第四話 酔いどれモグラ亭
「あぁ、起きたんだねママ。ちょうど良かった。紹介したい人がいるんだ。」
アリーがテラスの人物へ声をかける。尖った耳に浅黒い肌。艷やかで絹の様な長い黒髪。高めの身長に抜群のプロポーション。紫色のネグリジェに透けて見える扇情的な下着。目の保養を通り越して最早毒にまでなっている。細く長いパイプを咥えて紫煙を吐きながら、柔らかな肢体をくねらせ一階への階段をゆっくりと下ってくる。
「あらボウヤ、ふふふっ。イイ体しているのね。」
歩く色気が顔を覗き込み、一息分の煙を吹きかけてきた。煙たさの中に、鼻の奥が痺れる様な甘い匂いが混じっている。ミステリアスで蠱惑的な目とぷっくりとした可愛らしい唇。魔性の女とは正に彼女の事だ。
「あんたがこの店の店主か?俺はグレイ。ちょいと厄介事に巻き込まれてアリーに助けて貰ったんだ。」
「真面目なのね。そういうのも好きよ。アリー?何があったの?」
「近所で瘴気汚染があったみたいで、こちらさんが取り残されてたこっちのマリーさんを助け出したら警備の犬に追いかけられてね。それでマリーさんの子供と顔見知りの縁があったから匿ったって話さ。そしたらなんと、マリーさんは歌うオットセイの看板歌姫だったって事が判明してね、これはママに紹介しておこうって話。」
「あらそうなの?ふ〜ん?」
「あの・・・」
「いいわよ。あの空き部屋を好きに使って。細かい事はアリーに任せるわ。」
「さすがママ、話がわかる。」
「えっとぉ・・・アリーさん?どういう事なんでしょうか?」
ママと呼ばれる女店主がしばらくマリーを見つめたか思うと、アリーにそう指示を出してカウンターの椅子に足を組んで座る。何が良いのか理解出来ずにマリーはママとアリーの顔を交互に見つめていた。
「お金も仕事も無いんだろう?それに瘴気汚染があった場所はしばらく立ち入り禁止にされるし。マリーさんが良ければここに住み込みで働けるんだけど・・・どうだい?」
「ほっ、本当ですか!?でもすぐに働ける体では無いですよ?」
「そこら辺も含めて、ママは細かい事は任せるって言ってくれてるのさ。」
「・・・はいっ!よろしくお願いします!一生ついていきます」
「それじゃあ、酔いどれモグラ亭へようこそ!こちらこそよろしく頼むよ!マリーさん!」
知り合って間もない、奇妙な縁によって起きた微笑ましい状況。しかし、たった今重要な言葉を耳にしてしまった。
「ここが酔いどれモグラ亭だと?」
「そうだけど?」
「なんだ、ただの回り道だったってことか。いやな、俺は財布を盗まれてなけりゃ真っ直ぐここに来てたんだ。」
「そうなのかい?うちの店が開くには未だ早いんだけど。」
「飲みに来たんじゃない。聞きたい事がある。」
「聞きたい事ねぇ。アタシは開店準備してるから続けておくれ。」
アリーはカウンターで、何かを数えたりチェックしながら紙に書き込んでいく。在庫管理かなにかだろう。
「あぁ、俺は親父さん・・・ジダンっていう人の所に少し前から住んでるんだが
「あらジダンちゃん?昨日も来てくれていたわね。前は難しい顔をしていたのに、最近は楽しそうだったわ。あなたが一緒に住むようになったからかしら?落としてくれるお金も増えて助かっているわ。」
「やっぱりここで飲んでたのか。しかもママさんが名前覚える位に常連なのか。」
「そうね。けっこう長く通ってくれているわね。ところで、聞きたい事ってなにかしら?」
「そうだった。今朝、親父さんから手紙を届ける様な頼まれたんだ。でも住んでる場所がよく分からないみたいで、ここで聞いたら教えてくれると言われたんだが・・・。確か名前はゴンザレスで、東区に住んでるらしい。」
