第二話 手紙
ダストシュート
この街はそう呼ばれている。街の始まりは大地に穿たれた巨大な大穴の発見だったという。穴の底一面を塞いでいたのは不可解な古代の遺跡。遺跡には不思議な力があり、周期的に穴にある物体は遺跡表面に吸い込まれて消えていくのだ。この不可思議な現象が認知されると、人類は有らん限りの廃棄物を穴に投棄し始めた。そうして人と物が集まれば街が形作られていくのに当然だった。いつしか大穴とその周辺は人の手によって削られていき、中央に穴が空いたすり鉢状の街へと変わっていった。
大穴へゴミを投棄する際には決まりがある。西側のガベッジ地区には生ゴミを。東側のトラッシュ地区には不燃ゴミを。それぞれ決まった場所から棄てなければならない。これはこの街と他の街とで正式に決められた約束事だ。そしてそれはこの街の産業に関係してくる。
先ず生ゴミは街の外にある堆肥生産施設に受け入れる。そして施設が満杯になると余剰な生ゴミは大穴へと廃棄される。街の外には広い畑地帯と牧場が広がっており、栄養豊富な肥料を与えられた作物の実りは素晴らしいと聞く。
そして不燃ゴミは真っ直ぐに大穴へと向かう。しかし仕事はここからだ。大穴の中に人が入ってゴミを漁るのだ。事故や怪我も多いが、運次第で稼げる仕事だそうな。
とはいえ住人は富んでいるとは決して言えない。結局の所、富裕層は数える位にしかいないし行き場を無くして流れ着いた爪弾き者達が群れるだけの街。弱肉強食で正直者が馬鹿を見る、正にゴミ箱のような街なのだ。
「さて、酔いどれモグラ亭だったか。」
ジダンの親父さんの家は南区にある居住区エリアにある。すり鉢状の坂のちょうど真ん中辺りでダストシュートを一望出来る。生ゴミの腐った匂い。錆びた金属と廃棄された化学薬品の刺激臭。それがこの街の匂いだ。
酔いどれモグラ亭があるのは南区、ダストシュート最大の歓楽街の中だ。しばらく歩いて行くと街の様相が段々と変わってくる。建物は高くなっていき、壁にはネオン看板やチラシが所狭しと占有していく。酔い潰れているのか浮浪者なのかは分からないが、壁沿いの地面に倒れている人の数も増えてくる。
「悪いね!」
「おっと、気を付けてく・・・くそっ!やられた!」
何度か行った事があるモグラ亭の場所を頭の中に思い描いていると誰かにぶつかられてしまった。この街は人口密集率が高い。ぶつかったりぶつかられたりは日常茶飯事だ。そして治安の悪い街では財布をスリ取られるのも・・・日常茶飯事だ。オマケに財布と一緒に手紙まで持っていかれてしまっていた。
「畜生、油断してたぜ・・・アイツか!」
頭からボロ布をすっぽりと被った小柄な人物。ぶつかられた時に視界の隅に捉えた人影から考えてもアレが犯人で間違い無い筈だ。
「くっ、悪い!通してくれ!」
道は広い。しかし流れる人のせいで真っ直ぐに追う事は難しい。そうしながら距離を詰めていくと、あちらも騒ぎに気付いて走り始めた。小柄と言うよりあれはまだ子供だろう。ボロ布から見え隠れする手足は小さい。
しかしこの街での子供というのは侮れない。身寄りの無い子供は同じ境遇同士で集まって生きている。だが彼らには暴力に対抗する術が無い。だからこそ逃げるのだ。誰よりも地形を熟知し、時には仲間と連携する。大人が入れない隙間だって彼らには立派な逃走経路だ。捕まれば酷い事を知っているからこそ全力で逃げるのだ。
「早いなアイツ・・・普通に追ってたんじゃ無理だな・・・あれは使えそうだ。」
人混みを避けて真っ直ぐに距離を詰める方法。そのルートが見えた。深く身を屈めてから全身のバネを使って跳び上がる。着地点は右側にある建物の壁だ。三角跳びの要領で力強く壁を蹴って跳ぶ。しかし一度の跳躍では捕まえられる距離では無い。次は壁から突き出た頑丈そうな看板を踏み、更にもう一度壁に向かって跳ぶ。これこそが最短距離だ。
