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6.心は乱高下


「お待たせしました」


 薬を調合して戻ってきたティアンナは、テーブルに一つの瓶を置いた。その瓶は何の加工も施されていない硝子の瓶である。中には淡い黄色の錠剤が入っていた。


 ティアンナはエミリオがそれを手に取ったところで説明を始める。効能と飲み方、そして注意事項だ。


「どんなに疲れていても空腹で飲んではダメですよ。寝れないからと勝手に飲む量を増やすのもダメです」

「はい、伝えます」

「もし効かないなどがあれば言ってください。また違うのを処方しますので」

「陛下と直接話された方が良いですか?」

「本当ならそうなんですけど、お忙しいですよね。陛下は特別です。此処まで来るのも時間のロスだと思うので」


 ありがとうございます、とソファーに座りながら頭を下げたエミリオにティアンナは慌てた。


「そんな風にしないでください!頭なんて下げないでくださいコストナー小公爵!」


 自分よりも身分の高い人に頭を下げられる等居心地が悪すぎる。ティアンナはエミリオのつむじを見ながら両手で彼の行動を制止した。苦笑したエミリオがゆっくりと顔をあげたのを見て、安堵したティアンナは白衣のポケットにいれていた別の薬も出す。これはエミリオ用だ。


「あとコストナー小公爵にも。同じ薬と疲労回復に効く薬です。お忙しいのは分かりますが、少しでも休んで下さい」


 同じく硝子瓶に入った薬を2種類机に置く。驚いた様にエミリオは薬とティアンナを交互に見ていた。


「ありがとうございます」


 少し呆けた様子のエミリオは感謝を口にする。光のなかった瞳が僅かに光を取り戻した気がして、ティアンナは微笑んだ。


「疲労回復薬は予防と回復に効果がありますが、やはりこれも飲み過ぎはよくありません。一日3錠までにしてくださいね」

「ははは、解りました」


 小瓶を手に取り、漸く理解が追いついたのかエミリオはフッと破顔した。ぎゅっと瓶を握り締め、自分の分はジャケットのポケットにしまい込む。心なしか顔が上気していた。

 エミリオはもしかしたら普段、良いように使われており感謝や心配をあまりされていないのだろうかとティアンナはふと思い、彼を不憫に思った。誰かしらが彼を思いやってくれていたら此処まで酷い顔になる事はなかっただろう。サフィールが皇太子時代も大変そうではあったが、ミルクティーの様な淡い茶色い髪がこんなにもパサついてはいなかった様に思う。

 それに淡い髪色と綺麗な緑色の瞳は社交界の人気者でもあった。人気は今もきっと衰えてはいないだろう。だが、見目で惹きつけていた分は少し減少したに違いない。そのくらいボロボロになっている。


(かわいそうに)


 ティアンナが内心、同情をしているのを気付いてもいないエミリオは和かな顔のまま、そういえば、と口を開いた。


「ティアンナ嬢と陛下は学生時代被ってますよね。学生時代は陛下と仲良かったのですか?」


 その質問にティアンナはピシリと固まる。浮ついているエミリオはその事に気付かないのか良い顔で返事を待っていた。


 ティアンナとサフィールは一つ違いである。サフィールの方が年上だ。同学年では無かったが、学舎を過ごした時期がほぼ被っている。

 二人が通っていたのは国が運営する貴族が主に入学する学校だ。平民も居たが、学費が高い為居たのは学費を免除される優秀な頭脳を持つ特待生くらいである。


 そんな学舎でティアンナはサフィールに恋をした。


 気を抜くと思い出すのは出会った図書室での事。彼の黒髪は少し青く、光があたるとサファイアの様に輝いた。

 窓際の席、ティアンナの正面で本を読む姿が瞼の裏に昨日の出来事の様に浮かぶ。緊張をしながら本を見る、だが目の前のサフィールに意識が持っていかれ全然内容が頭に入って来なかった、そんな遠い図書室での思い出。


 ティアンナはそんな淡い学生時代の心を思い出し、小首を傾げながら笑った。出てきたのは戸惑いの混じった声。


「えと、なんでしょう。たまに図書室とか先生の手伝いの時に話した程度で、仲が良いとかは無かったと思います」

「あっ、そうなのですね」


 あっさりと頷かれ、何故か落ち込む。どういう返しが欲しかったのだろう。ティアンナは自分の浅ましさに驚いた。そして自分を言い聞かせる様に肯定の声を出す。


「そうです」


 誤魔化しの為の笑みを貼り付け、笑う。無意識に手が左手の人差し指を撫でた。

 エミリオはそのティアンナの動作に気付き、じっと指輪を見る。


「どうかしました?」

「あ、いや……」


 視線を指輪からティアンナの顔に戻したエミリオはちょっとした動揺を悟られぬ様、少し早口で話し出した。


「陛下がわざわざ今回の調合にティアンナ嬢を指名したので、仲が良いのかと」

「指名、ですか」


 この短時間でティアンナの心は乱高下を繰り返す。覚えていてくれた、という気持ちが思考の邪魔をする。だが直ぐに心が凪いだ。どんなに良い風に受けったところでまた落ちるに違いない。


