第十八話
累計500PVを超えました、ありがとうございます。
初めて手掛ける作品という事もあり出来の良し悪しなども知りたいので評価やご感想等頂けますと幸いです、よろしくお願い致します。
「炎虎を討ってきてもらいたい……外では、白の王と呼ばれていたかな」
地球への帰還方法を教える条件として、車椅子に乗った神吏者イリシオスが提示した内容にソウタは驚きの余り言葉が喉に詰まり声に出せずにいた。
「何故白の王を討伐する必要があるのですか?」
そのセリフはソウタの口ではなく、ソウタの代わりに左隣に座るウシオの口から少し強めの語気で放たれた。白の王は伝え聞いた情報や様々な状況証拠から炎熱を纏う魔獣である可能性がある事が分かっており、紙を依代として扱うソウタとの相性は最悪と言って過言ではなく、戦わなくて済むならそれに越した事はないとリーミン到着前に話していたばかりであった。
鋭く睨むような眼光を向けるウシオに対しイリシオスはまるで動じる様子もなく、無感情で虚ろな視線をウシオに向けながら口元に手を添え考え込むと視線をソウタに移しカサついた唇をゆっくりと開いた。
「……理由は三つある」
短くそう告げるとイリシオスは口元に添えていた手を下ろし車椅子を回転させて横を向いた。車椅子に乗っているイリシオスの肘と同じ高さの、壁から飛び出た何もないベンチのような作業台に手を伸ばし彼の華奢な指が触れた瞬間、壁に文字や数字の羅列された画面のようなものが浮かび上がった。ボタンのような構造が一切ない完全フラットな端末のようである。イリシオスは表示された画面を見上げながら淡々と理由の説明を始めた。
「一つは……今この国が抱える問題の解消に繋がるという事……すなわち行商の再開だ」
喋りながらイリシオスが再び端末に触れると現在のリーミンの人口と食料備蓄の割合、そこから導き出されるいつまで耐えられるのかのタイムリミットが表示され、イリシオスはその画面に目を向けながら低く濁った声でこう続けた。
「この国には長きに渡り匿ってもらった恩がある……問題の原因を取り払う事でそれを返したい」
言い終わると同時にまた端末に触れると表示されていた画面はすぐにプツリと消え見えなくなった。視線をソウタに戻すとイリシオスは即二つ目の理由へと移る。
「二つ目は……生みの親としての責任」
「生みの親……?」
その意味が飲み込めず眉をひそめ首を傾げるソウタへ、イリシオスは無感情な視線をピクリとも動かす事なく淡々と話を続けた。
「魔獣という存在……君等の星にもいないはずだ……体内に精霊結晶なんてものを作り出す獣が……自然発生すると思うかね」
意味の理解が進むに連れ徐々に大きく開かれていく変化に富んだソウタの瞳を、虚ろな目は微動だにしないまま真っ直ぐに映していた。
「魔獣とは……我々神吏者が意図して生み出したものだ」
これまでに遭遇してきた様々な魔獣達、見慣れた野犬のようなものから中には人智を超えるような強大なものもいた。それらが全て作られたものであるという衝撃的な事実に身震いを覚えながらも、ソウタの好奇心は追求せずにはいられなかった。
「一体……何の為に?」
「……世界のバランスを保つ為だ」
「バランス……?」
バランスを保つ為に魔獣を作る……全く理解の及ばない話に首を傾げるソウタを見つめていたイリシオスはまた口元に手を添えるとソウタから僅かに上に視線をずらした。
「……君は妖精を連れているようだが……精霊も見えるのか?」
イリシオスの視線はソウタの頭の上に座っていたスイカに向けられていた。急に注目されたスイカは驚いて飛び上がるとイリシオスの虚ろな視線から逃げるようにソウタの背中に隠れながら得体の知れない神吏者を恐る恐る覗き見ていた。
「いえ、常に見えているわけではありませんが……見ようと思えば一応……」
「……ふむ……先に精霊の話をしなければならないか……天星樹が光を帯びているのは……覚えているかね」
唐突な問い掛けにソウタがはい、と頷いて答えるとイリシオスはソウタの背後に隠れたスイカを見つめながら間断なく次の言葉を放った。
「天星樹の帯びる仄かな光……あれが精霊だ」
そう言うとイリシオスは再び端末を操作しデフォルメされた天星樹の画面を表示させた。
「精霊とは……天星樹から漏れ出る力の余波のようなもの……故に自我はなく、周囲の影響を吸収するような形で……性質を変化させる特性を持っている」
イリシオスの説明に合わせ画面上では天星樹から出てきた精霊が火や水に触れ色が変わる様子が映し出されていた。
「通常滅多に無い事だが……相反する性質を備えた精霊同士が触れ合い拮抗し、反発し続けた場合……そこに力の歪みが生じ、澱みと呼ばれる性質を備えてしまう事がある」
画面上の赤い精霊と青い精霊、二つの精霊がぶつかりせめぎ合う様子をしばらく見ているとやがてどちらの精霊も真っ黒に染まってしまった。
「この状態に陥った精霊は……触れた他の精霊を侵食し取り込みながら次第に大きさを増し……自然界や動植物、周囲に甚大な悪影響を及ぼす原因となる」
ソウタは画面の黒く染まった精霊を見つめながら災いの雨事件の時を思い起こしていた。澱みに侵された水の神の降らせた災いの雨、一時王都住民の十分の一を病床に伏すほどの猛威を奮った事件である。その後ソウタ達の手で水の神を澱みから解放し事なきを得たが、依然澱みに対する効果的な対処法は判明していない……危険極まりない存在である。
「天星樹が存在する限り、精霊は生まれ続ける……その一部は自然と天星樹へ還るが、生み出される精霊の方が多い……放っておけば世界は精霊で溢れ、澱みの発生が増えるのは必然」
黒く染まった精霊は次第に大きさを増していきブワァッと画面いっぱいを埋め尽くすとそこで黒い画面はプツリと消えた。
「そこで我々神吏者が取った選択は……『天星樹への還元を促進する』、というものだった」
プレゼンでもするようにスムーズに話を進めながらイリシオスが端末を操作すると、今度は最初のデフォルメされた天星樹がまた表示され少しカメラが引いて地面の下の根っこを画面に収めるように映し出した。
「天星樹の根は文字通り、血管のように星全体に張り巡らされている……大地へと還り、根から天星樹本体へと還る精霊を増やす事が出来れば……循環によって精霊の量は一定に保たれる」
説明の通り画面上ではまるでリサイクル運動のポスターのように天星樹から生まれた精霊がグルグルと根っこを通り丸い輪を描いていた。子供にもわかりやすいよく出来た解説動画を見ているようで、虚ろな目をした人物が作っているとはとても思えない出来である。ここまでで画面を使った説明は終わりのようでプツリと画面が消えるとイリシオスは再びソウタへ視線を向け更に話を続けた。
