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第十七話

 エステリアから昼夜走り続け、リーミンまで本来一月半掛かる道程を僅か半月で走破したソウタ達は現在、固く閉じられた城門の前で入国の許可が下りるのを待っていた。一面の花畑に迎えられ気分良くリーミンまで到着したソウタ達であったのだが……見慣れない格好の、女子供を含む僅か三人でエステリアからやってきた、という事で早々に門番に怪しまれ、エステリア教会の御子フィリアから預かったリーミンを治める人物への手紙を渡した後そのまま……かれこれ二時間ほど待ちぼうけを食らっていた。大人しく待っているふりをして上空から鳥人形の視点を借り城壁内部を観察しているとやがて、理路整然とした町並みの中馬車を取り囲んだ数十人の人の塊が大きな通りを進み門の方へと近付いてくるのが見えた。門番にも伝令が届きその緊張が伝わってくるとほどなくして、固く閉ざされていた大きな城門は濁った金切り声を上げながらゆっくりと開かれていった。


 城門が完全に開くとその奥には槍を持った同じ格好の一団と一台の小さな馬車が見えた。兵士と思われるその一団はソウタ達の方へ小走りで駆け出すと二列に並び向かい合って槍の石突を一斉に地面に打ち鳴らした。立ち並ぶ槍兵達によって道が作られるとその奥に停まる馬車からのそのそと三人の人影が姿を現した。赤い派手な衣装に身を包んだ三人の人物が地に降り立つと馬車の影から大柄な男が一人現れ三人の背後に付く、その四人がゆっくりとソウタ達の方へ歩み出すとその一歩一歩に合わせて槍兵達は幾度となく石突を打ち鳴らしその人物の登場を仰々しく演出した。

 赤い三人の内左右の二人は全く同じ見た目をしていた。身長的には十代半ばくらいの子供だろうか、化粧をしている為性別もわからず、双子かどうかも定かではないが見た目だけならばほぼ鏡写しのようである。お付きか近衛か、動きやすそうな服装の二人は向かって右側が傘を持ち、左側が真ん中の人物の手を引いていた。そしてその真ん中、赤を基調とし白い差し色を入れたヒラヒラとした上品な民族衣装に身を包んだその女性は傘で目元を覆い隠し、高い下駄を鳴らしながら艶やかに歩を進めていた。実際に見た事はないがその光景はまるで花魁道中のようである。

 四人が槍兵の道を抜けると槍兵達は再び駆け足で、今度は四人の後ろに列を成し最後にもう一度石突を打ち鳴らした。舞台を見ているかのような仰々しい派手な登場にソウタ達が面食らっていると、真ん中の女性の紅い唇が僅かに笑みを浮かべゆるりと口を開いた。

 「遠い所をようこそおいで下さいました。心より、歓迎申し上げます」

 大人の色気を纏った艶のある声で歓迎の言葉を述べながら、女性の目元に掛かっていた傘がゆっくりと上がっていくと現れた瞳とソウタは目がかちあった。綺麗な顔立ちのその女性は二十代前半くらいで目尻にお付きと揃いの紅化粧をしており、頭には重くないのかと心配になるほどの絢爛豪華な飾りがこれでもかと盛りに盛られていた。

 「この国のまつりごとを預かります、リユイと申します。以後、お見知りおき下さいまし」

 リユイと名乗った女性は淑やかに目を伏せ膝を折って腰を僅かに落とす、頭を下げない一礼を見せた。ソウタ達も一礼の後順番に自己紹介を返しミルドの紹介をしようとした、その時だった。

 リユイの後ろに立っていた大柄の男が突如俊敏な動きでソウタ達の方へと走り出すやいなや、高く飛び上がり低い唸り声を上げながら手に持っていた黒い棒状の獲物を振り下ろし突然ミルドに襲いかかってきた。その豪快な一撃に対し大剣を両手でしっかりと握りしめ鍔元で受け止めるミルドを見てソウタは信じられないという表情を見せた。突然襲われた事に対してではない、ミルドが”両手で”受けた事に対してである。

 かつて王都で二つ星サポーターハマーの一撃を受け止めた時以上の衝撃と、激しく大きな金属音を響かせながら数秒鍔迫り合いをした二人はミルドが押し返す形で今一度距離を取った。大柄の男は少し驚きながらも生き生きとした、嬉しそうな表情を浮かべ臨戦態勢のままペロリと唇を舐めた。

 「(ミルドが両手を使わなきゃいけないなんて……この人ただの兵士じゃないな、相当強い……)」

 男の滾るオーラを見つめ歓迎とはこういう意味かとソウタとウシオも構えるとどういうわけか、向こうの兵達もこの事態にどよめき戸惑いを見せていた。ソウタ達が警戒を維持したままこの不可解な状況を見守っているとほどなくして、冷たく棘のある声が傘の下から大柄な男の背中を突き刺した。

 「ジイス?」

 その冷たくも艶のある声が耳に届いた瞬間、ジイスと呼ばれた大柄な男はビクッと全身を硬直させ構えを解いて直立不動の姿勢をとった。ギギギ……と擬音が聞こえてきそうなほどゆっくりと、恐る恐る振り返った大柄な男ジイスはリユイと目が合うと顔中から大量の冷や汗を噴き出し青ざめた。実によく躾けられていると感心する。

 「遠路はるばる足を運んで下さったお客人に対して、何をしでかしてくれているのかしら……ジイス?」

 「姫さんっあっ姫様っ……いやっ……これはっその……何というか……なんでかこう、頭がかあっと熱くなっちまったというか……その……」

 「……剣のお人、お知り合いなのでしょうか?」

 リユイの問いかけにミルドは首を振って答えた。ソウタの作った人形に知り合いなどいるはずもないのだが、もし適当に強そうにと作ったミルドの人相が実在の誰かに似てしまっているとしたら何とも気の毒な話である。リユイに厳しく咎められたジイスはその後土下座して謝罪し、ソウタ達にも大事なく何か不幸な勘違いがあったのだろうという事でこの件は穏便に水に流す事となった。

 リユイからも改めて謝罪を告げられた後、リユイは会談と歓迎の支度が整っているとソウタ達を城へ招いた。どうやらフィリアからの手紙に色々とお節介な事が書かれていたらしく、ご丁寧に寝床まで用意されているとの事だった。二時間も待たされたのはその所為か、と街へ戻ろうと踵を返すリユイ達を見ながらソウタが小さくため息を零していると、話が終わった頃合いを見計らってスイカがソウタの後ろ髪を引っ張った。振り返るとスイカは仏頂面を浮かべ無言で馬車の方を指差し何かを訴え掛けていた。スイカの小さな指の先を目で追うと、何やらゴソゴソと蠢く小さな影がいつの間にか御者席に乗り込んでいた……猫である。濃い灰色の毛足の長い猫はソウタ達の数少ない私物を入れた袋をその小さな手でカリカリと懸命に引っ掻いていた。

 「こいついつの間に……」

 「あら、どこから来たんでしょうか」

 「日向ぼっこしてるとたまに追いかけ回してくるから私猫きらーい……」

 ソウタの頭の上で不満げなスイカをよそに抱き上げた猫は人に慣れているのか随分と大人しく、ウシオと一緒に愛でていると城門の方から「あ」という声が聞こえてきた。振り返るとその声はリユイのお付きの一人、傘を持っていない方から上がったもので、そのお付はリユイと一言二言小声で言葉を交わすと一人ソウタ達の方へと駆け寄ってきた。

 「その子……うちの子」

 そう気恥ずかしそうに、小さく呟くように発せられたその声は女の子のものだった。どうぞ、とソウタから猫を手渡されると彼女はまた小さく呟くようにありがとう、と感謝を述べ軽く会釈してそそくさとリユイの元へ帰っていった。お付きが戻りリユイはソウタ達へ微笑んで一礼するとまた花魁道中のように大勢の槍兵を引き連れ乗ってきた馬車の元へと歩き出した。その背中を見つめながらソウタはフウと息を吐き肩の力を抜いた。

 「なんか、ゆっくり出来なさそうな気がする……」

 そう呟きながらそそり立つ赤い城壁を見上げソウタはもう一つ小さくため息を零した。虫の知らせのような名状しがたい感覚に微妙な表情を浮かべつつ気を取り直して馬車と共に街へ歩き出すものの、一抹の不安を拭いきれないソウタであった。


 ――花と彩の国、リーミン。大陸東の最果てに位置する国でここより東に集落はない。花と彩りと名前にあるように国の南側広範囲に渡って多種多様な花々が咲き乱れており、その花を原料とした染料と織物、及びそれらを使った染め物の輸出を主な産業としている国である。国土はオルレアン王国の王都とほぼ同等だが人口はやや劣る。西の山岳地帯から流れる河川を挟む形で山の麓に築かれており、険しい山肌に建つ宮殿は攻め難く守りやすい天然の要塞となっている。

 国内に目を向けるとほぼ全ての家屋が木造瓦屋根となっており、網の目状の理路整然とした美しい街並みを見る事が出来る。また独自の文化、建築様式を持ち匠に材木を組み上げる事で四階建て五階建てといった高層建築や、たっぷりと荷物を積んだ馬車すら互い違いに通行可能な木造の橋を作り上げる等、技術力の高さも目を見張るものがある。街全体に見られる発色の良い赤を基調とした色とりどりの雅な飾り付けもリーミン特有であり見る者を楽しませてくれている。

 衣服は央華的とも日本的とも言えるとても馴染み深いもので、男女共にズボンと和服の上を合わせたような格好をしている。染め物が産業という事もあり色は正に十人十色で地味な色の服装をしている人を探す方が困難である。

 食文化について特筆すべき点はあまり無いが農耕のみならず狩猟による野生の獣や魔獣の肉も食される他、リーミンでは近くに広大な花畑があるという事で養蜂も盛んに行われており、蜂蜜、蜂の巣、蜂の子に蜜蝋、更には蜂蜜酒と余す所なく生活の糧に利用されている。


