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36.神とは


 宰相の部屋を後にしたティアンナはエミリオに連れられ、皇后の部屋へ初めて足を踏み入れた。

 ずっと手入れだけはされていたのだろう、澄んだ空間に息を飲む。キョロキョロと部屋を見回していると見知った小物達が所々に見え、ティアンナは顔を緩ませながらそれらに近付いた。


 鏡台にはずっと使用していた化粧水や乳液が並んでおり、豪華な鏡台には似合わない簡素な安物の瓶に思わず笑いが漏れる。


「来たか」


 化粧水を手に笑っていると数時間前に別れた男の声が聞こえてきた。反射で振り向けば、こちらへ真っ直ぐに向かって来るサフィールが目に入る。

 開けたままであった扉も閉められ、いつの間にやらエミリオも姿を消していた。


「え、コストナー小公爵は」

「俺が入ってきた時に出てった」


 何とも出来る男なのだろう。だが密室にニ人きりの状態はまだ慣れない為、出来れば居て欲しかった。


「気に入ったか?」

「え、ええ、ちょっと豪華で恐縮してしまいますけど」

「すぐに慣れる」


 そう言われ、額にふにっと唇が落ちてきた。一気に顔が上気し、ティアンナは額を両手で押さえる。


「ふふ」

「わ、笑わないでくださいぃ」

「すまない」


 二人きりの空間が慣れないのはこのせいだ。サフィールはスキンシップがとても激しいのだ。想いが通じ合ったのはティアンナも嬉しい。天にも昇る心地だ。気持ちはあるのだが、いかんせん体がサフィールの愛情についていかない。ぶわぁと真っ赤になってしまう。

 3日も一緒に居ておいてどうなのかと思うが、自分の意思とは関係なく赤面してしまうのだからどうしようもない。まあ、3日も一緒に居たから赤面してしまうというのもあるのかもしれないが。


 真っ赤になりながらティアンナなりにぷりぷりと怒っているとサフィールはそれさえも嬉しそうに見てくる。眉を下げ怒っているのが新鮮だ、と頬を突きたそうに指を出してきたので触られてなるものかとティアンナは半歩下がった。


「はは、調子に乗りすぎたな」


 そうは言いつつも楽しそうなサフィールはティアンナの手を取り、ソファーに座った。何故かティーセットが既に準備されており、ティアンナは目を丸くする。いつの間に用意されていたのだろう。それにまだ温かい。皇宮の侍女の有能さに驚いた。


 暫く2人でお茶を啜り、たわいも無い話をしていたが、突然ぷつりと話題が途切れたところでティアンナが意を決したように口を開いた。


「3人の処罰をお聞きしました」


 サフィールはその言葉に『そうか』と零し、視線を外すとテーブルにあるカップに口をつけた。そしてソーサーへ戻した後、細く息を吐く。


「アンジェロは歳が近かったからか良く昔から顔を合わしていた。だが、仲が良かった訳ではない」


 遠くを見ながら話し始めたサフィールをじっと見つめ、ティアンナは静かに話を聞いていた。


「幼い頃は仲が良かったような気もする。だが、それも朧げだ。自我が目覚めてからは積極的に関わろうと思えない奴だった。あれは頭が固い。自分が経験したものでないと物を考られない。人を慮る事が出来ない人間だと俺は思っている」


 中々酷い言葉にティアンナは苦笑する。その顔を見てサフィールも同じく苦笑し、横にいるティアンナの手を握った。


「あれは俺に想い人が居る事を知っていた。それがティアという事までは分からなかっただろうが、そうだな……それをアンジェロに知られてからアンジェロが煩わしくなった。あれは恋愛結婚だ。幼馴染と結婚した。あいつは俺に言ったよ、お前には出来ない事だとな」


 恐らく当時のサフィールには胸を刺す言葉だったに違いない。

 皇太子であったサフィールは恋を知った。だがその瞬間、それが成就する事がない事も知ってしまった。だから心の中にそっと閉まっていたのにアンジェロはそれを暴き、サフィールへの手札とした。