「我々は天星樹の樹液から作った結晶体が取り込んだ精霊を内に留める事に着目し……その生成構造を生物の体内に埋め込み……遺伝情報に馴染むまで何世代にも渡って交配を繰り返し続けた……そうして作り上げた人工の獣……それが魔獣だ」
衝撃的でありながらも非常に興味深い話であった。魔獣の話に始まり精霊や精霊結晶、澱みの話まで、任務の成果として十二分に足る大収穫と言って過言ではない。あとはこれを持ち帰るだけ……ソウタがテーブルの下で拳を握りしめる一方、イリシオスは車椅子を回転させソウタへ真っ直ぐ向き直ると、虚ろな瞳でソウタの目を見つめ濁った声を狭い部屋に響かせた。
「魔獣の引き起こす問題の責任の一端は我々神吏者にある……故に、後始末をしておきたいというのが二つ目の理由だ」
一つ目の理由は恩返し、二つ目の理由は責任、虚ろで無感情な様子とは対照的な真面目で誠実な理由に実は良い人なのか? とソウタの神吏者を見る目が少しずつ軟化していく中、イリシオスは滔々と三つ目の説明を始めた。
「そして……魔獣にはもう一つ役割がある」
「役割?」
ソウタが復唱するとイリシオスは途端に黙り答えを勿体つけた。その虚ろな瞳はソウタを見つめながら何かを考えているようだった。オーラも見えず感情も読めないイリシオスにソウタが首を傾げると、彼は初めて視線を下に逸らしながら口を開いた。
「人間種の、生活圏の抑制だ……元々は精霊のバランスを保つ目的で作られた魔獣だが……最終的にはこちらが主たる運用目的となった」
「生活圏の……抑制……」
ソウタはこれまでに見てきたいくつかの街を思い出す。天樹の加護に守られたエステリアという例外を除けば全ての街が防壁を備えている、魔獣という脅威から街を守る為である。農村、王都、港町に砦町、そしてリーミン……それらを繋ぐ砦すら防壁なしでは存在できない。魔獣という脅威が、人類の発展を確かに抑え込んでいた。
「この星と天星樹の安定維持に必要な要件とは何か……幾度となく計算を重ねた結果……繁殖力に優れる人間種の際限ない増殖が……星を食い潰す最大の要因となる、という結論に至った……君等の星はどうだ?」
そう言って再度向けられた虚ろな視線にソウタは思わずドキッとした。フラッシュフォールによって地球の総人口は半数ほどにまで激減したものの未だ五十億近い人口を残し、それ以前は百億に達しようかという人口増加を誇っていたと理事代表ホサキから聞いた事があった。人口の爆発的増加に起因する問題は食料、エネルギー、格差や社会不安、自然環境など多岐に渡り、特定の国家の枠に収まらない地球規模の大きな問題となっていたらしい。
「人、精霊、魔獣……循環と抑制によって世界のバランスを保ち、この星と天星樹を守る事……それこそが我々神吏者が神吏者たる所以であり、君等に炎虎討伐を頼む三つ目の理由だ」
そう力強く締めくくったイリシオスの虚ろな瞳からはこれまで見られなかった確固たる矜持のようなものが感じられた。
「大きくバランスを欠くほどに炎虎は強大になりすぎた……出来る事ならこの手で対処したい所だが……見て分かる通り、この身では不可能……炎虎の力は脅威だが……水龍を討ち滅ぼした君等なら可能かもしれない」
イリシオスの話を静かに聞いていたソウタはその瞬間ピクリ――と、彼の言葉に違和感を覚え胸の内で怪訝な目を向けた。
「(討ち滅ぼした……? 水龍……タツキの事で間違いないと思うけど……全てを見ていたわけではないのか?)」
ソウタ達が異星から来た事や第一次派遣調査の正確な時期、水の神と戦った事などこれまでソウタ達の事を監視していたかのような発言が多数見て取れたが、詳細までは把握されていないようである。
ここまでは神吏者イリシオス主導のもと静かに話を聞いてきた。しかしまだまだ聞きたい事は山ほどある、ここからはこちらのターンだとでも言わんばかりにソウタは質問攻めにするつもりで一転攻勢に出た。
「バランスを保ちたいのなら何故、神吏者はこの星を去ったのですか? 見限った、というわけでもないですよね」
エステリア教に記録の残る神吏者達が去る時に人類に向けて残したという言葉や、イリシオスが衛星と呼んだ落ちた星など……神吏者はこの星への干渉を放棄していない様子が窺える。残って直接管理し続けた方が遥かに楽だろうに魔獣なんてものを作ってまでこの星を離れたのは何故なのか……その理由をイリシオスはこう説明した。
「……当時から人は神吏者を神のように崇めていた……無理もないが……そんな存在が目の前に居て……人がその力に欲望を向けないと思うかね」
森羅万象を手中に収める神吏者と言う圧倒的、絶対的支配者に対する憧れ――大きな力に対するそれは地球においても、そしてどんな時代でも変わらないものである。なまじ神吏者が人の姿をしているだけ、人の持つその感情は時として嫉妬に変わり、やがては怒りや憎しみへと変わっていく……彼ら神吏者はその未来を予見したのだと、イリシオスは語った。
「神吏者と言う存在……それ自体がこの世界のバランスを欠くものと判断された……それだけの事だ」
この星と天星樹、その安定的なバランス維持の為に神吏者達は自分達ですらも必要のないものと判断しこの星を去る事を決めた。自らの存在意義と崇高な理念に徹底して準じる様は実に見事と言う他ない。しかし、しかしである……そんな立派な神吏者達の中に今、この地に残っている例外が虚ろな目をして目の前に座っていた。
「でしたら……あなたは? 神吏者であるあなたがここに残っているのは何故です?」
ソウタの問いにイリシオスはゆったりと気怠そうに、緩慢な動きで首から上を動かしフィのいる隣の部屋の方へ視線を向けるとどこか遠くを見つめながらぼんやりと語り始めた。
「……私は研究職に就いていた」
「他者との関わりが煩わしく……一人で研究に没頭する時間が多かった」
「出立の予定は聞いていたのだがね……あの時も私は研究に没頭する余り……時間を忘れていた」
「回廊閉鎖の警報音でようやく気が付いたのだが……気付いた時にはもう手遅れだった……放置され置いていかれたというわけだ」
突然シリアスな感じで絶え間なく語り終えたイリシオスの唇が閉じるとその虚ろな瞳は過去でも思い返しているのか、隣室の扉を無感情にじっと見つめていた。まるでどこかで聞いたような話に静かに耳を傾けていたソウタはふと目を細め瞳に憐憫の情を宿すと、遠い目をしたイリシオスにそっと声を掛けた。
「……嫌われていたんですか?」
「……ソウタ」
