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34.愛してるだけ


 連れて行かれた先は宣言通り、サフィールの自室だった。ティアンナを抱きかかえたまま、扉を閉めたサフィールは何処にティアンナをおろすか少し迷ったようだがソファーに下ろすとその横に自身も座った。

 下ろされたものの手は両手で握られ、じっと見つめられる。その瞳の圧は凄く、たじろぎそうになったが胸の奥から来る『やっと言えた』という満足感がティアンナをそこに留めた。


 何度も手を握り返され、漸く外された片手で髪を梳かれる。むず痒さを感じ、ティアンナは首を縮めた。


「陛下、あの」


 ずっとこんな事をしている訳にはいかない。ティアンナはサフィールから距離を取ろうと腰を浮かせたが、当然のように阻止をされてしまった。


 ティアンナ的には自分の不始末を説明しなければという気持ちでいっぱいなのだが、それを話す雰囲気に持っていく事が出来ない。


「陛下、えと」


 腰をぎゅっと引き寄せられ、肩口に頭を寄せられた。サラリとした髪が首を擽る。どきりと何度も鳴る胸に死期が近いのではと勘違いしてしまいそうになった。


 熱い吐息を感じ、ティアンナは肩口のサフィールを見る。俯いているので表情は見えないが、彼から醸し出される空気に胸が込み上げて来た。


「陛下、申し訳ございませんでした」


 震える声でティアンナは今までの事を謝罪した。ずっと近くに居たのに自分の我儘で言わずにいた事。今思い返しても馬鹿みたいな理由だ。


 彼を好きであれば何も悩まず直ぐに言えば良かったのだ。それなのに仕事だの、サフィールの好きな人だの何だかんだ理由をつけ避けた。彼が求めていないのであればいらないのでは、と思った事さえもある。


 そんな事は決して無いのに。


 体に感じる半身の体温を感じ、ティアンナはサフィールの髪を撫でた。


 これが黒髪から金髪に変わった時、それはそれは絶望したものだ。最初から高みにいた存在だったが、それが本当に手の届かない存在に変わった事で恋心を厚い石棺に入れて埋葬した。


 それなのに、何の悪戯か己が彼の半身となるなんて。


 ティアンナはサフィールの髪を撫でながら、自分の愚かさに思いを馳せ、そして彼の声を待った。


 無言だが腰を持つ手に力を込められる。サフィールが何かを考えているのだろうとティアンナは髪を撫でるのを止め、手を下ろした。だが途端、下ろした手を掴まれ、赤い瞳で瞳を覗き込まれる。切なげに細められた瞳に息を飲んだ。泣く寸前の様な顔、口がほんの少し開かれ、すぐに閉じられる。閉じられた瞬間、僅かに唇が揺れた。


「陛下、」

「ティアンナ嬢、ティアンナ」


 そう口にしたサフィールはそっと両腕を背中に回し、ティアンナを抱き締めた。徐々に強くなる力に驚きつつも、ティアンナもおずおずと背中に手を回す。背中に触れると、瞬間力が緩められたが直ぐに苦しい程に力を込められる。陛下、そう口にしようにも胸が苦しくて言葉にならなかった。


「ずっと、君であれば良いと思っていた」


 耳元で震える声が聞こえ、呼吸が止まる。返事など出来る筈も無く、またサフィールもそれを求めていないのか言葉を続けた。


「フィティルオーナの写身が現れて、君への気持ちが消えるのが怖かった」


 ぽつりと溢される言葉にティアンナは瞬きを忘れた。だが直ぐに顔がくしゃりと歪み始める。


「この気持ちは皇后が現れたら君から皇后へすげ変わってしまうのかもしれない。そう思ったら怖くて堪らなかった」


 もしかしたらサフィールも自分と同じ気持ちだったのかもしれない。そう思わせる言葉に涙が零れた。


「でも君だった」


 静かな室内に落ちる声、いつかの図書室での囁きに似ている優しい声に瞼をきつく閉じた。高鳴る胸が自分のものなのか、彼のものなのか分からない。混じり合う心臓が期待させる様に脈打つ。


「君だった」


 吐かれる熱い吐息に涙腺が決壊した。


 もしかしたら自惚れても良いのかもしれない。ティアンナはポロポロと涙を流し続ける。背中に回る手も知らぬうちに彼の服をくしゃりと掴んでいる。本能のまま、彼の言葉に泣いていると首に湿り気を感じ、彼も泣いているのだと分かった。


 ティアンナは心のまま、サフィールに語りかけた。


「陛下、私は」


 絞り出した声は震えており、時折鼻を啜る音が混じる。だが、サフィールは静かにじっと聞いている。


「ずっと貴方が好きでした」


 そう、好きなのだ、とても。普通であれば単純な想い、だが勝手にややこしくしてしまった。

 いつも心にサフィールが居た。気を抜くと思い出すのは学生時代の黒髪のサフィールだった。


 黒い髪に青い瞳、いつの間にか前に座り自分を見ていたサフィールに気付いた時の驚きと気恥ずかしさ、会えた事の嬉しさを何度も何度も反芻し、何年も生きていた。

 未来を夢見るのではなく、過去に想いを馳せた。


「学生時代の図書室での想い出が忘れられなくて、でもずっとずっと忘れようとしていました」


 前皇帝が斃れる前からずっと、ずっとそう思っていた。不毛な想いだと。報われることのない想いだと。苦しい地獄の様な想いなのだと。


「貴方は神が定めた伴侶が出来る、だから」


 墓場に想いを捨てたのだ。想っても仕方がない。辛いだけの想いは歳を取るにつれ、汚泥が海を汚すように自分を悪いものに変えていく気がした。悲劇のヒロインの様に段々と酔っていく自分が嫌だった。だから捨てたのだ。


