるようです」
「……矢か銃か、流石に爆弾やレーザーは勘弁して欲しい」
急な知的生命体との遭遇に二人が小声でやり取りをしていると、剣を携えた男が鋭い眼光で睨みつけたままドスを利かせた低い声で話しかけてきた。
「貴様ら……一体どこから入ってきた、何が目的だ、答えろ」
男の声を聞いて、ソウタとウシオは驚きのあまり思わず顔を見合わせた。何故なら……男の発した言葉が日本語だったからである。
「聞き間違い……ではありませんよね?」
「はっきり聞こえた、間違いない」
「おい! こそこそ話すな! さっさと答えろ!」
再び男が日本語でがなり立てると届いた声にレベッカも反応した。
「――んー……言葉っぽいけど翻訳無理そ、やっぱ役に立たんわー。……ってか知的生命体いた!?」
レベッカの反応を聞いてまたもや二人は驚き、ソウタはレベッカに聞き直した。
「ベッキー、今の声わかりませんでしたか?」
「――あたしの言語知識じゃさっぱりだけど、……え?わかるん?」
日本語に聞こえています、とソウタが答えるとレベッカは驚きのあまり画面内でひっくり返った。
「――いやっ、絶対日本語じゃないって! 日本語ならあたしわかるもん!」
画面の中で逆さまにひっくり返ったままのレベッカとソウタが話をしていると、我慢の限界といった様子の男が再び大きな叫びを上げた。
「いい加減にしろ! 答えるつもりがないなら……」
しびれを切らした男が剣を振りかぶりソウタを指差すように振り下ろすと次の瞬間、カァンッ! と甲高い音が森の奥から響くと同時に細長い棒状のものが森の暗がりから飛び出してきた。放たれたそれはまるで風の如き速さでソウタの眼前へと迫ると、ソウタの顔のすぐ隣でピタリとその動きを止めた。……いや、止められた。
「……結構ちゃんとしてる……綺麗な矢……レーザーとかじゃなくてよかった」
「な……ッ!?」
驚愕している剣を携えた男の目の前で、ソウタは自身に向けて放たれた矢を顔のすぐ横でキャッチしていた。手にした矢をまじまじと観察するとソウタは矢に向けていた視線を剣の男の方へと移した。男は一歩下がって剣を構えたままこちらを睨みつけている、同じ様に男をじっと見つめるとソウタは一人ぶつぶつと呟きだした。
「……大きな敵意、警戒、驚き……怒りは少し小さくなった」
――ソウタの持つ異能は人形遣い。だが何もない所からぽんぽんと人形を生み出せるわけではなく、その力の詳細は少々複雑となっている。実際に生み出し扱う力は生き物の持つ生命エネルギー(以下オーラ)に近い性質を持っており、それを依代となる媒体に込める事で人形を作り出し使役する事ができる。オーラそのものではないものの似た性質の力を扱う為、ソウタは相手の身にまとうオーラの流れを肉眼で見る事ができ、その微細な変化から感情の動きまでをも捉える事が出来るのだった。
ソウタは剣を構えてこちらを睨みつける男へキャッチした矢を放り投げて返すと、両手を上げ敵意がない事を示しながらようやく対話に応じる姿勢を見せた。
「まずは謝罪を、申し訳ありませんでした。決して無視したかったわけではありません、色々と驚く事が多くあったのでつい」
ソウタは未だ姿の見えない森の中の気配を警戒しつつ、こちらの言葉も通じるのか、男の反応に目を凝らし様子を窺った。
「……質問に答えろ、どこから入った? 目的は?」
言葉が通じている様子を受けソウタは心の中で胸を撫で下ろすと、かけられた警戒を解こうと丁寧に答えていった。
「ええと……我々は空から落ちてきました。目的は帰る方法の捜索と仲間の救出、それとこちら側の調査です」
ソウタは真面目に、ありのままを答えたのだが……男の反応は芳しいものではなかった。
「落ちてきた……? 帰る? こちら側? 一体何を言っているッ! バカにしているのかッ! どこから入ってきたのかと聞いているッ!?」
要領を得ず何故か膨れ上がった怒りに困惑しながらも、ソウタは身振り手振りを交えながら冷静に説明を続けた。
「落ち着いて下さい、えっと……我々は、あそこから、落ちてきました」
そう説明しながらソウタは上を見上げ、キラキラと煌めく頭上の星空を指差して見せた。
剣の男がソウタの指差す先を見上げ、そこに煌めく星空をしばし眺めていたかと思うと目を見開いて何かを小さく呟いた。
「――……ア……………………」
男の言葉を聞き取り損ねた、とソウタが剣の男に目を向けると、男はソウタを鋭く睨み、剣を向け、少しずつ後ずさりしながらこう告げた。
「そこから動いたら殺す、俺が戻るまでそこを動くな」
「……わかりました、動きません」
その目に殺意を捉えながら、ソウタは素直に従う意向を示してみせた。男はソウタを鋭い眼光で睨みつけたままゆっくりと森へ入っていくと、暗がりの中へとその姿を消した。依然森に散らばっている気配は消えておらず、引き続き警戒が続いている事がわかる。ソウタが周囲を警戒しながらフウと一息つくと、ウシオが問いかけてきた。
「ベッキーは言葉がわからないようですが……どういう事でしょう?」
「……確証はないけど、多分原因はこちら……ボク達にある。彼の口の動きと聞こえてくる音は一致していなかった」
原因は一体何か、心当たりを探り記憶を辿っているとベッキーが一つの可能性を示唆した。
「――あたしがわからず二人がわかるなら……『ナニカ』を通って光を浴びたからとか、意識を失ったから? 眩しかったって言ってたし、あでもウッシー意識あったわ」
「光を浴びて……フラッシュフォールのようですね」
レベッカの意見にウシオが興味深い事を口にすると、ソウタは眠ったままの秘書へ目を向けた。
「もしあいつも彼らの言葉がわかるなら、光の影響の可能性は高いと言えるかもしれない。ベッキー、出来る範囲で構わないので言語データを記録しておいて頂けますか?」
「――もうやってるよー、ってもこいつのスペックとストレージじゃ大して保存できん……あ待ってウッシー、データ集積用のストレージ積んであるから、コンテナとこの端末まとめて繋いでくれん?」
コンテナもですか? と疑問を持ちながらもウシオはレベッカと共にコンテナへと乗り込みテキパキと接続作業に取り掛かった。
「――このコンテナ実は結構高性能なんよー、ケーブルは三番に……そうそれ、下の方に繋ぐ場所が……」
コンテナ内で二人が作業を始めてしばらくすると音に起こされたのか眠ったままだった秘書がようやく目を覚まし、気づいたソウタが声をかける。
「気分は?」
「……あ、おはようございます……すいません、すぐ支度を……」
寝ぼけて朝の支度を始めようとする秘書にここまでの事を説明し、異世界人と早速まずい状況にある事を教えた。
「そ……そんなぁ……こんな訳のわからない所で僕の人生終わるんですかぁ……?」
「残りたいなら残ってくれても構わない、ボク達は方法を探して帰る」
見捨てないでぇ、と泣きながら鬱陶しく足元にすがりつく秘書を呆れた顔で眺めるソウタの目にはどこか、仄かに安心の色が見えた。
目覚めた秘書が喧しさを取り戻した頃、作業を終えたウシオがコンテナから降りてきた。
「無事目が覚めたようでよかったですね、ソウタ」
「騒々しくなっただけだ……それよりベッキーは?」
ウシオの手にはレベッカの映った端末は既になく、コンテナ内に置いてきた、とウシオが答えるといつもの場所からレベッカの声が聞こえてきた。
「――ウェーイ、こっちこっちー。コンテナ使って耳飾りと通信できるようにしたったー、かわりに動けなくなったけど。そんな事よりすごい事がわかったんだけど!」
興奮した様子で何かを告げようとするレベッカをソウタは森の暗がりを見据えながら静止した。じわりじわりと黒い影がこちらへ近づき、先程の剣の男が戻ってきた。相変わらず強い警戒のオーラを滲ませているものの男はやや落ち着きを取り戻していた。
「……一人増えたな、妙な真似をするなよ。長が貴様らと話す、黙って着いてこい」
鋭い視線で睨みつけながらもこちらを誘うように手招きしている男を指して、ソウタは秘書に言葉がわかるか確認をとった。
「へ……? わかりますよそれくらい、赤ん坊じゃないんですから……あれ、日本語?」
ここ日本なんですかッ!? と頓珍漢な叫びを上げる秘書に剣の男が釘を刺す。
「喧しい奴だな……黙って着いてこい。武器の類いは全て置いていけ」
「申し訳ありません、静かにさせますのでご容赦を」
ソウタが秘書の枕にしていた下級人形で秘書の口を塞ぐと、それを見ていた剣の男が驚きと敵意のオーラを立ち上らせた。
「白団子……やはり……」
男の反応を静かに見つめていたソウタはウシオに目配せをすると、レベッカにここで待つように告げコンテナに力を込めた依代を隠した。口を塞がれたままやたらとキョロキョロ鬱陶しい秘書も連れてソウタ達は剣の男の後に続き鬱蒼とした森の中へと足を踏み入れた。
その森はとても大きかった。範囲の話だけではない。森を構成する樹木一本一本がとても太く、苔むした大地に力強く根を下ろしている。木々の高さは小さなビル程もありそうで、生い茂った濃い緑色の枝葉の僅かな隙間からかすかに光がこぼれ落ちる様子はまるで星空のようだった。
剣の男からやや離れた後方を静かについていくと、樹上の気配もスルスルと、音もなく器用にあとを着いてきた。ソウタとウシオは声を潜めながら言葉を交わす。