気遣うのかと思いきや……傷口に塩を塗るような言葉を掛けるソウタをたちまちウシオが諌めると、イリシオスは微塵も意に介する様子もなくゆっくりと扉からソウタへ視線を移した。
「……かも知れんな……今となってはどうでもいい事だが……」
急に重くなった空気を少し和ませようという配慮のつもりであったが余りの手応えの無さにソウタはウシオと顔を見合わせ小さく肩をすくめた。一つ咳払いを挟み気を取り直すとソウタはイリシオスへ次なる質問を投げ掛けた。
「神吏者はこの星を去る際、回廊を閉じて天星樹の機能を制限した、と仰っていましたよね……具体的には何をしたんですか?」
この問いにイリシオスは再び端末に手を伸ばすと素早くタタタタッと華奢な指を動かしこの星の丸い全体図を表示してみせた。勿論デフォルメされており大きな天星樹がきのこのようにピョコッと生えている。
「星をこれ以上複製しないようにした……星を生み出し続ければ……何れ天星樹の葉によってこの星は覆い尽くされてしまう……一体どこまで大きくなるのか……我々の力を以ってしても予測はつかない」
画面の中で星空を湛えた葉っぱが次々に増殖していくとやがて星全体を包み込み地表が見えなくなってしまった。光学迷彩のように背景の宇宙と同化してしまっている。
相変わらず画像を使ったイリシオスの説明はわかりやすく理屈としては理解できる、しかしそうなると一つ懸念が生まれる事をソウタは指摘した。
「でも……そんな事をすればそれこそ、天星樹自身のバランスが崩れてしまうのでは?」
この鋭い指摘にタンッと端末を叩き画面をプツリと消したイリシオスは視線をソウタに戻しながら淡々と答えを返した。
「我々とて完全ではなく、完璧とも程遠い……無論、言われるまでもなく対策はしてある……何かあった時の為に『守護者』と呼ばれる者達がいる……普段は保管機の中で眠っているが……世界のバランスが崩れれば彼らが目を覚まし、問題は滞りなく取り払われる」
守護者――また新たな言葉が飛び出すと何かに気付いたソウタはすぐに首を傾げどこか不満気な様子でイリシオスに尋ねた。
「そんな人達がいるなら、その人達に白の王の対処を任せる事はできないんですか?」
「無理だ」
やや食い気味の即答だった。濁った低い声でピシャリと断じられギョッとするも当然納得できるはずもなく、ソウタは負けじと更に尋ねた。
「何故」
「所在を知らん」
「…………」
とんでもない肩透かしを食らいソウタは呆れて絶句した。ソウタが項垂れため息を漏らしていても一切の配慮も遠慮もなく、イリシオスは改めて白の王打倒の嘆願を口にした。
「炎虎の脅威性を鑑みるに……他に頼める者もいない……引き受けてはもらえないだろうか」
白の王の討伐……イリシオスが炎虎と呼んでいる事から虎に近しい生き物であるという点には少なからず興味があった。十二支のうち式に加えていない残る一枠、寅。辰として加わった水の神タツキと並び立つ力を持つ者として、白の王は正直申し分ない。しかし命あるものを式に加える為には互いに心を開き魂を繋ぐ事が条件となる。積年の孤独の寂しさから寄り添い生きる人間を羨んだ水の神の時とは違う、まだ見ぬ白の王相手にそれが可能か否かは……懸念の残る所であった。
水の神の時はそこまで躊躇わなかったじゃないか、と突っ込まれるかもしれないがあの時とは事情が異なる。お世話になっている身近な人の明確な危機、異世界に期待した龍との邂逅、そして日に日に激しさを増す降り続く災いの雨……放っておけば国が一つ滅びかねない緊急事態ゆえにソウタは神とすら呼ばれる未知の魔獣へと立ち向かっていった。
しかし今回の白の王は半島に住み着いたというだけで正直実害は出ていない。脅威性の高さから数万人が避難するという大事になっているが、それも敢えて刺激するような事をしなければそう遠くない内に騒ぎは静まり行商も近々再開されるだろう。そうなるとソウタ達にとっての利点は神吏者の頼みを聞くか否か、というだけの話になってくる。帰る手段を教える条件として提示されたものだが、そもそも回廊の再起動はイリシオス自身にとっても目的であり、その為に来訪者が訪れるのを待っていたと語ったのは他ならぬ彼自身である。
水の神と違い相性的にも具合の悪い炎熱の魔獣、白の王にリスクを負ってまで挑む価値が果たしてあるのか……俯き目を伏せため息を零しながら、ソウタが逡巡し決心の付かぬまま思い悩んでいたその時……イリシオスの背後から小さくリユイの声が聞こえソウタはふと顔を上げた。
「……音声を切り忘れていたか」
イリシオスもその声に気付いたようでクルリと車椅子を回転させ端末を叩くと表示された画面には天之宮にいるリユイ達が映し出された。だがその画面を見るやいなや、ソウタは驚愕に大きく目を見開き跳ねるように立ち上がった。画面の中のリユイとお付きの二人は天之宮の南端に追い詰められ、大勢の兵士達に取り囲まれながら玉座の傍らに佇む王母と相対している最中であった。
花と彩の国リーミンを治める当主、王母の住まうこの国で最も高く貴き場所――天之宮。山肌を削り建てられた絢爛豪華な御殿の中では現在、大勢の槍兵に取り囲まれ逃げ道を封じられたリユイとお付きの二人が玉座へと続く階段の上に悠々と佇む女性、王母と相対していた。王母の顔にははっきりと怒りの色が浮かんでおり、壁のない天之宮を満たす冷たい空気はいつにも増して重苦しく張り詰めているのだった。
冷えた空気が肌を刺すような緊張状態の中、玉座の裏に掛かる布の隙間から現れた侍従が畏まって王母に何かを耳打ちすると立ち所に王母の眉間にシワが寄った。真一文字に結ばれた紅い唇が重苦しく開かれていく。
「客人が見当たらないようね……どこに行ったのかしら、ねぇ……リユイ?」
王母のその言葉を画面越しに聞いていたソウタはハッとしてすぐさま片目を袖で隠し借宿に置いてきた身代わり人形の視点へと意識を向けた。借宿には既に兵の手が及んでおり寝床にも踏み込まれ身代わりの人形達が見つかってしまった後だった。自分達の不在がバレ手引きを疑われたリユイが今まさに窮地に立たされているという緊迫の状況下で、ソウタ達と共に画面を見ていたイリシオスは口元に手を添え平然と他人事のように呟いた。
「……ふむ……やはり王母は承知しなかったか……」
その意味深な呟きにソウタはすぐさま反応を示しイリシオスを問いただす。
「承知しなかったって……どういう事ですか?」
イリシオスは画面からソウタへゆっくり視線を移すと無感情な顔のまま不思議そうに首を傾げた。
「……聞いていないのか? リユイに君等をここへ連れてきて欲しいと頼んだのは私だが……私と君等を引き合わせれば私はここを去る事になるだろう、と……そう伝えていた」