「ゴンザレス・・・ねぇ?う〜ん、すぐには出てこないわぁ。アリーは知っている?」
「ゴンザレス・・・ゴンザレス・・・知ってるような知らないような・・・う〜ん。あ、ママ勝手に血苺のワイン飲んだでしょ?」
「あらあら、ごめんなさい。言うのを忘れていたわ。」
「ん〜、まぁあんまり注文こないやつだし今日くらいは何とかなるかなぁ。って首無し騎士印のウィスキーも!」
「だって甘いのを飲んだら別ので口直ししたくなったんだもの。」
どうやらママと呼ばれている女店主は自由奔放な性格らしい。店主が自分の店の酒を飲む。それ自体は問題では無いだろう。しかし在庫管理をする側にとっては振り回されるばかりだ。そんなやり取りをソファーから眺めているマリーは楽しそうに微笑んでいる。
「おぅ!邪魔するぜ!」
裏口のドアが乱暴に開かれた。入って来たのはチンピラ風な二人の男。お揃いの黒いジャケットを着ている。一人はえらく機嫌が悪そうで、もう一人は心ここにあらずといった様子でぼんやりとどこかを見ている。そんなおかしな二人組だった。
「あんたが・・・ここの店主だな?」
「そうだけど・・・なにか?」
「しらばっくれるんじゃあねぇ!コイツに見覚えあんだろうが!俺のダチがよぉ!てめぇと寝たらおかしくなったんだよ!
この魔女が!」
男はそう言って側の無気力な男を指差す。ズカズカと店内に入り込んでくると、カウンター席のママに近付きながら威嚇する様に凄む。
「うふふっ、寝た男の事なんて覚えていないの。それに、私が何かをしたなんて証拠も無いでしょう?」
「てめぇの噂はここらじゃ有名だろうが!取っ替え引っ替えに誰にでも股開くアバズレだってなぁ?オマケにあんたと寝たら頭がおかしくなって死んじまう?酒に何か仕込んでんだろ?なぁ!?」
そんな噂があるとは思わなかった。だがママの美貌であれば魅惑される男は数え切れないだろう。しかし連れの無気力な男の様子は気になる。もしも噂の通りに精神的にやられてしまうのだとすれば・・・一体どうやって?なにをどうすれば廃人の様にしてしまえるのだろうか・・・
「はいはい、そこまで。客じゃないなら帰っておくれ。」
ママと男の間に割って入ったのはアリーだった。腕を組んで立ち塞がりグッと睨みつける。
「ぐっ・・・と、とにかくこいつを元に戻せよ!それが無理なら・・・金だ!慰謝料ってやつだよなぁ?」
「はぁ、結局は金かい?」
「人間一人の人生を台無しにしたんだぜ?それ相応の
「言っておくけどそいつは無理な話さ。この街でそんな与太話に金を払う馬鹿なんていやしないよ。黙って出ていくか、黙らされて叩き出されるのとどっちが良いか決めるんだね。」
「ぐぬぬっ・・・女だからって優しくしといてやりゃあつけあがりやがってよぉ。あ〜あ、もう駄目だ。止まらねぇぜぇ?お前らは俺達鴉の養分だってことを教えてやらねぇとなぁ?」
友人の事を大事に思って乗り込んで来たのだと思っていたが、実際は少し違っていたようだ。ジャケットへ手を差し込むとナイフを取り出した。威嚇する様にわざとらしく光を反射させる。
「先ずはぁ・・・お前から恐怖を刻み込んでやるよぉっ!!なっ!?」
「だろうと思ったぜ。」
「離せ!ぐあぁぁっ!?」
「こいつは要らないだろ?」
チンピラが目をつけたのはソファーで縮こまっていたマリーだった。大方人質にでもする気だろう。もちろん、そんな勝手を許す理由は無い。突き出されるナイフ、それの手首を握って捻り上げてやる。チンピラは痛みに耐えかねてナイフを落とす。それを蹴って遠くへとやってからチンピラを突き放す様に解放した。
