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「悪かったな、こんな雑用を手伝ってもらって」
口ではそんな事を言っているが、シュリル・パーカーの目は期待にキラキラと輝いている。
「まぁ。今日の当番はわたくしですもの。先生の御用でしたら、精一杯務めますわ」
エリスは授業の教材を数枚ずつに仕分けてまとめながら、ニッコリとほほ笑んだ。
エリスの通う学園には、クラスごとに、その日の当番が一人いる。教材を配布したり、次の教師への連絡事項を伝えたりと、大半が教師の補助の仕事が振られる。使用人を使う事に慣れている貴族の子女には慣れない役割だが、これは学園の伝統であり、子女の教育に必要な事だと、どんな身分の者にも課せられている。たまに反発する者もいるが、王太子ですらきちんと熟しているので、現在の学園内でこの制度に逆らう者はいない。
勿論、教師と生徒という立場だが、男女が一室にいる事は許されないため、エリスの侍女であるラブと護衛のダフが付き添っている。しかしその目はシュリルに反比例するように淀んでいた。
「おい、ダフ・イジー、ラブ・イジー。そんな顔するんじゃねぇよ。この前は流石に俺もやり過ぎたと思っているんだ。悪かったよ」
「俺はその言葉を絶対に信じません」
「そうよ。先生は絶対に反省なんかしていないわ」
ダフとラブがシュリルの言葉を真っ向から否定する。猜疑の色が濃い視線を向けられ、シュリルは気まずそうに頬を掻いた。
「しょうがないじゃないか。折角、ラース家のお許しが出たんだぞ?たった二日ぐらい質問攻めにしただけで、そんなに怒るなよ」
「『あと一つ、あと一つだけ教えてくれ』って、何回言ったか覚えていますか?俺は250回目までは数えてましたが、それ以降は覚えていません」
「大雑把ね、ダフ。全部で372回よ。食事とトイレ以外は全部質問攻め。折角の休みを潰された恨みは忘れませんから」
先日の討伐演習で起きた変異種の魔獣の襲撃事件で、色々と尻ぬぐいをしてもらったお礼にと、以前からラース家が開発した魔道具や魔術陣について知りたがっていたシュリルに、ラース家から情報開示の許可が出たのだ。ラース侯爵からの命を受け、双子がシュリルの質問に答える事になったのだが、魔術バカが過ぎるシュリルに、延々と質問をされ続け、双子はすっかりシュリルが嫌いになった。以前から魔術愛が激し過ぎる鬱陶しい教師だと思ってはいたが、同じ質問を何度も何度も色んな角度から繰り返され、気が狂いそうだった。
「あらあら。ラブ、ダフ。そんなに悪く言ってはダメよ。先生は我が国の最高峰を誇る魔術師なのよ。熱心でいらっしゃるのは当たり前じゃない」
くすくす笑うエリスに窘められて、ラブとダフは唇を尖らせた。確かに、教師に対して無礼な態度であったことは事実だ。しかしダフとラブは、あの地獄の二日間の後、『あと一つ、あと一つだけ』と繰り返すシュリルに追いかけられる悪夢に悩まされたのだ。あれは、トラウマになっても仕方のないしつこさだった。魔術さえなければいい人なのにと、双子は残念な大人の代表に醒めた視線を向けた。
「それで、シュリル先生?今日のお手伝いは口実でしょう?わたくしに何か、御用がおありなのではないですか?」
「ああ、察しが良いな。実は先日、陛下に呼び出されてな」
学園で教鞭を執っているが、一流魔術師として、シュリルは王宮でも役職を持っている。国王からの急な呼び出しで驚きはしたが、緊急性は無いようだと思って、それほど構えずに謁見したのだが。
「あー、あのな。陛下の用件は、学園の教師としての仕事にも関わるし、俺の身内の事にも関わる事でな」
ダフとラブに責められた時以上に気まずそうな顔のシュリルに、エリスは不思議そうに首を傾げる。