 城門をくぐり入国後すぐに馬車と積み荷をリーミンの兵士に委ねるとソウタ達はリユイの一団の後に着いて街を見回しながら大通りを北へと進んでいた。城門から真っ直ぐ伸びる通り沿いには左右どちらにも三階建て以上の建物が軒を連ね、路端や上階の窓からはたくさんの住民達がリユイと久しぶりの来客を一目拝もうとひしめき合うように集まっていた。ヒソヒソと言葉を交わす静かな喧騒の中、ソウタ達を見る痩せた住民達の表情は決して歓迎しているような明るいものではなく、かと言って怒りや敵意を向けられるわけでもない、みな一様に無感情な疲れたような顔をしていた。

 「なんかこの街こわーい……」

 新たな街に着くといつもすぐに美味しいものを探しに飛び出すスイカも今回はソウタの頭の上で身を縮め眉をひそめていた。

 無数の視線に晒されながら歩くこと三十分、川に架かる大きな橋の手前で針路を西に変えると正面にそびえ立つ岩山の険しい斜面にいくつもの建造物が建っているのが見えた。そのまま山に向かって尚も歩を進めていくとやがて白壁の塀と厳かな門が見え、門の手前には小さな橋が架かっており橋の下には川から引いた水堀が備えられているようであった。水堀の向こう側は高い塀に囲まれており地上から中を除く事は叶わないが此処から先が偉い人の住まい、城になっているようである。

 槍兵達に誘われるまま橋を越え立派な門をくぐると、次第にそびえ立つ赤茶けた険しい岩山がその大迫力を以ってソウタ達を出迎えた。山の麓には社のような大きな建物が見えそこから左の方へ民家のような建物が山の麓に沿って長々と繋がっている。そして正面の社の更に奥、険しい山肌をジグザグと登る階段が見え目で追って視線を上げていくと数百メートル上まで山の斜面に見事な社殿が多数器用に建てられているのが見えた。

 「あの……もしかしてあそこまで登りますか?」

 最上部の社殿を眺めながらソウタがぽかんと開いた口から衝いて質問を垂れ流すと、馬車から降りたリユイはからかうような悪戯な笑みを浮かべた。

 「ふふ、ご安心を。客人をお通しするのはあちらまでです」

 そう言ってリユイが手で示したのは正面の社の左上、数十メートル上の山肌に建てられた社殿であった。どの道上りはするんだな、と口には出さず胸の内に留めたソウタはその後一度リユイ達と分かれ、兵の案内の元十分ほど掛けて大人しく、一段一段幅の広い階段をゆっくりと上っていった。


 長い階段を上りようやく辿り着いた建物は赤く染め上げられ家屋と呼ぶには余りにも派手で絢爛豪華な外観をしていた。入口をくぐるとすぐに靴を脱ぐように指示され、ソウタ達はこの世界で初めて日本人には馴染み深い靴を脱ぐ文化に遭遇し少し懐かしい気持ちを覚えた。外観とは打って変わって落ち着いた内装の建物二階の広間に案内されると槍兵はソウタ達をその場に残しそそくさとどこかへ去ってしまった。その広間からはリーミンの街並みを一望する事ができ、そのまましばらくぼんやりと街を見下ろしていると程なくして再びお付きの二人やジイスと共にリユイが姿を見せた。戻ってきた彼女は重そうだった頭の飾りを下ろし、相変わらず赤いものの先程のヒラヒラした派手な衣装から少し動きやすそうなカジュアルな服装に着替えていた。

 「えらいお待たせしてもうて、堪忍してな」

 服装どころか口調までカジュアル……というかはんなりと訛りを纏ったリユイはそのまま両サイドにお付きを侍らせ上座のど真ん中に正座で腰を下ろすとソウタ達にも座るように手で示した。指示されるがままソウタ達が対面の下座に並んで腰を下ろすとリユイはソウタに微笑みかけた。

 「ほな、始めよか」

 朗らかにそう告げるリユイと対峙しながらソウタはある違和感を覚えていた。リユイの左右に座る全く同じ見た目のお付き二人とソウタから見て二時の方向に座るジイス、三人へ順番に視線を送っているとそんなソウタの様子を見てリユイから声がかかった。

 「不用心やないかと……思うてはる?」

 「……はい」

 微笑むリユイにずばり図星を突かれソウタは少しドキッとした。エステリア教会の御子フィリアからの手紙と支援物資を持ってきてくれた客人とはいえ、一国のトップが今しがた会ったばかりの部外者と武器を取り上げたりなどもせずに相対するには余りにも護衛の数が少なくないだろうか……と考えていた所そんな内心を看破されたのである。オーラの見えるソウタにとって看破する事は良くあっても逆に看破される経験は滅多に無い事であり、不服そうなソウタを見るやリユイは口元を袖で隠しコロコロと悪戯っぽく笑いながら大人の余裕をひけらかして見せた。

 「まあ、さほど警戒はしてへんからね。ジイスもいてるし、こん子らも見た目で侮ったらあかんよ?」

 「信じて頂けるのは大変ありがたい事なんですがその……根拠がわからないと少し怖いと申しますか……」

 「ふふっ、なるほど……そらそやね」

 微笑んで目を細めたリユイはおもむろに帯の隙間から折り畳まれた紙を一つ取り出した、文字が書かれている事から手紙であると分かる。リユイは開いた手紙に目を落とすと慈愛に満ちたとても優しそうな微笑みを見せた。

 「あの子、フィリアとは文通友達でな、もう結構長い付き合いなんよ……ソウタはんも、妖精が見えるみたいやねぇ」

 「…………」

 手紙に何書いてるんだ……と呆れつつ、隠しているわけではないと言ってしまった手前フィリアに抗議する権利もなくソウタは目を閉じてため息を零した。その様子を見てまた悪戯っぽく笑うとリユイは愉快そうに続けた。

 「あの子ぉはねぇ、他人行儀やとたとえ子供相手でも様を付けて呼ぶんよ。せやけど仰山書かれとぉソウタはんの事はいっぺんも様を付けてへん、こん手紙からもえらい嬉しそうなんがよお分かる……こないなん初めてん事や」

 「……それが根拠だと?」

 若干不服そうにソウタが尋ねると慈母のような穏やかな笑みを浮かべて手紙を見ていたリユイはそっと手紙を閉じその視線をソウタへ向けた。

 「あとは……それやね」

 そう言ってリユイの指差した先を目で追っていくとそこにはウシオの傍らに置かれた小さな白い袋があった。

 「……我々の荷物?」

 理解が及ばず首を傾げるソウタへリユイは変わらぬ笑みを浮かべたままゆったりと理由を話した。

 「そん中に甘いお茶の葉……入っとるんとちゃう?」

 「……入ってます……何故わかるんです?」

 「ふふ、女の勘や……と言いたい所やけど、さっき猫がおったやろ。ユイ言うんやけどね、あの子ぉがそのお茶大好きなんよ」

 リユイの言う通り、ソウタ達の荷物の中にはフィリアのお気に入りだという砂糖なしでも甘いお茶の葉が入っていた。リーミンへの出立前餞別にとフィリアが少し分けてくれたものである。

 「そのお茶が根拠というのはどういう……?」

 「そのお茶なぁ、元はあてがフィリアに贈ったもんなんよ、親睦を深めとぉて二人だけの秘密や言うてな? こん手紙にも教えてしもたーて、謝罪も添えて書いとった」

 リユイは手元の手紙に再度目を落とし嬉しそうに微笑んでいた。

 「約束はきちんと守る子や、そんなあの子が約束を反故にしてでも秘密を共有したいと思う相手……フィリアがそれだけ信じとるなら、十分信頼に足るわ」

 フィリアと紡いだ絆が思わぬ所で新たな関係を繋いでくれていた。ソウタはふと目を伏せると数日前の出来事を思い出した。些細な心の機微が人と人を繋ぐのだ――と、そう優しく諭すように説いたウシオの言葉を思い出しながら隣を見るとウシオはいつものように穏やかな微笑みを湛えていた。

 「まだ納得いかへん?」

 「いえ……十分です、ありがとうございます」

 ソウタが深く頭を下げ感謝を述べるとリユイはクスリと笑みを零しながらパンッと軽く手を打った。

 「ほな、本題に入ろか」

 はんなりと告げたリユイはフィリアからの手紙を再び帯の隙間に収めると姿勢を正した。ソウタ達も同様に畏まって姿勢を正すと和やかな雑談は真面目な会談へと移り変わっていく。


 「まずはお礼を言わなあかんね」

 突然そう切り出したリユイはお付きやジイスと共に今度はしっかりと頭を下げて感謝を述べた、支援物資に対しての礼である。

 「お礼ならエステリアの方に……我々はただ教会から依頼を受けて物資を運んで来ただけですので、全然大した事は……」

 「何を言うとるん、そん運ぶだけが大変なんやないか。謙遜も度ぉが過ぎれば嫌味やえ?」

 「……すいません」

 苦笑いを零しソウタが軽く頭を下げるとリユイはソウタ達の後方、眼下に広がるリーミンの街へ視線を向けた。

 「道中街を見てもろて何となく察したはると思うけど、リーミンは今深刻な食糧難でな……エステリアとの交易でここまで国を大きく出来たけど、逆に大きくなり過ぎてしもて……もう自分達だけじゃ食べ繋ぐ事も難儀しとる有様や……ほんま、かなんなぁ」

 そうため息混じりに語ったリユイはほんのりと笑みを浮かべながらも遠い目をして心底参ったような表情をしていた。

 「遠くに畑が見えるやろ?」

 リユイの言葉を受けソウタ達が街の方へと視線を向けると立ち並ぶ瓦屋根の向こう側に大きな茶色い畑が広がっているのが見えた。

 「あっこの畑はいつもなら染料ん為の赤い花を植えとるんよ。花の咲く時期は一面鮮やかな赤に染まって、ほんまに綺麗でなぁ……せやけど今はそれどころやない言うて、芋やら何やらん畑になってしもた。せやから、エステリアにもソウタはん達にも、ほんまに感謝しとる。ありがとう」