 なのにティアンナに現れた皇后の証。捨てた筈の想いが蘇るのは仕方が無い事だろう。


「私は愚かな事をしました」


 縋る様に背中を掴む。それでもサフィールは何も言わず、慰める様に背中に流れる髪を撫でた。


「最初は心が決まるまでと軽い気持ちでした。でも段々とフィティルオーナの写身ではなく私を愛して欲しいのだと気付きました」


 言葉は頭を通る事なく紡がれる。本心のまま垂れ流される言葉にサフィールは何を感じているのだろう。怖いと思ったが、口が止まる事は無かった。


「愚かで嫌な人間なんです、私は」


 吐き捨てた言葉にサフィールが小さく『それは違う』

と否定した。だが、ティアンナはふるふると首を振ると気持ちと声を整える様に大きく息を吸い、そして吐いた。

 ぷるぷると震える唇に涙が通る。はくはくと口を開き、堪え切れず嗚咽を漏らした。


「私の世界は貴方が中心だった」


 震えながら言われた言葉にサフィールは背中に回していた手を離し、ゆっくりとティアンナを見る。


 しゃくりあげながら言葉を続けるティアンナは紫色の瞳からいくつもの涙の筋を作っていた。


「貴方に求められていないフィティルオーナになんてなりたくなかった」


 花火の日、いやもっと前にもう既に知っていた事。サフィールがそれを望んでいないという事を。

 好きな人と共に人生を歩める。だが愛されたいと願ったティアンナは贅沢な悩みを抱えてしまった。今は分かる。それがどんなに愚かな事だったかというのを。


 サフィールに言われたとしてもそれがどうした、と言えば良かったのだ。私が妻であると、貴方の番であると。


 サフィールは真っ直ぐにティアンナを見ていた瞳から涙を一筋流した。


「愛しています、ずっと。黒髪の貴方の頃よりずっと、青いこの国の様な瞳をしていた頃からずっと、ずっと愛してました」


 サフィールの涙を拭うようにティアンナはその頬に触れる。湿った頬が手に吸い付くようだ。なぞる指先が目元に触れた時、サフィールに手を取られた。ぐっと顔を寄せられ、額を合わせられる。涙がポロリと二人の間に落ちた。


「愛している」


 はっきりとサフィールに言葉で伝えられ、ティアンナは目を見開いた。

 

「図鑑を悲しい顔で見ていた頃から、あの夏の日に触れた時にはもう愛していた」


 そうか、サフィールも自分を愛してくれていたのだ。あの図書室で過ごした学生時代の時からずっと。


 思い出の中に仕舞い込んだ学生時代のサフィールを今の彼に重ねる。

 何故気付かなかったのか、慈しむような表情は確かに恋情を孕んでいた。


 漸く知ったお互いの気持ちに二人は笑い合い、涙で濡れた顔を拭いあった。


 まさかこんなに泣くとは思っていなかった。ティアンナは化粧も落ち、しょぼしょぼの顔のまま、この後どうしたらいいのかと何気なしに立ち上がる。それを見たサフィールはニヤリと笑うとティアンナの膝の裏に手を差し込み、横抱きにした。


「え!」


 泣いたせいで重くなった瞼を思い切り上げ、驚きの声を出せば、直ぐに体がふわりとベッドに下ろされる。何だ何だと頭がフル回転するが、それを阻止する様に麗しい顔が自分を見下ろしていた。


「へ、陛下」

「サフィールと」


 こめかみに唇を落され、心臓が痛いほど脈打つ。ここに下ろされた意味を知らぬ程無知では無い。当然未経験ではあるが。


 名前を呼ぶよう請われ、ティアンナは顔や首筋に唇を這わせるサフィールにいちいち反応しながらその名を観念したように呼んだ。


「サ、サフィール!」


 ティアンナの声にサフィールは動きを止め、ふわりと嬉しそうに笑った。


 恐らくそれが合図だったのだろう。サフィールはティアンナの紫色の瞳を覗き込むと『いいか?』と今更ながら同意を求めてきた。

 ここまで来て拒否など出来ようもない。ティアンナは困ったように微笑みながら頷いた。


 サフィールはティアンナの髪をひと掬いし、口付ける。その光景を緊張しながら見ていると、ふっと笑い声が聞こえてきた。


「ティアンナ、ティア」


 名を呼ばれ、返事をしようと口を開いた時、性急に唇を奪われた。少女向けの優しいものなんかじゃない口付けに動揺したが、段々と気持ちが満たされていくのを感じた。

 強請るようにティアンナは自身の腕をサフィールの首に回す。サフィールは嬉しそうに笑うとそれに答えるように何度も何度も角度を変え、口付けを交わした。


「愛してる」


 口付けの合間にそう言われ、ティアンナはまた涙を流した。


 そう、愛してる。ただそれだけの、それだけの話。





 皇帝陛下の自室の扉は翌日朝になっても開かず、漸く開いたのは午後になってからだった。若干目を腫れぼったくしたサフィールが一人、晴れやかな顔で出てきたのを見て、エミリオは苦笑した。


 外はもう陽が傾き始めている。オレンジ色の夕陽が地上を染めようとしているこの時間、既に昼というには遅い時間だ。


 エミリオはまだサフィールの部屋に居るであろう、薬師に同情を禁じ得なかった。




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