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「行方不明?」
「はい。王都とその周辺で不審な行方不明が相次いでいます」
どうにかエリスから王国殲滅の撤回の言葉を取り付け、狂犬執事が大人しくなったところで、エリフィスはようやく本来の訪問目的を告げた。狂犬との衝突の余波で、エリフィスのマントの端からプスプスと煙が上がっていたが、エリフィスはそれを手を一振りして復元させ、ついでに元凶の狂犬の足を思いっ切り踏んづけてやった。奴は何事もなかったように、にこにこと涼しい顔で側に控えていた。
「あら。行方不明なんて、王都では珍しい事じゃないでしょう。お隣のジラース王国は後継争いで不安定だし、混乱に乗じて我が国では禁じられているはずの人身売買が横行しているしねぇ」
にこやかに、しかし全く興味がなさそうにそう言うエリス。
エリスの言う通り、隣国の政情はロメオ王国にも影響を齎していた。騎士団や警備団が治安維持の為に毎日奔走しているが、隣国の内紛から逃れた難民がロメオ王国に雪崩れ込み、王都の治安は悪化しつつある。着のみ着のまま逃げてきた難民が、犯罪に走る事も少なくない。下町では人攫いだけでなく、盗みや暴行、物騒な強盗なども増えていると聞く。
ロメオ王国にとって治安の悪化は大いに問題ではあるが、政治が大きく絡む問題であり、一侯爵家がどうにか出来る問題でもない。それに何より、エリスの興味を引くような問題ではなかった。
だが、それを承知でエリフィスはエリスに報告したのだ。何かあるのかと、エリスは視線だけで話の続きを促した。
「ええ勿論。奴隷が禁じられている我が国でも、残念な事に人買いが横行しているのも事実ですが………。攫われているの者たちの特徴が、どうにも気になります。男女を問わず、魔力の高い者ばかりが攫われているのです」
ピクリ、とエリスのカップが震えた。
「あら……」
途端に一変するエリスの雰囲気。春の陽だまりが冬のブリザードに変わるぐらい、冷ややかになる。
「もちろん、以前と同一とは断定できませんが。ですが。魔力量の多い者があらかじめ分かっていたかの様に攫われています」
エリフィスがそのことに気づいたのは偶然だった。平民だが、優秀さが買われ、魔法省で働く予定となっていた青年が行方不明になったのだ。
平民の身分で魔法省で働けることは名誉な事だ。本人は至って真面目な好青年で、自ら失踪する理由もない。周囲にも魔法省で働ける事を嬉しいと話していた。それなのに、家族や友人、恋人にも何も言わずに、忽然と行方が分からなくなった。
エリフィス自身もその青年に目を掛けていたので、突然の失踪に納得がいかず、調べていたのだが。そこから、同じように行方が分からなくなっている者が複数いる事に気が付いた。理由もなく、突然、いなくなる。年齢や性別、住む場所も違い、お互いに知り合いという訳でもない。だが、いずれも家族や周辺の者たちの話から推察するに、魔力量が多い者ばかりだった。一流魔術師とまではいかなくても、周囲から抜きんでて目立つぐらいには。
「そう……。ねぇ、エリフィス。何人ぐらいが居なくなっているのかしら」
「貴族や裕福な商人に被害は出ておりません。平民や身寄りのない者は、把握出来ているだけでも100人は下らない」
その言葉に、エリスが目を見開く。
「あら。そんなに?よくも大きな騒ぎにならないものね」
「ええ。王都だけでなく、いくつかの領地でも少しずつ。難民のせいで各地の人口も変動が大きいのもありますが、他の誘拐や行方不明に紛れてしまっていて、発覚していなかった。ですが……」
穏やかな知性を湛えていたエリフィスの瞳が、ギラリと光る。
「エリス様。私にはわかります。これは普通の人攫いではないのです。あの時と同じです、あの時と、同じ……!」
ぎゅっと、エリフィスは拳を握った。その手は微かに震えていて、何かに耐えているようにも見えた。