イリシオスの話を聞いてようやく、ソウタはリユイの狙いの一端を少しだけ理解した。いまだ全体像は把握できていないが抜け落ちていたピースが一つ、パチリとハマった瞬間だった。リユイはソウタと神吏者を引き合わせる事で神吏者をこのリーミンから立ち去らせようと考えた。しかし王母はそれを認めなかった、故に造反の罪を犯してまでソウタ達を神吏者の元まで手引した。未だその奥にある目的はわからないがここまでは辻褄が合う。
目を伏せ考え込むソウタを見つめていたイリシオスは傾げていた頭を起こすと、リユイ達の映る画面を見上げ更にこう続けた。
「私の言葉は全て王母にも報告される……どうするかの選択はリユイに一任したが……彼女はこちらを選んだようだ」
こちら、と言いながら向けられたイリシオスの虚ろな視線に目で応えたソウタは神妙な面持ちで王母からの追求が続く天之宮の映像へと視線を移した。
「答えなさい、リユイ。客人はどこへ行ったの? 今すぐここへ連れてきなさい」
度重なる追求に対しリユイは何も言わずひたすら沈黙を守るばかりで、落ち着いた口調を維持している王母であったが怒り心頭なのは火を見るより明らかだった。
そんな王母の険しい表情を画面越しにじっと見つめながらソウタは考えていた。何故リユイは罪に手を染めてまで神吏者を立ち去らせたいのか、それを認めない王母が固執している理由とはなんなのか――。
まず前者のリユイについて、最初にパッと思い浮かんだのはリユイがとても魅力的な女性である、という事だった。つまり……リユイはこの神吏者イリシオスから良からぬ要求をされていたのではないか、というゲスな勘ぐりである。耐えられなくなったリユイが強行策を取った……というシナリオであるが、イリシオスを見つめながらソウタはこの可能性を無いな……と即座に排除した。オーラが見えない上に無愛想な為腹の底では何を考えているのか知る由もないが、少なくともこれまでに見られた印象とは遠くかけ離れていると感じた。更には彼の下半身は風化した砂岩のように脆く崩れており、失礼ながら到底使い物にはならないだろう……と言う考えである。
神吏者の性欲についてはさておき……まだピースの揃っていない気がするリユイの事を一旦置いて、ソウタは次に王母の方へと視点を移して考えてみた。一国を治める地位にある者から見た神吏者とは何か。エステリア教会に残る神吏者にまつわるかつての伝承を王母が知っているかは定かではないが、客観的に見ればよくわからない技術を持ったすごい人物である……身体半分ないのに生きてるし。この世界の人が初めてこの構造物の中に足を踏み入れたとしたらどれほど驚くことだろうか。この技術がもし手に入るとすればそれはとてつもなく魅力的な話であろう、一国の主からすれば喉から手が出てもおかしくないほど欲しいと願うはず……ここでふと、ソウタはここまでに聞いてきた話を思い出しとある可能性について……イリシオスへと問いただした。
「……あの、匿ってもらった恩があると仰っていましたが……これまでにもその恩を返した事がありますか?」
イリシオスはソウタを見て首を傾げながら少しキョトンと間を置くと考える素振りもなくサラリと即答した。
「勿論だ……相談に対して知恵を授けると言う形でね……些末なものだが……恩に報いるのは当然だろう」
目の前に神吏者がいれば人は欲望を向ける……イリシオスの言った言葉である。これで王母の神吏者に対する固執については合点がいった。連日街中を歩き回り見てきた数々の高度な技術や知識は神吏者からもたらされたものと言う事である。こんにちにおけるリーミンの繁栄は神吏者の知恵あってのもの、そうとなれば当然神吏者が立ち去るなどという事を王母が認めるはずがない。考えるまでもなく、阻止するに決まっている……にも関わらず、リユイは国を第一に考えているであろう王母に逆らい、罪を犯してまで手引きの計画を実行に移した。この国の姫という立場にありながら、国の利点となる神吏者をそれでも追い出そうとした。
――あてにはあての考えがある、それだけの事や……そう言って笑みを浮かべたリユイの顔を、ソウタは思い出していた。
「……白の王の件、返事は少し待ってもらえますか?」
ソウタの唐突な申し出にイリシオスは虚ろな瞳でソウタを見つめながら一見呑気にも見えるようなゆったりした様子で淡々と問い返した。
「……構わないが……行くのか? 今君等がここから出ていけば……黙秘しているリユイの造反が確定してしまうと思うが」
天之宮では今の所客人は所在不明という事で状況は止まっている、玉座の裏に隠されたここから出ていけば……と言う指摘は至極ごもっともである。王母から追求を受けている真っ只中に渦中のソウタ達が顔を出そうものならリユイの立場を更に悪くさせるのは目に見えている。しかしそれでも、ソウタは変わらぬ決意を瞳に宿し力強く意思を示した。
「不在がバレている以上、どの道時間の問題でしょう。ボク達をここへ連れてきた事にリユイさんなりの何らかの狙いがあったのだとしても、ボク達の目的に協力してくれた事に変わりはありません。リユイさんにリユイさんの考えがあるように、ボクにもボクの考えがある……放ってはおけません」
「……引き止める理由はない……好きにしたまえ」
無感情に告げるイリシオスの了承を得てソウタは短く頭を下げ感謝を伝えるとウシオと顔を見合わせ互いに頷いた。
ソウタ達がイリシオスの部屋を勢い良く飛び出すと透明な円柱のエレベーターは既に光を帯び扉を開いて待っていた。急いで駆け込むとエレベーターはすぐに扉を閉じ音もなく上昇を始める。ふと、後ろを振り返りソウタが部屋の方を見ると……明かりの漏れ出すイリシオスの部屋から緑髪の少女が首から上だけを覗かせ、見開かれた無感情な瞳でこちらをじっ……と見つめているのだった。
ソウタ達が天之宮へ着くまでの間、リユイは何とか説得を試みようと必死に実の母でもある王母に声を大にして呼び掛けていた。しかし――
「母上! どうかお願いです、話を聞いて下さい! これにはわけが……ッ」
「お黙りなさい! 一体何を聞けと言うんです。言い訳ですか? 妄言ですか? あなたが前にしているのは一国を背負う王母です。我が子だからと罪を見逃すようでは民に示しが付きません……大人しく観念なさい」
「っ…………」
天之宮の高い天井に反響するほどの訴えも虚しく、リユイの声に王母はまるで耳を貸そうとはしなかった。実の娘の反逆と言う事も影響してか王母の怒りは全く収まらず、落とし所の見えない親子の確執は時を経る毎により一層溝を深めるばかりであった。