「込み入ったお話のようですわね?」
パチリ、とエリスが指を鳴らすと、キンッとその場が張り詰める。
「念のため、盗聴防止の魔術を掛けましたわ。聞かれたくないお話は、漏れないようにしていますので、どうぞ?」
シュリルは突然展開した魔術にカッと目を見開き、目の前の教材に魔術陣を模写し始めた。その血走った眼は、質問攻めの二日間の時と同じだと、双子はこっそりシェリルから一歩退いた。
「盗聴防止!これが!ブレイン殿下の言っていたヤツか。くっそ、なんだこれは、見たことない術式が!そうか、ここがあの術式に影響して………」
魔術陣に夢中になっているシュリルを放って置いて、エリスは教材を手早く仕分けていく。それがあと残り僅かとなったところで、ようやくシュリルに声を掛けた。
「シュリル先生。もう少しで仕分けが終わりますが……」
「そうか。ここがこうで。いや、こっちを当てはめてから次に展開が」
「これが終われば、わたくしは帰りますけれど。宜しいですわね?」
「はっ?」
ばっと顔を上げたシュリルに、エリスは手を止めずにほほ笑んだ。
「当番のお仕事が終われば、速やかに帰宅する。普通の生徒ならば当然のことですわ」
平凡に擬態するエリスが、常の生徒にない行動を取る筈がない。当番が教師の手伝いをするのは、長くとも一時程度。それ以上は不審に思われる。
「ま、まて!この魔術陣の展開で質問が、あ、いやいや、いかん。陛下の呼び出しの話をしていたんだ。エリス嬢、同じクラスのレイア・パーカーと揉めたんだって?」
「「えっ?」」
焦ったシェリルの前置きも配慮もないストレートな質問に、双子から驚きの声が上がる。聞いていない。そんな話、エリスから全く聞いていない。主人のトラブルは当然側仕えは把握しておくべき事項だ。学園内の出来事とはいえ、そのまま家同士の関係や主人の安全面にも十分関わってくるからだ。
「その事が先日、パーカー侯爵の耳に入ったようでな。侯爵は娘が『紋章の家』とも揉めたことに怯え、いや、驚いたみたいでな。すぐに陛下に謁見を求め、助けを、いや、判断を仰いだんだ。『紋章の家』と揉めるなど、国の重鎮としては宜しくないからな。侯爵は不快な思いをさせてしまい、詫びがしたいそうなんだが……」
それで、ラース家の意向を確認するために、シュリルは国王に呼び出されたのだ。国王はそれぐらいではラース家は怒ったりしないとパーカー侯爵を諭したようだが、侯爵は安心できなかったようで、必死で取り成しを嘆願されたらしい。「パーカー侯爵が心労で倒れるかもしれん、お前、何か聞いていないのか?」とシェリルはうんざりした国王に聞かれたのだが。
「そんな大仰な事ではございませんわ。わたくしが家を継ぐことに対して、お友達と話していたことが、パーカー嬢のお気に障ってしまったのです」
苦笑気味にエリスから揉め事について説明され、シュリルは安心し、逆に双子は激高した。
「はぁ、なんですかそれ。お嬢さまがお友達と何を話そうが、その方には関係ないじゃないですか!」
「自分だけが志が高いとか思ってんじゃねぇの?ちょっとばかし周りから優秀だってちやほやされて、思い上がってんだよ」
主人を馬鹿にされ、双子の怒りはヒートアップしていく。今にも飛び出してパーカー侯爵家に乗り込みそうなのを、エリスに窘められ、双子が不承不承落ち着いたのを見計らい、シュリルは口を開いた。
「まぁなんだ。エリス嬢が怒っていないようで良かった。パーカー侯爵家は俺の家の主家に当たるんだ。俺のひい爺さんが当時の当主の弟で、侯爵家から余っていた爵位を一つもらって出来た家なんだ」
シュリルの家は子爵家だ。当然、主家に当たる侯爵家の方が身分的には上だし、親戚付き合いもある。そんな家がラース侯爵家と揉めるなんて、絶対に避けたい事だ。