「卒業してからお話したのは片手で足りるくらいだと思います。それにここ数年は全く」


 ティアンナは淡々と事実だけを伝えた。最後に話したのはいつだっただろうか。何年前だったのかさえ思い出せない。思い出すのは言葉だけ。


 頑張ってるみたいだな、その言葉だけだった。


「変な話をして申し訳ない。不快に思ったのであれば正式に謝罪します」


 早口のままエミリオにそう言われ、ティアンナは慌てた。


「そんなそんな、別に不快なんて思ってないですよ!」


 ティアンナはぶんぶんと首を横に振る。ついでに両手も前に出す。あまりにも必死な形相で行う激しい動きにエミリオがプッと吹き出した。声にも出して『ははは』と笑われ、ティアンナは動きを止め、これでもかと眉を下げる。

 その顔を見てエミリオも流石に悪いと思ったのか笑うのを堪え、咳払いをした。まだ胸に残る笑いが出ぬ様口元を押さえる。


「ティアンナ嬢も恋人や婚約者が居るだろうに、変な事を聞いてしまって本当申し訳ない」

「え、居ませんよ?」


 何を言うのか、ティアンナは即答した。だが、エミリオはにんまりと笑ったまま、指差す様に視線を左手の人差し指に向ける。ハッとティアンナも指輪を見て、サッと隠した。


「そういう事にしておきましょう」


 全く信じていなさそうな声と顔にあわあわと口元が動いた。力一杯否定をしたい。だが何と言えば信じてもらえるのかティアンナの語彙力では伝えられそうには無かった。

 口から出るのは『ちがっ』だとか『えっ』だとか短い言葉のみ。しっかりと否定するには指輪を外すしか無い事をティアンナは理解していた。でもまだそれをする勇気なんてない。


「皇后様は何処にいるんでしょうね」


 溜息混じりにエミリオが言う。

 言えなかった、ティアンナは自分がそうだとは言えなかった。




 処方が終わり、室長室を出たところで甲高い声が飛び込んできた。耳を塞ぐのを忘れたティアンナはグワングワンとした頭を押さえながら声の方を見る。


「エミリオ様!」


 ちょこちょこと小股でこちらへ来たのはユナだった。予想通りの人物にティアンナは逃げ出したい気持ちになる。

 エミリオは甲高い声など慣れているのか、疲れ顔ながらも社交界を騒がした笑みを浮かべユナに尋ねる。


「君は?」

「私、ユナ・ゴルダンと申します。エミリオ様診察ですか?今丁度空いているので私が診ましょうか?」


 知り合いだからこそあの呼び方だと思っていたが、初対面だったらしい。ほんの少しカルチャーショックを覚えたティアンナは恐る恐るエミリオを見る。彼は公爵家の後継者である。しかも現宰相の息子であり皇帝の最側近。そんな彼のファーストネームを恐れ多くも呼んだのだ。しかも許可もなく。下位貴族には震え上がる出来事にティアンナは青褪めた。


 エミリオは腕に今にも縋り付いてきそうなユナの動きを察してか、スッと距離を取った。その違和感の無い動きに優雅さを感じ、ティアンナは思わず感心する。しかもエミリオの顔には笑みが貼り付いたままだ。


「いや、大丈夫です。今診て貰ったところなので」


 それでもユナは小股でエミリオに近付く。上目遣いでエミリオを見つめ、ピンク色の唇をわざとらしく三日月型にした。


「そうだったんですね、残念」

「ははは、本当ですね」


 確実に適当な返事をしたエミリオはこの場から退散しようとユナから視線を逸らし、ティアンナを見た。


「ではティアンナ嬢、またお願いします」

「お大事にして下さい」


 小瓶を握り締めたエミリオは軽くお辞儀をすると、颯爽とその場を去っていく。医務室の扉が閉まった音を確認し、ティアンナが室長室へ戻ろうとしたところ、ユナが声を荒げ肩を押してきた。鈍い痛みが走り、顔を歪める。だがそんな事お構いなしにユナはティアンナに詰め寄った。


「ちょっと!何でアンタが診てんのよ。アンタのお好きな紙はどうしたのよ!」

「室長に対応する様言われただけなので私からは何とも」


 押された肩を自身で撫でながら、ティアンナが答えればユナの顔が大きく歪む。


「ハア!室長?そんなんどうでも良いわよ!次は私が診るからアンタ出てくんじゃ無いわよ!」


 何故そういう事を言うのか。ティアンナは全く理解出来なかった。仕事と言うのは自分がやりたい事しかしないという選択肢は無い。だがユナはいとも簡単にそれをする。


 そもそもエミリオが来た時にユナは休憩時間では無かった筈だ。来た事を知らないという事は何処かへ行っていたという事だろう。もしかしたら仕事で席を外していただけかもしれないが、基本ユナは医務室以外での仕事は出来ない事になっている。以前、騎士団で騒ぎを起こしたからだ。だとしたら勝手に休憩を取っていたという事になる。


 ティアンナが何も言わずにいるとユナは『わかったわね!』と威圧し、大股で何処かへ去っていった。


「…………はぁ」


 次来る時も予約で来て貰おうとティアンナは決め、室長室へと入る。押された肩が鈍く鈍く痛み、心の痛みと呼応する様に脈を持った。




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