35.化け物
あれからティアンナがサフィールの部屋から出られたのは三日目の事だった。ぐたんぐたんのティアンナの様子を見て、サフィールもさすがに思うものがあったのだろう、渋々という顔で部屋から出してくれた。
恐らくエミリオの援護射撃もあったのだろうと推測している。
部屋から出たティアンナの世界は一変した。いや、部屋の中にいる時もきっと変わっていたのだろうが、部屋から出たティアンナには驚きの世界だった。
まず、いつも通りに廊下を歩けば騎士や官僚、そして見知った人々も廊下の端に寄る。最初は驚いて、その度に立ち止まってしまったのだが、そうすると端の人達も頭を下げたまま動けないので最終的に一瞬止まるだけに留めた。
『何故そんなに困り眉なんだ』と言われる顔の眉を更に下げても笑う者も居なかった。
医務室はどうなっているのだろうか。顔を出したいと思ったが、今行っても迷惑かもしれない。ティアンナは足早に自分の寮の部屋へと急いだ。
戻った部屋は三日来ていなかっただけで何と懐かしい事。ほっとする匂いにティアンナは脱力し、そのままベッドに寝転んだ。視界に入る銀髪。この部屋では普通だったが、これからはこの髪で生きて行く。
ティアンナは安心する自分のベッドで瞼を閉じた。
すとんと落ちた夢の中、騒がしい女神が花火を打ち上げていた。その女神の横にサフィールと同じ色の男がおり、ティアンナはそれがクインツィアートだと察する。満足そうに笑う顔は愛しい瞳を女神に向け続けていた。
そして夢から覚めたティアンナは自分の左手を見た。あの時外した指輪は跡形もなく消えてしまった。床に落ちてもいなかったらしい。きっとあれは女神の慈悲、用が無くなれば女神の元に帰るのだろう。
部屋から出てティアンナがまずした事は様々な人への謝罪だった。
一度自室へ帰り、身支度を整えたティアンナは誰に止められる事もなく宰相の部屋の扉を叩いた。ティアンナが来ると分かっていたのだろう、宰相は自ら扉を開き、ティアンナを招き入れると来客用のソファーをティアンナに勧める。
エミリオの父親な事もあり、歳は取っていても色気がある。緊張しながら出された紅茶を一口飲めば、宰相が先に口を開いた。
「正直言いますと、思うところはあります」
カップをソーサーに置き、ティアンナは頷いた。
「……はい」
「予算もだいぶ使いましたしね」
今回の捜索に掛かった金額は相当なものだとティアンナも新聞で見ていた。だからこれは想定していた言葉だ。だがそれでも実際に言われると消えてしまいたくなる様な罪悪感に苛まれる。
「謝ってすむ問題では無いと、理解はしております」
「そうですか、なら良かったです」
淡々と言われ、ティアンナは膝の上の拳に力を入れた。こんな風に言われるより強く責められた方が余程良い。ふわりとした言葉で棘を刺されるのは反応に困ってしまう。
なんと返そうか考えていると、目線を外した宰相がぽつりと話し始めた。
「怒っていないとは言いません。ですが貴方の気持ちも分からなくはない。突然、皇后になれと言われてもそれは困りますでしょう。私も突然髪色等が変わってそう言われたら困りますし……逃げたくもなる」
真面目な話なのだが、宰相の例え話を想像し、口元が緩みかけた。それをバレないようにカップに口をつけたが、バレバレなようで鋭い視線が刺さる。
視線が合った瞬間、足を組み替えた宰相、コストナー公爵が頬に人差し指を置きながら小首を傾げた。その顔にはうっすらと笑みが浮かんでおり、渋い色気がダダ漏れである。指先ひとつにしても色っぽい。
エミリオも何れこうなるのだろうか、とぼんやり考えていると色気溢れる壮年の男がゆったりと口を開いた。
「さて、言い訳を聞きましょう」
そうして始まった尋問に、ティアンナは汗が噴き出るのが止まらなかった。にこやかに苦言を呈され、冷めた目で淡々と罵倒される。ティアンナの心情を理解してくれたところもあったが、それでも厳しい言葉を幾つも投げられた。どれも正論でぐうの音も出ない。
覚悟をして臨んだが、コストナー公爵と向き合って2時間。質問責めされ、時に呆れられメンタルがズタボロになった。流石の長さに息子であるエミリオが止めに来てくれ、そこで漸く話が終わった。もうこんな時間か、そんな言葉と共に。
元々はティアンナがいけなかったので、文句は何もない。この長さは想定外だったが、致し方無かった事だと思う。
疲れ果ててはいたが、ティアンナは喉を潤すコストナー公爵の名を呼び、気になっていた事を尋ねた。
「あの3人はどうなりましたか」
ティアンナの言葉にコストナー公爵は眉をピクリと動かし、カップをテーブルに置いた。そしてエミリオに視線を送ると溜息混じりにエミリオがコストナー公爵の隣に座る。
