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30.朝議②


 赤い瞳がユナを射抜く。


 サフィールから発せられる怒気に足が固まる。それは心情的なものではなく、物理的に足が止まったのだ。何かがユナの足を床に繋ぎ止めている。これ以上動くなと誰かに言われている気がした。それでも動こうと足に力を入れるが体を押し潰される様な感覚に襲われ、ユナはその場に膝をついた。

 辛うじて動く頭をサフィールに向ければ冷え冷えとした瞳がユナを見下ろしていた。


「愚かだな」


 真っ赤な瞳が細められ、吐かれた言葉にユナは眉を吊り上げた。


「私が皇后よ!だって銀髪に紫の目!これが皇后の証でしょう!」


 体に力を込めているからか血走った目でユナは叫ぶ。その言葉に先程までフィティルオーナの写身が出て来た事に喜んでいた者達も顔を顰めた。


「サフィール様が認めなくともこの髪色と瞳が証なの!貴方は私を愛する様になるのよ!」


 唾を飛ばし、勝利を確信した様に笑うユナ。それをサフィールの後ろで見ていたエミリオは下唇を噛んだ。

 エミリオの脳裏にいつぞやのサフィールの言葉が響く。


『ただの人間のお前に何がわかる』


 分かったつもりでいた。だが実際には全く分かっていなかった。これならば印が出ていないティアンナの方が余程良い。

 エミリオは見たことも無い冷たい顔をしたサフィールを守る様に前に出た。


 エミリオはユナを知っている。とても人間性に欠ける人物だとも知っている。そしてサフィールの想い人であるティアンナを軽んじていた人物だという事も。


(こんな人が皇后だと)


 エミリオは床に這いつくばりそうなユナを睨んだ。その目を見てユナが叫ぶ。


「そんな目を向けるのも今日が最後よ!私の方が上なんだから!」


 その言葉に絶句したのはエミリオだけではないだろう。事実、サフィールは不快そうに眉間に深い皺を作り、暫し沈黙していた。

 エミリオの背後でサフィールが拳に力を入れる。不快感を隠しもせず、軽蔑の眼差しでユナに向けた。


「なんと醜い。その醜さで我が妻を語るな」


 いつもよりワントーン低い声が広い部屋に響く。玉座に座るサフィールはその場で突然足をダンッと威嚇する様に鳴らした。いつものサフィールからは想像できない威圧的な態度にエミリオは息を飲む。


 その瞬間、何かがパキリと割れる音が聞こえた。それが何の音が気付いたのはユナだけだった。

 ユナは音のした右手を見る。すると薬指にしていた指輪の石が真っ二つに割れていたのだ。


 驚きで力が抜けたユナは上から押さえつける力に負け、ぐしゃりと床に崩れ落ちる。視線は右手を見たままだ。

ユナの指輪がサラサラと原型を止めず、砂の様に崩れた。それと同時に髪色が銀色から水色へ変わり、瞳も茶色へと戻る。


「捕縛せよ」


 その変化に呆気に取られていた者達がサフィールの声で行動を起こす。いつの間にやら集まっていた騎士達がユナを囲んだ。


「なんで!だって私がフィティルオーナだって!だって指輪が!」


 髪色が元に戻ってもそれを信じない往生際の悪さ。エミリオはユナでなかった事にホッとし、騎士に拘束された女に一言物申そうとサフィールから離れた。


 サフィールはエミリオの背中を視線で追い、事の終わりに大きな息を吐いた。疲れから俯き、眉間をほぐす様にぐりぐりと指で押す。


 ユナがどうやって姿を偽っていたのか、それをこれから追求せねばならない。新年早々の事件にサフィールは頭が痛くなった。


 きっと単独犯ではない。国外の人間が絡んでいるのはその魔術からして明らかである。

 この国には神の加護がある。だからか魔術や魔法が使える者が少ない。しかも使えても魔力量は少なく、大層な事は出来ない。この皇宮にいる魔術師達もどちらかというと研究者に近い立場だ。

 そして不思議な事に国外の人であってもこの国に入ると魔力量が減少すると言う。それが何故なのかは不明だが、まだ神が支配する国だからこそなのかも知れない。


 サフィールはこれから始まる尋問に備える為に俯いていた頭を上げた。エミリオがユナに対して何かを言っている。その姿を見て、サフィールは気付いた。その女がいつだかエミリオが憤慨していた医務室の女であると。そしてティアンナの元同僚だと。


(ああ、あれか)