「すごいですね、上の方々。衣擦れの音も枝葉の揺れる音も、殆どしません」
「森の中じゃボクの目もあまり役に立たない、感心だけでなく警戒もしてね」
植物も生き物、生き物で視界が遮られる森の中ではオーラを捉えるソウタの目もあまり役に立たなかった。警戒を維持したまま森を観察していたウシオは、ある事に気づいてソウタにそっと呟いた。
「この森……動物の気配が殆どしませんね。とても静かで……」
ウシオの言葉にソウタも森を見渡してみた。森はどこまでも鬱蒼としていて動物らしいものは鳥すらも一匹も見当たらない。しかし鬱蒼としていながらも暗すぎるという事はなく、生き物の気配は感じられずともどこか暖かな空気が不思議と森全体を包み込んでいた。
「……不思議な森」
「ごちゃごちゃと喋るな、黙って、着いてこいと言ったはずだ」
またも男に釘を刺され大人しく黙って歩いていると耳飾りからレベッカの声が聞こえてきた。
「――あーあー、もしもーし、聞こえるー?」
聞こえている。が、再び声を出し男を刺激するのを避ける為ソウタはモールス信号での返答を試みた。
「-.-- . ...(YES)」
爪で耳飾りを引っ掻いて-(ツー)、叩いて.(トン)を表す。
「――ん、声出せない感じね、オッケー。じゃあそのまま聞いて、さっきのすごい事の話なんだけど」
「――今二人ーじゃないや、三人が向かってる先とはまた別方向なんだけど、他にも耳飾りの反応があるの、一次二次調査隊の人達だよきっと!」
「――遠すぎるのか故障か、こっちの声届かないっぽいから状況はわからないんだけど……」
思いがけない報告にソウタは気を引き締めて、レベッカに返事を送った。
「--- -.-(OK)」
「――……無事を祈ってる、気をつけてね」
ソウタとウシオは顔を見合わせお互いに頷いてみせると、袖の中で静かに拳を握りしめるのだった。
どれだけ歩いたか……やがて日が差し込む明るい開けた場所が正面に見えてくると前を歩く剣の男は足を止め、こちらを振り返り唐突にルールを告げてきた。
「長の所まで連れて行く前に、お前達の両手を縛らせてもらう」
男が手を上げると周囲の茂みから男の仲間がぞろぞろと現れた。その手には紐のようなものが握られている。頭上からはかすかに弓を引きしぼる音も聞こえた。
「本来なら身動き一つ取れないようにしてやりたいが……長の意向だ、ありがたく思え」
ソウタは男の説明を聞きながらこっそりと、左袖の中で依代を手の内に隠しながら男に一つ問いかけた。
「拘束して頂くのは構いません、従います。代わりに一つお伺いしたい、我々同様連れて来られた者がまだここにいますか?」
「……黙れ、質問は受け付けない。拘束しろ」
男が指示を出すと茂みの者達によってソウタとウシオ、そして未だ口を塞がれたまま涙目の秘書は大人しく両手を縛られ、家屋の立ち並ぶ彼らの集落へと連れて行かれるのだった。
集落の中はひどく閑散としており人の気配は殆どなかった。あまり文明を感じさせない石と木と土で作られた家屋の間を抜け、一番奥と思われる場所まで進むと一際大きな木造の家屋の中へと案内された。建物の中は簡素な作りをしており、道場を思わせる広間が一つあるだけである。そして奥の壁際、中央に一人の、白い顎髭をたっぷりとたくわえた老人があぐらをかいて座っており、その両脇を剣を携えた男性が固めていた。ソウタ達はその老人の前まで連れて行かれると三人横並びで座らされ、茂みの人達や弓を持った人達が周囲をぐるりと取り囲んだ。老人は三人を一人ずつ、まじまじと眺めていくと秘書に目を留め、口を開いた。
「ガルド、間違いないのか?」
「ああ、間違いない。あの時の白団子もいる」
ガルドと呼ばれ返事をしたのはあの剣の男だった。
「(この老人の言葉もわかる……白団子……下級の事か? あの時……?)」
ソウタが秘書の口を塞いでいる下級に目をやりながら心の中で思考を巡らせていると老人は次にソウタを見て問いかけてきた。
「お前さん方、星から来たというのは本当かね?」
老人はとても穏やかな口調であったが、その目はとても力強く、ソウタは思わず背筋を伸ばして答えた。
「……あなた方の言う『星』が、我々の知る『星』かはわかりませんが、我々は確かに、大きな葉っぱの形をした星空を通ってこちらに来ました」
ソウタが正直に答えるとそれを聞いた周囲の者達までもがざわざわと騒ぎ始めた、が――
「静まれ」
老人の一言で見事に喧騒はかき消えた。老人は白い顎髭をひとなでし、しばし考え込んだ後再びソウタを見て問いかけた。
「帰る方法を探す、お仲間の救出、こちらの調査……その為に来たとガルドの報告にあった。そこの白いのは少し前にも若い衆が相手をしたと聞いている。わざわざこちらを訪れる理由は何かね?」
「(相手……つまり戦闘になった。彼……ガルドの警戒と敵意のオーラは侵略を疑われているのか)」
ソウタはオーラで相手の感情を読みつつ相手を刺激しないよう丁寧に事のいきさつを話して聞かせた。自分達の住む世界の事、フラッシュフォールの事、異能の事、海底で見つけた『ナニカ』の事、時々周囲から罵声が飛んできたものの老人は静かにソウタの話に耳を傾けてくれた。
やがてソウタが事情を説明し終わると、考え込む老人をよそに剣の男ガルドが声を荒げてソウタに噛みついた。
「害意がないのならば何故白団子は我らを襲った! あれでどれだけの怪我人が出た事か!」
「……人形には、隊員達を守るよう指示を出していました。隊員の身に危険が迫ったと判断しての行動だと思われます」
白団子、もとい下級人形は小さいながらも力は強く、成人男性くらいならば軽々と持ち上げられる程の力があった。中級ともなるとその戦闘能力は凄まじいものである。
「我らのせいだと言いたいのか……ッ」
ガルドは剣の柄を強く握りしめ今にも飛びかかってきそうな形相でソウタを睨みつけていた。が、老人の一喝を受けると歯を食いしばり、一人外へと飛び出していってしまった。
「まったく……あいつは血の気が多くていかん……お若いの、すまんの」
「いえ、こちらこそ配慮が足りませんでした……申し訳ありません」
深々と良い姿勢で謝罪を返すソウタを見て老人はようやく少し表情をほころばせて見せた。
「君は良い子じゃの……若い衆にも見習わせたいくらいじゃ。お前達、縄を解いてあげなさい。彼らに敵意はない」
老人の指示を受け、周りの者達は武器を下げ、渋々ではあったものの手の拘束を解いてくれた。ソウタ達は手首をさすりながらも三人揃って周囲の人達へ感謝を述べた。
「さて、お前さん方の目的の話じゃがの」
老人は一度姿勢を正すと、改めてソウタ達の目的への答えを示してくれた。
「まずこの周辺の調査は諦めとくれ。ここは儂らにとって神聖な場所じゃ。特に、巨大樹には決して触れぬよう、固く誓って貰いたい」
相変わらずの穏やかな口調、されど眼力は凄まじく、ソウタ達は素直に受け取る他なかった。
「次にお仲間の救出とやらじゃが、地下牢に捕らえてる者達が何人かおる。おそらくはお前さん方のお仲間じゃろう、後で案内させよう」
ありがとうございます、とソウタ達三人が喜びを見せるのもつかの間、老人は少し苦い顔で続けた。
「ただの……申し訳ないんじゃが、あまり良い状態ではない。森番が見つけた時には既に息絶えてる者もいたようでの、牢に放置するのも忍びない。こちらで勝手に弔わせてもらった」
「……仕方がありません、お心遣い感謝します」
ソウタが感謝を述べると老人はふむ、と立派な顎髭をひとなでして最後の目的について話し始めた。
「最後に、帰還方法についてじゃが……」
老人は言葉を詰まらせやや考え込むと、ゆっくりとソウタを見て告げた。
「……すまんが思い当たる節はない。力になってやれそうにない……悪く思わんでくれ」
残念な答えではあったがソウタは諦めず老人をまっすぐ見据え、他の手がかりを探る。
「……光に関してはどうでしょうか? 強い光がこちらでも確認されたようなことは?」
「儂らはずっとここに居るが……お前さんの言うような強い光は見た事がない。異能とやらに関しても同じじゃ、儂らの中にそういった力を持った者はおらん」
帰還方法に続きフラッシュフォールの原因についても探ってみたがあいにく手がかりは得られない。……かに思われた。
「ただの……先にも言った通り、儂らはずっとここに居る。ここしか知らんのじゃ。ここよりも外に目を向ければ、あるいは……」
外……? とソウタが小さく首を傾げると老人はその意味を教えてくれた。
「ここは島なんじゃ、周りをぐるっと山に囲まれた島じゃ。島の外に目を向ければ、何か見つかるやもしれん」
「……ガルドさんが仰っていたどこから入ったというのはそういう事ですか」
老人は静かに頷いてみせると更に興味深い情報をくれた。
「もし……『かんりしゃ』と会う事ができれば、帰る方法も知っておるやもしれんの」
「『管理者』?」
「違う、『神吏者』じゃ。この世の全てを意のままに操ったとされる神の代理人、そんなおとぎ話が残っておるのじゃよ」
「『神吏者』……」
もし本当にいるのなら会ってみたいものじゃの、とぼやきながら老人はゆっくりと重い腰を上げ立ち上がると、弓を持った青年を呼びつけ牢への案内を言いつけた。
「この者に牢まで案内をさせます、着いていってくだされ」