「捕まえたぞ!」
「ッ!?」
窃盗犯も空からの強襲は予想していなかっただろう。地面に押し付ける様な真似はしない。なるべく傷つけない様に首根っこを捕まえる。ボロ布の下には痩せた子供がいた。歳はアネモネと大差無いくらいか。栄養状態はかなり悪そうだ。
「ほら、返すんだ。」
「・・・・・・」
「なんで持ってないんだ?おい、どこへや・・・」
物を隠せそうな服では無い。少し様子もおかしな気がする。抵抗する素振りが無いのだ。そこで気付く。この子供はどこかを見ている。その視線の先は細い路地への入り口があった。そこへ佇むボロ布を纏った似た感じの子供の姿。その手には
「そっちか!」
「ッ!」
複数犯というのはよくある手口だ。何人もの子供がリレーをする様に盗品を受け渡していく。これが非常に厄介な手口で、いつの間にか盗られた物も犯人も人混みに消え去ってしまう。急いで路地へと飛び込んでいくのだが、第二の犯人も脱兎の如く走って逃げる。
「走り難いな・・・」
歓楽街の路地裏は走り辛かった。路地裏には店から出たゴミや座り込んだ浮浪者があり、それらを避けながら走るのは難しい。しかし相手はこういった場所に慣れており、オマケに小柄な体と子供特有の柔軟性で素早くカーブを曲がっていく。このままではすぐに見失ってしまうだろう。次の直線で勝負を・・・
「なんだ?」
直角の曲がり角を進んで一気に加速しようとした矢先に予想外の光景が目に映る。どこからか湧いた民衆がパニックになりながら押し寄せて来たのだ。
「退け退けッ!」
「ひぁぁぁっ!瘴気溜まりだぁぁぁッ!」
「退きな!この酔っぱらい共ッ!」
この歓楽街にいた酔っぱらいの客や、店員から派手で格好の女までなりふり構わず逃げ出して行く。さながら沈む船から逃げ出す鼠の群れだ。そんな奴らの向こう側に、追っていた子供が立ち尽くしていた。その顔はこちらからは見えない向こう側の曲がり角を見つめたままだ。
「悪いが返して貰うぞ。」
人の流れに逆らいながらどうにか子供の所へ辿り着き、手に握られている財布と手紙を取り戻す。抵抗されると思っていたが、無抵抗に手放すと視線は変わらずに曲がり角の向こうを見たままだ。気になってその方向を見てみれば・・・
「どうしたんだ?どこか体調でも・・・なんだこいつは。」
子供が見ていた光景。それは正に異質なものであった。曲がり角の向こうは少し広い場所になっていた。そこに隣接する様にいくつかの集合住宅がある。問題は建物の壁や、広場の地面から滲み湧き出る様に黒いタールのような霧が広がっていた事だ。その範囲は徐々に拡がってきている。
「これが瘴気溜まりか。初めて見たな。」
瘴気という良く無いエネルギーみたいな物があるそうだ。それがここ数ヶ月で影響を増しているらしい。何が原因かは分からないのだが、その瘴気が集まるとこうして汚染を引き起こすと聞いた。噂では瘴気に飲み込まれるだのヤバい化け物が出てくるだとか・・・。初めて目の当たりにしたが寒気がして鳥肌が立つ。
「ここにいると危ない。離れるぞ。おい、動けるか?」
いくら財布を盗んだ窃盗犯だとしても子供は放ってはおけない。肩の辺りを掴んで動く様に促すのだが踏み止まられてしまう。
「あ・・・あぁ・・・お・・さん。」
「なんだ?」
「お母さん、体が動かなくて・・・あそこに・・・」
子供が震える指先で指し示したのは・・・瘴気沼に浸食されようとしている集合住宅の二階の一室だった。
「なんだと!?くっ・・・」
弱肉強食のダストシュートで、どうするかなんてのは最初から分かりきっている筈だ。最早悩んでいる時間なんて無い。ならどうするか?