 改めて深々と頭を下げるリユイに向き直るとソウタも改めてどういたしまして、と向けられた感謝を素直に受けとめ笑顔を交わした。

 「そしたらお次は、ソウタはん達の通ってきた街道とエステリアん話を聞かせてもらえるやろか?」

 「はい」

 リユイの申し出に頷いたソウタは街道の様子とエステリアの現状について事細かに話して聞かせた。ただし御子襲撃事件に関しては他言無用と釘を刺されている為ここでは言及を避ける。

 エステリアにおける避難民との軋轢や砦町に入り込んでいた野盗、そして白の王の通り道と思われる黒く焼け焦げた地面の話など……粛々と会談が進む中ソウタはふと視界の端で揺らめくオーラに気を取られため息を零すリユイをよそに二時の方向へ視線を向けた。

 「ほうか……心苦しなぁ、うちでは避難民を受け入れられへんかったからみぃんなエステリアに押し付けてしもて……? ソウタはん、どないしたん?」

 ソウタの視線に気が付いたリユイがその視線の先を目で追うと傍らに座るジイスが冷や汗を垂らし苦しそうな渋い顔をしていた。

 「ジイス、具合悪いんか?」

 「いやっ……ちと頭が……」

 そう言って右手で額を抑えたジイスの視線は真っ直ぐにミルドの傍らに置かれた大剣に注がれていた。

 「ここはもうええから、休んでき」

 「あぁ……すまねぇ、姫さん……あ姫様」

 「ええから」

 退出を促されたジイスは客人であるソウタ達に頭を下げるとその大きな体をのそのそと動かしゆっくりとした足取りで部屋を後にした。ジイスが去った後、彼の猛々しくも奇妙なオーラを見つめていたソウタは唐突にリユイへ質問を投げかけた。

 「あの、不躾な質問で申し訳ないのですが……ジイスさんはご病気か何かですか?」

 病人のそれに酷似したオーラを見ての疑問であったが、ソウタの問いにリユイはうーんと唸りながらジイスの去った戸の方を見つめしばし考え込んでいた。

 「すいません、立ち入った事ですので無理にとは……」

 「ふふ、かまへんよ。そやなぁ……病気言うてええもんか分かれへんのやけど……ジイスはな、リーミンの生まれやのうて行き倒れなんよ」

 行き倒れ? とソウタが復唱し聞き返すとリユイは軽く頷き今一度ジイスの去った方へ視線を向けた。

 「一年くらい前やろか、街の川下で倒れとったんを警備の兵が見つけてな、保護したんよ。何も持たんとボロボロのかっこでなぁ、えらい衰弱しとってお医者はんもギリギリやったぁ言うとった……しかもや」

 リユイは唐突にソウタの方へ向き直るとずいっと前のめりになって続けた。

 「話を聞いてみたら何も覚えてへん言うんよ、気ぃ付いたら海岸におって人里探して川沿いを歩ってきたー言うてな」

 「海岸から川沿いに……」

 ソウタは記憶の中の地図を引っ張り出しジイスの辿ったであろう道のりの異常性に気付くと戦慄し目を細めた。

 「あの、ボクの記憶が正しければ……ここから海岸までかなりの距離があると思うのですが……」

 「どんなけ速く馬を走らせても三日は掛かるやろなぁ、信じられへんやろ?」

 正確に書き取った地図の記憶が確かであれば海岸まで直線でも四百キロ以上、川は蛇行している為実際の道のりは五百キロ近くに及ぶだろう。魔獣のいるこの世界でたった一人、その距離を徒歩で移動したとなればにわかには信じ難いほどの驚異的な事である。

 「……その倒れていた川下って防壁の外の話ですよね? 魔獣に襲われなかったんですか?」

 「それがなぁ、ジイスん倒れとったとこから更に川下ん方に点々と魔獣も倒れとったんやって、それも一つや二つやのうていくつもや」

 「何も持っていなかったのでは? 丸腰で……素手で倒してきた、と……?」

 ソウタの疑問にリユイは肩をすくめ小さく首を振りながらため息を零した。

 「そこいらへんも聞いたけど、当人も限界やったようでなぁ、あんまりよう覚えてへんのよ。どこん誰かも分かれへんし、名前もないと困るやろ? せやからこっちで勝手に名付けてしもて、今はあての近衛をしてもろうとる。見てん通り、腕っぷしはいっちょ前や」

 笑みを浮かべるリユイの話を聞きながらソウタもジイスの去った方へと視線を向けていた。ここまでの話が本当であればミルドが彼の一撃を両手で受け止めたのも納得である、これまでにこの異世界で会った人間の中で誰よりも、彼は間違いなく一番強かった。三つ星のサポーターとはジイスのような感じなんだろうか、とソウタは王都で会う事の出来なかった王宮に召し上げられたという三つ星の事を思い出した。

 「そう言えば、彼だけ武器が違いましたね」

 「ふふ、せやな。普通ん槍やとすぅぐ潰しよるから、今はただの金棒持たしとる。あれもえらい重たいはずなんやけどなぁ、軽々と振り回したはるわ」

 「(記憶喪失……一年前……気が付いたら海岸……ミルドに……いや、剣の方か? あの強さといいもしかして……)」

 ソウタは頭の中で情報を整理しながらある可能性に思い至り、ミルドの傍らに横たわる大剣を見つめながらジイスと名付けられた大男の素性に思いを馳せるのだった。


 依頼の完了に合わせ街道の状況とリーミンの窮状などを書き綴りこれからエステリアへ報告の手紙を出す旨を伝え、教会側の判断次第ではあるが行商も近々再開されるかも知れない、と言う前向きな話を経て会談が一段落を迎える頃、すっかり気を許したリユイの興味の矛先はまっすぐソウタ達へと向かっていた。

 「フィリアん手紙にも書いとったけど、ソウタはん達ずぅっと西ん方から海越えて旅してきたんやろ? サポーターの二つ星にもなって、まだ子供なんにすごいなぁ」

 「いえ、行く先々で色んな方に助けて頂いたお陰です」

 「ふふふっ、なるほどしっかりしたはるわ」

 口元を袖で隠し上品にコロコロと笑いながらリユイはソウタ達の旅の目的へと言及した。

 「ほんで、お次はどこへ行かはるん? 何や探したはるもんがあるんやろ?」

 「そうですね」

 人を探している――そう答えようと口を僅かに開いた所でソウタは思い留まった。タイムリミットが二ヶ月を切った今、なりふり構っていられないとエステリアを出た際に決めたばかりである。これまでのように探り探り慎重に事を進めていては間に合わないと思い直し、ソウタは意を決して素直に打ち明ける事にした。

 「神吏者を探しています」

 「へぇ……神吏者、なんやったか……フィリアから聞いたんやったかいな……けったいなもん探したはるんやねぇ」

 心当たりも関心もなさそうにリユイは口元を袖で隠しながら呆れたように笑みを浮かべた。しかしゆったりと流れるリユイのオーラがごく僅かに乱れ警戒の揺らぎを見せたのをソウタの目は見逃さなかった。彼女のまさかの反応に心臓が大きく跳ねたソウタは逸る気持ちを懸命に抑え冷静さを保った。リユイはフィリアの友人でありその素性をフィリア本人から聞いている可能性も考えられる、フィリアがソウタに自身の素性を明かしている事を手紙に書くはずもなくリユイはまだ知らないはずなのでフィリアの事を思い浮かべ心配のあまり動揺した可能性もあった。しかしだからといってド直球にフィリアの素性を知っているのかと尋ねるわけにもいかない。フィリアの事には直接言及せずにリユイの心当たりがフィリアの事なのか或いはそれ以外の神吏者の事なのかを確かめたい、どう話をすれば確認できるのかとソウタはオーラの見えるアドバンテージの事も加味しながら慎重に言葉を選んだ。

 「エステリア教と神吏者に何か繋がりがあるのではないかと考え、海を超えてエステリアまで足を運んだのですが……教会の起源に僅かな関係があった程度で、これと言った大きな手掛かりは得られませんでした」

 「無駄足やったか……そらぁ残念やったねぇ」

 ソウタに共感するように残念そうな表情を見せたものの、このやり取りではリユイのオーラに反応は見られなかった。もしフィリアの素性を知っている場合、エステリアでは手掛かりは得られなかったと言う発言に少なからず安堵が見えても良いとソウタは考えた。フィリアからの手紙を見る時のリユイはとてもフィリアの事を大切に想っている様子が見て取れた。大切な友人の心配をしているのならエステリアでの調査が無駄骨に終わった事に安心を覚えても良いはずである。

 反応のないリユイのオーラをつぶさに観察しながらソウタは次の試みへと移る。

 「ここでも手掛かりが得られなければ次は帝国を目指してみようかと考えています。と言っても、今は国境が閉じられているようなのでしばらくエステリアに留まる事になると思いますが……」

 「さよか、忙しないなぁ。馬車ん積み荷は今日中に下ろさせるよって、帰りん支度が整うたら言うて、すぐに準備させるわ」

 ソウタ達への気遣いと温かな笑みを浮かべながら、このやり取りでリユイのオーラには微かに安堵の色が滲んだ。フィリアの事を思い浮かべているのならエステリアへの滞在に安堵するはずがない。では一体何に対する安堵なのか……帝国を目指す事に安堵したのかと考えた所でソウタは少し前の経験から別の可能性にも思い至る。

 「(帝国に行く事ではなく、逆……リーミンから離れる事への安堵……この人は……)一体、何をご存知なんですか……?」

 思わず衝いて出てしまったソウタの言葉にリユイのオーラは明確に激しく動揺を見せた。その反応からフィリアの事ではないとソウタは確信を得る。フィリア以外の神吏者の手掛かりがあろうことかこんな身近に、このリーミンにあるかも知れない……その事実は期限の迫ったソウタを激しく衝き動かした。

