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エリフィスは魔法省の副長官である。平民であるため、家名はない。
魔法省はその長に王家の血を引く公爵が就いているが、エリフィスはそれに次ぐ副長官という地位にある。彼は平民でありながら、圧倒的な実力でもって魔法省でのし上がり、この地位に就いた。言うまでもないが、平民としては前例のない、破格の出世である。
蒼髪に翡翠の瞳の野性味あふれる美貌と、騎士の様に鍛え抜かれた身体。品行方正でありながら、相手が高位貴族であろうと怯まぬ胆力。彼への王の信は篤く、多大な功績による叙爵の話も持ち上がっており、下位貴族の未婚のご令嬢からの熱い視線を一身に集めていた。夜会に参加すれば、ダンスを踊りたいご令嬢達が列をなすほどのモテ振りだ。
そもそも、これほどエリフィスが出世し、注目を集めるようになったのは理由があった。
それまでの魔法省は、研究職が大半を占めており、功績も魔道具の改良や魔法薬の開発など、有益ではあるが非常に地味なものばかりだった。華やかな実戦部隊である魔術師団に比べ、何をしているか分からない地味な変人の集団と見られていて、魔術師の就職先としても魔法省は不人気だった。
その認識が大きく変わったのは、当時魔法省に入ったばかりのエリフィスが、魔獣の暴走を引き起こす『魔力溜まり』の存在を解明したためだった。
数年に一度の周期で、前触れもなく各地で起こる魔獣の暴走。それが人里の近くで起これば、大きな人的被害と経済的な被害を齎す。
エリフィスは魔獣の暴走が、森の中や沼地等に存在する『魔力溜まり』から溢れ出た魔力が、周囲の野生生物や魔獣を狂わせ、変異させることを突き止めた。
魔力溜まりは、高位神官に浄化させることで魔力濃度を薄める事が出来る。魔力濃度を定期的に測定し、魔力溜まりの濃度が閾値を超える前に浄化を行えば魔獣の暴走を防ぐことが出来るが、魔力濃度は鑑定魔術や魔力水晶でしか測れない。鑑定魔術の使い手は限られており、魔力水晶も希少なものなので、国中の魔力溜まりの発生を予測する事は不可能かと思われた。
しかし、それを解決する為に、これまたエリフィス主導の元、魔法省の魔術師たちが、あっさりと魔力測定器を作ってしまった。これは、『魔力溜まり』の発見以上の快挙だった。
容易に魔力属性や魔力量を測れる測定器は、ロメオ王国内のみならず、周辺国家にも大きな衝撃を与えた。これがあれば、『魔力溜まり』の魔力値の測定だけにとどまらず、日常でも様々な事に活用できるからだ。例えば、冒険者ギルドでの冒険者の魔力測定や、騎士団の新人兵士の魔力測定。あらかじめ魔力を測定することで、冒険者や兵士の能力が分かり、訓練も効率的に行える。幼い頃から魔力量や適性を分かっていれば、その能力を伸ばしやすい。
現在、魔力測定器は、ロメオ王国の管理下に置かれ、他国への流出及び国内での使用についても国王の裁可を要する事になっている。量産体制が整っていないせいもあるが、まずは『魔力溜まり』への対策が第一とされたからだ。生産された魔力測定器は国内の要所毎に設置され、盗まれない様に、厳重な結界魔法で封じられている。必要な箇所への設置が終われば、活用場所を広げていく計画となっている。既にいくつか設置された魔力測定器が『魔力溜まり』を発見し浄化することで、被害を未然に防ぐという成果もあげていた。
この画期的な発見と発明により、ロメオ王国内において、魔法省は地味な変人の集まりから、将来有望なエリート集団として、注目を集めるようになった。以前とは違い、魔術師団との人気も二分するほどになり、実戦の魔術師団、知能の魔法省と言われるまでに評価も変わった。
