第七話 過去への手掛かり
ゴンザレスに手紙を渡してから一週間が過ぎた。この一週間は親父さんに紹介された仕事をこなして稼いだり、マシロ達と一緒に商店街へと行ってみたり。と、なんの代わり映えの無い日常だった。
「それでは次のお話に移りますよ!」
今日は何も予定が無い日だった。家には自分一人でまだ昼食には早い時間。お茶を飲みながらぼんやりと古びたラジオを聴いていた。ラジオからは元気な若い女性の声が流れている。
「本日から勇者会議が始まりますね!ご存知の通り、聖地であるシルファにて年に一度開かれる各地の代表である勇者達による重要な会議です。今年の一番大きな話題はも・ち・ろ・ん!アレですよね!半年前に突如として大爆発を起こしたミカレトアル地方にあるミカレトアル大鉱山!そこから噴き出した瘴気は今も尚、世界中に広がり続けていますよね。噂ではそこを治めていたアルヴァイン辺境伯も爆発によって既に・・・なんて。」
勇者会議、そんなものがあるのかとラジオを聴いていて思った。生活に関する知識は、記憶喪失とは関係なく残っていたりする。もちろん全てでは無いが、例えば貨幣の価値だって分かるし買い物だって出来る。しかし人名や組織方面はからっきし駄目だ。
「勇者・・・勇者か。そういえばレモナに貰ったコインも確かそれ関係だったな。」
酔いどれモグラ亭の一件で出会った少女。彼女に貰ってから御守り代わりに財布に入れておいたコインを取り出してみる。描かれているのは一人の人間。それを囲うように花で縁を飾られている。勇者コインと言うのだから描かれている人物が勇者に違いない。筋骨隆々な筋肉ダルマを想像していたのだがそんなことは無く、女性に人気のありそうな優男が彫られていた。真実がどうであれ、語り継がれていく話というものは美化されていく。その男は強く!美しく!高潔で!誰にでも優しく!弱き者を助け強きを挫く!とまぁ、一般的な勇者像なんてものはこんなところだろう。
「おーぅ、帰った。」
「おかえり、親父さん。なんだ、てっきり夜中まで帰ってこないと思ってた。ここ最近行ってないんだろ?モグラ亭。」
「そういえば・・・そうだな。ここ最近は忙しくてな。お前こそ行ってみたらどうだ?あそこに知り合いが出来たんだろ?」
「機会があったらな。夜はアネモネとカズラの側にいてやりたいからな。そうだ、親父さん昼飯はどうする?何が食いたい?」
「飯は外で済ませる。まだ用事が残っててな。」
「そうか。なら茶の一杯くらいは飲んでいくか?」
「そうだな。とびきり熱いやつを頼む。」
そういえば親父さんはここ最近忙しそうに動き回っている。三日程帰って来なかった時は心配した。驚いたことに日課にしていた酒場にも行っていないらしい。外で何をしているのかは知らないし聞こうとも思わない。助けが必要ならば喜んで手を貸そう。盲信的かもしれないが、どうにも悪い事をする人間には思えないのだ。コンロにヤカンをかけて加熱する。火が着き難くなっている。そろそろ魔石の交換をしなくてはいけない。
「そういや勇者ってのはなんなんだ?さっきラジオで喋ってたんだが全く思い出せん。」
「勇者?勇者会議か。もうそんな時期か。勇者ってのはだな、まぁつまり過去に実在したとされる魔王を打ち倒した英雄の事だな。」
「じゃあその勇者がなんで未だにふんぞり返ってるんだ?」
「ふむ、問題だったのは二代目。つまり勇者の息子だった。一代目の勇者はまだ息子が小さなうちに早死した。理由は知らんがな。そして産まれながらに富も権力も、勇者の資質さえも持て余した二代目勇者は蝶よ花よと甘やかされて育った。そうして自由気ままに成長した結果・・・世界中の国々の王族と寝て種を撒き散らした。」
「・・・は?」
「好色勇者なんて言われてるな。まぁ、血筋は本物だった。それからというもの、各国の一族に一人だけ、何かしら不可思議な力を持った人間が産まれるんだと。幸いにもそれが抑止力として働いて、国々は互いに見張り合い、牽制し合いながら協力して世界を保っていく為に勇者会議を開いたとさ。このゴミ箱だって勇者の一人が統治してるんだぞ?ま、金持ちくらいしか会う機会もないだろうがな。」