 当時の彼を思い出し、ティアンナは目元に力を入れた。当時は分かりようが無かったが、今は彼の心が分かるからこそ、その言葉に心が痛む。


「勝ち誇ったようにそう言われ殴りそうになった」


 顔を歪めたサフィールは吐き出すように笑ったかと思うと、直ぐに真顔となり、ゆっくりと言葉を続けた。


「だから連座となり、アンジェロが妻と子供と離れ離れになった時は正直ざまあみろと思った。だが、ふとした時に家族と共にいたあいつの顔を思い出してな。なんて事をしたんだろうと後悔した」


 サフィールは苦しそうに瞼を閉じる。

 

「あれは父親からの愛が無かった。だが俺は反対に嫌になるくらい愛された」


 そう口にしたサフィールはまるで懺悔する囚人の様な顔をしていた。


「そんなあいつが愛しそうに息子を抱いていたんだ。自分が与えられなかった笑顔を向けて」


 サフィールは後悔を滲ませながら静かに、だが叫び出しそうな声を出した。


 歪むサフィールの瞼にはふたつの姿が見えた。

 幼いアンジェロが父に背を向けられる姿と、アンジェロの息子が愛おしそうにアンジェロに抱き抱えられている姿が。


 サフィールはアンジェロが愛に飢えていた事を知っていた。だがサフィールは自分が手に入れる事の出来ない愛を手に入れたアンジェロに嫉妬し、勧められるがまま刑を決めた。


 サフィールは我に帰った時、なんと恐ろしい事をしたのだろうと愕然とした。こんなもの私刑だとさえ思った。だからアンジェロが脱獄したと聞いた際もあれに殺されるのなら仕方がないと、心の何処かで彼を待っている自分がいた。


 長く沈黙していたサフィールはゆっくりと瞼を上げ、心配そうに見つめてくるティアンナを見た。顔を見たサフィールは一瞬何かに怯んだ顔をし、下唇を噛んだ。


「あいつの父親は俺の父親に利用されて死んだんだ」


 その言葉にティアンナはコストナー公爵の言葉を思い出す。


 ティアンナも気付いてしまった。あの出来事の真実に。

 あれはフィティルオーナに先立たれたクインツィアートが誘発したものなのだろう。二柱は互いに依存し合う。片方がいなくなれば器に用は無いのだ。

 だから何らかの事をし、皇帝をその座から下ろした。その方法はあまりに残酷で人間には理解出来ないものだが、神にとっては次の器があればどうでもいい事だったに違いない。だから弟に兄を殺させた。憎しみを増幅させ、思考力を奪い、愚か者にしたのだ。


 その父の本当の仇を身に宿したサフィールは苦しそうに顔を歪めた。憎しみとも、絶望とも言えぬ顔にティアンナは耐えられなくなり、空いていた手をそっとサフィールの手に添える。


 サフィールは顔を歪めたまま、嘲笑するように笑った。


「だからあれは他殺ではない、自殺だ」


 はっきりとした言葉にティアンナは眉を下げた。


 サフィールはいつから気付いていたのだろう。コストナー公爵に言われたのだろうか。いや、きっとその身にクインツィアートを宿した事で徐々にその異常さに気付いたのだろう。それはティアンナにも覚えがあるものだった。


「それなのに連座とは、な」


 サフィールの自嘲は止まらず、ティアンナの手を握る力が抜けていく。それを引き止めるようにティアンナは触れている手に力を込めた。話の途中から冷えていったサフィールの手に熱を与える様にきつく両手で握りしめる。

 大きな手はティアンナの手からはみ出るが、それでもこの手を離したりはしない。何度も何度も角度を変え繋ぎ直し、自分が此処に居ると主張する。


 サフィールは握られた手に視線をやり、そしてティアンナを見た。大丈夫だと語る紫の瞳に慰められ、目元が緩められる。サフィールはティアンナに寄り掛かる様に頭を預けた後、大きく息を吐いた。


「今頃あいつは家族と海の上だ。予定では明日には大陸に着くだろう。あれが行く国は俺が友と認識している者がいる。暫くはそいつに世話を頼んだ。きっと3人で生きていける」