 「もしご存知ならどんな些細な事でも構いません、教えて下さい! どうしても聞かなければならない事があります、お願いします!」

 ソウタが土下座の如く深々と頭を下げるとウシオとミルドも後に続いて同じ様に深く頭を下げた。実際には十数秒、されど気の遠くなるほど長く感じた沈黙の後、始めに聞こえたのはリユイの艶やかな笑い声だった。

 「……ふふふっ、急にどないしはったん、大きな声あげて。あてはなぁんも知らへんよ? びっくりさせへんでぇな」

 リユイはすっかりと動揺を抑え隠し白を切った。一国の政を預かっていると言うだけあって変わり身の早さは見事なものである。しかしここまで来てこのまま引き下がるわけにはいかない、とソウタは文字通りなりふり構わず手の内をさらけ出してでも神吏者の手掛かりを聞き出す為ゴリ押しに出た。

 「……見えるんです、人の心の動きが」

 「心の動き?」

 「神吏者という言葉が出てから、リユイさんには動揺と警戒が見られました。何を知っているのかと尋ねた時も……不快かもしれません、ごめんなさい。けれどボクらの神吏者の捜索には期限があって、実は少し焦っています……何でも良いんです、もし何か手掛かりがあるのなら教えて下さい、お願いします」

 ソウタは一度も頭を上げず額が床に付きそうなほど深く下げたまま平に伏して懇願した。にわかには信じ難い話――リユイも始めはそないな話……と笑い飛ばそうとしたのだが、並々ならないソウタ達の気迫に気圧されそれ以上言葉が出なかった。

 それからどれほど時間が経っただろうか、返答を待ちずっと頭を下げたままだったソウタ達はとりあえず頭を上げてくれとのリユイの申し出によりようやく深く下げていた頭を上げた。真っ直ぐにソウタを見つめるリユイのオーラには揺らぎや動揺は一切見られず、堂々とした佇まいには確かな覚悟が感じられた。

 「何や……よんどころのない事情があるんはようわかった。せやけど……”今”、あてから話せる事はなんもあらしまへん……堪忍ね」

 「……いえ、功を焦るあまり酷く礼を欠きました、大変失礼を致しました」

 小さくため息を零したソウタは肩を落とし力なくもう一度頭を下げ謝意を示した。

 「……長旅ん後や、疲れたやろ? 今食事の用意もしたはるよって、今日はひとまずゆっくり休んでくとええ。ここすきに使こうてもろて構へんから」

 「ありがとうございます……」

 感謝を述べつつもソウタは目を伏せ強く握りしめた拳に悔しさを滲ませていた。そんなソウタの様子を見て僅かに口を開いたリユイであったが心苦しそうに口をつぐむと目を閉じ、小さくため息を零しておもむろに立ち上がった。

 「あてらは一旦御暇するわ、色々聞かせてもろてありがとう……ゆっくりしたって」

 そう告げるとリユイ達三人は足早に部屋を後にした。去り際、戸の前で振り返ったリユイはぼんやりと視線を落とすソウタを一瞥すると物憂げな表情を浮かべふと目を伏せると胸の苦しさを振り払うかのようにそそくさと去っていった。


 三人だけになった広間にソウタの大きなため息がじんわりと染み渡るとその心中を案ずるようにウシオは肩を落とした小さな背中にそっと声をかけた。

 「……ここに、手掛かりがあるのですか?」

 ゆっくりと、大きく深呼吸をしてたっぷりと間を置いたソウタは先程までリユイが座っていた場所を鋭く見つめながら静かに口を開いた。

 「……恐らく……何かはあると思う。それが神吏者に直接繋がるものかはわからないけれど……」

 ため息混じりの呟くような弱々しい返事である一方、その目にはまだ確かな光が宿っていた。

 「どうしますか?」

 「……とりあえず待つよ、何を待てば良いのかもまだわからないけど……少し性急が過ぎた。彼女は”今自分から話せる事はない”と言った、今後の行動や条件次第で対応が変わるかも知れない。あと二ヶ月しか無いけど、まだ二ヶ月ある……エステリアでも時間を掛けた、焦らずじっくりいこう」

 「はい」

 その後良い姿勢で座ったまま目を閉じたソウタは食事が運ばれてくるまでの間その場から少しも動かず、その頭の上ではまるでソウタの心情に寄り添うかのように小さな妖精がペタリと座り込みずっとソウタの頭を撫で続けていた。


 その日の深夜――むせ返るほどの甘ったるい香りと煙に包まれた薄暗いとある豪奢な寝所に、二人の女の姿があった。

 「――……と、御君は仰っておられましたが……」

 「なりません。考えるまでもない、リユイ……貴女も何れはこの座を継ぐ者です、何を重んじるべきかは……分かっていますね?」

 畏まり頭を垂れた若い女、リユイが何らかの報告をすると立ち込めた煙の向こう、部屋の奥の暗がりで柔らかそうなソファに腰掛けた女は煙管片手にピシャリと断じ鋭い目でリユイを睨みつけた。

 「……勿論です、十分に心得ております」

 「……結構です。ご苦労様でした、下がりなさい」

 「失礼致します……」

 報告を終えたリユイは顔を上げること無くそのままの姿勢でゆっくりと後ろに下がると暗闇に溶け込むように静かに部屋を後にした。

 幾重にも垂れ下がった風除けのカーテンをくぐり寝所から離れた月明かりの差し込む渡り廊下のような場所まで来るとリユイはそっと袖で口元を隠し小さく咳き込んだ。

 「ケホッケホッ……」

 冷たく澄んだ空気で肺を満たし乱れた呼吸を整えたリユイが仄かに明かりの灯る街を見下ろしながら小さくため息を吐くと、曲がり角の奥から瓜二つの同じ顔がこちらを覗き込み可愛らしくパタパタと小走りに駆け寄ってきた。同じ顔、同じ格好をしたお付きの二人はリユイの元までくると心配そうな表情でリユイの顔を見上げながら手に持っていた水筒をスッと差し出した。事前に頼んでいたわけでもない二人の対応にリユイは少し驚きを見せるとすぐさま慈しむように優しく微笑んだ。

 「いつの間にか気ぃの利くよぉんなって……」

 リユイは水筒を受け取りしばし目を伏せると神妙な面持ちで二人の顔をそれぞれ見つめ穏やかな声色で問い掛けた。

 「シャオユ、シャオズ……あんたらは何があっても、あての側にいてくれるか?」

 シャオユ、シャオズと呼ばれたお付きの二人はただならぬ雰囲気に互いの顔を見合わせるとリユイの不安気な顔を見つめ迷うこと無く揃って頷いた。リユイは緊張が解け安心したように微笑むと潤んだ瞳で二人を見つめそっと優しく抱きしめた。

 「ほんまに、ありがとう……」

 月と星々の見守る中、その囁くような感謝の言葉はリユイの温かな包容と溶け合いじんわりと二人の心に染み入ると夜風に冷えた小さな体をたちどころにポカポカと優しく暖めるのだった。



 衝撃的な会談から数日が経ち、この国のどこかに神吏者の手掛かりがあると見たソウタ達は連日街に繰り出し虱潰しに歩き回って捜索の手を広げていた。住民達の目も気にせず街の隅々まで見て回るものの得られる情報といえば想像以上に高い知識や技術の数々ばかり……建築構造物に見られる匠の技、農作物の効率的な栽培方法、染料の抽出と洗っても簡単には落ちない染色技術に僅かな食料で腹を膨らませる食の工夫など、おおよそ神吏者に繋がりそうな手掛かりは得られないまま……この日ソウタ達は街のとある一角にあるお店に上がり込み集まった住民達と交流を図っていた。

 「ここはこういう形に裁断すると縫い合わせた時にこんな形に仕上がるんです、こっちもココとココを合わせると――」

 店の奥では集まった女性達に取り囲まれ意気揚々と張り切るウシオの姿があった。衣服の色は住民達の方が派手なのだがウシオの纏うエプロンドレスの可愛らしいデザインに興味を惹かれた女性達から声を掛けられ服屋に引きずり込まれて現在に到る。時々沸き起こる女性達の歓声をよそに客足も殆どない店先に腰を下ろしたソウタはお茶をすすりながら暇を持て余した店主の話し相手になっていた。

 「――……リユイさんが当主ではないんですか?」

 「ああ、姫様は政を任されておるだけで当主は他におる。ほれ、あの一番高い建物だ、あそこに当主の王母様がおられる」

 そう語りながら店主が目で指し示したのは山の斜面に築かれた建物の中で一番上にある御殿であった。最も高く、贅の限りを尽くした絢爛豪華なその建物はぼんやりと霞がかかり何人も近寄らせない神秘的な雰囲気を纏っていた。

 「天之宮あまのみやと言ってな、この国の当主となった王母様のお住いだ。宮に入られた当主は基本二度と人前には姿を見せない、現当主もお歳だ……もうお見えになる事はないだろう」

 「(まだ上が居たのか……だから自分から話せる事はない、か……)天之宮……王母様という事は女性ですよね、リユイさんも何れは王母に……?」

 ソウタの問いに店主はゆっくりと頷き天之宮へ遠い目を向けながら説明を続けた。

 「姫様は代々続く女系王族の直系、現当主である王母様の実子であられる。姫様が王母の座を継承されるのもそう遠くないだろう……そうなれば、あの麗しいお姿も拝めなくなるのか……惜しいのう」

 「(やっぱり……手掛かりがあるとしたらあっちか……とは言え……)」

 しみじみと茶をすする店主を尻目にソウタはどう探ったものかと天之宮と呼ばれた建物を見つめながら頭を悩ませていた。日本で例えるならばつまり皇居のような場所という事である、迂闊に侵入でもしようものなら即罪人となりリーミン全体を敵に回す事になるであろう事は容易に想像がつく。

 「(人前にはもう姿を見せない、か……ポイント稼ぎでどうにかなる気がしないな……繰り返ししつこくお願いし続けるしか無いか……或いは大きな恩を売るような何か……)」

 道筋の見通せないソウタと暇を持て余した店主、憂いを帯びた二つのため息が重なって零れ落ち同時に茶をすする音が軒先に染み渡るとその陰気を吹き飛ばすかのように店の奥からは完成です! というウシオの声と共に女達の一際大きな歓声と拍手が沸き起こるのだった。


