気になるそいつは「おふだ」付き
新入社員として出社した初日、俺は総務課の十人の前で、意気揚々とここで働ける喜びを語ったのだが、その俺の意気込みを霧散させるような言葉が次々に末席の俺に発せられた。
「絶対あの書庫は開けるなよ」
「地縛霊が入っているらしいわ」
「呪いの人形って噂だぜ」
「生霊があの扉に封印されてるって話よ」
信じられないことに昼休みには、ラーメンすすりながら、ここだけの話だがと同じようなことを課長からも耳打ちされた。
だから手を伸ばせば届くほど、総務課内の誰よりも俺の近くにある、その不気味な書庫が、俺は一日中気になってしかたがなかった。隣席で指導役のショートでお目めぱっちりの彩音さんからの教えもほとんど上の空だった。
その面倒見の良い彩音さんが「おなかすいたでしょ。近くのコンビニで何か買ってくるわね。あと1時間頑張りましょ」と飾り気のない笑顔を残してこの課室を出ていったのは、つい数分前の午後7時ちょうど。
課室に一人となった俺は、この部屋には不釣り合いの重々しい黒緑色の所々錆が浮き出ている書庫の前に立っていた。観音開きのその扉には草書体でおどろおどろしい文字で「封印」と書かれた「おふだ」が貼られている。
肝試しやお化け屋敷が苦手な俺だが、なぜか恐怖心よりも、とにかくこの扉を開きたいという強い好奇心というか欲求が勝っていて、 それに抗うことができない俺は、普段なら絶対にしないであろう「おふだ」が貼られた扉を力任せに一気に開いたのだった。
「おふだ」は無残にもちりじりになって床に落ちていった。しかし、その棚の中は何もなかった。呪いの人形も何も無く、本当にに何も無くガランとして空っぽだった。
その時、「バタン」と課室のドアを開く音がして、彩音さんが戻ってきた。そして、俺を鋭い目で見るや否や、彼女は驚きとも落胆とも怒りともとれる表情と声色でこう言った。
「えっ!早すぎるでしょ。もう開けちゃったの?あれほどみんなが言ってくれたのに。まだあなたが辞めた後の人の手配してないのよ。次にあの書棚に近いの、私なんだからね!」
俺はその翌日の朝、退職届を出し、会社を1日で辞めた。書棚を開けた途端、あるはずのない会社への恨みつらみの感情が心に満ちていき、会社を辞めたくなってしまったのだ。
それからしばらくして、俺が辞めた3日後、彩音さんが会社を辞めたことを知った。
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