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珍しく父、パーカー侯爵が夕食を共に摂れると聞いて、レイアは嬉しい気持ちで一杯だった。
名門パーカー侯爵家の家長である父は、法務大臣であり、陛下の信頼も厚く多忙を極める毎日を送っている。家族で夕食を共に摂れるなど、月に一度あればいい方だ。しかも今日は、同じく忙しい兄カイトも同席するという。いつもは母とレイア、そして下の弟であるロイの三人だけの晩餐が、久しぶりに家族一同が揃うことになる。
「なるほど。最近、父上が手掛けていらっしゃる人身売買禁止法の強化は、ジラーズ王国の移民を保護する目的があったのですね」
「あぁ。彼の国は現王の病が重くなり、次代の王位争奪を巡って、第一王子、第二王子の関係が悪化し、世情が不安定だ。小さな内紛も少なからず起きていて、我が国への難民が増えている。我が国では長く人身売買を禁じているが、拠り所のない者たちにつけ込み、悪銭を稼ぐ者が後を絶たない。今回の禁止法の厳罰化はそれを防ぐためのものだ」
和やかに始まった夕食は、始めはカイトの仕事の話や、レイアやロイの学園生活の話など、他愛ないものだったが、夕食が進むにつれて難しい話題に移っていった。
話の中心は父とカイトだ。特にカイトは、今はまだ下っ端だが、王宮に勤める身として、大臣である父が携わる仕事に興味が尽きない様だ。まるで教師に教えを乞う生徒の様に、熱心に父と議論を交わしている。
レイアやロイもまだ学生の身だが、父やカイトの話は興味深い。現役の大臣や官僚から生きた政治や情勢を聞く事は、学園の授業では味わえない経験だ。
「人身売買の禁止については学園でも学びましたが、厳罰化を検討されているとは知りませんでしたわ」
レイアの言葉に、ロイも頷く。
「まだ策定の段階だからね。しかし秘匿されているものでもない。世情に耳に傾けていれば、知ることが出来る。お前たちも学生だからと甘えず、普段から見聞を広げるように心がけなくてはな」
穏やかながらも厳しい父の言葉に、レイアもロイも身を引き締めた。
レイアは嬉しかった。ロメオ王国は長年、男性優位な風潮であった。レイアの親世代が子どもの頃は、貴族女性の喜びは、ほどほどの教養を身に付け、良い家に嫁ぐ事だと言われていた。それが、現王の治世になって女性の活躍の場が広がり、女性でも男性と同じように勉学を身に付ける事が良しとされている。もちろん保守的な貴族家では、昔ながらの価値観で女性に勉学など不要という家も多い。だが、パーカー侯爵家では兄や弟と変わらない教育が、女性であるレイアにも与えられた。パーカー侯爵家を継ぐのは嫡男であるカイトだが、もしカイトにその能力が無ければ、レイアやロイのどちらかに継がせると、父は明言してた。その言葉を受け、三人はお互い切磋琢磨して育ち、学園でも優秀な成績を修めている。今はレイアも弟も、カイトが侯爵家を継ぐ事に異議はないし、その補佐を務める事を楽しみにしていた。
そんな、革新的な考えを持つ父を尊敬していたレイアは、つい先頃の、クラスメイトたちの軽口を思い出し、思わず呟いてしまった。
「本当に、そうですわね。学生だからといって、あの様な軽い考えで家を継ごうだなんて。許せないわ」
「ん?レイア、何の話だね?」
父に聞き咎められ、レイアは口を尖らせて、不満を口にした。
「先日、同じクラスの女生徒が、御病気のお兄様に代わって家を継ぐ事が決まられたらしいのですけど」
「ああ。最近多いよね。女当主を立てる家」
兄が苦笑いして頷く。王宮に勤めるカイトは、色々な貴族家の事情にも精通している。後継の交代は事情がある場合に限られているというのに、王の意向に沿いたいと娘を当主に立てる事が流行し、届出の精査の仕事が増えているのだ。