冷たい空気が重く圧し掛かり息の詰まるような雰囲気が場を満たしていた……そんな時であった。奥の院へと続く回廊の方から段々と数人の足音がギイギイ音を立てて近付いてくると、侍従を二人引き連れた初老の男性が姿を現した。とても優しそうな穏やかな表情の、翁という表現がよく似合うその男性は天之宮の物々しい雰囲気にも飲まれること無く泰然と玉座の間を見渡すと王母を見上げながら白い髭を蓄えた口をゆっくりと開いた。
「……随分と騒がしいと思い見に来てみれば……何事かね、これは」
「あなた……」
「父上……あの……っ」
王母の配偶者でありリユイの父親、王配であるその男性は余裕のない顔のリユイに手をかざし良い良い……と優しい笑みを向け言葉を遮るとその場の全員の顔を順番に見つめ始めた。兵士達から姫のお付き二人、最後にリユイと王母の顔をじっと見つめると王配はふむ……と頷きもう一度王母を見上げながら穏やかな表情で優しく語りかけた。
「話ぐらいは聞いてあげなさい……私達の娘だ、余程の考えがあっての事だろう」
王母は王配の説得に目を細め不満気な表情を見せるも直後、大きく吸い込んだ冷たい空気で頭を冷やすと目を閉じ内なるモヤモヤを盛大なため息と一緒に吐き出した。
「……いいでしょう。ただし、つまらない話であれば容赦はしません……覚悟なさい」
王配の説得により王母はようやくリユイの話に耳を貸す気になってくれた。依然王母の眼光は鋭いままだが、切っ掛けを作ってくれた父親にリユイは深く頭を下げ感謝を示した。首の皮一枚繋がった、とは言え本番はここからである。ここで王母を説得できなければ元も子もない、罪人として裁かれる未来が待っているだけである。命を賭して自分についてきてくれたシャオユとシャオズの為にも、そしてこれからのリーミンの為にも、リユイは決意と覚悟を胸に王母を見つめ、負けられない戦いへと一歩を踏み出した。
「まず初めに、母上の意に背いた事……心から申し訳なく思っております……申し訳ございません」
リユイはこの説得の機会を謝罪から始めた、悪意を以っての事ではないと示す為に。深く頭を下げると左右に侍るお付き二人も揃って頭を下げる……が、王母には当然のように何も響いておらず、この謝罪に反応を示す事はなかった。ゆっくりと頭を上げるとリユイは深呼吸をして心を落ち着け、王母を真っ直ぐに見据えいよいよ本題へと入る。
「此度の食糧難を受けて……わかったのです。御君はこの国に多くの知恵を授けて下さいましたが、決して……我々を導いてくれている訳ではないのだと……」
王母はリユイと視線を交わしながら少し目を細め反応を見せた。リユイは自身の抱いた不安と懸念、そして王族の在り方に対する疑念を、精一杯の言葉で王母に訴え掛けた――。
リーミンは神吏者イリシオスの知恵を授かる事で大きく発展を遂げた。高度な技術や知識を用い、工業や産業分野で他の追随を許さない圧倒的なアドバンテージを獲得し商いによって確固たる地位を築いてきた。リーミンの染料や染め物、精緻で雅な工芸品は世界中で高級品として取り扱われ、リーミンの王族は文字通り掃いて捨てるほどの財を成した。王族のみならず平民にまで行き渡った贅の限りを尽くした優雅な暮らし、爛漫と咲く華の如き栄華の極みはいつしかリーミンの誇りとすら言われるようになっていった。
しかしそれらは全て平時での話……大陸の東の果てに位置するリーミンにとって攻め込んでくる敵国など存在すらせず、贅沢な暮らしにのぼせきった王族と国民に有事への備えという考えなど、頭の片隅にすら無いものであった。
行商の停止――それは商いを前提としてきたリーミンの国家運営にとって想像だにしない未曾有の危機となった。これまで有り余る金に物を言わせ国内で消費される食料の大部分をエステリアからの行商に頼っていたリーミンは瞬く間に食糧難へと陥ってしまう。国の発展と共に膨れ上がった人口を支えられるだけの自給力など到底あるはずもなく……誇りとすら言われたリーミンの華の如き栄華は見るも無残に色褪せ干からびて、風の前の塵のように吹かれて散った。
「私達は愚かでした……御君のお知恵に縋り甘えるばかりで、自分の頭で考えるという簡単な事すら放棄してしまっていた。民だけならまだしも……王族までもがそれでは、この先リーミンを正しく導いていく事など出来ましょうか?」
「御君の授けて下さるものに頼るばかりではなく、自分達でも、考えなければなりません。この国は今後どうあるべきなのか……私達はこれからどう進んでいけば良いのかを、私達王族だけでなく、リーミンに生きる全ての民も一緒に、考えていかなければならない」
「それが、次代の王母を担う私の……この国を背負い治める者としての、心からの願いです」
そう締めくくり話しを終えたリユイの毅然と佇む姿はさながら凛と咲く一輪の花のような美しさであった。
王母への造反、その真意は国の今を憂い未来を案じての事……リユイの胸の内を静かに受けとめた王母はそっと目を閉じると小さくため息を零した。
「……なるほど、よくわかりました」
それは怒りに満ちていた先程までとはまるで違う、とても穏やかな声であった。国を想う強い気持ちがきっと母にも届いたのだと、そんな期待がリユイの胸に広がった……次の瞬間――
「ですが」
ピシッ――と……そのたった三文字の一言は一瞬にしてその場にいた全員の背筋を凍りつかせた。ただでさえ冷たい空気が氷のようにまとわりつき、冷たくなっていく体温を感じさせながらその身体を腹の底から震え上がらせていく。ゆっくりと開かれた王母の冷めた瞳に映るのは……唇を震わせ恐怖に青ざめる娘の顔であった。
「あなたの言いたい事は良くわかりました。ですが……それはあの御方の元でも出来る事でしょう、あの御方を失うなどという愚かな選択を取る理由にはなりません。それに……この国を治める現王母は私です……話は終わりですか?」
冷たく鋭い王母の瞳を見つめながら、リユイは涙を滲ませた。懸命に訴えたリユイの切なる想いは、王母に届かなかった。リユイもわかっている、神吏者との決別を選ぶ……それが覚悟を示す為なのだという事を母はきちんと理解している、と言う事を。その上で、やはり王母は認めなかった。実の娘である自分の言葉や想いですら、王母の考えを変える事は出来ない……悔しさに奥歯を噛み締め潤んだ瞳でぼやける王母から視線を落とし俯いた、その時……リユイは視界の端で左右に侍るお付きの二人を捉えハッとした。左に立つシャオズと右に立つシャオユ、お付きとして小さい頃から一緒にいる双子の兄妹はリユイの隣でその小さな体を震わせながらも姿勢を崩さぬよう必死に堪えていた。右からは恐怖からだろう小さくカチカチと上下の歯がぶつかり合う音も聞こえる。