「まぁ、ほほほ。これぐらいで怒ったりはしませんわ。学生同士の、よくあるやり合いではありませんか。普通の事ですわ」
エリスはコロコロと笑う。平凡な学園生活に、少々のスパイス。それもまた、平凡が際立つための必要なものなのだ。
「平凡の擬態は流石だな。まぁ、試験の度にあれを保っているのだから、その辺の加減は得意なんだろうが」
予想していたとはいえ、想定通りのエリスの言葉に、シュリルはため息を吐く。
「……あら。お気づきでしたか?」
「俺は担任だからな」
学園の担任は高等部の3年間はずっと変わらない。勿論、監視とフォローの為にエリスのクラスはシュリルが担任だ。そのお陰で、気付いたのだが。
「あれって何ですか?」
エリスとシュリルの会話の意味が分からず、ラブが不思議そうに聞いた。ダフも同様に、首をかしげている。
「……エリス嬢の試験の点数だよ。エリス嬢は試験の度に、平均点を取っている」
双子は更に首を捻る。本来は優秀なエリスが、実力のままに試験を受ければ満点首位は確実だ。周囲を欺くために平均の点数を取って目立たないようにするのは、当然じゃないだろうか。
「満点が取れる試験で、わざとミスをして点数を落とすのは簡単だろう。だがな、エリス嬢は毎回平均点を取るんだ。いいか、試験っていうのは難易度によって点数は変動しやすいし、例えば当日、体調不良で試験を受けられない者もいる。どれぐらいの平均点になるかなんて、試験を作った教師にだって正確な点数を予測するのは無理なんだよ。それが、エリス嬢は毎回、全ての教科の総合点が平均点だ。しかも、数学と魔術は少し低めの点数で、それ以外の教科を高めに取る事で平均を保っている。試験の度に、問題の傾向と受ける人数や生徒たちの習熟度を勘案して、平均点を取り続けているんだ。それが普通は不可能な事ぐらい、考えれば分かるだろう?」
ダフとラブは想像した。試験を受ける時に、今日は誰が欠席だとか、難易度が高いとか低いとか、どの教科を高めの点数にし、低めにするか。そんな事を計算しながら点数を平均値になるように調整していく。とんでもなく難しい事だ。というか、不可能だ。いや、それよりどうして、そんな事までする必要があるのか。
全く理解出来なくて、ぎぎぎっと振り返り主人を見つめれば、エリスが恥ずかしそうに頬を染めた。悪戯がバレたみたいなその表情を、もしも双子の兄がこの場にいて目撃していたら、その可愛らしさに間違いなく悶絶しているであろう。
「だって、ただ点数を落とすだけでは簡単すぎて、つまらないじゃない。皆様、試験勉強を一生懸命なさって、試験に臨まれているのよ?わたくしも普通の学生みたいに、そういう苦労を味わってみたかったの」
エリスの予想外の答えに、双子は脱力した。試験の度に努力して首位をキープしている双子だが、なんだか自分の存在が虫けらの様に感じてしまったのだ。エリスが優秀というか、格が違うというか、次元が違う事は分かっていたのだが、まざまざと見せつけられたようで気持ちが付いて行かなかった。どこからか、兄の『だからお前たちは鍛錬が足らんのだ』という声が聞こえてくるようだ。
一方、シュリルは単純に驚いていた。「え、そんな理由なのか?」と。なんとなく、エリスがやる事だから、学園の生徒の能力を測るためだとか、何かのデータを取るためだとかの深い理由がある気がしていたのだ。なんだその無駄な努力はと、純粋に呆れた。
「卒業まで、なんとか今の平均をキープできるように頑張りますわね」
むんっと拳を作って気合を入れているエリスは、やる気に満ち溢れている。
それにしても。一つだけ分かったことがある。
兄の言う通り、双子の主人は、平凡な学園生活を間違いなく楽しんでいる様だ。
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