13
その手紙がレイアの目に留まったのは偶然だった。
パーカー侯爵家に届く手紙は、まず第一に家令が受け取り、仕分けをする。茶会や夜会への招待、領地に関わるものなど、家令に中身を検める権限を与えられている類のものは家令がそのまま処理をし、主の判断を仰ぐ重要なものは侯爵や夫人に。そして私的な手紙はそれぞれの家人に渡される。まだ学生であるレイアは、家令より渡される私的な手紙以外、目に入れる事は殆ど無かった。
だがその日、家令は所用で出掛けており、レイアには楽しみに待っている手紙があった。他国に嫁いだ従姉からの手紙。男兄弟しかいないレイアにとって、姉のように慕う従姉とは、月に一度手紙をやり取りする程、仲が良かった。その従姉からそろそろ今日あたり、手紙が届くだろうと楽しみにしていたのだ。
だから届いた手紙を家令の部屋に運び込もうとしたメイドに、無理を言って一旦全ての手紙をレイアの部屋に運んでもらったのだ。パーカー侯爵家ほどの家ともなれば、一日に届く手紙の量はかなりのものだ。大量の手紙の中から自分宛の物だけを抜き出すのは難しく、自分の部屋でゆっくり探そうと思ったのだ。
その手紙は他のものに比べ、異質だった。
まず、封筒の紙質が粗い。庶民が使う様な、安価なものに見えた。真っ白よりも、くすんだ白。洒落た飾り気もなく、無地。使用人宛の手紙かと思ったが、封筒のどこにも宛名がなかった。
窓に向けて日に透かしてみても、宛名が透けて見える事はなかった。素朴な紙質だが、それなりの厚みはあるようだ。
レイアは興味をかられ、ペーパーナイフを手に取った。宛名がないのだから、誰が開けても問題はないのだろう。
中には、白いカードが一枚入っていた。
「……ひっ!」
予想外のモノに、レイアは声を漏らした。
白いカードには、赤いものがべたりとついていた。走り書きの汚い『お前たちを殺す』という文字。
まるでそれ自体が悪意の塊の様で、レイアは思わずカードを放り出してしまった。
床に落ちたカードは、裏面を表にしていたので、幸いにも悍ましい文字は隠れた。
しかし、レイアの目にはしっかりと先ほどの文字が焼き付いていた。
「お嬢さま、手紙を……」
そこに厳しい顔でやってきた家令が、震えるレイアと床に落ちたカードを見比べ、はっと息を呑んだ。
「……ご覧になったのですね」
「これは何?」
レイアの震えてはいたが毅然とした声に、家令は視線を床に落とした。
「私の口からは、お話しできません」
「お父様はご存じなのね?お母さまも?」
「……」
家令は押し黙ったが、父と母は知っているのだ。そして、おそらく兄も。
まだ幼い弟はともかく、成人した自分が除け者にされていた事に、レイアは酷く傷ついた。
「侯爵家の権勢を妬むものの仕業でしょう。ただの悪戯です。お嬢さまはお忘れくださいませ」
「そうかしら?」
カードを拾い上げ、封筒に戻し、何事も無かったように努めて明るい声を出す家令に、レイアは咎める様な声を上げた。封筒を開けた時に感じた鉄錆の様な匂い。まぎれもなく血の匂いだ。あのカードの赤は、赤インクなどではなく、動物か人間の血液なのだろう。そんな手間を掛けているのに、ただの悪戯?
「……私からは、これ以上は、何も」
硬い顔で俯く家令に、レイアは彼もただの悪戯ではないと考えているのだろうと悟った。
「お父様にお聞きするわ」
封筒を持って、レイアは家令に背を向けた。
父が帰ってきたら。どんなに遅い時間であろうと、この事について聞くまでは諦めないと決めていた。
◇◇◇
仕事を終えた父が帰って来たのは、夕食の時間もとうに過ぎ、寝支度を始める頃だった。
いつにも増して疲れた顔をしている父に気が引けたが、レイアは無理矢理、家令が止めるのも聞かずに父母の部屋に押し掛けた。
「レイア。こんな時間に何の用だ。話があるのなら、明日の朝食の時にしてくれ。今日は疲れているのだ」
「それでは余り時間が取れませんので。お疲れのところ申し訳ありませんが、この手紙について教えてくださいませ」
レイアが差し出した簡素な封筒に、父母の顔が曇る。視線を受けた家令が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「そうか……。見たのか」
厄介事は次々に起こるものだと、パーカー侯爵は深いため息を吐いた。一つの心配事が解決したと思ったら、また違う心配事が出来た。
「お前は何も気にすることはない。この屋敷の警備は厳重だし、お前たちの護衛も手練れを増やしている」
「まぁ!」
レイアは父の消極的な言葉に、非難めいた声を上げた。
「お父様はこの様な物を送り付ける、卑劣な輩に屈するのですか?」
「屈するわけではない。相手にしていないだけだ」