 エプロンドレスの布教にホクホクとご満悦なウシオを引き連れ日が暮れるまで街中を歩き回って神吏者の手掛かりを探すものの……相も変わらずこれと言った収穫もなく、この日もどうしたものかと頭を悩ませながらソウタ達は長い階段の先、山の斜面の借宿を目指して帰路についた。

 早めに夕食を頂戴した後窓辺で頬杖を突き街を見下ろしながら明日以降どう立ち回ったものかと物思いにふけっているとそこへ突然、お付き二人と一緒にリユイが訪ねてきた。はんなりとした軽妙な口調で挨拶を交わすのだがリユイの表情はどこか固く、オーラにもやや緊張が見て取れた。

 会談の時と同じ場所にそれぞれ座り一体何用なのだろうかとソウタが相手の出方を窺っていると、大きく深呼吸をしたリユイは神妙な面持ちでソウタを見つめゆっくりと口を開いた。

 「こないだの、例の件やけど……やっぱり話す事は出来ひん」

 ゆったりと、しかし確かな声音で、リユイはきっぱりとそう告げた。微かな期待を打ち砕かれたソウタが視線を落とし小さくため息を零すとその視線を引き戻すようにリユイは更にこう続けた。

 「せやから……自分の目で、確かめてもらえるやろか」

 自分の目で確かめる……? と、その言葉の意味を飲み込めずソウタがポカンとしているとリユイは帯の隙間から折り畳まれた一枚の古ぼけた紙を取り出し、お付きの一人に手渡すとそのお付きはソウタの目の前にその紙を広げてみせた。それほど大きくはないそのくすんだ色の紙には随分と簡素ではあるが墨の真っ黒な線で地図のような絵が描かれていた。トゲトゲゴツゴツとした険しい山とその中に社のような建物がいくつかある、そんな社から少し離れた左の方にははっきりとバツ印が付けられておりそれはさながら宝の地図のようであった。

 これは? とソウタが尋ねるとリユイはすぐには答えず、オーラを揺らめかせながら静かに目を閉じた。ゆらゆらと不安定だったオーラがゆったりと落ち着きを取り戻していくとリユイの目はスッと開かれ覚悟を湛えた真っ直ぐな瞳がソウタを見つめた。

 「そのバツ印のとこに、王族が緊急時に使う避難用の隠し通路の出口がある。中は一本道で、真っ直ぐ一番上の建物……天之宮に繋がっとる」

 「…………は……?」

 ソウタは余りの衝撃に大きく目を見開いた。リユイは、彼女は今、国の最重要国家機密を数日前リーミンに着いたばかりの初対面の旅人相手に話しているのである。もしバレれば情状酌量の余地もなく言い逃れすら出来ない国家反逆罪、一発で死罪になってもおかしくはない重罪である。

 一体何を考えているのか……と困惑しながらも思考を巡らせるソウタを差し置いてリユイは尚も一方的に話を進めた。

 「丁度ええ事に今夜は新月、雲も出とるから闇に乗じるならこれ以上ない機会や。ここをこっそり抜け出すくらいわけないやろ? あては先に上行って待っとるから、隠し通路を通って上ってきたって」

 「……何を言っているか、分かっていますか……? この国の法律の事はよく知りませんが、こんな事をすればただでは――」

 「わかっとる」

 ソウタの言葉を遮ったリユイはぼんやりとソウタの前に置かれた地図を見つめながら確かな覚悟をそのオーラに滲ませていた。

 「大きい声は出さんといて、外に聞こえてまう……言われんでもようわかっとるよ」

 「……何をするつもりなんですか」

 ソウタの問いにリユイはしばし黙り込むとやがてゆっくりと地図からソウタへ視線を移しほんのりと笑みを浮かべてみせた。

 「……あてにはあての考えがある、それだけの事や」

 覚悟を決めた、と言えば聞こえは良いがそう微笑むリユイの様子には諦めとも取れる気配が感じられた。ソウタがお付きの二人も巻き込むのか、と少々意地悪な言い方をするとリユイは穏やかな笑みを讃えたまま静かに頷き、お付きの二人も後に続いた。

 「我々は常に」

 「姫様と共に」

 少年と少女の声でそう告げたお付き二人のオーラに迷いは一切なかった。完璧に覚悟を決めてきた三人にソウタが逡巡を見せているとリユイはまるでダメ押しとでも言うかのようにソウタ達の望みを潰しにかかった。

 「踏ん切り付かんようやから先に言うとくけど、正攻法では無理やえ? 王母様に取り入るんは無理や、何年待っとっても望みはかなわん。それとも、亡くなるまで待ってみる?」

 畳み掛けられるリユイの圧にソウタはただ押し黙る事しかできなかった。街中を探せど手掛かりは得られず、どうしたものかと悩んでいた所にこの話である……反論に足る策など持ち合わせてはいなかった。

 「急いどるんやろ? 事情があるんやろ? ほんなら、今しかない。こん機を逃せば、次はないわ」

 次はない……その言葉が重くのしかかりソウタは目の前の地図へと視線を落とした。記されたバツ印を見つめながらソウタはここまでの話を整理すべく思考の海へと漕ぎ出していく――。


 ――神吏者の話を出した際リユイのオーラに反応が見られ、何か知っているのかと追求したもののその時は話してはもらえなかった。その後のやり取りでフィリアの事ではなく別の神吏者に関する手掛かりがこのリーミンにあると当たりを付けたのだが、現在に到るまでこれと言った情報は得られていない。そこに来て話せはしないが自分の目で確かめろ、とリユイはソウタ達をどこかへ案内しようととんでもない話を持ち込んできた。緊急時用の避難通路という国家機密を暴露してでもソウタ達を最上部の天之宮へ連れていきたいようだがその狙いについては定かではない……と、ここでソウタはリユイの言動のある部分に引っかかるものを覚えた。

 話せない、けれど確かめさせようとはしている。知られたくないのではなく、知られても構わないがとにかくどこかへ連れていきたい。知られて良いならこの場で話せば良いだけ……つまり教える事に意味はなく、いずこかのその場所へ案内する事自体が目的……もし仮にリーミンにある神吏者の手掛かりが痕跡や文献の類である場合、その保管場所にソウタ達を連れて行く事に意味はない、ただソウタ達を犯罪者にするだけである。反逆罪にすら問われかねない危険を冒しているリユイの狙いがそんな事にあるとは到底思えない。王母がソウタ達を招いている? 否、それであれば正面から堂々と招けば良い、コソコソと侵入させる理由がない。或いは全てブラフで、ソウタ達をまんまと陥れる為の罠? 荷物を運んできただけのたった三人の旅人を? 絶対にあり得ないとまでは言えないがこれも考えにくい。洗脳装置でもあれば話は変わってくるかも知れないが果たしてそんなものがこの世界にあるのだろうか? 神吏者の技術を持ってすれば可能だろうか……神吏者の技術? 神吏者の残した遺物を利用しソウタ達を国力に加える線は考えられる。野盗を物ともせずたった三人でエステリアから荷物を運んで見せるフィリアが信頼をおく旅人、懐柔する価値はあるだろう。しかし他者を罠にかけ貶めようという者がここまでの覚悟を示せるものだろうか……つらつらと高速で思考を巡らせたソウタはフィリアからの手紙に向けて見せたリユイの慈母のような温かな表情を思い出す。


 「(ボク達を天之宮へ連れて行く事にリユイさんは命を懸ける程の覚悟をしている。彼女をそうさせるだけの何かが、天之宮にある。そしてそれは神吏者に関わる何か……)」

 リユイに対し、フィリアほどの全幅の信頼をおく事はまだできない。しかし迫る期限と八方塞がりな現状、そして唯一かも知れない目の前にぶら下げられたチャンス……なりふり構わないと決めたソウタにはもはや選択肢など無いに等しかった。ソウタは目を閉じゆっくりと大きく息を吸うと盛大なため息に変え吐き出した。この選択の先に仮にどのような障害が待っていようとも乗り越えればよいだけの話……虎穴に入らずんば虎子を得ず、ソウタはスッと目を開けると真っ直ぐにリユイを見つめ返した。

 「わかりました、そのお話……乗ります」

 「……ありがとう」

 感謝の言葉と共に頭を下げる寸前、穏やかな表情をしていたリユイはほんの一瞬だけ申し訳無さそうに眉をひそめた。それはもう後戻りできないという証左であり、己の目的の為に罪に巻き込む事への最後の良心であった。


 その後リユイ達が天之宮へ向かったのを確認するとソウタ達は布団の中に三人分の人形を置いて偽装工作し、リユイ達が去り際に置いていった黒い外套を纏って借宿を抜け出した。月明かりがなくとも白い服装は流石に目立つという事で用意してくれたものである。険しい山肌を物ともせず人目を警戒しながらピョンピョンと南へ向かうとやがて防壁の外へ出る、そのまま山の斜面に沿って数百メートル離れた所まで進むと目印の大岩が見えてきた。

 大岩に到着しリーミンとは反対側に回り込んでみると岩の裏側に人一人がやっと通れる程度の細い隙間が空いていた。いい感じに影などでカモフラージュされており平地ではなく斜面にある事なども含め余程入念に調べなければまず見つかる事はないだろう。

 小さな隙間という事であれやこれやして何とか内部へ入るとそこはパッと見天然の洞窟のようだった。人の手が加えられたような形跡はなく当然明かりもない、闇が静かに佇むだけのつまらないほら穴である。何も知らなければ恐ろしくてとても前に進もうとは思わないであろう暗闇の中、ソウタ達は念の為明かりを点けずにズンズンと奥へ突き進んでいった。天然らしくグネグネと曲がりくねった不親切な道を進んでいくとほどなくして行き止まりへと突き当たる。ゴロゴロと赤茶けた大岩が立ち並ぶ袋小路でキョロキョロと周囲を注意深く観察したソウタはやがて、右側に佇むソウタと同じくらいの背丈ほどもある岩に目星をつけるとミルドに岩を動かすように指示を出した。ミルドが重そうなその岩をひょいと軽々持ち上げてずらしてみると案の定潜り抜けられそうな横穴が現れ、またあれやこれやして横穴をくぐり抜けるとようやく……明らかに人の手が加えられた空間へと出た。