「は〜、そいつはなんとも・・・馬鹿馬鹿しい話だな。ご注文の熱い茶だ。気を付けて飲んでくれよ?」
淹れたての茶をテーブルに置く。勇者という名前が随分ときな臭くなった物だ。人の欲望というものは際限が無いのだろう。常に誰かより上の位置にいて、誰かを足蹴にしていなければ満足出来ない可哀想な存在だ。
「俺もそう思う。とは言え、俺達には関係無い雲の上の様なもんだしな。戦争が起こりにくいくらいに考えとくと悪くない。ふぅ〜〜・・・あちちっ。そういえばどうなんだ?」
「どう?ってのは?」
「あの、あれだ。何か思い出したりはしたのか?お前達を拾ってから半年くらいになるだろう?」
「記憶か。・・・記憶なぁ。何か一瞬だけ思い出した様な気がしたんだがなぁ。」
茶を啜りながら親父さんが尋ねたのは記憶に関してだった。確かマリーを助けようと瘴気汚染地帯に踏み込んだ時に、何か記憶の断片を思い出した・・・様な気がした。しかし瘴気に絡め取られていた極限の状態であり、あれが果たして正しい記憶なのかも定かでは無い。
「二人共、体も丈夫で力も強い。もしかしたらこの街の外で活躍していた魔獣狩人だったのかもしれないな。」
「ほぉ〜、そんな仕事もあるのか。」
魔獣というからには凄そうな相手を想像してしまう。実は害獣駆除の仕事中に、魔獣化したネズミを相手にしたことがある。これが中々に侮れない相手だった。体は大きくなり人間の頭部程になっていたし牙や爪も鋭くなっていた。何よりも知能が発達していて只のネズミと構えていては危ない場面があった。苦戦と言うほどではなかったのだが。
「もちろん危険な仕事だ。肉体の強さ的にやっていてもおかしくはないって話だ。」
「仮にそうだったとして、何がどうなったら二人共真っ裸で記憶喪失になって倒れていたんだろうな。」
素朴な疑問だ。二人の人間から綺麗に記憶を消すなんて芸当は難しいのでは無いだろうか?頭を殴って記憶を消すには達人でも難しいだろう。であれば魔法か薬品か・・・どちらも高額になるだろう。そんな手間をかけてまで記憶を消すなら命を奪った方が早い。結論としては何が起きたのかは不明のままって事だ。
「そいつは・・・その、あれだ。事実は小説より奇なりってやつだ。この街にもその魔獣狩人達が集まる場所ってのはあるんだ。行ってみたら何か思い出せるかもしれないな。」
「そんな場所があるのか。どこにあるんだ?」
「南区だ。上層の方にある。地図を描いてやろう。看板にデカいサソリの鋏が飾ってあるからすぐに分かる筈だ。」
「どうせ暇だし丁度いいな。なら俺も出掛けるとするか。」
デカいサソリの鋏とか言われると好奇心をくすぐられる。そんな場所があるのなら見に行かなくてはならない。
「何か思い出せるといいな。じゃあ俺も忘れ物を取って・・・あぁ、そうだ。グレイ、悪いんだがまた血を貰ってもいいか?」
「血だな?あぁ、遠慮なく持っていってくれ。」
「すまんな。助かる。」
「なに、これも恩返しの内だ。」
ゴンザレスに血を採られてから、親父さんにも二回採られた。今回で三回目の採血だ。ゴンザレスは親父さんを元同僚と言っていた。つまり憶測ではあるが、いつもふらりと外出している親父さんの仕事は今も変わらずに科学者か何かなのだろう。それならば白衣が私服と化しているのにも納得がいく。血液を求められる理由は謎だが、必要としているのなら断る理由にはならない。採血に協力してから外出の準備に移った。
「さてと、マシロ達はどこにいる?」
到着したのは近所の商店街であるマナカプ市場。相変わらず賑やかで活気に溢れている。以前はチンピラ集団に脅されて、売上の一部を持っていかれたり市民の足が遠のいたりと良くなかった。そこに何も知らない自分とマシロが買い物に来て、絡まれて、返り討ちにした。見た目はハゲやモヒカンヘアーで肩当てや鎖を身に纏って厳ついものだったが・・・見た目だけで強さは伴っていなかった。それからというもの、若者が自警団を結成したりして治安が良くなり客足は回復したのだった。
「おっ、グレイさん!今日は何を買いに来たんだ?」
「グレイさん!うちに寄っていきなよ!サービスしちゃうよ?」
「グレイさん!俺達に稽古つけてください!自警団連中で新しいコンビネーションを考えたんです!」