そう言い残すと老人は剣を携えたお付きに付き添われ足早にどこかへと立ち去っていった。残された弓の人は頭と口元を布で覆い隠しており、目元だけが見える状態だった。お願いします、とソウタが頭を下げて声をかけると弓の人は何も言わず歩き出し、手仕草だけで着いてくるよう促した。
弓の人に着いていくと早々に集落の外、森の方へと進みだした。数こそ減ったものの相変わらず高い樹上にはこちらを警戒する気配が着いてきており、多少の息苦しさを覚えつつも気にせず弓の人の後をついていく。しばらく歩いているとウシオがソウタの様子を見て声をかけてきた。
「ソウタ、何か気になる事でも?」
ソウタは警戒もそこそこに一人何かを考え込んでいた。
「……『かんりしゃ』という言葉、一回目聞いた時と二回目聞いた時で、認識に違いがあった」
「そう言えば感じが違いましたね……それが気になっているんですか?」
「……理屈はわからないけど、ただ言葉を翻訳しているのではなく、最も近い認識、表現を言葉に変換しているように思う」
「……どういう事でしょう?」
「つまり直訳ではなく意訳、正しく意味を理解できる翻訳になっているって事。ベッキーの自動翻訳とほぼ同じ事を、耳飾りなしで実現している」
「……つまりベッキーはすごいという事ですね?」
ウシオには難しかったようで……そういう事でいいよ、とソウタは早々に匙を投げた。
「そう言えばベッキー大丈夫でしょうか、反応がありませんが……」
「多分電波が届かないんだ、結構な距離歩いたし、空はあれだし」
コンテナには依代を仕込んであるから何かあればわかるし守れる、とウシオを安心させていると前を歩いていた弓の人が振り返り、ある方向を指差して立ち止まった。その指の先には乳白色の石畳の回廊が続いており、奥には地下へと続く階段が森の中にポッカリと口を開けていた。ソウタ達が案内に感謝を述べるとやはり弓の人は何も言わず、やや離れた木の根っこに腰掛けてさっさと行けと手仕草で訴えている。ソウタ達は回廊を進み階段の手前まで来ると、階段の下から立ち上ってくる嫌な匂いに眉をひそめた。ソウタはキョロキョロと鬱陶しい秘書にこの場で待つように言うと依代を一枚持たせ、ウシオと二人で階段をゆっくりと下っていった。
階段を降りていくと二人の脇を小さく風が吹き抜け地上へと登っていくのが感じられた。空気の流れがあるようで、嫌な匂いはその風に乗って地上へと運ばれていた。一番下まで降りると通路は左右に九十度折れ曲がり、点々と壁に添えられた松明の明かりが暗がりをゆらゆらと照らしている。地下牢は外の回廊と同じ切り出された乳白色の石のブロックで出来たしっかりとした造りで、それぞれの四角いくぼみには重厚な鉄格子がはめ込まれていた。かすかなうめき声を頼りに階段から左へ進み、手前から数えて三つ目の牢屋に差し掛かると鉄格子の奥に目的の人物らの姿を見つけた。
寝かされている者が二人、寄り添い壁際にうずくまっている者が四人、皆一様に憔悴しきっており、まだソウタ達の存在には気づいていなかった。壁際の一人がゆっくりと顔を上げようやく訪れた人物に焦点を合わせると、その姿に目を見開き涙をこぼしながら手を伸ばしてきた。
「あ……ああ……ああああああああ……ッ!」
泣き喚く一人の声に引きずられ他の者達もソウタ達の姿に気がつくと、大粒の涙をこぼしながら動かない体を引きずり這って鉄格子まで近づいてきた。全員ひどく衰弱しており、もはや声を出すのもやっとのようで……寝かされていた二人は動く事もままならなかった。ソウタは鉄格子の前で膝をつくと一人の手を取り、生き残った彼らへ労いと感謝の言葉を伝えた。
「皆よく諦めずに生きていてくれた、ありがとう」
ソウタは力なく泣き崩れる隊員達のオーラを一人ずつ入念に凝視していくと、おもむろに立ち上がり人形を巧みに使ってあっさりと鍵を開け中へと入っていった。ソウタは最も状態の悪い隊員の側に膝をつくと隊員のお腹、みぞおちの辺りに手をおいて目を閉じ意識を集中し始めた。ソウタの力は生き物の持つ生命エネルギーに似た性質を持っている。それを自在に操る技術を応用し、乱れたオーラの流れをゆっくりと正していく。ただそれだけで都合よく衰弱が治ったりするはずもなく、次にソウタはウシオにあるものを出すよう要求した。
「ウシオ、あれを」
「はい、すぐに」
ウシオはおもむろに体の後ろに手を回すと、ごそごそとどこからともなく一本のガラス瓶を取り出してみせた。ガラス瓶は白い液体で満たされている。
――そう、ミルクである。
――ウシオ(丑和)。白い和装の上から可愛らしいエプロンドレスを身に着けている二十代くらいの女性。ウシオは普段ソウタの姉、保護者として振る舞っている。だがその実、彼女は元来人間ではない。その実態は名前の示す通り、牛であり、フラッシュフォールの影響で異能を持った乳牛を依代として生み出された生きた人形である。しかしソウタは彼女達の事を人形とは断じて呼ばない。日本の歴史に出てくる陰陽師などが使役したとされる『式神』になぞらえ『式』と呼んでいる。ただの人形ではなく、命ある掛け替えのない家族である。
そして、異能の力を得た者は特別な能力を行使する。しかしそれだけでなく、能力者はその肉体の基本的なスペックも軒並み向上する事が確認されている。どれほどちっぽけな異能しか持たない能力者であっても、異能を持たない者とは比べ物にならない基礎身体能力を誇る。そんな優れた肉体を手に入れた乳牛であるウシオのミルクもまた、特別なものとなっているのである。……普段どこにその牛乳ビンが納められているのか、またどのようにしてビンにミルクが注がれているのかは……ソウタですら知り得ない最重要機密である。
ソウタはウシオのミルクを受け取ると人形を使って衰弱した隊員の口に少しずつミルクを注ぎ、飲み込ませる。するとこれまで身動き一つ取れず声すら出せなかった隊員のオーラは力強く体中を駆け巡り、ゆっくりとではあるが何とか上体を起こせるまでに回復した。
「……し、信じられない……こんな事が……」
死の淵から生還し、感涙に震える隊員をよそにソウタは他の隊員達のオーラも同様に整え、ミルクを飲ませる事で会話できる程度にまでに回復させた。
「もう……自分達はここで朽ちるのだと……もう駄目だと思っていました……」
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
「連絡手段もなく……もう救助はこないものだと……」
死の淵からかろうじて生還した調査隊員達は皆、涙に濡れたまま、笑顔で抱き合い喜びを分かち合っていた。
「ウシオのミルクで力が漲るのも一時的なものだ、もうしばらくは体調を整える事に気を使うように。それと、ぬか喜びさせるつもりで助けたわけではないから、最初にはっきり告げておくけれど……」
ソウタは気遣いながらも状況は決して好転していないという事を隊員達に前置きを置いて話し始めた。
「来たのはボク達だけ、帰る方法はこれから探す。タイムリミットは六ヶ月、六ヶ月経って連絡も帰還も叶わなければ有人調査は一時凍結される。追加の救助は来ない」
ソウタの説明は隊員達にとってとても絶望的なものであった。が、隊員達は互いに顔を見合わせ頷きあうと空元気であったとしても前向きな姿勢を示してみせた。
「どの道我々は一度死んだようなもの……救って頂いた以上、出来る限りの貢献をさせて頂きます」
「……帰る方法を探す為には何よりもまず情報がいる、君達調査隊に起きた事を出来る限り具体的に教えて」
ソウタは床に座りゆっくりと、時間をかけて一つ一つ彼らに起きた事を聞き精査していった。突入直後の意識喪失、空からの落下、森の人々との戦闘、地下牢に入れられてから今日までの事……壮絶な体験の一言では言い表せない、過酷で凄惨なものであった。
「……何かの備えになればと付けた人形が仇になったね……申し訳ない」
ソウタは表情こそ変わらないものの、強く握りしめられた手に悔しさを滲ませた。
「とんでもない、あの人形のおかげで生き残れたようなものです、助かりました」
「……君達は全員能力者だね、一次の人は?」
「寝たきりだった二人が一次です、我々四人は二次で……」
先程まで寝たきりだった、今は上体を起こして座っている二人へソウタは問いかけた。
「無事に残っている機材はある? ……いや、というか君達装備は?」
第一次及び第二次調査隊は『ナニカ』突入時、全員が宇宙服の様な格好だった。それが今はボロボロに薄汚れた黒い薄手のボディースーツと、同じくボロボロよれよれになった上下が繋がったオールインワンの作業着だけである。牢の中にもそれらしいものは見当たらず、耳飾りもしていなかった。
「一部残った機材もありましたが……全部彼らに取り上げられてしまい、今どこでどういった状態かわかりません」
「……ベッキーが感知した耳飾りの位置にあるかもしれない」
「レベッカさんも来ているんですか!?」
分体だけどね、と軽くあしらいソウタが考えをまとめていると、隊員の一人が土下座の姿勢で先手を切ってきた。
「お願いします! 我々も同行させて下さい、どんな汚れ仕事でもこなしてみせます! どうかッ!」
一人が二人、そして三人四人と、土下座の隊員は増えていった。上体を起こすのでやっとの隊員すら頭を下げている。ソウタは一つため息を吐くと、隊員達へこれからの話を始めた。