そんな、今を時めく魔法省の副長官にして、人望もあり、将来も約束されたエリフィスであるが、それはあくまで表向きの事だ。
彼には、ロメオ国王以上に忠誠を誓う相手がおり、魔法省の副長官としてよりも大事な任務があった。
◇◇◇
ラース侯爵家に、リリンと来客を知らせるドアベルが響いた。
その瞬間、銀食器を磨いていたハルの額に青筋が浮かび、全身から膨大な魔力が迸る。
「うぎゃあっ!なんだよ、ハル兄ぃ?」
ハルの隣、慣れない執事服姿で懸命に銀食器を磨いていたダフが、魔力の余波で吹っ飛ばされた。弟の抗議には目もくれず、ハルは銀食器をテーブルに置くと、その場から忽然と消えた。
「な、なんだ?侵入者か?」
屋敷の守護結界に揺らぎを感じ、少し離れた所から、物騒な爆発音。ダフは手にしていた銀食器を置き、剣を抜いて部屋を飛び出した。音と魔力の揺らぎを頼りに、辿り着いた場所では。
「うわぁー」
ダフはげんなりした声を上げた。いつの間にやら、双子の片割れであるラブがいて、こちらは声も出さずにその光景をうんざりした様に見ていた。双子だから、感じる事は一緒なのだ。
「誰よ、あの二人を会わせたの。混ぜるな危険の筆頭じゃない」
「知るかよ。そんな事よりあの壺、奥様のお気に入りのヤツだ!割ったら怒られる」
「バカね。壺より屋敷が崩壊するかもしれないわよ。ああぁ。私の結界程度じゃ、あのバカ二人に太刀打ちできないぃ。地味にムカつく」
イジー家の優秀な双子は屋敷の崩壊を防ぐべく、必死に駆けずりまわるが、元凶共はそんな二人の涙ぐましい努力など、お構いなしだ。
「先触れもなく貴族の屋敷に訪れるなど、相変わらず礼儀のなっていない野良犬だな!」
ハルの懐から放たれたナイフとフォークが、侵入者に向かって矢の様に一直線に飛んで行く。遠慮も手加減もないその一撃を、侵入者は軽く身体を引くことで躱した。躱した先にあった奥様お気に入りの壺にナイフとフォークが突き刺さり、バリンと大きな音を立てて割れる。しかし瞬時に復元の魔術陣が起動し、壺は何事もなかったように元に戻った。
先ほどのお返しと言わんばかりに、侵入者から魔術陣が放たれる。大人の背丈ほどの大きさの魔術陣は、青い光を放ちながら、網の様に広がってハルを襲った。
「先触れに送った使い魔を返り討ちにするばかりか、屋敷を幻影の魔術陣で覆って辿り着けないように細工したのは貴方でしょう。あの程度の術で私の目を誤魔化そうなどと、侮られたものです」
魔術陣はハルの身体に絡みつき、轟轟と炎を噴き出したが、ハルは煩わしげに手を一振りして魔術陣を搔き消した。炎に巻かれたはずなのに、執事服には焦げ目一つなく、綺麗に撫でつけた銀髪には一筋の乱れもない。ハルの身体から紫電が放たれているが、凍り付くような瞳は冷静そのものだった。
「ふん。相変わらず魔力を無駄遣いして。それだから貴方は三流執事のままなのです」
「うるさい、野良魔術師」
黒に銀糸の刺繡を重ねた魔術師のローブを美しく着こなした侵入者は、鼻を鳴らしてハルを嘲る。そんな挑発には一切乗らず、ハルは全力で敵を倒すため、懐に手を入れた。
「あら、お客様はエリフィスなの?」
鈴を転がす様な声が、ハルと侵入者の耳朶を打つ。
瞬時に殺気と魔力と暗器を綺麗に仕舞い込んだハルと侵入者は、二人仲良く並んで声の主に向き直った。
「「エリス様」」
薄い藤色のドレスを纏ったエリスが、満面の笑みを浮かべてそこにいた。図書室からの移動中だったのか、青い表紙の詩集を手にしている。