 繋がれた手が指先で撫でられる。ふっと微笑んだサフィールの顔は何処かまだ後悔が残っていたが、それを吹っ切る様に更に無理やり口元を上げた。


「そうですね」


 きっとサフィールはこの出来事を思い出す度にアンジェロへの様々な感情を思い出す事になるのだろう。神が父を殺した事、叔父家族への罪、そして自分の愚かさを。


 そしてそれを支えるのがティアンナの仕事だ。彼が悩む時や辛い時、側にいて自分が支えてあげれば良い。ずっと貴方の味方だと、生涯をかけて示し、愛していけば良い。


 ティアンナは慰める様にサフィールの頭に擦り寄った。太陽の様な金髪がサラリと銀髪と混じる。サフィールは嬉しそうに微笑み、自らも擦り寄っていった。


 暫く何も発さず、そうしていると徐ろにサフィールが口を開いた。


「魔術師の話は聞いたか?」

「はい、ですが今後の事はまだ決めかねていると」


 突然話が変わり、ティアンナは首を傾げながら答えた。サフィールは『そうだったのだが……』と複雑そうに頷くと眉を顰めた。


「魔塔が引き取りたいと言ってきた。だからあいつは明日にでも此処を去る。そして二度とこの国には入れない」


 ティアンナは正直魔塔がどのような機関なのかは知らない。だがサフィールの表情を見るにあまり関わり合いたくは無いものなのだと察した。


 それよりも最後の言葉の意味が気になり、ティアンナは再度首を傾げる。


「と言いますと」


 二度と国に入れないとはどういう事なのだろう。入国時に拒否をするという事なのだろうか。

 だが話によるとアンジェロは彼の大鷲に乗り、此処へ来たと言う。だとしたら入国を拒む事は難しい事のように思えた。


「これは俺の力だな、あれが入国しようとしたら弾くように呪いを授けた」

「呪い、ですか」


 サフィールによるとフィティルオーナが治癒の能力を持つように、クインツィアートも守りの能力を持つらしい。今回はその力を使用したとの事だった。元よりリンウッドは二度とこの地を踏みたくは無いと言っていた様だったが念の為施されたらしい。


 入国を試みるとどうなるのか好奇心からティアンナはサフィールに訊ねたが、曖昧に躱されてしまう。きっと知らない方が良い事なのだろう。それ以上追求するのをやめた。


「この国に来なければ害はない。それよりも魔術師が魔力を失う方がダメージがでかそうだったな」

「そ、そうでしょうね」


 サフィールの言葉にドキリとしたティアンナはドギマギしながら答えた。

 自分がやった事だが、えげつない事をした自覚がある。魔術師から魔力を奪うなど鳥から羽を奪うのと同じくらい酷い事に違いない。

 後悔はしていないが、人間の部分が甘さを覗かせる。だが好奇心で国を滅ぼそうとした人間にかける慈悲は無いのだと納得させた。それに彼はサフィールを殺そうとした、決して許される事ではない。


 悶々と考えていると急に目の前が陰り、何事かとティアンナは視線を上げた。すると目の前にあったのは驚く程整った顔でヒュッと息を飲む。サフィールは楽しそうに口元に弧を描くとチュッと啄む様に口付けをした。


「サ、サフィール!」


 未だ慣れない呼び方で行為を咎めたが、いかんせん顔が真っ赤な為説得力が無い。それでも『すまない』と全然悪く思っていなさそうな顔で謝罪されれば、素直に許してしまう。


 真っ赤な顔で視線を泳がしていたが、ふとサフィールの視線がベッドに行っている事に気付き、ティアンナは驚きで目を見開いた。


「サフィール!しませんよ!」

「え、しないのか」

「しません!まだ昼間ですよ!」


 確かに昨日までは流されるがまま、昼夜関係なく睦み合っていたが、今日からはそうはいかない。一度部屋を出たティアンナは決意したのだ。次は婚姻後だと。


「婚姻を結んだ後にですね、いたしましょう」


 ティアンナがそう決意を口にするとサフィールは一瞬にして捨てられた子犬の様な顔をした。それを見てティアンナはこんな顔も出来るのかと感心したが、それも一瞬。可哀想な子犬の皮を被った猛犬に案の定絆され流されそうになる。だが駄目だ駄目だと強い意志を持ち、既のところでノーと拒んだ。


「宰相に言って一週間後に式を上げる事にする、いや3日か?明日なら尚良い」


 諦めきれない顔をしたサフィールはそう言うと強請る様にティアンナの前に顔を突き出した。子供みたいな反応に思わず笑うと体勢はそのままに目を細められる。

 苦笑しながらティアンナは求められるがまま、その唇にそっと口付けを落とした。




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