「気持ちだけ受け取らせて貰う。君達はここに残れ」
そこを何とか! と食い下がる隊員へソウタは最後まで聞け、と釘を刺し話を続けた。
「君達にはここに残って、やって貰いたい任務がある」
「任務……それは……?」
「……森の彼らと交流を深め、信頼関係を築いて貰いたい」
隊員達は一様に驚き、無理です! とソウタを懇願するような目で見ていた。
「聞け。帰還方法には、おそらく彼らとの関係構築が必要不可欠だ」
ソウタの言っている意味が理解できないと言った様子で困惑しながらも隊員達は大人しく耳を傾けた。
「彼らの長は、帰還方法について思い当たるフシはない、と答えた。だがこの時長は嘘をついた」
嘘……? と隊員達は未だ困惑の表情をしながらも、前のめりで聞き入っている。
「詳しい説明は省くが、ボクの目は相手が嘘をついていればそれを捉える事が出来る。嘘の内容はわからない、けれど長は何かしらを知っている可能性がある」
それを聞き出す為の関係構築だ、と説明すると、隊員達は理解こそしたものの不安を滲ませていた。ソウタは隊員一人一人の目を見ながら静かに、穏やかな口調で語りかけた。
「出来るかどうかはわからない、だがやらねばならない。ここに残らなければ出来ない任務だ、タイムリミットもある……君達に任せたい」
ソウタの真剣な眼差しを受け、六人は顔を見合わせ頷きあうと覚悟を決め、任務の完遂を強く誓った。
「……わかりました。その任務、我々にお任せ下さい。必ずややり遂げてみせます!」
ソウタも彼らの覚悟を受け取りしっかりと頷いてみせると、もう一つの任務についても彼らに頼む事にした。
「それともう一つ、我々が乗ってきたコンテナに繋がれたベッキーが、耳飾りを介して言語データの集積をしてくれている。何とか頼み込んでコンテナを集落近くに置かせて貰うから、それも合わせて進めて欲しい」
「我々は今耳飾りをしていませんが……コンテナには予備の耳飾りもあるんでしょうか?」
それはこれから何とかする、とソウタはすっと立ち上がると、ウシオと共に牢を出て念の為鍵を閉めた。
「なるべく早く出して貰えるよう交渉してみる、勝手に出すとまた警戒させてしまう。もうしばらくそこで辛抱してて」
隊員達の力強い返事と感謝に背中を押され、ソウタとウシオは吹き抜ける風と共に再び地上へと階段を登っていった。
地上へ戻ると秘書が口を塞いでいた下級の影に隠れ、何かに怯える様子を見せていた。秘書の視線の先、石畳の回廊の先には見慣れた男性が遠目にもわかる敵意のオーラを立ち上らせ、鋭い眼光でこちらを睨みつけているのが見えた。剣の男、ガルドである。その少し後ろには困惑した様子の弓の人の姿も見える。ソウタ達はゆっくりと回廊を進み歩み寄ると、ソウタの方からガルドへ声をかけた。
「二つ程お願いしたい事があるのですが……今の貴方へ言っても聞いては頂けないでしょう」
ソウタはやる気満々のオーラを見せるガルドと視線を交わしながら一つの提案をもちかけた。
「そこで提案なのですが、ボクとお手合わせ願えませんか? どの道、黙って見過ごすつもりはないのでしょう?」
ソウタは淡々と、いつものすんと澄ました顔で、無自覚にガルドを挑発してみせた。その澄まし顔が挑発にあたるという自覚がない。ソウタの無自覚など知る由もなく、ガルドはまんまと怒りを募らせると、冷静を装いソウタの提案を受け入れた。
「……上等だ、もしお前が勝てたなら頼みとやら、聞くだけ聞いてやる。俺が勝ったら?」
「……聞くだけではなくお約束頂きたい所ですが。あなたが勝ったら、我々はコンテナと地下牢の彼らを連れ、何一つ残さずここを去ります」
ガルド! と後ろの弓の人が初めて声を聞かせてくれたがガルドは聞く耳を持たず、場所を変えるとだけ告げるとどこかへと歩き始めた。弓の人は報告の為か集落の方へと慌てて走って行った。
振り返らず歩き続けるガルドの後ろをソウタ達はやや離れて着いていくとやがて、直径五十メートル程はあるだろうか、回廊や地下牢と同じ乳白色の石畳が切り分けられたバームクーヘンの様に敷かれたまっ平らな円形の広場に着いた。周囲は同じ乳白色の大きな石のブロックが点々と、隙間を開けて取り囲むように並んでいる。所々苔むしており、乳白色に緑が映える。
「森の中に随分とおあつらえ向きな場所があるんですね」
「……腕試しや祭事に使われる場所だ、森番が森を荒らすわけには行かない」
そう言うとガルドは一人広場の中央まで進むと振り返り、ソウタを誘うように手招きした。ウシオ達にはその場で待つように告げ、ソウタも広場の中央で待つガルドのもとまで歩を進めた。二人が広場の真ん中で向かい合うとガルドは声を張り上げソウタに……ではなく、いつの間にか広場を取り囲んでいた樹上の弓兵達に叫んだ。
「これは俺の勝負だッ! 手を出せば貴様らでも殺すぞッ!」
「……意外と律儀なんですね。手段は選ばないのかと思っていました」
「矢を一本止めたくらいで調子に乗るなよ……」
ガルドは腰に据えた剣を静かに鞘から抜くと右手に構え、体勢を低く、飛びかかる直前の獣のような姿勢でピタリと動きを止めた。その構えは荒々しくも美しく洗練されており、彼の確かな自信と覚悟を感じさせるに足るものだった。
「(きれいなオーラ……やっぱりこの人が……)」
ソウタがガルドの放つ洗練されたオーラに見惚れながらも考え事をしていると、ガルドから声がかかった。
「さっさと構えろ」
開始のタイミングを窺っていたようで、思いがけない言葉にソウタはわずかに口元を緩めながら答えた。
「本当に律儀な方ですね、そういう所は結構好きです」
いつでもどうぞ、とソウタが告げるとガルドの放つオーラは大きく膨れ上がり、音もなく二人の戦いの火蓋は切られた。
ソウタとガルドの間には五メートルほどの距離が空いていた。通常であれば三歩は掛かりそうな距離、だがガルドは一歩でその距離を詰めてきた。五メートル先にあった彼の姿は瞬きを挟んだ刹那に目の前へと迫り、大きく振り下ろされる彼の剣がソウタの首を捉えようとしていた。ソウタは未だ微動だにしておらず、残り拳一つ分程度の距離まで剣が迫り、ガルドは目を見開いて勝利を確信していた。
「(殺ったッ!)」
その時ガルドはソウタの顔を見つめていた。ピクリとも反応できず、自分が死んだ事すら気付けないであろう少年と、視線を交わしていた。――そう、目が合っているのである。ガルドはソウタから見て正面からやや左側に動いていた。剣を振る反動もあるが、首を狙いやすいためである。そんな自分と、指先一つ動かしていないソウタの目が合っている。その事実に気づいたガルドは反射的に飛び退き、ソウタと距離をとっていた。あと一歩、残り拳一つの距離で得られた勝利を捨て、ガルドの本能は引く事を選んでいた。
「……あと少しだったのに、どうしたんですか?」
初期の位置から見てソウタの九十度左側、十メートルの距離に片膝をつき呼吸を乱すガルドの姿があった。
「(ありえない……あそこから反応できるはずがない……なのに……ッ)」
ガルドは思わず飛び退いてしまった事に悔しさを滲ませながらも呼吸を整えゆっくりと、緩急をつけたゆらりとした動きで距離を詰めてきた。
「(落ち着け……一撃に拘る必要はない)」
再び瞬きの一瞬に距離を詰めてきたガルドは今度は首ではなく袈裟を狙って素早く振り下ろしてきた。ソウタも今度はこれをしっかりと回避すると、ガルドの後ろへと時計回りで回り込む動きを見せた。ガルドはその動きをしっかりと見ており、体を撚る力も加えソウタを追うように全力で剣を振り抜いた。凄まじい剣圧によって巻き上げられた砂埃が弧を描き、切り裂いた風は森の木々をざわめかせた。……しかし、ガルドの背中に回り込んだはずのソウタの姿はそこになかった。
「(いないッ馬鹿な! ……上ッ!)」
すぐさま頭上を見上げ確認するガルドであったがそこにもやはりソウタの姿はなく、思考を巡らせる暇もなくガルドの耳にソウタの声は届けられた。
「上ではなく後ろです」
背後からかけられた声に咄嗟に距離を取りながら振り向くとようやくガルドは視界にソウタを捉えた。
「馬鹿な……どうやって……」
「ずっとあなたの背中に張り付いていただけです、ぐるりと」
ソウタは体を捻り大きく回転しながら振り抜かれたガルドの剣、それよりもさらに速くガルドの周りをぐるりと一周していただけだった。
「(俺が全力で振り抜いた剣より、速く……? そんな馬鹿な事……ッ)」
悔しさか、あるいは武者震いか、俯くガルドは一つ、大きく深呼吸をして体の震えを抑えると、再び最初と同じ、獣のような構えをとってみせた。
「……もういい、これで最後だ……これで駄目なら……負けを認めてやる」
これまで何度も向けられた強烈な殺意のこもった鋭い眼光、奇しくも距離は最初と同じ約五メートル。ガルドのオーラはこれまでで最も力強く溢れ出し、これが全身全霊の一撃である事を物語っていた。
ソウタは表情も姿勢も変える事なく、いつもの無愛想な澄まし顔で合図を送った。
「……どうぞ」
ソウタの合図の直後、ガルドの足元の石畳にピシッと亀裂が入るのと同時に、雷轟のようなガルドの一撃が空気を震わせ森の静寂を切り裂いた。
――どっしゃああああああぁぁぁぁッ!?