 少し広い円形の空間は壁際と天井に崩落防止用と思われる黒い支柱と梁が設けられていた。鉱山などの坑道に見られるような丸太で雑に組まれたようなものではなく、きっちりとした設計の下に造られた綺麗な空間であった。一国の、王族用の避難通路ともなればこんな所にも手は抜かないのだなと少々感心しながら更に奥へ続く通路を進んでいくといよいよ、先の見えない階段がソウタ達を出迎えた。

 表から見た天之宮は少なく見積もっても標高五百メートルは下らない位置にある。その高さに到る階段が一体何段になるのか、暗闇の中では皆目検討もつかなかった。

 「表の階段何段あるのか聞いておけばよかった……」

 ジト目で伸びる階段の先を見つめながらため息を零すとソウタはウシオと顔を見合わせ頷きあった。

 「行こう」

 そう告げるとソウタは階段の先に佇む闇を鋭く見据え、最初の一段目へ足をかけるのだった。


 一方その頃――一足先に天之宮へと向かっていたリユイ達はジグザグと続く階段の最後の折返しを越え、そびえ立つ巨大な建造物を眼前に捉えていた。

 横幅は優に五十メートル以上、真っ赤に塗られた太い柱が規則正しく立ち並び建物全体を力強く支えている。外観では二階建てのように見えるが中は吹き抜けになっている為実質一階しかない、その一階部分に壁はなく外から全て丸見えである。リーミンの城の殆どは山の斜面に支柱を立て半ば宙に浮くような形で建てられているものばかりなのだがこの天之宮は違う。山の斜面を削り平らに均した土地を作った上に建てられている。それ故の大きさ、それ故の圧倒的存在感はまさしく国を治める者に相応しい威容と荘厳さを放っている。

 ゆっくりと、かつしっかりとした足取りで天之宮の正面に立ったリユイは一度その大きな建物を見上げると姿勢を正し、お付きの二人共々深々と頭を下げ一礼した。その先に人がいるわけではない、王母とその配偶者以外の者が天之宮へ入る為の慣例である。たっぷりと十秒礼を捧げるとリユイは顔を上げゆっくりと宮の中へと歩き出した。

 正面から入るとまずは赤い絨毯が出迎えてくれるのだが、見通しの良いその空間に人影は一つも見当たらなかった。それもそのはずで王の住まいであるにも関わらず天之宮には警備兵などは一人も置かれていない。宮の左右に奥の院がありそれぞれに王母とその配偶者である王配が暮らしている為そちらに侍従が何人かいるが、配置されている人員はたったのそれだけである。人を置かない事が一番の安全策と言う王母の考えらしい。

 出迎えてくれた幅の広い赤い絨毯は真っ直ぐ奥まで続いておりその先にはピラミッドのような階段とその頂に二つの綺羅びやかな椅子、玉座が佇んでいた。階段の手前までまっすぐ進みリユイは誰もいない玉座にもう一度一礼を捧げると今度は左に曲がり、階段の両脇に設けられた裏手へ続く通路の方へと進んでいく。通路をそのまま突き当りまで進むと左手には王配の住む奥の院に続く回廊があり、右手には玉座へと上るやや勾配の急な階段がある。そして正面には天井から床まで厚手の布が垂れ下がっており一見するとただの壁のように見えるのだが……実はこの布の裏に玉座が佇む階段の裏手へ回れる通路が隠されている。もちろん布を捲ったくらいでバレるようなちゃちな隠し方はされていない。周囲に人気がない事を確認したリユイはここで待つように言いつけお付き二人をその場に残すと明かりを手に一人布の奥へと滑り込むように入っていった。


 その頃、ソウタ達は既に長い長い階段を上りきり行き止まりでリユイの合図を待っていた。階段は多少クネクネと折れ曲がっていたもののリユイの言っていた通り一本道で、魔獣などの脅威もなかった為全速力で駆け上がった結果僅か一分余りでてっぺんまで辿り着いた。事前の取り決めではリユイが隠し通路の前で待機し予め隠し戸の隙間に小さな紙を差し込んでおく、それをソウタ達が中から引き抜けば到着を報せられるという事だった、のだが……余りにも早すぎた為紙はまだ差し込まれていなかった。

 真っ暗闇の中音を立てないよう息を殺して待つ事数分、戸の向こうに明かりと人の気配が近付き隙間から紙が差し込まれるとソウタはリユイを驚かせないよう少しだけ間を置き差し込まれた紙をそっと引き抜いた。

 戸がゆっくりと開き出迎えたリユイはポカンと口を開け呆れたような表情を見せると途端に口元をほころばせ小声で呟いた。

 「早すぎやろ、ほんま……只者やないな」

 リユイに導かれ足を踏み入れた天之宮は冷たい空気に満たされ仄かに木の香りがした。ランタンの明かりでは照らしきれないほどの高い天井を見上げるソウタの傍らではリユイが隠し通路の戸をゆっくりと閉めていた。壁そのものが引き戸のように動くようになっているようなのだが、驚くべきはその音である。木で出来ているであろう壁に偽装した引き戸は微かな摩擦音すら聞こえないほど静かに動いていた。壁を模しているだけあってその引き戸は大きさもかなりあり、女性であるリユイ一人で動かせるという点もまたソウタを驚かせた。

 リユイは隠し通路の戸を閉め終わると小さく一息吐き今度はその対面、反対側の布に覆われた壁に手を添えソウタと顔を見合わせた。

 「この先や、準備はええか?」

 小声での問い掛けにソウタは声は出さず頷いて答え、リユイもまた頷き返すと布の隙間に手を差し込み先程と同じ要領で壁を模した隠し戸を動かし始めた。

 隠し戸の奥には支柱と梁が施された避難通路に似た綺麗な道が真っ直ぐ伸びていた。戸をくぐりほんの数段の階段を下りると足元には土が付かないよう木の板が張られ奥まで木道が整備されている(湿地などに見られる板や丸太を組んで作られた歩道)。隠し戸をきちんと閉めリユイを先頭に歩を進めていくと十メートルほど進んだ所で行き止まりに突き当たり全員が足を止めた。パッと見誰がどう見てもただの袋小路、四方の土壁をキョロキョロと見渡すとウシオが思わず口を開く。

 「……何もありませんね」

 「いや……」

 ウシオの言葉に即座に相槌を打ったソウタは真っ直ぐ正面の壁を凝視していた。

 「正面の土壁は自然のものじゃない、作り物だ」

 動植物だけでなく大地にも微かにオーラは流れている、天然と人工のオーラの違いを看破しソウタが断言してみせるとリユイはゆったりと振り返りソウタに向けてそっと笑みを浮かべた。

 「それも不思議な目ぇで見えとるん? 見えんもんが見える言うんはほんまなんやねぇ」

 耳に心地の良い声で囁くとリユイはおもむろに数歩下がり右の壁に寄ると正面の壁を見るように手で示した。そのまま数秒壁を凝視していると突然、土壁のように擬態した壁の表面が音もなく動き出し岩のような凹凸が沈んでいくとやがて金属質でフラットな壁に変貌を遂げた。その壁は驚き身構えるソウタ達をよそに尚も動き続けると引き戸のようにスライドし壁の中へと吸い込まれていった。

 ポッカリと口を開けた扉の先の光景にソウタは見覚えがあった。艷やかな光沢のある金属質で、一切凹凸のない完全フラットな壁に包まれた無機質な通路……神吏者の手掛かりを求め調査に訪れた落ちた星の中で見たあの通路である。扉の先を見つめながらソウタはここに来て初めて、ここにある手掛かりが手掛かりどころのものではない可能性に気付き息を呑んだ。

 「(まさか……居るのか……?)」

 説明が欲しいと目で訴えるソウタに対しリユイはただ穏やかな笑みを向けると説明ではなく案内出来るのはここまでだと告げた。

 「あとは……自分の目ぇで確かめるとええ」

 本当に何も話すつもりはないのだと、リユイの纏うオーラから察したソウタは扉の先を鋭く睨みつけながら念の為の備えとしてこっそりと依り代を一枚足元の木の板の隙間に滑り込ませ隠した。身構えた姿勢を解きゆっくりと姿勢と呼吸を正すとソウタは唐突にリユイへと向き直り、深々と頭を下げて感謝を伝えた。突然向けられた感謝に驚くと同時に胸が痛むのか……リユイは目を細めそっと手を握りしめた。

 「……感謝されるような事なんか、何もしてへんよ……はよ行き」

 か細い声でそう言うと居たたまれなくなったのか、リユイはソウタ達の脇を通り一人天之宮の方へ帰っていってしまった。段々と離れていく明かりとリユイの背中を見送るとソウタは改めて暗闇の中不気味に口を開けたままの無機質な通路へと向き直りその奥に広がる深淵を見据えた。

 「……鬼が出るか、蛇が出るか……」

 果たして、四ヶ月間待ち望んだ瞬間がこの先にあるのか……期待と不安の入り混じる空気を一際大きく吸い込んだソウタは一息に景気よく吹き払うと最大限の警戒を胸にウシオへ進行の合図を告げる。

 「……行くよ」

 「……はい」

 かくして、リユイの狙いもわからないまま東の最果ての国リーミンの地で運命の一歩を踏み出したソウタ達は、謎に満ちた冷たい深淵の待つ扉の先へと静かに飲み込まれていくのだった。