「お前は離れてろ!いいな!」
「あっ・・・」
瘴気沼が浸食する広場へと駆け出す。どうするか?決まっている。自分の中で正しいと思った事をするだけだ。子供が指したのは正面の建物の二階左端。まだ・・・間に合う。階段は建物の真ん中だ。広場を駆け抜けて階段に足をかけた瞬間
「うおっ!?瘴気ってのはこんな物まで出てくるのか?」
壁に出来た瘴気沼から黒い腕が突き出した。その形は歪に捻れており不気味なものだ。辺りを見回せば至る所から腕が現れており、瘴気沼に引き込もうと手ぐすね引いて揺れている。ここは慎重に、かつ素早く避けながら進まなければならない。
「ここが一番酷いな・・・。」
なんとか部屋の前まで来たものの、瘴気沼の浸食がかなり酷く足が止まる。ここから先は避ける事は無理だ。
「うっ・・・気持ちわりぃ。ちッ、離しやがれ!」
部屋の扉は鍵が掛かっていたのだが、扉本体が脆くなっていた様で力を入れるとミシミシと裂けて崩れた。もとから腐っていたのか、もしくは瘴気にそういった効果があるのか。後者であれば取り残された母親を早く助け出さなくてはならない。もはや床は瘴気沼に埋め尽くされていた。足の裏には硬い床の感触があるというのに、瘴気に触れた部分からは纏わりつく様な重い感覚を感じた。まるで毒が回る様に気色の悪い寒気が足から登り、背中に冷たいものを感じさせる。更に黒い腕、さながら亡者の腕は追い縋る様に体を掴む。まだ振り切れる程度ではあるが、量が増えればそれもままならなくなりそうだ。
「いた!おい!大丈夫か!?おい!」
部屋の奥にあるベッドに母親は横たわっていた。長い金髪で、痩せた体で静かに目を瞑っている。頬を軽く叩いてみるが反応は無い。胸が小さく上下しているということはまだ死んでいない筈だ。
「まだ生きてるな。ぐっ!?なんだ!急に数が!?」
彼女を抱き上げようと手を伸ばした時だった。亡者の腕が数を増した。瞬く間に床に抑えつけられて身動きを封じられる。漂う瘴気が全身を浸し毛穴から冷や汗が噴き出す。
「な・・・んだ・・・こいつは。力が入ら・・・ねぇ。」
呼吸と共に体内を毒が侵していき脳が、思考が痺れる。吸い取られていくように体からは力が抜けていき寒気が増していく。
薄れていく意識の中で断片的な記憶がフラッシュバックする。記憶喪失が故にまったく身に覚えが無い記憶。見たことの無い景色。この街での僅かな記憶。知らない誰かとの・・・いや、これはマシロか?そう、何かを約束した。忘れてはいるが、絶対に忘れてはならない約束を。
心臓が一つ、大きく震えた。熱い血液が胸の奥で巡る。
「失セロ。」
ぼんやりとしていた意識がはたと我に返る。意図せず、そう口が言葉を発していたのだ。自分で出したとは思えない様な低く重い声。その声に従うかのように、体を抑えつけていた亡者の手から力が抜けた。
「うぅっ・・・確かに瘴気ってのはあまり良く無いらしいな。体は動く・・・な。よし、何だかよく分からないがコイツらも大人しくなったみたいだ。今のうちだな。」
立ち上がると若干の虚脱感が残っていた。しかしそれぐらいだ。瘴気を吸った時の最悪な感覚に比べればなんてこと無い。今度こそ女性を抱き上げる。亡者の手は襲ってこない。まるで恐れているのか、それか媚びるかの様に足下から離れて揺れている。
「よく見れば可愛げのある・・・いやぁ・・・やっぱりないな。」
しおらしく揺れている亡者の手が一瞬だけ可愛げがある様に見えたのだが、それは気のせいだった。歪で黒く尖った幽鬼の手はどう見ても可愛くは無かった。