円形の広場には激しく砂埃が舞い、ほぼ中央に位置していた二人の影は広場の外周近くまで移動していた。ガルドの攻撃は単純な突き、真っ直ぐに剣を突き出し、一足飛びで全体重を乗せた全身全霊の刺突突進攻撃。その速さは瞬きの刹那すらなく、切っ先は残り数センチの所までソウタの胸元に迫り……そして、その刀身をソウタの両手に挟まれて止まっていた。
「やっぱりお強いですね」
「……嫌味か」
本心です、と告げるソウタにガルドは目を閉じ、肩を落としながら大きな溜め息で返した。
「最初の場所からなるべく動かないように立ち回ろうと思っていたのですが、ここまで押し出されてしまいました」
剣を離しながらソウタは口元を緩めてガルドへと話しかけていた。そんなソウタの無自覚な煽りをガルドは面白くないと言った表情で睨みつけるものの、先程までの敵意や荒々しさはどこかへと消え失せていた。
「(強い……この俺が足元にも及ばない程に……。何なんだ……こいつは……)」
「ガルドさんでしょう? 中級を倒したのは」
「……中級?」
大きい白団子です、とソウタは袖から一枚依代を取り出すとぽいっと放り投げ、中級人形を出してみせた。
「並の人ではこの中級は倒せません、あなたぐらい強い人が相手ならば倒されたのも納得できます」
見せる為だけに出した中級をすぐさま袖にしまい直すと、ガルドは忌々しいと言った表情で答えた。
「……確かにそいつは強かった。おかげでこっちは怪我人だらけだ」
「……改めてお詫びします。もしお許し頂けるのなら、治療に多少の貢献ができると思うのですが」
ソウタの真っ直ぐで素直な瞳を見て、ガルドは再びため息をこぼしながら剣を鞘へと収めた。
「……先に頼みとやらを言え、聞くだけ聞いてやる」
ソウタは感謝を述べると、捕らえられている隊員と取られた荷物の返還、そして長との今一度の会談を希望する事を伝えた。
ガルドはしばし沈黙した後、ソウタに質問攻撃を浴びせてきた。
「その前に教えろ。お前は一体何なんだ、ガキのくせに何故そんなに強い? そのでかい白団子はいくらでも出てくるのか?」
ソウタはブリスコラ博士を思い出し笑みをこぼすと、人形の能力や最高戦力群の話など、ガルドの質問に丁寧に答えていった。
「……二百……お前より強いやつまでいるのか……」
「単純な身体能力だけなら、そこにいるウシオの方がボクより強いです」
ガルドは優しく微笑むウシオをうんざりするような目で見ると、頭を押さえ首を振りながらため息を振りまいた。
「……頭が痛くなってきた」
ソウタ達がそんなやり取りをしていると、無口な弓の人と一緒に数人の男性達が広場に駆け込んできた。ガルドは男性達の元へ歩み寄ると何やら話し込んだ後指示を飛ばして男性達を追い払っていた。
「あいつらに牢の連中を連れてくるように言った。お前らの荷物の保管場所まで案内してやる、ついてこい」
「ありがとうございます、ガルドさん」
「……さんはやめろ、鬱陶しい」
気恥ずかしそうにため息をこぼすガルドのすぐ後ろについて、ソウタ達は調査隊の荷物を目指し、未だ砂埃舞い踊る石の広場をあとにするのだった。
「お前ら何してんだ……?」
取り上げられていた調査隊の荷物はコンテナと集落から同じくらいの距離にある森の中の小さな遺跡の中にまとめられていた。またもや乳白色の石造りの小屋だが屋根は崩れ落ちており、木と葉っぱで作られた代わりの屋根で蓋がされている。そこには見張りと思われる森番の二人がいるのだが、やや離れた根の影に隠れ小屋の方をこっそりと窺っていた。見張り二人の奇行にソウタ達を案内してきたガルドが怪訝な視線を向けている。
「ガルド! 危ない! 祟られるぞ!」
「死者の怨念だ! 俺達を祟りに来たんだ!」
見張りの言い分はこうである。見張りをしていたら突然小屋の中から奇妙な音が聞こえてきた。何の音かと確認しに中へ入ってみたものの何もなく、荷物の中から延々とわけのわからない不気味な音がし続けるので死んだ連中の祟りだと思っている……という事らしい。
「すいません、多分ボク達の仲間の声です……」
ソウタが事情を説明して見張り二人にお説教しているガルドをよそに荷物を確認させてもらうと、やはり聞こえてきたのはコンテナで待つ彼女の声であった。
「――ふたー……三人とも無事!? よかったー、中々音沙汰ないしさっきすごい音聞こえたし、心配したんだからー」
「ご心配をおかけしました、我々も生き残っていた調査隊員六人も、共に無事です」
レベッカにここまでのやり取りとこれからの予定を伝えると、レベッカは若干の間はあったもののいつもの軽妙な口調で快諾してくれた。
「――……ん、わかった。どの道バッテリーなきゃ何の役にも立たんし、あたしはあたしに出来る事を頑張っちゃう!」
「ありがとうございます、残っている荷物ですが、使えるかどうかボクでは判断できないので一度そちらに全部持っていきます」
「――あたし的には追加のバッテリーとかあったら嬉しいけど、どんなのがあるの?」
「殆どはぼろぼろになった機材や彼らの着ていた服などですね、食料の類いはなさそうです……と、これは……」
ソウタが乱雑に積まれた物資をあらためているとその中に、亡くなった隊員達のものと思われる遺留品も含まれていた。
「……そいつは牢の連中がどうしても残してくれって喧しく泣き喚くから、せめてもの情けだ」
小屋の入り口にはいつの間にかガルドが立ち、遺留品の事を教えてくれた。
「亡くなった隊員達の亡骸は……今どこに?」
「悪いがもう土の中だ、掘り起こすなんて言うなよ」
「言いません。連れて帰れるものが残っているだけありがたいです、ありがとうございます」
ソウタは遺留品をまとめて布で包みまだ使えそうな箱に丁寧にしまうと、複数の下級に荷物をもたせコンテナへと運ぶように指示を出した。ソウタ達が小屋を出ると丁度牢から出して貰えた隊員達が森番の男性らに連れられて合流を果たした。寝たきりだった二人は流石にまだ歩けないようで、比較的元気を取り戻した他の二人に背負われていた。
「こんなすぐに開放して貰えるとは、お二人共、流石です!」
「それはいいから、あなた方は先にコンテナまで戻っていて下さい。そこの人形についていけば着きます」
そう言ったソウタの視線の先には遺跡の小屋から荷物を頭の上に乗せ、かる鴨のように列をなしてコンテナに向かう下級の姿があった。
「お二方は?」
「ボク達はもう一度長のお爺さんとお話をさせて頂こうと思います。ガルドさん、お願いできますか?」
ソウタがガルドに視線を向け問いかけると思いがけない返事が帰ってきた。
「それなんだが、もうすぐ日が暮れる。爺はすぐ寝ちまって朝まで起きねえ、会って話せんのは明日になってからだ」
「日が暮れる……一応ちゃんとした夜はあるんですね、この空でも」
「当たり前だ、あの木と昼夜の有無は関係ねえ」
茂った森の枝葉に遮られ、見上げたソウタの目に空は映らなかった。
「わかりました。では明日で構いません、よろしくお願いします」
「準備ができたら俺が迎えに行く、それまで大人しく待っとけ」
ソウタは頷いてみせると、解放された隊員達を引き連れレベッカの待つコンテナへと一時帰還の途についた。
ソウタ達がコンテナに到着する頃、辺りは段々と薄暗く、ゆっくりと夜の帳が降りてきていた。樹上の見張りは相変わらず付けられているようであったがソウタは気にしない事にした。
隊員達は何ヶ月ぶりかのレベッカとの再会に喜びの涙を流し泣き崩れていた。ひとしきり泣きはらした隊員達は自分達の荷物をあらため、亡くなった仲間達の遺留品を見つけては今度は悲しみに涙した。
「そんなに泣いてたら水足りなくなりますよ、使える機材や物資と使えないもの分けておいて下さい。それと火は使わないように」
ソウタがいつもの無愛想な澄まし顔で泣きっぱなしの隊員達に呆れているとレベッカが良い物があると教えてくれた。
「――第一次二次の時には開発が間に合わなかったんだけどー、三次の直前に完成したすっごい物があるんよー」
じゃじゃーん! とコンテナ付属のアームを使い見せてきたものは何やら錠剤の包装シートのような見た目をしていた。
「薬……ですか?」
ソウタが見たまんまの感想で問いかけると、レベッカはものすごい得意げに説明してくれた。
「――ノンノン、見た目は確かに薬っぽいんだけどー、何とこんな見た目で……お水なのでーす! いえーい拍手ー!」
やたらテンションの高いレベッカを放置してソウタは包装シートの中身を確認していた。
「水みたいに透明ではありますけど……誰が見ても錠剤か消臭剤ですよ?」
「――それ一粒で二百ミリリットル、約コップ一杯分の水になるんよー、口の中で潰すと溢れて大惨事だから器に入れてやってみー」
レベッカに言われた通りに器を用意し、透明な錠剤を一粒入れて潰してみる……すると本当にコップ一杯分の水が溢れ出てきた。
「――フハハハハハハッ! これがアークエイドの誇る異能研究の成果であーる!」
「これ……異能で水を圧縮しているんですか? 保存食や食品圧縮は少し聞いて知ってましたけど、水は知りませんでした」