「お兄様の御病気はお気の毒ですけど。家を継ぐというのに当主としての責務を何も分かっていないばかりか、夫になる者との色恋ばかり気にしていて。あまりの自覚の無さに、余計な事とは思いましたが、つい苦言を呈してしまいました」
レイアの言葉に、カイトは呆れ、父は顔をしかめた。
「まぁ。お前の気持ちは分からないでもないが、余所の家の事に、簡単に踏み込んではいけないよ」
「分かっておりますわ、お父様。でも、あまりに能天気に、夫となる方の噂話に興じていらっしゃるんですもの」
「お前の様に勉強や政治にばかり興味を持つご令嬢は少ないだろう。女当主として家を継ぎ、家の仕事は夫に任せるのも悪い事ではないさ」
父の注意に不満げなレイアに、カイトが揶揄う様な笑みを浮かべた。
「そんなに怒るなんて。刺激的な噂話だったのか?」
「そ、そんな事ではありませんわ!ただ、私はあまり存じませんが、お相手が有名な方らしくって」
レイアはカイトの揶揄いに顔を真っ赤にして否定する。
「有名?そんな届出あったかな?どこの家だ」
「ラース侯爵家ですわ」
レイアの言葉に、カイトは首を傾げる。
「ラース侯爵家?ああ、たしか嫡男のハリー・ラースの持病が悪化して、妹のエリス嬢に変更になったんだったな。有名って、もしかして、ラース家って、あのイジー家が仕えている家か!っていう事は、エリス嬢のお相手はもしやハル・イジー?そりゃあ有名……」
カイトの言葉を遮って、ガシャンとカトラリーの音が響く。ぎょっとしてレイアたちが視線を向けると、父がカトラリーを取り落としていた。その顔は青ざめている。
「お父様!どうなさったの、お加減でも?」
「父上、顔が真っ青です!」
驚いて駆け寄る家族に、父はふるりと頭を一つ振り、震える声で呟く。
「いや、大丈夫。何でもないよ」
「あなた、少し休まれた方が……」
青ざめる母の言葉に、父は今度はしっかりと頭を振った。
「いや、大丈夫。少し寒気がしただけだ。今日は早めに休むとしよう」
穏やかで落ち着いたその声はいつもの父で、カイトとレイアはホッと息をつく。だが母は動揺しているのか、未だにその顔は青い。
「それよりレイア。他家の事に、二度と余計な口を挟んではいけないよ。それぞれ事情があるのだから」
「……はい」
そう釘を刺され、父は早めに食事を切り上げ、母と共に部屋に下がってしまった。
あとに残された三人は、食後のデザートをなんとなく落ち着かない気持ちで食べていたが、不安な雰囲気が続くのに耐え兼ね、レイアは先ほど途切れた話題を持ち出した。
「お兄様。エリス様のお相手の方って、そんなに有名な方ですの?」
「あ、ああ。ハル・イジーと言えば、お前達の代ではあまり知らないかもしれないが」
「エリス様の侍女と侍従も、確かイジー家の方ですわ。とても優秀で先日の討伐演習にも参加なさっていたのよ」
学園内では知らぬ者がいないほど、イジー家の双子は有名だ。男女の双子で二人とも見目麗しく、学園の成績はトップ。それぞれ剣技と魔術に秀で、子爵家と身分が低いにも関わらず王太子殿下の側近にと熱望されているが、一途にラース侯爵家に仕えている。
「そのイジー家だ。ハル・イジーは双子の兄だ。俺たちの代では知らぬ者のいないほど有名な人だよ。今はラース家に執事として仕えているのであまり噂は聞かないが、在学中は数々の伝説を作ったんだ」
「伝説ですか……」
歴史の長い学園には、伝説の生徒の噂が色々と残っている。剣技が素晴らしく在学中に騎士団にスカウトされた生徒がいたなどの事実に即したものもあれば、魔術一発で竜を吹き飛ばしたなど、荒唐無稽なものもある。伝説と聞いても俄かに信じられるものではない。
疑いの色濃いレイアを見て、カイトは笑った。