リユイは小さく吐息を漏らすと鼻をすすりもう一度心を奮わせた。もう終わりだなどと俯いてはいられない、自分を信じて着いてきてくれたこの子達の前で諦めるわけには行かないのだと……リユイは冷たい空気を肺いっぱいに吸い込むと俯いていた顔を上げ、もう一度涼しい顔をしている王母の瞳を力強く見つめ返した。
「強引な手段を取った事は申し開きのしようもございません……ですが、これは御君ご自身が望まれた事です。御君をこの地へ縛り付ける権利など、我々にはありません!」
懸命に声を張り上げ訴えたそれは、リユイの取り得る最後の選択肢と言っても過言ではないものであった。本人が望んでいる……これ以上の根拠などあるはずもない。しかし、これを受けても尚王母の顔色は一つも変わる事なく……涼しい顔で返された言葉はリユイの想像の遥か斜め上を行くものであった。
「ええ勿論です、あの御方が”ご自身のお力で”この地を離れるというのなら、引き止めなど致しません。ですが、どこの馬の骨とも知れない輩に奪われるという事でしたら、全力で阻止します。あの御方はリーミンの宝、お守りするのは当然の事です」
リユイを”華”と例えるならば、王母はさしずめ”山”であろうか。揺れもしなければ動じもしない……それはまさしく、一国の頂点に君臨する王母と呼ぶに相応しい、堂々たる姿であった。神吏者イリシオスに足がない事など当然王母も知っている。介助者も居るには居るが少女が一人だけ、イリシオス自身の力でここを出ていく難しさを知っていながらのこの発言である。しかしそこに悪意は一切ない。純粋に国を思えばこその判断……故に王母は揺らがず、動じる事もないのである。
万策が尽きた。親子であるという甘えもきっとどこかにあったのだろう。娘である自分がきちんと話せば母もきっと分かってくれるはずだと。王族の一人として国を想う気持ちは決して母にも負けていないのだと。しかしその考えは甘かった……格が違った。これが、これこそが王母なのだと、国というものを背負う母の大きさを改めて思い知らされたリユイは力いっぱい拳を握りしめながら、その頬を大粒の涙が伝い落ちていった。
「……おかあ、さま……っ」
「……もういいわね、リユイ……我が子といえど、罪を犯したからには罰を与えねばなりません……捕らえなさい!」
最後に振り絞った涙ながらの娘の声にもなびく事はなく、子を諭すような声音で静かに語りかけた王母は一転、大きく声を張り上げ周囲を取り囲む兵士達にリユイの捕縛を命じた――その時である。
「お待ちを」
顔を出すタイミングをひっそりと窺っていたソウタ達は壁に偽装した隠し戸を敢えてガタガタと音を立てながら動かし、王母の前へと姿を見せた。すぐ右横で侍従の二人に守られている王配に丁寧にお辞儀をすると改めて王母に向き直りもう一度深く頭を下げる。顔を上げるとソウタはこの緊迫した状況の中、真っ直ぐに王母を見上げながら礼節を弁え丁寧な挨拶から入った。
「お初にお目にかかります。神吏者を探して旅をしております、ソウタと申します。こちらはウシオとミルドです」
空気を読まずに挨拶を始めるソウタに対し王母はやや目を細めたもののそのオーラには微塵も反応を示さなかった。ゆったりとした穏やかな流れと落ち着いた色合いからは流石の思慮深さが窺える。
王母はゆっくりと階段の縁へ近付き手すり越しにソウタ達を見下ろすと、その風貌を頭の天辺から足の先までマジマジと眺め冷たい視線を向けながらよそ行きの少し高い声で語りかけた。
「そう……あなた方が客人ね、持ってきて頂いた支援物資についてはお礼を言いましょう。けれど……ここはリーミンの王族の為に作られた天之宮、荷運びの旅人風情が軽々しく踏み入って良い場所ではないの。裏から出てきた以上、言い逃れは出来ませんよ」
元より言い逃れをするつもりなど毛頭ないが、ソウタは王母の揺るぎないオーラを見つめながら問答は時間の無駄だな……と小さくため息を零すとおもむろにリユイ達の方へと歩き出した。慇懃無礼な振る舞いを警戒してか王母は静かに様子を窺っていた。一方リユイは呑気に近付いてくる少年の理解不能な行動を直ちに問い詰めた。
「なんで、なんで出てきたんっ……来た道戻れば、あんたらなら逃げられたやろ……ッ」
何一つとして思い描いた通りに行かず乱れに乱れたオーラを身にまといながら、それでも他人を気遣うリユイにソウタは呆れた視線とため息を見舞った。
「ボク達を自分の身勝手な目的に巻き込んだ、と思っているなら間違いです。王母様がテコでも動かないならどの道ボクらは強硬手段を取っていました、目の前にある手掛かりをみすみす見逃すなんて選択肢は僕達にもないので。第一、頂いた恩を仇で返す趣味はありませんよ」
そうあっけらかんと述べながらソウタ達は警戒し槍を向ける兵士達とリユイの間に割って入ると、リユイ達を守るように槍兵の前に立ちはだかってみせた。
「な、何しとるんっ……ッ!」
「あくまでボクの個人的な考えですが、人の上に立つ者は堂々と在るべきです。ですが、だからと言って頑なであれば良いとは思わない。一番大切なモノの為であればそれ以外はどうなっても構わない……と言う考え方には賛同しかねます」
ソウタのその言葉は背後に立つリユイではなく、階段の上から静かに見下ろしている王母に向けられたものであった。言葉と共に向けられたソウタの視線に王母は鋭い視線を返すと、ゆったりと首を傾げながらまるで子供らしからぬ言動をするソウタにやや興味を示した。
「あなた……ただの旅人では無いようね……何者なの?」
「それをお話できるほどの関係値は、まだ築けていないと存じます」
慇懃無礼な姿勢を崩さない生意気な子供と王母、二人が視線を交えバチバチと火花を散らしているとそこへドタドタと足音を響かせ増援の兵が到着した。初め十五人程度だった槍兵は倍ほどに増え、その中に一人……黒い金棒を持った大男も混ざっていた。拾われた行き倒れの男の事、またその男が並外れた実力の持ち主であるという報告も勿論王母の耳に届いていた。王母は丁度いいとでも言いたげな様子で一人だけ飛び抜けた体躯の男を見やるとすぐさま声を掛けた。
「そこのあなた……ジイス、だったかしら。この者達を捕らえなさい」
初めて対面する王母から突然名指しされたジイスはソウタ達とその背後に立つリユイを見て酷く動揺を見せていた。しかし王母からの命令に背くわけにも行かず、ジイスはゆっくりと槍兵達をかき分け最前列まで進み出る。間にソウタを挟みながら向かい合ったジイスとリユイはお互いに複雑な心境を視線に乗せ見つめ合っていた。