「まぁ。素敵なお花ね」
エリスはエリフィスが収納魔法から取り出した薔薇の花束を見て、目を見開いた。薄い桃色の花弁と、辺りに広がる高貴な香りに、うっとりとした笑みを浮かべる。
「我が君」
エリフィスがエリスの傍らに跪き、恭しく花束を捧げる。
「ラース侯爵家の後継にお決まりになった事、心からお祝い申し上げます」
「あら。お祝いに来てくれたのね」
エリスは花束を受け取り、その香りを胸いっぱいに吸い込んで楽しんだ。花束を抱えたエリスは、薔薇の美しさに負けぬぐらい可憐で優美で可愛らしく、約一名の執事と約一名の魔術師の胸を、見事に撃ち抜いていた。
「先触れもなく訪ねてしまいご無礼を。何やら行き違いがあったようです」
頬を染めてゴホンと空咳をして気を取り直し、穏やかに詫びるエリフィスに、エリスは苦笑した。そしてハルを軽く睨む。
「ハル……。悪い子ね?」
エリフィスの先触れを追い返したのであろう張本人は、エリスの叱責に、とろりと笑み崩れた。これぐらいの叱責は、ハルにとってはご褒美だ。悪戯をしても全く反省はしていないその様子に、エリスは小さなため息を吐いた。
「それにしても久しぶりだわ。少し瘦せたのではなくて?忙しいのは分かるけど、無理をしてはダメよ?」
エリスは姉の様な眼差しで、エリフィスの頬を撫でた。以前に会った時よりも、顎の辺りが鋭くなっているような気がして、心配になった。手ずから育て上げた出来の良い弟子を、エリスは殊の外可愛がっていた。
「私の全ては我が君のために。忙しさなど、感じません」
エリスの手をうっとりと堪能するエリフィスに、エリスは困った笑みを浮かべた。
「わたくしの為に働いてくれているのは嬉しいけれど。身体を壊す様な真似は許さなくてよ」
甘やかに叱られて、嬉しそうににやけるエリフィス。その背中を、ハルがギリギリと歯を鳴らして悪鬼の表情で睨みつけていた。何やら禍々しい魔術陣がいくつもハルから放たれたが、エリフィスは目視もせずにその魔術陣を次々と無効化している。
「高度だけど、心底バカバカしい戦いよね」
「将来、どんなに強くなっても、あんな大人にはなりたくねぇよな、絶対」
能力では劣るが、中身は遥かに二人より成熟している双子は、冷めた目でダメな大人の見本を眺めていた。
◇◇◇
場所をラース侯爵家の庭に移し、エリスとエリフィスはお茶を楽しんだ。勿論、専属執事たるハルが給仕をしている。
客用のお茶には無味無臭の猛毒を入れたりしているが、完璧に無効化されても、眉一つ動かさないポーカーフェイスで控えている。
エリフィスも、無効化したとはいえ、毒の入っていた紅茶に躊躇いもなく口をつける。香りも味も最高級の茶葉で、美味だった。
「我が君が侯爵家の後継になるとは。驚きました」
「わたくしは嫌だったのよ?でも、お兄様の下準備の良さに、負けてしまったわ」
エリスは嘆息しながらお茶の甘い香りを楽しんだ。ハルが気合を込めて淹れたのは薔薇の香りのフレーバーティーだ。塞ぎがちになる気分が僅かに晴れ、エリスは頬を緩める。
「美味しいわ、ハル。いつもありがとう」
エリスの言葉に、ハルは微笑んだ。ハルにとっては、エリスの気分を察して茶葉の種類を変えるなど、息をするように当たり前の事だ。だがエリスはそんな些細な事でも、ハルの気遣いを褒めてくれる。
ああ。どこまで最高の主人なのか。一生その足元に傅いて生きていきたい。エリスの事だけを考えて、エリスの為だけに働いて、エリスの為だけに生きる。なんて魅惑的な人生なのか。
「ハル、考えていることが気持ち悪いわ」