「グ・・・グレイ・・・さん、私・・・そのぉ・・・
目立つ髪色のせいなのか、市場の住人はすぐにこちらに気がつくとワラワラと集まってくる。正直にいえばこれが毎度毎度で対処に困っている。俺自身、尊敬される様な人間では無いと知っているからだ。真っ直ぐな好意に応えられる自信が無い。ただ、こちらに向けられる温かな心にはしっかりと向き合いたいとは思う。彼らは良い人達なのだ。
「悪い、今日は用事があってな。マシロ達はどこら辺にいるか知ってるか?」
誰彼構わずそう尋ねた時だった。遠くから騒ぐ声が聞こえてきた。そしてどこからかサンダル履きのペタペタという走る足音が向かって来る。
「あっちで男が暴れてる!マシロちゃんが絡まれてるんだ!グレイさん!?早く行ってやってくれ!すっげ〜デカい男なんだ!」
「なんだと!マシロちゃんが!?」
「許せんよなぁ?マジ許せんよなぁ?」
「他の自警団も呼んでこい!血祭りにあげてくれるわっ!グレイさん!早く!」
やって来たのは自警団の一人で、どうやら騒動が起きているらしい。それよりも驚いたのは近くにいた自警団の連中だった。マシロが危ないと聞いた途端にギラギラとした殺気を放ち始めたのだ。マシロが精力的に商店街や市場の為に動き回っているのは知っていたが、これはもう崇拝されているに近くないだろうか?自警団連中に急かされ、流される様に連れて行かれる。
「ほぉ〜、デカいな。」
人間達が作る輪。即席の闘技場の中にマシロはいた。相対するのは、高さも横幅もマシロの倍は超えている半裸の太った巨漢だった。フラフラと、ドスンドスンと不規則にふらつく足取りから酔っ払っている様子である。立ち向かっていった自警団達は返り討ちにあって、そこかしこで倒れていたり介抱されている。
「グレイさん、悠長に眺めてる場合じゃないですって!この人数でも倒せないなんて!マシロちゃんがピンチなんですよ!?」
「いや、マシロなら大丈夫だ。」
「はぁ?いやいや、どう見てもピンチでしょう!」
「まぁ見てろって。そら、動くぞ。」
怖気づいた自警団の一人をなだめながら観戦を決め込む。先に動いたのは巨漢だった。マシロを指差して何かを喚いた後で殴りかかる。誰もが目を覆うのだが悲劇は訪れていない。既にマシロは巨漢の背後に回り込んでおり注意深く観察をしていた。酔っ払いの相手というのは時に容易く、時に厄介だ。痛みを感じ難くなっているので、常人と同じ攻め方をすると手痛い反撃を貰うことがあるからだ。
「うわっ、なんか滅茶苦茶に怒ってますよ!?大丈夫なんですか?」
「あれくらいなら問題無い。」
巨漢は支離滅裂な言葉ですらない叫びをあげながら野太い腕を何度も振り回す。しかしどれもマシロを捉える事は出来ない。猫の様にしなやかで柔らかい肉体と関節を上手く使って避けているのだ。次第に観衆からは声援が膨れてくる。しびれを切らした巨漢はトドメの一撃とばかりに一際大きく拳を振り降ろした。だがその一撃も当たらない。巨漢の動きが止まる瞬間を待っていたマシロは、地面に打ち下ろされた巨漢の腕を足場に顔付近まで駆け上がるとふわりと宙に舞う。直後、体を捻って回転させて鋭い蹴りを巨漢の顎へと撫でるように打ち込んだ。
「グレイ、来てたんだ。」
「お疲れさん。ちょっとお前達に話があってな。」
羽根の様に柔らかく着地したマシロはこちらを見つけたようで歩いて来た。その背後では巨漢が大きな音をたてて倒れる。無駄の無い美しい一撃だった。途端に歓声が湧き上がり、観衆達は渦を巻く様に押し寄せてくる。
「さすがマシロちゃんだ!」
「よっ!マナカプ市場のマスコット!」
「グレイさんもいるぞ!担いじまえ!」
「今日は宴会だ!店なんて閉めちまえ!」
「グレイさん万歳!マシロちゃん万歳!」
あっと言う間に俺とマシロの胴上げ大会が始まってしまった。こちらの静止など聞く筈が無い。ガクンガクンと上下に揺れる視界の中でマシロを見ると、その口は僅かに微笑んでいる。マシロは普段から表情や感情表現が薄い。そんな彼女にとって、市場や商店街の人達との関わりはきっと良いものなのだろう。彼女は彼女なりの居場所を作れている。その事実は、まるで自分の事の様に嬉しく感じられたのだった。