「姫さん……」
「ジイス……」
王母の手前、ただの一介の兵士に過ぎないジイスに選択肢などありはしない。ジイスとミルド、二人は言葉を交わさずともまるで示し合わせたかのように揃って一歩前に出ると互いの獲物を手に構え一触即発の睨み合いが始まった。ジイスの力量は言うに及ばず、そのジイスの一撃を受け止め押し返したミルドの事も兵士達の間では噂になっていた。この二人が戦うとなれば周囲もただでは済まない……自然と周りの兵士達はジイスとミルドを中心に距離を取り、結果ソウタやリユイからも離れていった。
みなが固唾を飲んで見守る中、ジリジリと間合いを測る二人の動きが同時にピタリと止まり今まさに死闘が始まる――と誰もがそう思った次の瞬間……ジイスはふとおもむろに構えを解くと俯きながら頭を掻きむしり盛大なため息を零した。その後ゆっくりと顔を上げたジイスはどこかスッキリとした、精悍な表情をしていた。立ち上るオーラに覚悟を滲ませたジイスはゆっくりとミルドの方へ歩きだすと隣に立ち、クルリと振り返り仲間であるはずの兵士達に向け金棒を構えてみせた。
「なっ……あんたっ何を……っ!」
誰もが驚愕の表情を浮かべどよめく中、一際大きな声を上げたのはリユイであった。無理もない、よそ者である上に記憶をなくしているジイスを自分のわがままに付き合わせ罪人にするわけには行かないからと近衛である彼を敢えて遠ざけ巻き込まないようにしていたのである。元より自分の為に命を賭けるような義理もないはずと思っていたリユイからしてみればジイスの寝返りなど本当に理解出来ないものであった。
当のジイスは金棒を構え一年来の仲間達の驚いた顔を不敵に見つめながらぶっきらぼうに口を開いた。
「何を、はこっちの台詞だぜ全く……水臭え事してくれるじゃねえか、俺はあんたの近衛じゃなかったのかよ」
ジイスの思い掛けない言葉を聞いたリユイはそんな資格はないと自覚しながらも怒りを露わにした。
「あんたはリーミンの生まれやないっ、あんたん帰りを待っとる人がいるはずやっ! あてと一緒に罪人になる必要なんかあらへんやろ……っ!」
何もかも忘れている身の上で帰りを待つ人などいない、などとは口が裂けても言えず……ぐうの音も出ない正論をぶつけられたジイスはただ渋い顔をしてリユイの叱咤を背中で受け止めると、その奥に秘められた優しさに報いるべく全身全霊を以って応えた。
「行き倒れを救ってもらったこの国には恩がある……けどな、今の俺の主人はこの国でも王母様でもねえ、姫さんだ。近衛は近衛らしく、最後までお供させてもらおうじゃねえか」
「……あほう……っ」
腹の底からやっとの思いで絞り出した罵倒は淡雪のように繊細で弱々しく、冷たい夜風に吹かれ儚く溶けていった。怒り、喜び、悲しみ、責任や悔しさなど、もはや情緒のめちゃくちゃになったリユイは立っているのもやっとのようで、お付きの二人は慌てて両側から抱きしめリユイを支えた。
拾われた男は姫の近衛にまで成り上がり、やがては国を敵に回す事になろうとも最後まで姫に忠誠を尽くす――ハートフルな物語が一本できそうな心温まるシーン。このままめでたしめでたしと行きたい、そんな和やかな雰囲気は無情にも……たった一つの小さなため息によって、簡単に吹き消されてしまった。
「……所詮野良犬は野良犬ね……その威勢もいつまで保つかしら」
今のやり取りを見ても王母はまるで意に介する様子もなく、まるで茶番劇でも見せられたかのような至極つまらなそうな顔をしていた。
王母の声を合図に距離を取っていた槍兵達は再び槍を構え並び立つ大男二人と対峙すると、終わりの見えない睨み合いが幕を開けた。槍兵達はいつの間にか更に数を増しており、天之宮に入り切らない兵達が階段の方にまで長々と列を成していた。正直な所ジイスがこちらに付いているのならば槍兵が何人いようとソウタ達の相手ではない。とはいえである、槍兵を蹴散らして逃げるわけにも行かず、かと言って大人しく捕まった所でどうにも好転しようがない……落とし所の見えない膠着状態に一体どうしたものかとソウタが頭を悩ませているとふと……視界の端にいつの間にか小さな人影が立っている事に気が付いた。
気付いたのはソウタとウシオ、それと王母の三人である。三者はほぼ同時にその人影に視線を送ると、そこには長方形の白い板を手に持った人間味の薄い緑髪の少女が一人でポツンと立っていた。少女が板の下の角に両手を添え胸の前に立て掛けるとまっさらな板の表面には突如イリシオスの顔が映し出され、それと同時に王母は大きく目を見開きながらその場にいる全員に向け大声で叫びを上げた。
「みな顔を伏せなさい、早く……ッ!?」
このリーミンにおいて王母の命令は絶対……それを示すようにその場にいた全ての槍兵達のみならず王配までもがすぐさまその場に膝を付き顔を伏した。わけも分からず跪く者達をよそに天之宮には何処からともなく低く濁った声が聞こえてきた。
「――立て込んでいる所すまないね、王母……その客人達には私を連れ出す為のある条件を提示した……その結果がどうなるか、少し様子を見てもらう事は出来ないかね」
イリシオスは王母に対しても相変わらずの無感情で虚ろな視線を向け淡々と交渉を始めた。ここでのやり取りは全てイリシオスにも伝わっていたはずである。自分で出ていくなら止めないが奪われるなら阻止する、という王母の発言を受け直接交渉に来た……という事だろう。イリシオスに取ってもここから出られなければ自身の目的を達成できない、また落とし所が見えず頭を悩ませていたソウタ達に取ってもこの状況は渡りに船である。ソウタは神吏者イリシオスと王母のやり取りを大人しく静かに見守る事にした。
イリシオスを前にしても王母のオーラにはさほど変化は見られなかった……が、冷めた表情の方は随分な変わりようで眉間にシワを寄せ至極不服そうな顔で画面の中のイリシオスを見つめていた。
「……条件ですか……その内容は教えては頂けませんの?」
「――炎虎、君等の言う所の白の王の討伐だ……今抱えている諸問題の原因が取り払われれば……リーミンにとってもその貢献度は大きいと思うのだが……どうかな」
イリシオスが間髪入れずに即答すると王母の表情はまたしても大きく変化を見せた。驚愕の衝撃は捲し立てるような言葉となって白い板へと返される。
「あれは人の手に負えるものではないと、そう仰ったのは御君ではありませんか……ッ」
「――確かに言った……が、この者等であれば可能性があると判断した……あれ程の脅威はそうそう現れるものではない……私が去ったとしても、しばらくは問題にならないはずだ」
「……しかし……っ」