そーゆーことー、と得意げなレベッカのアークエイド技術お披露目ショーが終わると、隊員達はきれいな水が飲めるとまた泣いていた。
「……水の心配は大丈夫そうですね。彼らも病み上がりですし、食事を済ませて今日は早く休みましょうか」
呆れながらもソウタがコンテナから持ってきた食料物資を皆に配ると、ソウタ、ウシオ、レベッカを除いたその場の全員に戦慄が走った。
「「「「「「「こっ……れ、は……ッ」」」」」」」
――アークエイドでは異能だけに留まらず、日々様々な分野の研究が行われている。先の錠剤型水カプセルもその一つであり、混迷極める社会情勢の事もあってか特に食べ物に関する研究はアークエイドが異能の次に力を注いでいる分野である。そんな中でアークエイドの誇る優秀な研究者達の絶え間ぬ努力によって生み出されたある食べ物があった。それは一遍二センチの正方形、厚さ五ミリと言う小ささでありながらたった一つで一日に必要な栄養とエネルギー両方を補えるという画期的なものであった。それは異能によって小さく圧縮されたフリーズドライ食品であり、水に落とす事で嵩を増し十分な食べごたえすら与えてくれる、夢のような発明であった。そんな夢のような発明品でありながら、ただ一つ、たった一つの致命的な欠陥によって、未だ普及する事なくアークエイドの倉庫の奥深くで眠るばかりであった。長々と申し訳ない、もうお気づきであろう。つまり一言でいうと……げろまずい。
「倉庫の奥で大量に余っていると伺ったので、積み込む食料物資は全部これにしました。この人数で六ヶ月消費しても余ります」
実に優秀な携帯糧食です、とソウタとウシオは隊員達の青ざめた表情などお構いなしにささっと食事を済ませてしまった。かたや隊員達も贅沢は言っていられない、と覚悟を決め一気にかき込むと戻ってこないよう口を抑えながら必死に耐え……一分としないうちに気を失うように眠りについていた。
「――あー……これもしかしてだけどさ、トドメさしてない……?」
「彼らには一日でも早く体調を整え任務に励んで貰わないといけません、その為には栄養とエネルギーは必要不可欠。この上ない最適解です」
アーメン、とレベッカがコンテナのアームで十字を切っていると、ウシオが上を見上げながらぽつりと呟いた。
「星、きれいですよ」
つられて上空を見上げ、まるでまだ地球にいるような錯覚を覚えるとソウタもまた、ぽつりと呟いた。
「まだこちらに来てから数時間しか経っていないのか……」
「――大体二時間ちょいってとこかなー」
「そう言えばソウタ、ホサキさんからお預かりした時計は?」
あ……、とすっかり存在を忘れていた古びた懐中時計を懐から取り出してみる。
「……よかった、動いてるみたい」
問題なく時を刻む音に安堵し、ソウタはホサキから教えられた通りにゼンマイを巻いていく。
「一日の長さも計らないといけませんね」
「うん、日の出の時間を見ておかないと」
ソウタが時を刻む秒針を眺めていると、感傷的になったのかレベッカが寂しげな声で問いかけてきた。
「――……朝になって長のおじーちゃん? と交渉して、うまくいったらあたしらはここに残って任務だよね……ソウタン達はどーするん?」
「交渉がうまく進んで予定通り事を運べたら、ボク達は島の外へと探索範囲を広げてみるつもりです」
外? と老人との会話内容を知らないレベッカがその意味を聞いてきた。
「ここは島らしいので、その外側という事です。他にも人の集落があればいいですけど」
「――んー……新しく人見つける度に毎回警戒されてーみたいな事になったら大変じゃない?」
「……確かにそうですね。警戒させない……あるいはすぐ警戒を解けるような対策も考えないと……」
服装とか? とレベッカが言うとソウタとウシオはお互いの服装を見合わせ、やや困った顔を見せた。
「……いつ何があるかわからないこの世界でこの服を変えたくはないですが……秘書のスーツはそのうち変えます」
「私もこのエプロンドレスは譲れません!」
「――フフ、ウッシーのこだわりだもんねー」
レベッカとウシオが仲良く女子トークを始める一方で、ソウタは一枚の依代を手に取ると一人思索に沈んでいく。
「(警戒させない……場合によっては人形を使えない状況も想定しなければいけないか……)」
能力者の身体能力は高い。最高戦力群に名を連ねる者ともなれば当然計り知れない力がある。ガルドとの戦闘を見ても分かる通りソウタも例外ではないものの、これまで人形を使わないという発想自体がなかったソウタにとってそれはある意味未知の領域とも言えるものだった。
「(並の相手なら体術だけでもいい……けどもし格上との状況で人形が使えなかったら……。人形に頼らない、ボクにできる事)」
そんな事を考えていたソウタの頭には、ある男の言葉が想起されていた。いつも自分を睨みつけてくるあの、金髪の男の言葉である。
――俺達は世界中から集められた選りすぐりの精鋭部隊! アークエイドの誇る最高戦力群!
――何があろうと対処できる奴が向こうに行って、戻ってこれねえ理由をどうにかすりゃいい!
「(何があろうと、対処できる強さ)」
ソウタは直属部隊の中で自分が最も弱い事を自覚していた。この任務は最高戦力群としての格を問うもの……そう受け止めたソウタは再び星空を見上げ、決意を新たにすると静かに目を閉じ翌朝へと備えるのだった。
翌朝、ガルドの迎えは想像以上に早い空が僅かに白み始めた頃に来た。かすかな足音と気配でソウタとウシオはすぐに立ち上がったが他の隊員達は未だ夢の中にいた。ソウタは懐から懐中時計を取り出しウシオと一緒に時間を確認した後、ガルドに朝の挨拶を送った。
「おはようございます、ガルドさん」
「ガルドでいい……早すぎたか」
「構いません、時間の惜しい我々には好都合です」
来い、と短く言い放つとガルドは踵を返し再び未だ暗い森の中へと消えていった。すぐさまソウタとウシオはレベッカに後を託しガルドの後を追って森へと入っていった。
森に入ってしばらく歩き、早朝の暗闇に目が慣れてきた頃、ソウタは森のある事に気が付きガルドへと尋ねた。
「ガルドさ……ガルド、この森少し明るくありませんか?」
ソウタの言う通り、未だ日の上りきっていない早朝の鬱蒼とした森の中にも関わらず、何故か視界は良好だった。暗いと言えば暗い、だが真っ暗闇にも程遠い。星の光かとも考えたが枝葉に遮られ星の光は見当たらなかった。
「苔の中に光るものがある、理由は俺も知らん」
地球にも光る苔(※発光してはいない)は存在するものの、早朝の暗い森でも遠くまで見通しの効く幻想的な光景に少しばかり見惚れるソウタとウシオであった。
やがて前日に訪れた集落へと到着し明るさを増した空の下道場風の建物へ入ると、長の老人と他の森人達が各々武器を携え昨日と同じ険しい表情で待ち構えていた。彼らのオーラには未だ敵意が滲み出ている。
「ソウタ……だったか、悪いが他の連中はまだ納得してない。説得はお前が自分でしろ」
「わかりました、ありがとうございます」
穏やかな笑みを浮かべてガルドに一礼すると、ソウタは老人の正面に、ウシオはソウタのやや右後ろに腰を下ろした。
「朝早くから会談の場を設けて頂きありがとうございます。重ねて、ご迷惑をお掛けし申し訳ありません」
良い姿勢でソウタが一礼すると、周りの森人からやじが飛んできた。
「ガルドに勝ったなんぞ信じられん! 汚い手でも使ったんだろう!」
「それは俺に汚い手に引っかかって負けて日和った、と言ってんのか?」
後方から様子を窺っていたガルドが野次を飛ばした森人を鋭く睨むと、周りを取り囲んでいる森人一様に口をつぐんで一歩下がり、場が静まるとそれを待っていたかのように老人がソウタへと穏やかに語りかけた。
「さて、まずはガルドの事をお詫びせねばなりませんな。昔から儂の手にも余るやんちゃ小僧での、申し訳ない」
「お詫びの必要はありません。例え害意がなかったとしても、我々のせいで怪我人が出た事実に変わりはありません。もしお許し頂けるのであれば、怪我の治療の一助となりたいと考えています」
頭を下げようとする老人を静止しソウタが精一杯の誠意を伝えようとしていると、老人はちらりとガルドに視線を送った。
「……ほぼ衰弱しきっていた連中が驚くほど回復していた。何かあるんだろ」
ガルドの返答を聞き老人はふむ、と立派な顎髭をひとつなでると再び力強い視線をソウタに向け、それが本題か、と問いかけた。
「いえ、本題は他にあります」
ソウタも負けじと力強く老人を見据え、意を決して切り出した。
「ボクが帰還方法を見つけて戻ってくるまでの間、地下牢にいた彼らをここに滞在させては頂けないでしょうか」
ソウタの発言から一呼吸の間を置いて、周囲の森人から激しい怒号が飛び交った。
「ありえん! 我らを馬鹿にしているッ!」
「やはりこの聖域を狙っているのだ! 今すぐ八つ裂きにすべきだッ!?」
「ガルド! 気でも狂ったのか! こんな奴らを手引するとはッ!」
