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22.二人の想い


 記憶も朧気な程、呆然とした気持ちで了承をした後、ティアンナはエミリオの鋭い視線を受けながらその日の診察を終えた。と言ってもエミリオはティアンナに思うところがあったのではなく、サフィールに対して憤っていたのだが、その余波が思った以上に広範囲でティアンナにもバチバチ当たったのだ。

 断れなかった自分が恐らく悪い。だが、慕っている相手に誘われて断われる程自分は出来た人間ではない。ティアンナはエミリオに申し訳ない気持ちになりつつも、その誘われたという事実に心躍った。


 そして同時に思う。これが打ち明けるチャンスなのではないかと。

 フィティルオーナの写身捜索が大規模となり、ティアンナは自分のこの生活があと僅かである事を理解していた。自分の我儘でここまで引っ張ってしまったが、本来であれば許されない事だ。恐らく皇后となった後でティアンナに直接文句を言う人は少ないだろう。だが陰で『何を考えていたのだろう』と言われるに違いない。

 本当はほんの少しの間、自分の気持ちが整うまでと思っていたが気付けば6ヶ月。長引けば長引く程言い出し辛くなる事は分かっていたのだが、予想外の接点を持ち更に言い出し辛くなってしまった。


 そして身近になればなる程、彼の人となりを見る事になる。彼が自身の伴侶に対して良い感情を抱いていないのを知るにも十分だった。


(花火の時に言おう)


 それでもティアンナは決意した。もうこれ以上伸ばす事は出来ない。今回の花火に何故誘われたのかは分からないが、これはチャンスだ。これを逃せばもっと言い出し辛くなる。仕事は正直まだ続けたい。だがそれはきっと難しい事だ。


(それでも……)


 ティアンナは薬がすり替えられた時を思い出す。隣に座ったサフィールに手を握られ、見つめられた時の事。


 自分よりも遥かに大きな手が自分の手をすっぽりと覆った。少しかさついた手が自分を慰める様に触れる。その手は予想する出来事の最悪さから体温を無くしていたティアンナにとって温かく、そして泣きたくなるくらい欲してやまないものだった。

 頭ではユナの事を考える。だが、心がサフィールだけを求めていた。理性を必死に保ち、握り返したい気持ちを抑え、その心配そうな瞳を見る。赤い赤い瞳は色が変わっても恋焦がれるものだった。赤い瞳には自分しか映っていない。


―――ああ、我が君、我が心


 体の奥から漏れる激情は自分のものなのか。女神と混じる感情にこの刻が止まれば良いと思った。


 手を触れていたのは僅かな時間だった。だがそれはティアンナにとって忘れ難い時間となる。

 フィティルオーナという皮を通さず、ティアンナを見てくれたという事実。これから何年も彼と過ごす中で、何も無い唯のティアンナを認識してくれたこの思い出をティアンナは一生心に留めて生きていくのだろう。まるで宝物の様に大事に大事にしまうのだ。何かの時の糧として、心の一番深くに目印をつけて。






「どういう事ですか」


 場所は変わってサフィールの執務室。書類に目を通していると同じく書類に目を通していたエミリオが感情の無い声を上げた。

 サフィールはその声にエミリオを一瞥すると、直ぐに書類に視線を戻す。


「何がだ」


 エミリオの言いたい事は分かっていたが、敢えて知らぬフリをする。どうせ今から説教をされるのだ。少しくらいとぼけたフリをしても問題は無いだろう。

 案の定、エミリオは溜息を吐き、視線をサフィールに向けた。その視線は非難めいており、これから言われる事にサフィールも溜息を吐きたくなった。


「何ってティアンナ嬢の事ですよ。わかってますよね?」

「ああ、その事か」

「何とわざとらしい」

「そうか?今思い出したのに」

「……そういう事にしておきましょう」


 非難めいた目も声も変わらない。エミリオはもう慣れたこのサフィールの投げやりな対応に心の中で舌打ちをしつつ言葉を続けた。


「あなたがティアンナ嬢を特別に想っているのは分かります」


 淡々とした声が部屋に響く。部屋にはサフィールとエミリオしか居ない。他の人はエミリオが下げた。この話をする為だ。念の為、部屋の前の騎士も少し遠くで警備をして貰っている。