「邪魔するんじゃねぇよ!灰色頭が!死ね!!」
「おいおい、物騒な奴だな。」
「はがっ!?」
チンピラのパンチは素人丸出しだった。力任せに相手の頬を殴り飛ばしたいだけの攻撃。それ自体は嫌いでは無いのだが、話がややこしくなる前に終わらせるべきだろう。左右からのパンチをはたく様にいなし、次の大振りな右ストレートを避けながらカウンターで顎に一撃を叩き込む。意識は即座に刈り取られチンピラは酒場の床に沈んだ。
「あ・・・あぁ・・・あ"〜〜っ"!!?」
「うぉっ!?アリー!危な
「ぜりゃあッ!!!」
倒れた相方を見ていたもう一人の様子がおかしかったチンピラ。何を思ったのか突然に獣のような言葉にならない咆哮をあげながらママとアリーの方へ飛び掛かっていった。あまりの突発的な動きに反応が遅れてしまう。アリーへの接触は免れないと思った瞬間だった。彼女はスッと腰を落とすと、気合と共にチンピラの腹に強烈な拳打を打ち込んだ。その一撃に耐えきれなかったチンピラは膝から崩れ落ちる。
「あ〜・・・強いんだな。」
「あんたもね。足のせいで動き難いからそっちを倒してくれて助かったよ。」
足が瘴気患いで動かないハンデを物ともしない一撃だった。一難去ってやれやれと一息つくと、チンピラが開け放った裏口の扉から二つの頭が覗き込んでいることに気付いた。その二つの頭は騒動が終結した事を確認すると酒場に入って来てパタパタとソファーへと駆け寄る。
「お母さん!」
「ただいま!」
二人がマリーへと抱き着く。そう、マリーの子供であるレモナとルシダ・・・だったか。そんな我が子を両腕で抱き締め撫でる姿は微笑ましい。
「こんなに痩せてしまって・・・苦労をかけたね。ありがとう、二人共。これからはお母さん、このお店で働ける事になったから美味しいご飯を食べようね。」
「えへへ、起きてくれて良かった。凄く心配してたんだから。」
「レモナ、ルシダの面倒を見てくれてありがとう。頑張ったわ。ルシダも頑張ったわね。」
「お姉ちゃんと一緒に頑張ったよ!お母さん!」
親子の目には涙が浮かんでいた。このゴミ溜めの街でこうして親子が幸せを噛み締める事が出来る事のどれだけ奇跡的な事か。これも奇妙な巡り合わせの成せる運命というやつなのかも知れない。そんな親子の触れ合いを眺めていると姉のレモナがやって来た。
「あの・・・財布、盗んでごめんなさい。それとルシダから聞いた。お母さんを助けてくれてありがとう。」
「もう済んだ事だ。気にするな。それに財布盗まれてなきゃお前達の母さんを助けていなかっただろうし、まぁ、なんだ、結果的に丸く収まって良かった。」
「これ、あげる。助けてくれたお礼に。きっとお兄さんの方が似合うから。戦ってるお兄さん格好良かったよ!絵本に出てくる勇者みたいだった!」
「ありがとうな。こいつは・・・硬貨か?」
レモナに渡されたのは一枚の硬貨。しかし流通している貨幣とは違うデザインだ。
「へぇ、珍しい物を貰ったんだね?」
「知ってるのか?」
床で伸びていたチンピラを店の外に放り出したアリーが手の平の硬貨をみて言った。
「そいつは通称勇者コインって言うのさ。勇者評議会が偶に発行する記念硬貨で、世の中にはコレクターもいるらしいよ?」
「ふむ、勇者コインか・・・」
そんな珍しい物を貰って良かったのかと複雑な気持ちだったのだが、当のレモナは既に母親の元へ戻っている。この品物に未練が無いのならば有り難く貰っておくとしよう。
「あぁ、思い出したわ!ゴンザレス!無口なゴンちゃん!」
唐突に手を叩いたママがすっきりした顔でそう言った。