周りを取り囲む森人達が剣を抜き、弓を引き絞り、今にも飛びかかろうという激情渦巻く中、ソウタはピクリとも微動だにせず、瞬き一つせず真っ直ぐ老人の目を見つめ続けていた。
「……わからんのう、ガルドに勝ったという君ならばともかく、彼らを残して……儂らが彼らを殺すとは考えんのか?」
老人から殺意や敵意のオーラは出ていない。しかしその眼光は獰猛な獣のそれを思わせる圧と迫力があった。荒ぶる森人に囲まれながらもソウタはあえて淡々と言葉を紡いでいく。
「……何故、あなた方が彼らを殺さず地下牢に捕らえていたのかを考えていました。優しさや、まして殺せないわけではない、白団子との戦闘もあり怪我人も出ている事から十分敵と認識されていたはず。ガルドもボクを本気で殺すつもりでした。それでも殺さず、地下牢に囚えるに留めた」
周りの森人達の荒ぶった怒りのオーラは未だ静まってはいなかったが、場はしん、と張り詰めた静寂に満たされ、ソウタの次なる言葉を待っていた。
「初め星空から来たと伝えたガルドは、あなたへの報告に一度下がりました。侵入者をその場に置いて、あなたの指示を仰いだ。これはボクの勝手な推測に過ぎませんが、あなた方は――」
一瞬間をおいて勿体つけると、これまで殆ど変化の見られなかった老人のオーラのかすかな揺らぎを見つめて核心に迫った。
「誰かの訪れを待っているのではありませんか? 例えば――『神吏者』」
あれだけの激情に荒ぶっていた場の空気は風に吹き飛ばされたかのようにかき消え、老人のオーラが確かな動揺をソウタに告げていた。
「ふっ……はっはっはっはっはっは! 俺は何も教えていないぞ、そいつの洞察力の賜物だな!」
ガルドが高笑いをしてみせると、老人の髭を撫でる手は小刻みに震えながら徐々に上がっていき、今度は口を抑えながらソウタへと問いかけてきた。
「……それだけで辿り着けるものでもなかろうて……一体どうして……」
初めて狼狽えた様子を見せる老人に、ソウタはやや口元を緩め優しく手の内を明かしてみせた。
「ボクの目は生き物の持つ生命エネルギー、気の流れを捉える事が出来ます。感情の機微や嘘等もわかります、黙っていて申し訳ありませんでした」
ソウタが良い姿勢で謝罪を述べると、老人は細く長い溜め息を吐いて周りの森人達を座らせ、改めてソウタに真意を問うた。
「その事と、彼らをここに残していく事、どう繋がるのですかな?」
「帰還方法について、あなたが何かを知っている……この目の力でそれはわかりました。ですが……今それを聞いても意味はないのでしょう。無理に聞き出す事にも」
帰せるなら帰しているでしょうし、と付け加えソウタは姿勢を正し、老人の目を見て、交渉へと入った。
「なので、ボクが『神吏者』を探してきます。その間、彼らの滞在をお許し頂きたい」
その場にいた全員が驚愕に目を丸くしていた。あまりにもな提案に老人は丸まった背筋が伸び、後ろに倒れそうになりながら返事を返した。
「あの話はおとぎ話、本当にいるかどうかもわからんものを探すとおっしゃるのか……?」
老人の言い分も最もであったが、ソウタは今更です、と鼻で笑いながら笑顔で答えてみせた。
「あなた方が信じているのならそれで十分です。あるかどうかもわからない帰還方法を探すのですから、探しものが一つ増えた所で大した違いはありません」
それに、と付け加えるとソウタは表情を引き締め、真剣な眼差しで続けた。
「もし『神吏者』が本当にいるのなら、帰還方法も知っているかもしれない。最初の手掛かりとしては出来すぎなくらいです。うちの隊員達の扱いも、特別扱いして頂く必要はありません。お好きなようにこき使って下さい」
無理なら無理で構いません、如何でしょうか。とソウタは穏やかでいて真剣な表情で老人へと返答を求めた。震えて口を抑えていた手は再びゆるりと髭を撫でる手に戻り、老人は一分ほど目を閉じて熟考した後、スッとソウタの目を見て口を開いた。
「……我らの手の内はまだ明かせぬが……それでもよいのか?」
「もちろん構いません、連れて行くよりはずっと気が楽になります。お許しを頂く為の、こちらから提示できる交換条件です」
老人は溜め息と共に再び沈黙した。老人には伺いしれない葛藤があるようで、揺れ動くオーラがそれを如実に表していた。しばらくして意を決した老人の口が開かれる。
「……わかった。滞在を許そう……ただし」
ただしじゃ、と一つ間を置くと老人は俯きながらも視線鋭く、追加の条件を提示してきた。
「滞在を許すだけじゃ。常に見張りを付け、森を自由には歩かせん。住居はお主らの荷を置いていた崩れた小屋のみ。水も食糧も自分らでどうにかして貰う」
「コンテナ、我々の乗ってきた大きな金属の塊をその小屋の近くに置かせて頂く事はお許し頂けますか?」
決して森を傷つけぬのなら、という事を条件にソウタと老人の交渉は一応の成立を見た。ソウタも一息ふうと吐くとウシオと一緒に老人へ感謝の一礼をし、後方に立つガルドに向き直るとコンテナまでの付添を頼み、再び老人に一礼して帰路についた。建物を出ると後ろからがやがやと森人達の話し声が聞こえたものの、気にする事なく集落を後にした。
森を歩きながらソウタは結局老人からは返答を貰えなかった怪我人の治療についてガルドに聞いてみた。
「ガルド、結局怪我人の治療は必要ないんでしょうか?」
「俺達は自分達の事は自分達でする、人の手は借りない。これまでずっとそうしてきたと爺共からも聞いている」
だからこそ、とガルドは後ろを歩くソウタに顔を向け、感心した様子で賞賛の言葉をくれた。
「爺があの条件を飲んだのには驚いた。大したやつだ、お前は」
ソウタが素直に感謝を述べると、ガルドは歩く速度を落としてソウタに問いかけた。
「連中を殺さなかった事と俺が一回引いた事、本当にそれだけでわかったのか?」
そうですね……、とソウタはやや考え込むと記憶を振り返りながら質問の答えを探した。
「他にもあると言えばあります。例えば地下牢や広場、荷物のあった小屋はどれも同じ綺麗に切り出された乳白色の石材で造られていました」
……? それが何だ? とガルドは足を止めて振り返り、続きの説明を急かした。
「カルド達の集落にはその石材が見当たりませんでした。あなた方以外の存在を感じさせます」
後はお爺さんの反応ですね、と長の老人から違和感を感じ取った事を説明として続けた。
「初めて『かんりしゃ』の話をした時のお爺さんの気は、嘘をついた時に似た妙な反応をしていました。後は推測と勘で適当にカマをかけて」
「はっ! 見抜いたわけではなかったのか、いい度胸をしてる」
ガルドは呆れた様子で、再び歩き出した。ソウタとウシオもそれに続く。空はすっかりと朝を迎え、枝葉の隙間から星空のように光がこぼれ落ちる中、早朝の散歩にどこか心地よさを感じるソウタであった。
再びコンテナへと帰ってくると未だ死屍累々、もとい夢の中の隊員達を起こし事情を説明して昨日の小屋まで戻ると告げ急ぎ荷物をまとめさせた。コンテナは隠しておいた依代を使い人形で包み込むと、足の短い象のような姿となりのしのしと小屋を目指して自走を始めた。
「……お前の人形は何でもありだな」
ガルドに呆れられながら全員でのしのしと緩やかに朝のハイキングを楽しみ、何故か二日酔いのサラリーマンみたいにグロッキーな隊員達をよそにソウタ達は崩れた小屋まで無事辿り着いた。象、ではなくコンテナは日の当たる小屋の前に腰を下ろすとしゅるしゅると足を引っ込め、小さな紙切れの状態で再びコンテナの中へと隠れていった。
「ベッキー、この依代は置いていきます。ベッキーの指示に従うようにしておきますので有事に使って下さい」
「――……んー有事がない事を祈るよーありがとー」
ソウタはぐるりと、レベッカや隊員達を見回すと注目するように声をかけ、ここでの生活のルール等をガルドに確認を取りながら言って聞かせた。
「彼らの警戒心は一筋縄では解けないでしょう。焦らず時間をかけて、ゆっくり進めて下さい」
隊員達はやる気に満ちた目で力強く返事をしてみせた。ソウタ達が気兼ねなく旅立てるように。ソウタもその意思をオーラで汲み取り、出立前最後の言葉を送る。
「必ずと、お約束するべきなのかどうか迷います。この世界に何が待っているのか、我々は何も知りません。存在も定かではないものを探して、何もわからない場所へと進まなければならない。しかし我々は、ここにいる我々は、既にそれを経験しています。『ナニカ』へと飛び込む前に、我々は既に覚悟を決めている。だからあえて、お約束します。必ず見つけて戻ってくると……待っていて下さい」
ソウタが穏やかに微笑んで見せると、泣きっぱなしの隊員達も、そしてレベッカも、涙をのんでソウタ達を送り出した。
「六ヶ月と言わず、いつまででも待ち続けます……!」
「――たまには……連絡ちょうだいよね、バッテリーなくなったって待ってるから……ッ」
ソウタは一歩下がり深くお辞儀をすると、旅立ちの言葉でしめくくった。
「それでは、行ってきます」
皆に背を向け、ソウタはウシオと共にいつの間にか離れて見ていたガルドの元へ歩み寄る。
