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5.不眠症


 昼を大分過ぎた15時頃、ゲルトが言っていた人物が医務室に顔を出した。


「コストナー小公爵、お疲れ様です」


 入口付近にいる職員への挨拶もそこそこにエミリオは真っ直ぐにティアンナの所へ来た。いつもと同じ疲れ果てた顔をしているエミリオ。見る度に隈が凄くなっているとティアンナは感じた。それにサフィールの即位前に比べても明らかに顔がやつれている。


「お疲れそうですね」


 皇帝であるサフィールの話を普通の診察室でするのはあれだろうと、予め室長室で用意していたティアンナは部屋へ向かう短い時間の中でそう尋ねた。ピシッと歩いてはいるが、頭がフラフラとよく揺れている。これは大分疲れが溜まっていそうだ。すれ違う職員も会釈をしつつも心配そうな顔をしている。

 だが、他人の心配など感じないのだろう。エミリオは青白い顔でオモチャの様に笑うと、ふらふらの頭を横に振った。


「私なんて、陛下に比べればなんて事ないですよ」


 光の見えない瞳が細められる。何も映していなさそうな瞳には疲労しか見えなかった。

 エミリオは言う。陛下に比べれば、と。これより酷いならばサフィールの顔は既にミイラになっているのかも知れない。いつだか見かけた時はそんな風には見えなかったが、髪色のお陰で健康的に見えていただけなのだろうか。

 ティアンナはその情景と共に渇望した心を思い出し、胸がキシリと痛んだ。


「陛下もそんなに酷いお顔をされているのですか?」

「いえ、陛下はいつも輝いてますが」


 心を無視する様にエミリオにそう問い掛けたティアンナだったが、即答され苦笑する。

 陛下が頑張っているのだから自分も頑張ろうという事だったのかもしれない。エミリオの顔に若干の不信感が浮かんだのを見て、思わずティアンナは苦笑した。

 

「そうですよね」


 普通に世間話をしていただけでこんな顔をされてしまうとは、エミリオのサフィールへの忠義は凄まじいものである。

 エミリオはティアンナの返しに『ええ』と大きく頷くと表情を戻した。それに安堵したティアンナは室長室の扉に手を掛ける。

 いつもは書類や器具で雑然としている部屋だが、見える範囲で片付けておいた為、パッと見綺麗には見える。だがまだ細々と汚いところはあるので内心ヒヤヒヤしながらエミリオを三人掛けのソファーへと案内をした。


「掛けてください」


 片手で促し、ソファーに掛けさせる。するとエミリオは全身を弛緩させる様に大きく息を吐いた。どうやら本当に疲れている様だ。


 ティアンナはその姿を確認してから茶棚から茶っ葉を取り出し、沸騰させておいたお湯をティーポットの中へ注いでいく。熱気を保ったお湯が湯気を立て、大きめのポットを満たしていった。


「今お茶も淹れますね」

「ありがとうございます」

「いえ、少しでも疲れが取れればなと思っただけですから」


 茶っ葉を蒸らし、程良い色がついたお茶を客人用のカップへと注げば爽やかな匂いが鼻腔を擽る。カモミールとレモンバームのお茶だ。これを飲むととても心が落ち着くので、疲れた時にティアンナはよく飲んでいた。


 コトリとカップをエミリオの前に置き、自身も目も前のソファーに腰をおろす。


「どうぞ」


 勧められたエミリオがカップを口に運ぶ。結構熱いのだが、冷ます事なくお茶を飲んだエミリオ。猫舌では無い様だ。コクリと一口嚥下した後、彼は『はぁ』と小さく息を吐いた。


「おいしい」

「ふふ」


 心からの声に笑みが溢れる。ティアンナは口元を緩めたまま本題を切り出していく。


「それで、陛下の薬ですよね?」


 カップから手を離したエミリオは小さく頷いた。


「そうです」

「どのような症状ですか?室長からは強力な睡眠薬を、と言われたのですが」


 手元のバインダーに挟んだ診療録に日付を書く。ティアンナは診療録から目を離さずエミリオの返事を待った。待ちながらも自身の隣に置いた薬草録を片手で開き、睡眠障害に処方する薬草群のページを開く。もう何年も愛用している為、装丁はヘロヘロだ。