 ソウタ達三人が足を踏み入れるとすぐさま背後の扉は音もなく閉まり逃げ道を封じられた。それと同時にまるで先へ進めと促すように床と壁に淡い光を放つ模様が浮かび上がり何もないフラットな一本道を照らし出した。扉の開閉に照明、まるで見られているような不気味さを感じさせるがどの道引き返す事もできない。ソウタ達はゆっくりと、石橋を叩いて渡るかの如く慎重に慎重を重ねながら誘われるままに奥へと歩を進めていった。

 どれくらい進んだのか、何の目印も無くまるでずっと同じ所を歩いているかのような錯覚を覚えながら落ちた星の時とは違う傾斜も無ければドアの位置を示す模様もない平坦な通路を進んでいくとやがて、ソウタは進行方向に道を塞ぐように透明な円柱が置かれている事に気が付き足を止めた。幅約三メートルほどの通路をピッタリと完全に塞いでいるその円柱は約五メートルほどの高さにある天井まで真っ直ぐに伸びていた。

 「……これも見覚えあるな」

 ソウタは落ちた星の中心部にあった透明な柱を思い出していた。人形では傷一つ付けられなかった恐ろしく硬い透明度の高い円柱、違いは赤い玉が見当たらない事くらいである。ここまで来て行き止まりという事もないだろうとゆっくり歩み寄りソウタの伸ばした指先が円柱の表面に触れると次の瞬間、円柱は突如淡い光に満たされ輝き出した。瞬時に飛び退き距離を取ったソウタ達が身構えたままじっと光る円柱を凝視していると、円柱下部の表面に縦一直線の線が入り扉のように左右にスライドして開いた。現れた円柱の内部には何もなくただ円形の小さな部屋があるだけ……先程の扉や照明の事と言いまるでどこかで見ている誰かにおちょくられているかのようなこの状況にソウタは露骨に眉をひそめると不機嫌そうに呟いた。

 「……むかつく」

 「ソウタ、冷静に」

 ウシオに諌められたソウタは沸いた怒りをため息と共に吐き捨てると構えを解いて光る円柱を睨みつけた。もし神吏者が敵になり得るならここはもう敵の腹の中という事になる、冷静さを欠いてはいつ足元を掬われるかもわからない。深呼吸して気持ちを落ち着けると再度円柱に歩み寄り開きっぱなしで待っている扉の中へと止まる事なく堂々と踏み込んでいった。

 透明な円柱は何の事はない、ただのエレベーターだった。ソウタ達が乗り込むと扉は自動的に閉まり音も揺れも無いまま静かに下降していった。動いているのかどうかも判然としない地球の物とは全く違う原理のわからないエレベーターに上下左右キョロキョロと目を泳がせていると突然ソウタの目の前の壁が扉のように開きソウタはまたしても身構えてしまった、開いたのは乗り込んだ時とは反対側である。開いた扉からはまた無機質な通路が一直線に伸びており十メートルほど先、右の壁に開け放たれた扉から光が漏れている部屋が見えた。ソウタ達がエレベーターから下りると円柱は再び光を失い、代わりにまた通路を照らす光る模様が進めと言わんばかりに前方を照らした。

 土壁に擬態した扉に始まりここに到るまでの短い道中にも目の当たりにした理解の及ばない高度な技術の数々……あの部屋の向こうに神吏者本人が居る……その可能性の高まりを感じソウタは緊張からか指先に痺れるような感覚を覚え咄嗟に強く拳を握りしめた。もうあとたったの十メートル、目の前に見える光の漏れ出す部屋で今回の任務の成否が決まってしまうかも知れない。四ヶ月もの長期に渡り探し続けてきた旅の目的――神吏者。所在も詳細も何も分からなかった得体の知れないその存在に遂に手が届くかもと思った瞬間、これまで背負ってきた数々の思いがフラッシュバックのように脳裏に浮かび上がりソウタの小さな体をゾワリと竦ませた。中には恐怖もあっただろう、目まぐるしく脳内を駆け巡る記憶と感情に強張ったソウタを解きほぐしたのは傍らに寄り添うウシオ……ではなく、頭の上にちょこんと座っていたスイカの小さな手のひらであった。

 借宿を出る前、何があるかわからないからなるべく静かにしているようにとソウタに言われていたスイカは言いつけ通りお口にチャックをしたままそっと優しくソウタの頭を撫でていた。小さな手のひらで何度も何度も、繰り返し撫でられている事に気が付いたソウタは固く閉じた拳から徐々に力を抜くといつの間にか俯いていた顔を上げゆっくりと頭の上を見上げた。

 「スイカ……」

 ソウタが顔を上げるとウシオもそっとソウタの背中に手を添えた。添えられた温かい手といつものように穏やかな微笑みを湛えるウシオの顔を見上げたソウタは開いた自身の両の手に目を落とし二回、閉じて開いてを繰り返した。痺れていた指先の感覚はもうどこにもない。光る部屋を見据え大きく深呼吸を一つするとソウタは二人に心からの感謝を伝えた。

 「二人共ありがとう……大丈夫、行こう」

 「はい」

 「行こー(小声)」

 恐れる事はない、何があろうと冷静に対処するだけだと己を支えてくれているものを再確認しソウタは明かりの漏れる部屋へと真っ直ぐに歩き出した。


 開け放たれた扉の前に立ち眩しさに細めたソウタの目の前僅か三メートルの距離――それは車椅子のようなものに座りこちらに背を向けて、何食わぬ様子で平然と奥の壁に映し出された画面を見つめながら平凡な日常風景の中にポツンと佇んでいた。三角形の角を削り落としたような形の部屋の中は左側に取って付けたような雰囲気の合わないダイニングテーブルのようなものが置かれ左奥に別室の入り口が見えるくらいの簡素な作りでおおよそ生活感は感じられなかった。

 車椅子の人物はボサボサの白髪頭で膝掛けを垂らしリーミン染めの衣服の袖から華奢な細い指がチラリと見て取れる人の姿をしていた。しかしソウタは車椅子の人物を鋭く凝視しながら他の気配もない部屋の中へは中々踏み込もうとしなかった。人の姿をしながら人ではない事を、ソウタの目は捉えていた。

 「(やっぱりと言うべきか……フィリアさんと同じ……気が見えない)」

 生物なら備えているべき生命力の流れ、オーラを放たないその人物を警戒し扉の外に立ったまま出方を窺っていると、その人物はおもむろに首を動かしこちらに気付いたような素振りを見せ無警戒に振り向くと疲れた果てたような無感情な瞳にソウタを映した。

 「……アァ……ようやく来たか……」

 疲れた目の車椅子の人物は喉の奥底から絞り出したような、低く濁った声でそう告げると車椅子をくるりと回転させソウタ達の方へ向き直り面と向かうやいなや物言いたげな様子で睨みつけ口を開いた。

 「……まずは自己紹介、だったか……名はイリシオス……随分長く待たせてくれた……」

 待たせてくれたとはどういう意味なのか……恨めしそうな男の目を見つめながらソウタが考えていると、唐突に左奥の別室の扉が音もなく開き更にもう一つの人影が姿を現し驚きと共に瞬時に目を向けた。出てきた人物は淡い黄緑色の髪をした可愛らしい少女のような姿をしていたがやはりこちらもオーラは纏っておらず、表情もなければ感情もないその瞳はどこかロボットのような機械的な無機質さを感じさせていた。

 二人に増えた神吏者と思われる人物に警戒を見せるソウタ達を見て車椅子の男イリシオスはその必要はないと語りかけた。

 「無意味だ……元より敵意もその力も、我々にはない……」

 そう言うとイリシオスはおもむろに膝掛けをめくりその下をソウタ達へ見せてきた。膝掛けの下、イリシオスの見せた下半身は一言で言えば”なかった”……厳密に言えばボロボロと白い砂のように崩れ見る影もなく原形を留めていなかったのである。生き物であればとうに死んでいてもおかしくないような異質な光景に絶句するソウタ達をまるで意にも介さず、イリシオスはめくった膝掛けを元に戻すと緑髪の少女に視線を向け淡々と自己紹介の続きを始めた。

 「彼女はフィ……私の介助を任せているが……人格のない人形のようなものだ……気にしなくていい」

 気遣いも思いやりもない短い自己紹介を終えるとイリシオスは客人に茶を出してくれとフィと呼ばれた少女に指示を出し、与えられた指示をこなす為少女の形をした人形は一言も発する事のないまま再び奥の部屋へと戻っていった。

 立ち尽くしたままソウタが奥の部屋へと消えた少女へ視線を向けているとイリシオスはゆったりとした緩慢な動きで手のひらを上に向けテーブルの方を指し示した。

 「立ち話でも構わないが……座ってはいかがかな」

 オーラが見えない事は同じにも関わらずフィリアと違い全くと言っていい程人間味を感じさせない二人にどう接したものかと困惑しつつ、ソウタはお邪魔します……とテーブルに付く事を了承した。

 テーブルに付くとソウタは逸る気持ちを抑え早速何よりもまず先に確認しなければならない肝心な事を一つ尋ねた。

 「一つ、確認させて下さい。あなたは、あなた方は、神吏者ですか?」

 奥の部屋に消えた少女の方も一瞥し気にかけるソウタにイリシオスは呆れたような様子であっけらかんと答えた。

 「そうだが……改めての確認が必要か……その目は見えないものが見えると聞いたが……万能というわけでもないのか」

 恐らくリユイから聞いたのであろうソウタの能力について、イリシオスは右手を口元に添えながら考え事を始めた。そんなマイペースな神吏者とは対照的にソウタは神妙な面持ちでイリシオスの膝掛けに視線を向けると先程見せられた崩れた下半身を思い出しながら気掛かりを一つ尋ねる。

 「神吏者と言うのはその……皆砂になるんですか……」

 もし神吏者の末路がみな同じなら何れフィリアも砂になってしまうのだろうかと、心配からくる懸念であったがイリシオスはソウタの問いに対し口元に手を添えたままゆっくりと首を傾げていくと斜めになったまま止まりしばしの間じっとソウタを凝視していた。