「随分あっさりだな、何も持たなくていいのか?」
「はい、問題ありません」
手ぶらのソウタに確認するとガルドは外まで案内してやる、とぶっきらぼうに前を歩き始めた。ソウタとウシオもあとに続く。皆の声援を背中にうけ、しっかりとした足取りで進むソウタの袖からは何やら白くて細くて長い、もちもちと柔らかそうな紐状の物体がレベッカ達のいる方へと続いており、皆がそれを視線で辿っていくと一番後ろで気配を消していた秘書の足に巻き付いていた。直後、ですよねー、と零れる涙で軌跡を描きながら軽々と宙を舞う秘書の悲痛な叫びが、青々と茂る鬱蒼とした森の爽やかな朝に彩りを加えていた。
ソウタの人形によって身じろぎ一つ取れないほどにぐるぐる巻きにされ、口も塞がれている涙目のみのむし秘書を引きずりながらソウタとウシオはガルドの後ろに着いて、森の外周を取り囲む山の麓を反時計回りに歩を進めていた。まだ日は昇ったばかりであり、周囲は爽やかな朝の空気に包まれている。まだそれほど長時間歩き続けているわけではなかったが連なる山に切れ目はなくどこから出るのか、とソウタはガルドへ尋ねてみた。
「もう少し行くと外に抜ける横穴がある、侵入を防ぐ為に中は整えられてはいないが……お前らなら問題ないだろ」
はい、と小さく頷くソウタへガルドは外の事を少しだけ教えてくれた。
「俺もあまり詳しくはないが、外に出たら『まじゅう』に気をつけろ」
「まじゅう……魔獣ですか?」
ガルドは横目でソウタを見ながら頷いてみせると、爺共から聞いた話だが、と前置きを置いて説明を続けた。
「この島にはいないが、外には野生の魔獣ってのがいるそうだ。中には化け物みたいなのもいると聞いた」
「魔獣……(魔が付けられて認識したという事はただの獣とは違うという事か……)」
ソウタは翻訳の法則に注目しながらガルドの言葉を噛み砕いていった。その時ふと、思い浮かんだ疑問をガルドへとぶつけてみた。
「ガルド、『龍』というものを知っていますか?」
りゅう……? とガルドはやや思案に黙ると、やがてはっきりとした答えを口にした。
「知らんな、爺共から聞いた記憶もない。生き物か?」
ソウタは人形を巧みに操ると、角と髭を持ち鱗で覆われた細長い体で空を駆ける厳かな龍をかたどり、説明しながらガルドに見せた。
「これが龍、って奴か……やはり知らんな。ウミヘビとは違うのか? お前らの世界にはこんなのがいるのか」
「いえ、我々の世界でもこれは空想上の生き物です。実在はしません」
龍をかたどった人形を袖にしまうとガルドは再び考え込み、呟くようにある事を話してくれた。
「羽もなしに飛ぶやつは知らんが、羽の生えたトカゲならよく見かけるな」
ソウタが興味を示すとガルドは更に詳しく空飛ぶトカゲの話を教えてくれた。
「漁で海に出る時、遠くの山の天辺あたりをうじゃうじゃ飛んでるのを見る。いつもいるから多分今日も見えるぞ」
「外に一つ楽しみができました。というか、漁に出るんですね?」
漁と畑が俺達の糧だ、とガルドはすぐにソウタの素朴な疑問に答えをくれた。
そうこうしていると横穴、……というよりほぼ亀裂のような隙間に到着した。人がやっと一人通れそうな狭い隙間を抜け横穴の中に入ると中は当然のように真っ暗で、入り口から差し込む僅かな光を頼りに目を凝らすと自然そのままの道なき道が続いていた。
「本当に全く整えられてませんね、ほぼ真っ暗で」
岩石は生き物ではない。しかし微弱ではあるものの大地や岩にもオーラはかすかに流れている。明るい場所ではほぼ見えないが暗闇の中であれば、ソウタの目はそのかすかな情報を捉える事が出来た。
慣れているのか明かりもない中をひょいひょいと一人難なく進んでいくガルドに置いていかれないよう、ソウタとウシオも軽々と自然の障害物を乗り越えていった。秘書は相変わらずソウタに引きずられあちこちぶつかっているが、体を縛る人形がクッションになるようで水風船のようによく弾んでいる。自然にできた横穴が真っ直ぐ外に繋がっているはずもなく、あっちへこっちへ上へ下へ、迷路のように進んでいくとようやく外の明かりが見えてきた。出口付近はやや開けたスペースがあり、奥の暗がりには何やらごちゃごちゃと積まれているのが見えた。
「いたぞ、空飛ぶトカゲ」
一足早く外を眺めていたガルドの側まで歩み寄り指で示す方を見ると、遥か遠く……あまりに遠すぎてもはや霞んで見える遠くの方に鋭く天を衝く山の陰があり、その頂上付近を旋回する点々とした影が見えた。
「……確かに何となく羽ばたいてるのが見えますけど……視力いいですね、ガルド」
目の良すぎるガルドにやや呆れたソウタは、気を取り直して景色を見渡してみた。
青い海、青い空、白い雲、水平線付近にかすかに見える緑と茶色の対岸。目の前は切り立った崖になっており、二十メートルほど下に海面がある。吹き抜ける潮風がもやもやとした不安を吹き飛ばし、ソウタの期待を大きく膨らませてくれた。
「中々いい眺めだろう、漁に出る者の特権だ」
景色に見とれていたソウタにガルドは誇らしげに語りかけてきた。ウシオもみのむし秘書も、気持ちよさそうに景色を楽しんでいる。
「海を見ていると心が洗われるようです、いい所ですね」
思う存分眺望を楽しむとソウタは気になっていた事をガルドに問いかけた。
「所でガルド、あそこに積まれているものはなんですか?」
ソウタが指差したのは洞窟を入ってすぐの開けたスペースに乱雑に積まれたガラクタの山だった。形の歪な木の板や丸太にボロ布、錆びた鉄くず等、結構な量がごちゃっと捨てられているように見える。
「あれは流れ着いたもんとか、近くを漂流してたもんとか色々だ」
そう言いながらガラクタのもとまで歩くガルドにソウタもついていった。
「使えそうなもんは集落まで運んだりするが、あとは大体ゴミだな」
「集落の木材はこういう所から集めたんですね……これも、流れ着いたゴミですか……?」
ガラクタの山を見ていたソウタが見つけ指差したのは白骨化した人間の遺体だった。
「言っとくが最初からその状態だったからな、俺達が殺したわけじゃねえ」
ソウタがガルドの弁解を聞いていると、ウシオがあるものを見つけ声をかけてきた。
「これ……鉄板かと思ったら、立派な剣ですね」
ウシオが見つめていたものはガラクタの隅っこで壁に立てかけてあった。大部分が他の木材に隠れ鉄板のように見える。
「あれもゴミなんですか? 使い道ありそうですけど」
「漂流してた小舟にこいつだけ乗ってた、ゴミだ。でかすぎて森の中じゃ使えない、木々を傷つける」
あと重すぎる、とガルドがここまで引き上げた際の苦労話を語り始めるとソウタはそれを聞き流しいくつかのガラクタを見つめながら何やら考え込んでいた。しばらくするとソウタはガルドの話を遮り、いくつか貰ってもよいかとガルドへ尋ねた。
五分ほどしてソウタ達が再び洞窟から出てくると、先に外で待っていたガルドが驚いた様子で口元をほころばせた。
「そういう事もできるんだな……準備は終わりか?」
「はい、短い間でしたがお世話になりました。長のお爺さんにも宜しくお伝え下さい。それと……差し出がましいですが彼らの事、よろしくお願いします」
ソウタは身を正して深く頭を下げ、ウシオと秘書もこれにならい深々とガルドへ頭を下げた。ガルドらと出会ってから未だ丸一日と経っておらず、決して良い関係を築けたとは言えなかったが、それでも拳を交えた相手として、ソウタはガルドへ一定の信頼を寄せていた。
「森でのルールは絶対だ、破れば誰であろうとただではおかない……が」
仏頂面で答えたガルドは腰に差した剣を抜きソウタの鼻先へと突きつけながら、こう続けた。
「どこぞでくたばってくれるなよ、必ず戻ってもう一度俺と勝負しろ。次は勝つ。……それまで多少は気にかけてやる」
ガルドの不器用な男気にソウタはしっかりと目を見て頷き、固く誓いを立てた。
聖域の番人に見送られながら、ソウタ達は大きな鳥人形に乗ると力強く異世界の大空へと飛び立った。島とガルド、そして星空を湛えた巨大樹を眺めながら徐々に島から遠ざかって行くと突然、ソウタ達の視界からそれらがフッっと音もなく一瞬で消え去った。外から見えない結界とでも言うのか、大陸と形容して差し支えない大きな島は巨大樹もろとも文字通り影も形もなくなってしまっていた。地球では考えられない事、その存在や事象全てが異世界というスケールを物語っている。
未知の存在、未知の現象、何も知らないこの世界で、いくつもの約束と誓いを果たす為、どこにあるかもわからぬ物を探し求め、白い翼はまだ見ぬ空を駆ける。不安と期待を胸に、ソウタ達の異世界の旅がこうして始まった――。
第二話、お読み頂きありがとうございます。橘月りんごです。
二話で早くも異世界へと入って参りました、第一部はこの異世界での冒険がメインとなります。
どんな世界が待っているのか、どんな出会いが待ち受けているのか、そんなドキドキワクワクとした気持ちを感じて頂けたら幸いです。
ソウタとウシオ、そして秘書の冒険を今後とも宜しくお願い申し上げます。