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☆「平凡な令嬢 エリス・ラースの日常」の後のお話です。まだの方はそちらを先にお読みになる事をお勧めします。
お待たせしました。平凡な令嬢シリーズです。
とっても平凡なお話になっています。ご安心ください。
身体を巻き締める力に抗うことが出来ず、魔術師団長はようやく、恐怖を感じ始めていた。
「ぐ、ぐ、ぐ、ぐ」
魔術を発動しようと詠唱しても、発動に必要な魔力は身体の中に縛り付けられていて、ただの力無い言葉だけが空に散っていく。どんなに身を捩っても身体に巻き付いたものは剥がれなかった。
「どうしてだ。こんなはずは。馬鹿な、この私が」
その脳裏は疑問と混乱で占められていた。こんなことは初めてだった。今までどんな強敵だろうと、魔力を封じられるなんて事なかったのに。
魔術師団長が驚愕するのも当たり前だった。彼は魔術大国と名高いこのジラーズ王国で、自分以上の魔術に長けた者などいないと自負していた。それなのに、なんの抵抗もできないまま不可思議な縄で縛られ、無力化されてしまったのだ。
「ふふふふ。こんなに強い相手を捕らえることができるなんて、ついていたな。やはり俺は誰よりも優れた魔術師なのだ。国一番の魔術師だって、俺に傷一つつける事もできやしないのだ」
魔術師団長を縛り上げた男が、含み笑いをしながら近づいてきた。地に倒れ伏す彼を足先でつつき、哄笑を上げた。
「お前は何者だ!私をどうするつもりだ!こ、殺すつもりか!」
魔術師団長は湧き上がる恐怖を堪えながら、精一杯の虚勢を張った。生まれた頃から身体の内にあり、当たり前のように扱っていた魔力が動かない。いくら魔術陣を描いても、発動しない。魔術に絶対の自信を持つ彼にとって、それは己の根源を揺るがす程の恐怖を掻き立てるものだった。
「まぁ、最終的には死んでもらうつもりだが。その前に、その豊富な魔力で役立ってもらおう」
男は小さな眼鏡を取り出し掛ける。小柄な男だが、それにしたって小さすぎる眼鏡だった。
「ほぉぉ。魔力量が常人の倍以上あるじゃないか。これは、思った以上の成果だな。適性魔術は水か」
敵は笑い、満足そうに頷いていたが、魔術師団長はその言葉に驚愕した。秘匿されている筈の自分の魔力量や適性魔術を、何故男が知っているのか。
魔術師団長は、適性魔術や魔力量の情報は世間に公表していなかった。武人や、特に魔術師は、己の魔力量や適性魔術を知られる事を極端に嫌う。それらを他人に知られる事は、己の弱点を晒すことになるからだ。魔力量を知られることで、どれぐらいの魔術を何回使えるのかが予測出来、適性魔術を知られれば、反対の属性の魔術で対抗され不利になる。魔術師団の団長の情報ともなれば、国の防衛にも影響を与える事になる。
魔力量や適性魔術を測れる魔力水晶は、大教会などで神具として厳重に保管されている。鑑定魔術で測れるとも聞くが、そもそも遣い手の数は少ない。鑑定魔術が使えたら、王家や大貴族に囲われてしまうのが常だ。
また、隣国ロメオ王国で、先ごろ魔力量を測る魔道具が開発されたと聞いているが、今はまだロメオ王国内からの持ち出しは禁じられていると聞く。その噂が本当なら、国家間のパワーバランスを崩す様な代物だ。その処置は当然であろう。
それなのに、なんなのだ、こいつは。鑑定魔術の遣い手なのだろうか。それに、この身体に巻き付く縄もおかしい。捕らえた相手の魔力を封じる魔道具など、見たことも聞いたこともない。なぜこんなおかしな魔道具を持っている。
得体の知れない恐怖が彼を襲う。魔術師団長としての矜持も吹き飛び、必死で敵の前から逃げだそうと、縛られたまま、身体を引き摺って男から遠ざかろうとした。
「ハハハハハ。お強い魔術師団長様が、まるで芋虫の様に地面に這いつくばって。惨めだなぁ、いい気味だ。アハハハハ」
敵は必死で逃げる男にゆっくり近づいてきた。嘲るような笑みを浮かべ、男の無様な姿に満足しながらゆっくりと。
やがて彼に追いついた男は、慈悲深い笑みを浮かべた。気持ち悪いぐらい、柔らかな声だった。
「我らドーグ・バレに、その魔力を捧げて貰おう」