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人の亡くなる描写があります。
苦手な方はお気をつけ下さい。
絶望が満ち溢れていた。
響き渡る悲鳴。苦悶の声。ぼろ雑巾の様に転がされる人々。中には全く動かない者もいる。
そんな部屋に放り込まれ、魔術師団長は焦燥に駆られていた。
「放せ!私をどうするつもりだ!こんな事をして、ジラーズ王国を敵に回す気か!」
どんなに騒いでも、誰も助けに来ない。周囲は屍の様な状態の者ばかり。不可思議な縄に縛られ、魔力を封じられ、赤子の様に喚く事しか出来ない。
彼の頭に、忠誠を誓った主の姿が浮かんだ。継承問題で揺れる国。日々、暗殺者や毒殺の危険に晒されながらも、毅然としている主。こんなところで死ぬわけにはいかなかった。主が輝く冠を戴くまで、尊きその身をお護りすると誓ったのに。
恐怖よりも悔しさに、魔術師団長は涙を流した。唯一の取柄である魔術を封じられ、為す術もなく死ぬのか。なぜもっと身辺に気を遣えなかったのか。己を過信し過ぎて、こんな事態を引き起こしたことに、申し訳なさを感じた。
「ああー。煩い男だ。そんなに喚かなくても、すぐに処理してやるよ」
魔術師団長を捕らえた男は、にやにやと笑いながら縄に魔力を篭める。魔術師団長の身体が縄に引き上げられ浮き上がり、それを男の仲間たちが寝台の上に放り投げた。
「それ、は」
男が手にした器具を見て、ひゅっと魔術師団長の喉が鳴る。男は器具を見せびらかす様に掲げて、「これを知っているなんて、博識だねぇ」と嗤った。
「なぜ、そんなものが。それは、禁呪っ……」
男は構わず、魔術師団長の口に器具を突っ込んだ。喉の奥まで押し込まれたそれに、生理的な涙が溢れた。
これから起こる事を悟り、魔術師団長は目を見開いて恐怖に怯えた。その器具が、彼の知るそれならば、用途は一つしかない。
男が呪文を唱える。口の中の器具が熱を帯び、焼けつくような熱さに変わり。
「ぎゃあぁぁぁ……っ!……っ!」
途中からは悲鳴も途切れた。身体中に刃を突き刺された様な激痛が身体を貫く。魔術師団長は白目を剥き、口から泡を吹いた。
「はっはー!さすが魔術師団長だね。一人で1/3も溜まったよ!」
ビクビクと痙攣する魔術師団長を気にもせず、男は手にしたそれを眺めて歓声を上げた。様々色が混じり合い、どす黒く濁ったそれに、男はウットリと頬ずりする。
「団長のお陰で、一つ完成したね。ありがとう、団長。とても助かったよ」
「そいつはどうしますんで?」
男の部下の一人が、寝台に目を向けて嫌そうな顔をする。激痛に晒され、恥も外聞もなく色々なものを垂れ流している身体から、酷い異臭が放たれていた。
「いつもだったら、喉を潰して鉱山かどっかに売るんだけどねぇ。コイツに万が一逃げられると、不味いからねぇ」
ジラース王国の魔術師団長といえば、高位貴族でもあるのだ。広く顔が知られている可能性もある。
「もったいないけど、始末しといてくれ」
「へぇ」
男の残忍な命令にも、部下は特に悩む事なく頷いた。かなり汚れているから、触るのは嫌だと思った程度だ。
意識が朦朧とする魔術師団長の視界に、不機嫌そうな部下の顔が映った。
その手が首に回され、ぐっと力が籠められたのを最後に、彼の目は光を失った。
忠義の心を持った一人の優秀な魔術師の命は、そこで尽きる事となった。
◇◇◇
エリフィスの来訪から数日経ったある日の午後。学園から帰ったエリスは、いつもの様に執務を片付けていた。その横では、イジー家の双子が、ハルの監視付きでエリスの執務の補佐をしている。さらさらとこなしていくエリスとは対照的に、双子の表情は、端的に言えば目が死んでいた。
将来のエリスの側近として、双子には最近から、学業とは別に領地に関わる仕事が課されていた。しかしいくら双子が優秀とはいえ、学業と仕事の両立はキツイ。学業の他にも、ラブはエリスの侍女、ダフは護衛の仕事もあるのだ。
しかし、兄の振りをした鬼は、これぐらいは全て出来て当たり前だと考えている節がある。何故なら兄は学生時代から、学業も専属執事の仕事もラース侯爵の補佐の仕事も易々とこなしていたからだ。そんなデタラメな天才に、凡人の苦労などわかる筈も無い。
そんな兄からの容赦ないプレッシャーに双子が逆らえる筈も無く、2人は必死で仕事をこなしていた。仕事をし過ぎての過労死と兄からの制裁。どちらが生存確率が高いかなど、比べるまでもないからだ。