「レイアの気持ちも分かるが、ハル・イジーの伝説は、本物だよ。一番有名なのは、飛び級で学園を一年で卒業したことだ。優秀過ぎて彼に教えられる教師はいないとまで言われてたんだ。在学中の試験は全て満点、実技も剣技、魔術に優れ、単独で魔獣を狩る実力があった。そのあまりの有能さに当時、同学年に在学されていた王弟殿下に側近に望まれたが、一生仕える方がいるからと辞退した忠義者だ。外見もまるで物語の王子の様に麗しく、当時、王弟殿下との人気を二分していた」
「飛び級……」
レイアは信じられなかった。王立学園のレベルは優秀なレイアでもついていくのが大変なぐらい高い。通算して3年間ある学園を1年で卒業するなど、信じられなかった。
「だから驚いたんだ。あの天才ハル・イジーが忠誠を誓うラース侯爵家はどれほど素晴らしいのかと思っていたが、王宮内での地位はそれほどパッとしないし、夜会でお見掛けしたエリス嬢も、可愛らしいが至って普通の令嬢だったから。当時、学園内では噂だったんだ。ハル・イジーがどんな美女にも権力にも靡かないのは、主家の美しいお嬢さまに懸想しているからだとかさ。でも、それはなさそうだし。もしかして、エリス嬢は優秀な方なのか?」
「……いいえ。成績上位者で名前を見たことはございませんわ。実技は、ありふれたそこらのご令嬢と同じく、苦手でいらっしゃいます」
レイアは記憶を呼び起こして否定する。エリス・ラースは、成績も並みぐらいの普通の令嬢だ。
「ふーん。じゃあ、イジー家は代々ラース侯爵家に仕えていると聞くから、ハル・イジーもその家風に則って、ラース家に忠誠を尽くしているだけか。在学時代はあの天才がどんな偉業を成し遂げるのかと期待していたが、案外、家の考えには逆らわない保守的な男なのかもしれないな」
カイトはつまらなそうに呟き、その日の夕食は終わった。
◇◇◇
「ああああ。ラース家にお詫びをすべきだろうか。だが『紋章の家』については、あちらから接触がない限り不可侵の決まり。しかし、レイアのラース家の次期当主に対しての暴言、詫びもないまま許されるのだろうか」
自室に下がったパーカー侯爵は、青白い顔で頭を抱えてウロウロと歩き回っていた。側には心配そうな顔の妻が寄り添っている。
「あなた。何かこちらからお詫びの品でもお送りしたほうが……」
「いや、普通の貴族家とは違うのはお前も知っているだろう?下手に接触して秘密が外部にバレたら、あの家の不興を買いかねない。だがこのままにするのは……」
侯爵は思い出していた。陛下に夫婦揃って謁見を賜り、父の跡を継いで大臣として任命されたその誉れな場で。王家と『紋章の家』との関係と、その守るべき約定と果たすべき義務を聞かされた。国の重鎮たる立場になれば、『紋章の家』との関わりが必ず出て来るからだ。その日以来、度々、『紋章の家』が関わる仕事に携わる機会があったが、そのどれもが国を動かす大事ばかりだった。我が国の王家は大きな失策もなく順調に国を富ませてきたが、それは間違いなく『紋章の家』の貢献があったからだ。
そんな重要な家の次代の当主に対する狼藉。彼の家は、どの代も当主は温和で友好的だが、だからと言って無礼を無条件で許す筈も無い。彼の家に睨まれれば、どれほど権勢を誇る貴族家とて、ひとたまりもないだろう。下手すれば王家も敵に回る。
「あ、明日、陛下にお目通りを願って、ご相談申し上げよう。ご判断を、仰がなくては」
「それがよろしいですね」
優秀だが、それ故に勝ち気な娘。高慢とも取られかねないその性格で、揉め事を起こさないかと心配していたが、学園では上手くやっていたので、安堵していたというのに。喧嘩を売った相手が、なぜ、よりにもよって『紋章の家』なのだ。
法務大臣として『紋章の家』と王家の関係を熟知しているパーカー侯爵は、娘の失言で家が潰されるかもという恐怖に、胃の痛む思いで朝が来るのを待った。
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