「アンデ卿の言った通りです。どうやら此処何ヶ月もよく寝れていないみたいで」

「具体的には?寝るのに時間がかかるのでしょうか?それとも寝付きは良いけど夜中に何度も起きたりとか……」

「寝付けないようです。瞳を閉じても長時間眠れないと。ああ、でも夜中に目が覚めるとも言ってましたね」


 それは確かに辛そうだ。

 ティアンナは聞いた事を若干癖のある丸字で診療録に記していく。睡眠障害というのは大体精神的なものからくる。余程不安になっている事やストレスがあるに違いない。


「何か心配事があるのでしょうね。仕事柄しょうがないと言えばそれまでなんですけど……本当はそのストレス源を無くせば、きっとゆっくり眠れると思うのですが」


 難しいですよね、と診療録から視線を外しエミリオを見れば、厳しそうな顔をしていた。


「そうですね、それは難しいと思います。問題が次から次へと出てきますし、それに……」

「はい」


 言い淀むエミリオにティアンナは適当に相槌を打つ。光のない瞳で薄く笑んだエミリオは言葉の途中でカップに口付ける。喉を潤した後、次の言葉を紡いだ。


「即位の理由が理由だったので、まだ色々と思うところがあるのかも知れません」


 視線を落としたエミリオは何処か辛そうに顔を歪めた。


 父を反逆者に殺され、皇位に着いたサフィール。本来であれば即位は前皇帝が55歳になった際に生前譲位される筈であった。あと2年、そうすれば円滑な譲位が行われる筈だったのだ。だが叔父により父は殺され、完璧な引き継ぎがなされぬまま皇位についた。それは不安な事も、辛い事もあるだろう。


 決して凡人には窺い知る事の出来ない若き皇帝の悩み。それを思うとティアンナの心が軋んだ。


(フィティルオーナが、私が早く名乗り出れば悩みは減る?)


 もしかしたら皇后として彼の悩みを理解する事が出来るかもしれない。それに悩みを溢される事も。だが、そこまで考えてティアンナは頭を力なく振る。

 多くを期待しない方が良いと思ったからだ。神に定められた二人だとしても、全てを受け入れられる事はない筈だ。神の器だとしても器は人間、感情がある。神の部分が半身を求めても、人間の部分は拒絶するかもしれない。ちぐはぐな感情に振り回され、心が壊れる事は無いのだろうか。


 ティアンナはぼーっとエミリオを見ながらそんな事を考えていた。エミリオはというと、カップのお茶が無くなったのか自分でティーポットからお茶を注いでいる。


「でも丁度フィティルオーナ様の写身が出現した時くらいから寝れていないみたいですね」

「フィティルオーナ様……」


 注ぎながらそう言う彼にティアンナの思考はまた彼方へと飛んだ。


 フィティルオーナの写身が出現するとクインツィアートの写身である皇帝がそれを察知するらしい。言い伝えによると心臓が痛くなる程早鐘をうち、心が渇望するらしい。


―――『我が妃』と。


 覚えのある感覚に、ティアンナは指先を添えていた薬草録に力が入る。カシャと軽い紙の音が聞こえ、ハッとして本から手を離した。途端、ページがペラリと勝手に捲られる。戻るページを止める事もせず、ティアンナはただそれを見ていた。


 エミリオの言葉を聞いた自分の恋心が声高に、勝ち誇った様に叫んでいたのだ。彼が私を求めていると。今言わないでどうするのだ、と。苦しめるのが私のしたかった事なのか、と。

 否が応でも神の導きにより愛されるのだ、お前がずっと求めていたものであるのに何を恐れているのか。墓場から這い出た恋心が思考を揺らす様に激しく醜い主張をしている。


(でも、室長になんて言えば)


 激しい主張に流される様にティアンナは仕事の事を考えた。

 慣れ始めた副室長の仕事。そして自分をかってくれている室長の顔が浮かぶ。仕事は好きである。でも皇帝であるサフィールの悩みの一つが『フィティルオーナの写身』であるのなら少しでも緩和したい。


 ティアンナは意を決した様に薬草録をパタンと閉じると、困り眉をキリリと上げ、左手の指輪に触れた。


「コ」

「見つからないという心労からとも思ったのですが、そうでは無さそうで」


 意を決したティアンナの声に気付かず、エミリオが言葉を被せる。


「え、」


 自分の決意が放られた事とエミリオの言葉の意味が解らず、ティアンナは呆けた声を出した。


「寧ろその逆と言いますか……」


 そんなティアンナの様子に気付かず、エミリオは何処か遠くを見ながらそう言った。


(ぎゃく、逆って)


 エミリオの言葉にティアンナは沈思した。

 逆、と何度も反芻する。だが導き出されるのは何度考えても同じ事だった。


(フィティルオーナの写身に出てきてほしくないってこと……?)


 目の前が真っ暗になる。浮かれていた恋心が墓場に自ら潜り込む。きっちりと封をして沈黙を貫いた。


(あ、なんだ)


 渇望なんて、自分しかしてなかったのだ。そう気付いて、自嘲した。吐いた空気に悲しみが混じっていたのを気付いたのは指輪の主、フィティルオーナだけだろう。


 エミリオは自分が失言をした事に気付き、ハッと片手を前に出した。


「ん?あ、今のは忘れて下さい」

「あ、はい」


 即答したティアンナは何も無かった様に微笑んだ。そしてスッと立ち上がる。


「何ヶ月もぐっすり眠れてないなんて大変ですよね。良く眠れる薬をお渡ししますね」


 少々お待ち下さい、とエミリオに背を向け部屋を出たティアンナは真っ暗な心のまま調合室まで急いだ。




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