いつものエリフィスらしからぬ様子に、エリスは僅かに眉を顰めた。
「エリフィス」
固く握りしめられた拳を取って、エリスは優しく撫でる。
「あまり、思い詰めてはダメよ」
緊張を解きほぐす様な声が、エリフィスの焦る心を落ち着かせた。
冷静さを欠くのは魔術師として失格だ。エリフィスは激情をやり過ごすように目を閉じて、深呼吸をした。
「エリス様」
そんなエリフィスの耳に、狂犬執事の忌々しい声が聞こえて、折角鎮めようとしていた心が、殺意で塗りつぶされる。
「どうか、私めにお任せを。その野良魔術師よりも的確にお調べいたします。私にも、関係がある事ですから」
強請るようなその調子に、エリフィスはカッとなった。この案件を嗅ぎつけたのはエリフィスだ。狂犬執事に横取りされる謂れはない。
「ダメよ、ハル。これはエリフィスの仕事よ。そうでしょう、エリフィス?」
エリスはハルを厳しく窘めて、エリフィスを見つめる。
信頼の篭もった主人の視線。もちろん答えは『諾』以外ない。
「はい、我が君。此度の事があの事件に関連するならば」
エリフィスの言葉が、意思を持って強く響いた。
「必ずや、エリス様に良い知らせをお持ちします」
「いい子ね、エリフィス。頼りにしていてよ」
穏やかに微笑む主人は、今日も美しく、神々しいほどだった。
エリフィスが辞した後。静けさの戻るラース侯爵家で、エリスは物憂げにお茶のカップを弄んだ。
「エリス様。お代わりを?」
「もういいわ」
深い思考に沈む主人を、ハルはじっと見つめる。もどかしさに、胃の腑がジリジリと焼かれる様だった。
エリフィスの話は、長年、エリスを悩ませていたものの解決の糸口かもしれない。エリスがずっと、探し、追い続けてきたもの。
痛いような後悔の念が、ハルの胸を支配する。エリスを悩ませる存在など、ハルには到底、許容できるものではなかった。
それに己が関わっていたから、猶更のこと。
ハルは、過去の愚かで無力な自分を、時間を巻き戻して消し去ってしまいたかった。
◇◇◇
ラース侯爵家を出て、エリフィスは魔法省に戻っていた。
副長官の地位にあるエリフィスは、魔法省の中に独立した広い執務室と研究室、そして私室を賜っていた。王都内にも一応家はあるのだが、研究三昧の生活なので殆ど戻らない。
エリフィスの私室には、研究資料の他に、事件に関する資料が堆く積まれていた。
その中には、事件に気づく契機になった青年の資料もあった。身上書、魔法省入省試験の結果、知人、友人の証言、行方不明になった時の行動把握。
そして魔法省に入省する際に贈られる予定だった、彼の名入りのローブも。あの青年も、これを身に着ける事を心待ちにしていた。
貴族が殆どを占める魔法省の中で、平民の出という事で、エリフィスは青年に親近感を持っていた。緊張しながらも、キラキラした憧れの目を向け慕ってくれる青年を、可愛く感じていた。良い魔術師になれるように導こうと、楽しみにしていた。
だが、エリフィスが青年に目を掛けていた理由は、それだけではなかった。
あの年頃の青年には、ついつい、肩入れしてしまう。エリフィスを頼りにし、懐かれると、余計に。
今も生きていれば、これぐらいの年になるのかと。
生きていれば、どんな道を選んだのかと。
幸せに、なれたのかと。
今更どうしようもない事を、同年代の青年たちに重ねて、考えてしまうのだ。
自分でも分かっていた。これが贖罪の気持ちから来ているものだと。
この事件にエリフィスがのめり込んでいるのも、拭いようのない後ろめたさが、彼の底に沈んでいるからだ。それを忘れるために、エリフィスは足掻いているだけだ。
エリフィスは、窓に映った自分の顔を見た。
すっかり大人になった自分の顔に、あの頃の面影は薄い。
だが、目を凝らして見れば、遠い昔に失ったあの子の顔が、どこかに残っているようにも見えた。
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