「そうですね、まず」
話し始めたのはエミリオだった。淡々と説明を始めるエミリオの声は平坦だ。感情を伴わない声は意思を感じない。聞きやすい説明にティアンナは時折頷きながら聞き入った。
まずこれを計画したのが桃色髪のリンウッドだと言う。
リンウッドは大陸の魔術師であり、魔塔に属する魔術師であったらしい。そして次期魔塔主候補となる程の実力者であったと。だが今、彼に魔力はほぼ無い。理由は女神であるフィティルオーナの怒りをかったからだ。女神は夫を傷付けた代償に彼の魔力を奪った。
では彼の動機は何だったのか。それは単なる好奇心だったらしい。魔力をほぼ持たない人間で成り立つこの島国、それを支配する神。それを奪った時この国が成り立つのか気になったらしい。乱れるのか、違う神が現れるのか、それとも国ごと消滅するのか。
ちょうど皇后もいない、こんなにやりやすいタイミングは無いとユナとアンジェロを傀儡にしたという。
ユナは牢に入れられて暫くすると顔の痛みはひいたらしいが、顔半分に蛇の鱗のような痣が残ったらしい。自尊心が高いユナには耐え難い現実だったのだろう、喚く事もなくただじっと簡素なベッドの中で日々を過ごしているとの事だ。そして父親である伯爵が爵位の返上を申し出たという。これまでどんなにユナがやらかしても上部に取り入り、揉み消し等をやっていた父親ではあったが、最後の常識はあったようだ。こちらが何かを言う前に潔く決断をしたらしい。
そしてユナの処罰は皇都追放という比較的軽いものとなった。騙されていたという事が配慮されたらしい。だが今まで伯爵令嬢として過ごしていたのに爵位返上も伴い平民となるのだ。これからの生活は苦しいものとなるだろう。
そして実行犯のアンジェロ。彼は実行犯だったが、その背景に情状酌量の余地があると見做され、命は取らず国外追放となった。脱獄もアンジェロの意志では無く、今回の凶行も暗に家族を人質に取られていたが故の事。
サフィールは連座の事をもっと話し合うべきだったと話し、彼の妻と子供を呼び戻し3人まとめて国外追放とした。もう既に彼らはこの国には居ない。彼らはサフィールが定めた国へ送られたという。
「リンウッド・フォローズですが、貴方を知っているようでした」
大体の話を終えるとエドウィンが探るように見てきた。少し訝しむ目を向けられ、ティアンナは慌てて両手を前に出す。物凄い勢いでブンブンと振るとそれと連動させるように頭も振る。
「前!街に出た時にカツアゲされたんです!焼き鳥屋台の前で!」
変な疑いをかけられたら、たまったもんじゃ無い。少し言うのは恥ずかしかったが珍しく声を張り上げ言えば、エミリオはキョトンと目を丸くした。だが直ぐにに憐れみの目を向けてくる。
「そうですか、それは何と……。いえ、印象的な出来事ですね」
言いたい言葉を飲み込んだエミリオはコホンと咳払いをした。
「それと彼はこう言ってましたよ、本当に化け物だったんだなあ……と」
「え、」
失礼な言葉に眉を下げる。それと同時にカツアゲ犯に『本当に人間?』と言われたことを思い出した。今更ながらそういう意味だったのかと理解し、ポカンと口を開ける。彼は魔術師だったと言う。ならば普通の人には分からないものを感じ取れたのかも知れない。ティアンナが変貌をしていたのは見掛けだけでは無かったのだろう。
「化け物、ですか」
ティアンナは無意識にそう零し、何もない空間をぼんやりと見つめた。
自分でもそう思うのだから他人なら尚そう思うに違いない。意識は朧気であったが、ユナとリンウッドに罰を下したのは自分である。自分の中のフィティルオーナがそれをした。フィティルオーナがティアンナの合意の元、それをしたのだ。そう、あれはフィティルオーナの独断ではない。二人の総意だった。
ティアンナは小さく笑い、エミリオを見て、それからコストナー公爵に視線を移した。
「神を身に宿すのはとても恐ろしい事なんですね」
コストナー公爵は苦笑し、そして頷いた。
「前皇帝はそれをよく言っていました。それこそ皇后様が死んでからは毎日のように」
その言葉の意味を理解したティアンナはくしゃりと顔を歪めた。
この国は二柱で治める。ならば片方が身罷られたら残された一柱はどうなると、どうすると思う?
後悔が滲んだ瞳から視線を逸らせば、コストナー公爵が退出を促してきた。
「早く陛下のところへ行ってあげて下さい。あと貴方の部屋の荷物は全て皇后の部屋に運びましたので、今日からは皇宮で過ごして下さい」
「え!!」
サラリと爆弾発言を落とされ、ティアンナは驚きの声を上げた。この長時間の拘束はそういう意味だったのか。もう戻れない自分の城に思いを馳せ、ティアンナはがくりと肩を落とした。