 「……ふむ……落ちた衛星の中で遺体でも見つけたか……形を保っていたとは驚きだ」

 イリシオスはブツブツと呟き一人で勝手に納得を得るとソウタの問いには答えないままゆっくりと傾いた頭を起こしソウタの心中を見通すかのように核心を突いてきた。

 「その話をしてもいいが……聞きたい事はそれではないだろう、異星者の少年」

 神吏者イリシオスの口から放たれた言葉にソウタは背筋をなぞられたかのように心をゾワリと粟立たせた。異星者の少年――ソウタ達が別の星から来た事を、この男は知っていた。かつてこの星の森羅万象、この世の全てを意のままに操ったとまで謳われる神吏者であればその目など到る所にあるのだろう。ソウタはこれまでの事は全て見られていたという前提を念頭に置き気持ちを落ち着ける為ため息を一つ零すと、相手の求める流れに乗って話を進める事にした。

 「……先程、待たせてくれたと言ってましたが……どういう意味ですか?」

 「……ふむ……そのままだが……百九十と四日前、『天星樹』の異常反応を感知したその日から……異星からの来訪者がここまで来るのを待っていた」

 「(天星樹? 百九十四日前……ボクらが来てからまだ百二十日と少ししか経っていない……その二ヶ月以上前…………第一次調査派遣か)」

 一体いつから、どこまで見られていたのだろうかと、ゴクリと息を呑んだソウタは慎重に質問を重ねた。

 「その、天星樹というのは? あの巨大が過ぎる樹の事ですか?」

 「……意味のない質問が多いな……他にあるかね」

 イリシオスはまた首を傾げソウタを凝視した。疑問に思うと首を傾げるらしい。ソウタはまた関係のない質問と咎められるかも知れないと思いながらも率直な疑問をぶつけてみた。

 「天樹は、あれとは違うんですか?」

 「天樹……エステリアの小枝か……全く違う」

 イリシオスはゆったりと頭を起こすと天樹のある方向の壁に視線を向け目を細めて至極つまらないものを見るような目で話し始めた。

 「あれは天星樹の力に奇跡的に適応できただけの……ただの植物に過ぎん……既に成長も止まっている……比較対象にもならん」

 真っ直ぐに壁を見つめるその目はどこか怒りや不満を抱いているかのような攻撃的な色をしていた。無感情に見えたが一応感情はあるのだろうか、などと考えながらソウタは耳慣れない言葉について説明を求めた。

 「天星樹と言うのは、一体何なんですか?」

 イリシオスは壁からソウタに視線をゆっくり戻し口元に手を添えながらしばし考え込むと淡々と好奇心を宿す瞳に応えた。

 「ふむ……君等は……この星に来てから……自分達の星に似ていると、疑問に思う事はなかったかね」

 イリシオスの質問にソウタはドキッとし、こちらに来てすぐの頃を思い出した。事前に確認していた大気組成に加え着いてすぐ計測した大気圧、気温、重力、放射線濃度、何れもソウタ達に都合よく問題がなかった。また農村バードルフでは理事代表ホサキから預かった懐中時計で一日の時間を計測した事もあった。地球とほぼ同じ二十四時間である事を知り時計が壊れているのではないか、ここは地球のパラレルワールドなのではないか、などと考えていた記憶がある。ソウタは四ヶ月前の記憶を頭に思い浮かべなから眉をひそめイリシオスを見た。

 「思い当たるフシはありそうだな……君等の星の複製の可能性なども考えたか」

 まるで脳内を直接覗かれているかのような鋭い追及にソウタは言葉が出なかった。そんなソウタの心情に構いもせずイリシオスは淡々とマイペースに話を続けた。

 「その考えは悪くない……ただし……逆だ」

 「逆……」

 出すつもりのなかった小さな声がソウタの口から零れ落ちた事すら歯牙にも掛けず、イリシオスは衝撃的な発言を日常会話のような全く変わらないトーンで繰り出した。

 「こちらが複製なのではなく……君等の星がこちらの複製なのだ……それこそが天星樹の力……根差した星の記憶を元に……宇宙そのものを複製する力だ」

 宇宙を複製する……途方も無いスケールの大きな話にソウタは全く実感を持てずただ呆然とするしかなかった。ソウタが呆然とテーブルに視線を落としている間、奥の部屋から緑髪の少女が戻ってくるとお茶をテーブルに並べるのを見届けイリシオスはすぐにまた奥で待機していろとフィに告げた。またしても一言も発する事なくフィが静かに奥の部屋へ帰るとイリシオスは未だ呆然としたままのソウタに向け更に一方的に語り聞かせた。

 「あれは生み出した宇宙の数だけ葉をつける……ただしあくまでも、根差した星の記憶から……その成り立ちを複製するだけだ……必ずしも同じ星が出来るとは限らない」

 あの空を埋め尽くすほどの星空を湛えた葉の一枚一枚が全て独立した別の宇宙である――想定もしていなかった規模の話にソウタは情報を素直に受け止めるだけで精一杯になっていた。しかしそれでもイリシオスは構わず更に質問を重ねてきた。

 「『回廊』は依然閉じたままだ……君等は一体、どうやってこちらへ渡ってきた?」

 「あ……えっと……」

 初めての言葉が飛び出しソウタは一度頭の中を整理しようと深呼吸し咳払いもするとイリシオスの問いに答えながらここまでの話をゆっくりと時間を掛けて噛み砕いていった。フラッシュフォールから始まる地球での出来事を語り聞かせている間、イリシオスは口元に手を添え興味津々といった様子でソウタを凝視し耳を傾けていた。

 「……ふむ……葉に飛び込む……そんな手段があったか……同じ方法で帰ろうとは考えなかったのか?」

 「考えなかったわけではありませんが、その時は色々と事情が重なって出来ませんでした」

 鳥人形を飛ばしたが葉が大気圏外にあり届かなかった事、ガルド達森番との関係などタイミング的な事もあって試せなかった事を話すとイリシオスはまるで安堵するような妙な反応を見せた。

 「結果的にか……まあいい……試さなくて正解だ……もし違う葉に飛び込むような事があれば……二度と帰還は叶わなかっただろう」

 「……どういう事ですか?」

 「君等の話を鑑みれば……あの葉は全て生み出された宇宙とそれぞれ直接繋がっている……だが、我々神吏者がまだこの星にいた頃……確認出来た星を形成した宇宙は三十にも満たず……人間程度の知的生命体が確認された星は二つしかなかった」

 またとんでもない話を聞かされている……と頭の中をムズムズさせているソウタを真っ直ぐ見つめているはずなのだが、イリシオスの説明はまるで独り言のように止めどなく続いた。

 「渡った先の宇宙に天星樹の葉があるとは限らない……君等の星でも天星樹の葉は一枚だと言う……星がある保証もない……何もない宇宙空間に投げ出され……もし仮に無事生き残れたとしても……天星樹の葉がなければ任意に戻ってくる事は出来なかっただろう」

 よくわからないが試さなくて正解だった、という事で納得しソウタは一旦思考を止めた。一度目を閉じこんがらがりそうな脳内をグルグルと回して整理しようと試みるも……無情にもイリシオスの話はまだ終わっていなかった。

 「フラッシュフォールなる発光現象も……恐らく回廊や機能を制限した影響で行き場をなくした力が、枝葉を介して溢れたのだろう……君等の獲得した異能とやらも、天星樹の力の影響と考えられる……宇宙そのものを複製するほどの力だ……何が起きても不思議ではない」

 こちらの理解などお構いなしに無遠慮に繰り出されるイリシオスの話に限界を感じたソウタは少し緊張がほぐれたのか、神吏者を探していた本来の目的を思い出しそっちがそんな感じならこっちも遠慮なく行かせてもらおう、と真っ直ぐな瞳で尋ねた。

 「帰る手段はありますか?」

 このソウタの質問にイリシオスはまるで「ハァ……やっとか」とでも言いたげな恨めしそうな目でソウタを見つめ返した。

 「ハァ……やっとか……無論ある……閉じられている回廊を繋ぎ直せばいい……それこそが君等を待っていた理由でもある」

 目で語るのみならず口に出しやがったイリシオスにちょっとイラッとしながらもソウタは心を抑えここまで何度も出てきた言葉の説明を求めた。

 「その先程から何度も出てくる回廊ってなんです?」

 「天星樹は生み出した全ての宇宙と繋がりを持っている……その繋がりを辿って我々神吏者が作った道……それが回廊だ」

 「どうすれば繋ぎ直せますか?」

 何故閉じられているのかや機能を制限したという発言なども気になる所ではあるが、また独り言のような一方通行の長い説明を聞かされても堪らないのでソウタは必要な事だけ聞く事にした。しかしここまでソウタ達の事などお構いなしに淡々とマイペースに語ってきたイリシオスはソウタを見つめたまま急に黙り込むとやがて藪から棒に奇妙な事を言い出した。

 「……ふむ……回廊を繋ぎ直す事はこちらの目的でもあるのだが……一つ、条件を付けさせてもらってもよいかな」

 「条件?」

 ここに来ていきなり何だろうとソウタが首を傾げイリシオスの言葉を待っていると彼は随分と勿体つけてゆっくりと口を開いた。

 「炎虎を討ってきてもらいたい……外では、白の王と呼ばれていたかな」

 何故……と浮かぶも喉に詰まり声には出せず、ソウタは大きく見開いた目で何を考えているのかわからない神吏者の虚ろな瞳をじっと見つめていた。

第十七話、お読み頂きありがとうございます。橘月りんごです。

リーミンに到着後日常からの急展開でお届けしました。

ぬるっとあっけなく神吏者出てきましたが、行きあたりばったりではなくちゃんと考えて作っています。石は投げないで下さい。

次回十八話では白の王まで行くかと思いきや……いきません、もう少し神吏者とのお話が続きます。石を投げないでry

第一部後半のクライマックスに向けて上り坂に入りました、核心に迫る展開を今後ともよろしくお願い申し上げます。

大変励みになりますので評価・リアクション・ご意見・ご感想等もよろしくお願い致します。

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