さらさら書類にペンを走らせる音だけが聞こえる執務室内に、ピシリと空間に歪む音が響いた。
瞬きの間に、そこには、領地で静養しているはずのエリスの兄、ハリー・ラースが立っていた。
「あら?お兄様?どうなさったの?」
先触れもなく現れた兄に、エリスは驚いた。双子もハルも、目を丸くしている。
「あ!ハリー様?」
「え。なんで?元に戻っている?」
ハリーが領地に静養のために戻って、まだ一月にも満たない。王都を発つ時のハリーは、立つのもやっとという様子で、痩せ衰えていたというのに。そこにあったのは健康を損ねる前のハリーの姿だった。驚きに声をあげるダフとラブに、ハリーはにやりと口角を上げる。
「相変わらず、素直な子たちだな、エリス」
「ええ。かわいいでしょう」
ハリーの嫌味を、エリスはサラリと流す。ハリーに揶揄われた双子は、憮然としている。
どっかりと執務室のソファに腰を据え、ハリーは慣れた手つきで書類を手に取った。さっと流し読みをして、エリスの筆跡でサインをしていく。
「あれが見つかった様だな」
ハリーは書類を捌きながら、本題を切り出した。無駄が嫌いな兄らしいと、エリスは苦笑する。
「あら。お耳が早くていらっしゃるのね。まだ確証はございませんが、エリフィスが手掛かりを見つけた様なの」
エリフィスの名に、ハリーは苦虫を嚙み潰した様な顔をした。
「お前、あの時言っていたことは、本気なのか」
「勿論です。わたくしは一度決めた事は曲げたりいたしませんわ」
兄に不機嫌な目を向けられても、エリスは知らん顔をしている。
「侯爵家の後継の事なら、心配はいりません。わたくしが継げなくなっても、お兄様は持病が理由で後継を外れたのですもの。お兄様が戻される事はございませんわ」
双子は仰天した。エリスはラース侯爵家の後継に決まったと、正式に王家にも届け出ている。それがどうして、ラース家を継がないなどという話になるのか。
「侯爵家のことではない。俺はやらんと決めた事は、何を言われようとやるつもりはない。父上がどんな画策をしようと、後継にはならん。無駄だ」
兄の言葉に、エリスはきょとんとする。
「あら?では何を心配なさっていますの?」
「お前のことだ。本気で、エリフィスの望みを叶えるつもりか」
その言葉に、エリスは驚いた。この婚約者以外には冷血漢の兄が。まさか。
「お兄様。わたくしの事を心配なさっていますの?お兄様が?」
「たった一人の妹を心配して、何が悪い」
驚いているのはエリスだけではなかった。さり気無く、ハリーの目の前に自分の仕事の書類を積み上げて、流れる様に処理されていく仕事に喜んでいたダフとラブも、それを怖い笑顔で見ていたハルも、ぽかんと口を開けて驚いていた。
ハリーは無駄な事が嫌いだ。興味のない事には関わらない。ハリーの第一は研究と婚約者。第二以降はないと思っていた。
それがまさか、妹が心配だなんて言葉が出るとは。
「まぁ。お兄様も、情がございますのね……。意外でした」
本気で動揺して、エリスは本音をポロリとこぼす。
「人並みにはあるつもりだ」
さらさらと書類を捌く手を止めず、ハリーは怒りもせずにそんな事を言う。
「もしもエリフィスの事で迷っているのなら、俺があいつを説得してもいい」
「お兄様が出て来ると、ややこしくなりそうですから、やめてくださいませ」
兄の珍しくもお節介な申し出を、エリスはきっぱりと拒否した。この兄が関与したら、エリフィスの本心など、あっさりと曲げられてしまうだろう。
双子は二人の会話の『エリフィスの願い』が何なのか分からず、気になった。だがハリーとエリスに割って入れる雰囲気でもない。
困って兄を見上げれば、兄は素知らぬ顔で書類を片付けていた。ハルの落ち着き払った態度が余計に、双子の気持ちをざわざわさせた。
「ふん。手に余るなら、必ず俺を呼べよ」
不機嫌そうな声を残し、ハリーは立ち上がると、来た時と同じように音もなく帰って行った。時間にして十数分。その場にいた全員に、なんともいえない空気を残し、尚且つ、積まれた書類は全て完璧に処理して。
双子の意図した通り、今日の仕事は全てハリーが片付けてくれたようだ。しかし、それ以上の謎と不安を残していったことに、恨みがましい気持ちになった。
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