「こんな卑劣な者は、探し出して捕らえ、騎士団に差し出すべきです!守りを固めるだけなんて、生ぬるい!」
眉間の皺をもみもみと揉んで、パーカー侯爵は再び深いため息を吐いた。予感は的中した。勝ち気な娘は無駄に好戦的だ。
「こんな奴ら、私が捕まえてみせますわ!そうね、護衛とわざとはぐれたふりをして、隙を作って囮になって……」
「そんな危険な事を、お前に許すはずが無いだろう」
意気揚々と語る娘に、パーカー侯爵は諭すように語り掛ける。ちょっと剣術を習い、学園の魔術の成績がいいぐらいの良家のお嬢さまに、捕物など出来る筈がない。こういう所はやはり世間知らずの貴族令嬢だと、侯爵は頭が痛くなった。
「まぁぁ。お父様。私にお兄様と同じように独立心を持てと、いつも言っていらっしゃるではないですか!」
独立心を持てとは言ったが、闘争心を育てろとは言っていない。
「レイア。お父様のお言葉に逆らってはいけませんよ」
それまで黙っていた侯爵夫人が、たまらず口を挟んだ。窘める様なその言葉に、レイアの反抗心はますます燃え盛る。
「いいえ、お母様。お父様に何と言われようと、私は絶対に悪に屈したりはしません!この身を掛けて、断固、悪と戦います!」
パーカー侯爵は疲れていた。今朝まで、娘の失言で『紋章の家』の不興を買ったのではないかと、心身を擦り減らして心配して。
更に法案可決のため、有力貴族たちへの根回しで毎日奔走し。狸な貴族たちと腹を探り合い、時にはぶつかり、時には引いて。そんな忙しくも張り詰めた緊張状態が続く毎日を送っていて。クタクタになって家に帰ってみれば、休む間もなく娘に突撃され、喧嘩腰に喚かれて。
だから普段の冷静で余裕のある父親はそこにはいなかった。駄々を捏ねる子どもに、本気で切れる大人気のない親しかいなかった。
「箱入り娘のお前に、何が出来ると思っているのだ!今は重大な法案が貴族会を通るか大事な時期だ!わざと事を荒立てるような真似は止めなさい!」
思いのほか、大きな声が出た。怒鳴られたレイアが、ビクリと身体を竦め、目を真ん丸にしている。
その瞬間、パーカー侯爵は失態を悟った。生まれて初めて父親に怒鳴られた娘は、プルプルと震え、ほんのり目尻に涙をにじませて。
「見損ないました、お父様!怒鳴って言いなりになさろうとするなんて!私は、絶対にやり遂げてみせますから!」
娘は、無駄に勝ち気なのだ。委縮するどころか、娘の怒りに燃料を注ぎ込む事になり、パーカー侯爵はまずいと思ったが。
だが、父親の威厳というものが、こちらも無駄に仕事をして、怒鳴りつけた事を素直に謝る気持ちになれなかった。
「出来ると思うのなら、やってみるがいい!自分の無謀さを、少しは反省しなさい!」
更に追加の燃料まで注ぎ込んでしまうぐらい、本当に疲れていたのだ。
レイアは淑女らしからぬ足音を立てて、夫婦の部屋から出て行った。
家令がオロオロしながら、レイアの後を追う。長年、パーカー侯爵家を切り盛りする冷静沈着な家令が、狼狽えているのを見るのは初めてだった。
「……は、」
疲れた様に息を吐き、パーカー侯爵は深々とソファに座り込む。夫人も少々混乱していたが、力なく座り込む夫の側に寄り添った。
「全く。何故、次から次へと問題が起こるのだ」
「申し訳ありません。私の躾が甘かったのです」
妻の落ち込んだ様子に、侯爵は緩く頭を振った。妻が悪いわけではないのだ。
「少し、甘やかし過ぎたか。女だからとて嫁ぐだけが道ではないと、色々と、自由にさせ過ぎたか」
「いいえ、旦那様。そのお考えは間違ってなどおりません。その証拠に、同じように育てたカイトやロイは、あそこまで好戦的ではありませんわ」
溜息交じりの妻の言葉に、侯爵は納得する。確かに、嫡男のカイトは侯爵に似て冷静で、ちゃっかりしているというか。アレが熱くなるところなど、想像できない。次男のロイも、穏やかで人と争うのは苦手だ。
「……そうだな。レイアの性格を分かっていて、怒鳴りつけた私が悪かったのだ」
冷静さを取り戻した侯爵は、三度、深いため息を吐いた。
「明日の朝食の席で、レイアともう一度話してみよう。なに、仕事は多少遅れたところで、問題はない。レイアととことん話をして、分かってもらうさ」
今日はもう話す気力は残っていない。今日はもういいだろう。それぐらい、侯爵は疲れ切っていたのだ。そう思ったとしても、仕方のない事だった。
だが、侯爵は後に、この事を後悔した。あの時、レイアの部屋に行って、とことん話し合わなかったことを。
そして、好戦的で無駄に行動力のある娘の性格を、読み切れていなかった事を、とことん後悔したのだ。
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