 サフィールはユナの様子を椅子に座ったまま眺めていた。いつまでも喚き続ける女にいつ言葉を挟もうかと思案していると、突然目の前には影が出来る。


「サフィ」


 一体何が起きたのか。恐らく瞬きを一つしたのだろう。知らぬ間に目の前に茶髪の男が居た。

 シミだらけの汚い服に、艶の無い髪。真っ黒な光もない瞳が玉座に座るサフィールを見下ろしていた。

 サフィールはこの男の声と姿に覚えがあった。従兄弟だ。幼い頃から度々顔を合わせていた男。頭が固く、自分の物差しでか測れない真面目な男。


「アンジェロ」


 その男は皇帝殺しという大罪を犯した父を持ち、連座で孤島の監獄へ収監後、看守を殺害し脱獄した男だった。


 此処に来るとは思っていた。だがいつの間に此処に来たのか。サフィールは真っ赤な瞳を見開いてアンジェロを見た。


「お前」


 サフィールが驚きのまま、そう口を開いた時、アンジェロは持っていた袋に手を入れた。そして中のものを手にしたアンジェロは袋をパサリとその場に落とす。


 アンジェロの手には鏡があった。


 アンジェロはその鏡をサフィールの顔が映る様に目の前に突き出す。するとそれは鈍く光始めた。突然出された鏡にサフィールは驚き、その鏡に写った自分を見る。鈍い光は段々と眩くなり、サフィールの体を包み込む程の大きさとなった。


 サフィールはそんな光の中でも鏡の中の自分から目が離せなかった。金髪に赤い瞳、それが段々と血に塗れていくのだ。現実はきっとそうなっていない。だが、鏡の中の自分は血に塗れ、下卑た笑みを浮かべていた。


(これは何だ)


 そう思った瞬間、胸に激しい痛みが走る。喉に込み上げるものを感じ、咳き込めば口から血が出た。呆然と手についた血を見ていると先程とは比べきれない大きなものが込み上げ、ごぽりと大量の血が口から溢れる。咄嗟に口を押さえた手から溢れる血液。赤黒いそれは玉座を汚していった。


 肉体が死に向かっている。

 頭が何かを発している。これはクインツィアートの声だ。サフィールは頭の声に答えることも出来ず、目の前の男を見る。何も映していなさそうな虚な瞳は玉座の椅子に座るサフィールをただ見下ろしていた。


 座位を保てなくなったサフィールは前屈みに椅子から落ちる。体はアンジェロにぶつかり、薄汚れた服に血がつく。


(ティアンナ、ティア……)


 崩れ落ちながらも脳裏に浮かんだのは、あの花火の日。涙を零すティアンナの姿だった。


「ティ、ア」


 サフィールは何もない空間に手を伸ばし、その場に倒れ込む。瞼は苦しそうに閉じられ、苦しそうな呼吸に半開きにされた口から血が漏れた。

 ユナの近くに居たエミリオは誰よりも早くサフィールに縋り付く。


 一体なにが起きたのか。エミリオや他の者にしたら一瞬の出来事だった。ユナの姿が暴かれ、その罪を追求しようとした時、何故かサフィールの目の前に脱獄したアンジェロが居た。いつ部屋に入ってきたのかも分からない。

 何故アンジェロが、そう思う間も無く何かが光を放ち、サフィールが血を吐いたのだ。


「陛下!陛下!サフィ!」


 エミリオは仰向けに倒れたサフィールを横向きにし、名を呼び続ける。だが、反応はほぼ無く、顔が白くなっていく。


 アンジェロは倒れているサフィールを何の感情もない顔で見ると、手元の鏡を厚い絨毯がひかれた玉座では無く、大理石造りの床へ投げ捨てる。その反動で鏡面は割れ、あたりに破片が散らばった。

 割れた鏡面は輝きを無くし、真っ黒に染まる。そして不気味な事にふっと揮発していった。


 騒然となる朝議の間。皆がその事態を把握した時には事は既に最悪な状況へと向かっていた。


 力なく横たわるサフィール。父と同じく凶行に手を染めたアンジェロ。そして自分の欲望を喚き散らすユナ。


 それを遥か高い天井で観客の様に見ているリンウッドは満足そうに笑んだ後、自身の手を見た。


「こんなもんなんだね」


 激しい声が下から聞こえる。だがまだ誰もリンウッドには気付いていない。足場も何も無い場所で浮いているリンウッドは特等席でその悲劇的な劇を見ていた。




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