「申し訳ありません」
冷ややかなエリスの言葉さえも嬉しくて、ハルはうっとり微笑んだ。そんな貴公子の仮面を被った変態執事に、エリフィスは道端で干からびた虫の死骸を見るような目を向けていた。主人の事は素晴らしいと思うが、側に置く人間の人選については、いつまで経っても賛同できない。
「ハリー様も、欲のない事です。侯爵家の後継をいとも簡単に譲られるとは」
「お兄様は欲の塊のような方よ。自分の欲望の為なら、妹を犠牲にすることなどなんの躊躇いもないのだもの」
唇を尖らせて拗ねるエリスに、エリフィスは苦笑した。ラース家の血を引く者は、貴族の身分や名誉などに全く食指が動かない人種だと分かってはいたが、侯爵家の後継という、誰もが欲しがる地位にこれっぽっちも価値を見出してない事に、改めて驚くのだった。
「ハリー様の場合は、どちらかというと、婚約者であるメル様が社交に向かぬから、侯爵の後継を手放したと思いますが」
ハリーの婚約者である『幻の令嬢』メル・レノールを思い浮かべ、エリスはクスクスと笑った。
「そうねぇ。メル様は繊細で人見知りでいらっしゃるから。魔法薬師の才能にあれ程恵まれていらっしゃるのに、自己評価が恐ろしく低くていらっしゃるのは困った事だわ」
ハリーの婚約者、メル・レノールはレノール伯爵家の二女であり、魔法薬師だ。学生時代から数々の魔法薬を発明し、代々魔法薬師を輩出するレノール家でも、稀に見る逸材と言われている。だがその数々の功績よりも、激しい人見知りと引っ込み思案のせいで、レノール家に設置された研究室に閉じこもり、決して表に出ない『幻の令嬢』としての方が有名だった。
その様な性質だから、どれほど優秀でも、とても侯爵夫人としては務まらない。高位貴族には必須の社交が壊滅的なのだ。本人もそれを気にしてハリーとの婚約を解消しようと何度も申し出ていたが、婚約者を溺愛するハリーがそんな事を許すはずもない。元々爵位を望んでいなかった事もあり、エリスに押し付けるために全力を出し始めたのだ。
ラース侯爵家の血を色濃く受け継いでいるハリーに、それこそ一切の手抜かりもないぐらい完璧に外堀を埋められ、エリスは諦める事にした。あのヒプレスの勝負なんて、エリスを納得させるための、おまけのようなものだったのだ。
「まぁ、お兄様も少しは罪悪感があるらしく、わたくしに爵位を押し付けた後も、領地管理などの手伝いはするとお約束してくださったので、仕方なく引き受ける事にしましたわ」
そうは言いながらも、エリスの顔は晴れない。悩まし気にため息を吐いた。
「はぁぁぁ。面倒だわ。いっそ国など滅ぼしてしまおうかしら。国がなければ、爵位などなくなるものね」
「我が君。落ち着いて下さい」
この人ならやりかねんと、エリフィスは主人を宥める。優秀なエリスの事だ。誰にも気付かれる事なく、緩やかにこの国を滅亡に導くことも可能だろう。
エリスの気持ちも分かるし、愛しい主人の願いならなんでも叶えてやりたいが、いくらなんでも、王国全ての民を道連れにするのは、エリフィスの良心が許さなかった。浮世離れしていると言われる魔術師だが、それが人道的にマズイだろうという良識ぐらいはあるのだ。
横で従順に頷いて、主人の意に従わんと動き出す狂犬に、出来うる限りの拘束魔術を掛けながら、エリフィスは思考を巡らせた。
無欲な主人の強欲な願いを、なんと宥めたらいいのか。エリフィスは焦る気持ちを押えて引き攣った笑みを浮かべた。
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