何を言っても淡々とすぐに答えが返ってくる白い板、もといイリシオスに王母は再び眉間にシワを寄せるといよいよ焦りを見せ始めた。王母からしてみれば匿い面倒を見ているだけで神の啓示の如き知恵を授けてくれる神吏者という恩恵をみすみす失いたくなどないと思うのは当然であろう。何とかイリシオスを考え直させこの地に引き止め続けるすべは無いものかと王母は必死に思考を巡らせるとチラリとソウタ達を一瞥し次の手を思いついた。
「……この者等が大人しく従うとは思えません、逃げる事も考えられます。白の王はそのまま居座り罪人には逃げられたとあっては筋が通りません、その時はどうなさるおつもりですか」
「――逃げられないようリユイを人質にすればいい……見て見ぬ振りは出来ない者等だ……見殺しにはしないだろう」
唐突に向けられたイリシオスの虚ろな視線とリユイ人質発言に留保していた逃げ道を絶たれたソウタはすぐさま画面の神吏者を睨み返した。イリシオスの頼みを聞くかどうかだけの単純な問題であったのをこの状況に絡め上手いこと利用された。
手のひらの上で踊らされたようで面白くないと思いつつも一枚上をいかれた事に素直な感心も覚えていたソウタは次の瞬間、頭が真っ白になる光景を目にする事になる。
「――……こうして保険も用意した」
保険……? とソウタが訝しんだ目を画面に向けているとイリシオスは画面の外から小瓶のような物を手に持ちデカデカと画面に映してみせた。その瓶の中には――
「――っ……スイカ……ッ!?」
白い板の画面には瓶に閉じ込められた小さな妖精が映し出されていた。ソウタはすぐさま周囲を確認する……がしかし、いくら探してもいつも直ぐ側にあったスイカの姿は何処にも見当たらなかった。スイカは瓶の内側を懸命に叩いて何かを叫んでいるように見えたがその声は微塵も聞こえては来なかった。
イリシオスはソウタ達に瓶詰めの妖精をじっくりと見せつけると無い足に被せた膝掛けの上に置きわざわざ少しカメラを引いて自身の顔とスイカが画面に収まるように映して見せた。妖精を視認できない王母や他の面々が困惑の表情を浮かべる中、ソウタは跳ねる心臓を押さえながら画面の中の虚ろな瞳を睨みつけた。
「……いつの間に……どういうつもりだ」
「――この身体を見ただろう……私にもあまり猶予がなくてね……人の情を利用する強引な手段で申し訳ないが……よろしく頼む」
相も変わらず淡々と紡がれる低く濁った声に沸々と腹の底が煮え立ち始めたソウタはオーラの見えない者達にすら傍目に感じ取れるほどの濃密な怒りを纏い立ち上らせた。
ウシオすら驚くほどの怒りを静かに湛えたソウタは胸を抑えていた手をゆっくりと下ろすと、画面の奥に佇む無感情な男を鋭く睨み付けながら真っ直ぐに激情を叩きつけた。
「……スイカにもし何かしようものなら……殺しますよ」
「――……帰れなくなるが……いいのか?」
イリシオスは普段と変わらない様子で淡々と痛い所を突いてくる……が、ここまで煽られたソウタにイリシオスへの好意的な感情などもはや欠片も残ってはおらず、ソウタもまた淡々と答えを返した。
「お前という選択肢がなくなるだけだ……帰れなくなるわけじゃない」
「――……ふむ……先程までとはまるで別人だな……約束しよう……炎虎を討ってくれさえすれば……この妖精は無傷で解放する」
その言葉にソウタは何も返さず、束の間スイカをじっと見つめると無言のままクルリと踵を返し槍兵達のいる天之宮の入り口へと歩きだした。画面の向こうのスイカに後ろ髪を引かれつつ、ミルドの背中をポンと叩きウシオもソウタの後を追って動き出すといつの間にか蚊帳の外へ追いやられていた王母はワナワナと震えながら大きく声を張り上げた。
「私はまだ承服していません! 止めなさい!」
王母の一声で跪いていた槍兵達が一斉に立ち上がり槍を構えて立ち塞がるとソウタはピタリと足を止め、真っ直ぐに天之宮の入り口を見据えたまま小さく口を開いた。
「……ウシオ」
呟くような小さな声が放たれた直後、ソウタの背後に立つウシオの両手が舞を踊るように揺れたかと思うと槍兵達の手に固く握られていたはずの全ての槍は刹那の内に細かく寸断され床に落ちてカラカラと乾いた音を響かせた。余りに一瞬の出来事、何をされたのかも分からず槍兵達が狼狽え後ずさりを始めるとソウタは瞬き一つせずゆっくりと首から上だけ動かして階段の上に佇む王母へ視線を向けた。
「あんたのご機嫌取りをしてる暇はなくなった……邪魔するなら力ずくでねじ伏せる」
向けられたそれはただの視線ではなく、今にも人を殺しそうな怒りに満ち満ちた視線であった。王母はこれまで一度も感じた事もないような恐怖が全身を駆け巡り力が抜けたのかガクガクと震えながらストンと尻餅をついた。腰を抜かした王母に侍従が駆け寄るのを尻目に再び歩き出したソウタの行く手を阻む兵士はもう誰一人としていなかった。
天之宮の入り口に立つとソウタは再び足を止め少し大きめな声で人質を宣告された姫君へ声を掛けた。
「リユイさん、少し待っていて下さい……すぐ戻ります」
そう告げるとソウタは返事も聞かずにウシオ、ミルドと一緒に空高くジャンプし列を成す槍兵達を飛び越えるとそのまま切り立つ山の斜面へと落ちて行く……かと思いきや、借宿に置いてきた身代わり人形で作った大きな白い鳥が飛来しその背中に飛び乗って白の王の待つ南の空へと飛び立っていった。
月もなく雲で星も見えない暗い空の下、颯爽と空を駆けていくソウタ達の背中を見送る傍らでジイスはポリポリと頭を掻きながら独り言を呟いていた。
「すーげぇ殺気……何者なんだあのチビ……姉ちゃんの方も只者じゃねえなありゃ……」
ジイスはソウタ達の姿が見えなくなると傍らに立つリユイや獲物を失い立ち尽くす槍兵達を見渡した。入り口から玉座の方へ、ゆっくりと視線を動かしていくと玉座の側には侍従に支えられる王母が居るだけ……先程まですぐそこに立っていた緑髪の少女はいつの間にか何の気配もなく、忽然と姿を消していたのであった……。
第十八話、お読み頂きありがとうございます。橘月りんごです。
二話続けて長々と神吏者との話が続きましたが一旦終わりです、次回からいよいよ第一部後半のクライマックスへと突入致します。
外聞伝聞のみでお伝えしてきた白の王との邂逅だけでなく懐かしいあの人も登場します、どうぞお楽しみに。
相性の悪い白の王にソウタはどう対峙するのか、囚われとなったスイカを無事救い出す事が出来るのか。
物語の佳境を迎えるエビテンを、今後ともよろしくお願い申し上げます。
大変励みになりますので評価・リアクション・ご意見・ご感想もよろしくお願い致します。