 サフィールはエミリオの言葉に書類へ走らせていた手を止めた。だが、視線は下を向いたままだ。エミリオの直球な言葉に少し戸惑いはしたが、驚きはしなかった。

 何故ならそれを察する事が出来る程、サフィールはティアンナを見ていたからだ。診察の指名もそう、下心があっての事だ。きっと当時のエミリオは分からなかっただろう。接点がなかった、ティアンナと。


 だが、エミリオは知ってしまったのだ。サフィールがフィティルオーナの写身捜索に乗り気で無い理由を。


 エミリオは席を立ち、サフィールの大きな執務机の前に立つ。見下ろされる視線を感じ、サフィールは書類から視線を上げた。強く非難めいた双眸がサフィールを射抜く。おおよそ主人に向ける目では無いが、それをサフィールは受け入れた。


「ですが彼女は貴方の伴侶にはなり得ない」


 エミリオから成る言葉はサフィールに突き刺さる。現実を見るのだと心を刺し殺す。


「分かってますよね」


 力を込めた声が脳を揺らす。


「分かっている」


 感情を殺した声で答えれば、エミリオが『ならば何故』と声を荒げた。


「捜索網を広げてるのです!あと一ヶ月の間で見つかるかも知れない。なのに何故先の約束をしたのですか」

「見つからないかもしれない」

「そういう事を言ってるのではないのですよ」


 無駄な足掻きだというのはサフィールも分かっている。それでも今だけは、見つからない今だけはティアンナを見ていたかった。この心がティアンナから離れるまでは彼女に愛を捧げたい。


 知っている、無駄な事だとは。

 自己満足だという事も分かっている。


 それでも、それでもサフィールはティアンナと少しでも過ごしたいのだ。


 だがエミリオはその考えをも否定する。


「もうやめましょう」


 エミリオははっきりとそう言った。


「これ以上は不毛です」


 その言葉に短く息が漏れる。赤い瞳が片目だけ歪められ、嘲りにも似た声が出た。


「不毛かどうかは俺が決める」


 皇帝の象徴である陽光の様な金髪が背後から入る陽を受け輝く。その姿を見て、エミリオは獰猛な獣の姿を見た。決して曲げる事の無い意志を感じさせる瞳に顔を歪める。エミリオは側近である。主人が愚かな行動を取った場合、それを止める位置にいる。エミリオにとって今のサフィールの行動は愚かとしか言えなかった。


 その場の感情に任せてとは言えないが、このままティアンナに深入りをするのはこの国の為にも、彼自身の為にも良くは無い。きっとサフィールもそれを実際は理解しているだろう。だが、感情が追いつかないのだ。あの即位の時と同じく。


 エミリオは両手を勢いよく机につき、サフィールに詰め寄った。


「では言葉を変えます。見ていられません、私が」


 それは本心だった。これが幸せな未来に続くのであればいくらでもティアンナと接しても良い。だが、違うのだ。彼と彼女はそうはなれない。それは誰の目にも明らかだった。


 何故なら彼女は……


「陛下……」


 エミリオの声は懇願にも似た声を出した。


「陛下、彼女は違うのです……彼女は、色の変化がない」


 それはティアンナがサフィールの伴侶では無い事を示す。未来が無い関係だ。どれ程サフィールが求めても手に入らないもの。


 サフィールは目元に力を入れた後、細く息を吐き、瞼を閉じた。エミリオはこの癖を知っている。今年よく見た動作だ。これはサフィールが心を殺す時にする癖である。


「分かってる」


 冷めた声がエミリオの鼓膜を揺らす。

 エミリオはその声に身が千切れそうになった。他国の皇帝であれば好きな女性の一人や二人好きなだけ妻に迎える事が出来る。何のしがらみもなく婚姻を結べるだろう。だが、この国では神が皇帝と皇后を定める。皇帝であるサフィールにその選択権は無いのだ。


 それがどんなに恋しい人であっても。


「本当なら私だって応援がしたい、でもあなたと彼女の関係に先は無いのです。もう直にフィティルオーナは見つかるでしょう」


 自分に言い聞かせる様にエミリオはサフィールに言う。

 今年、何度彼は自分の心を殺したのだろう。そして今日もまた殺すのだ。エミリオの言葉で。


「分かってる」


 苦々しく答える声に被せ、エミリオは続けた。


「そしたらあなたに心を移した彼女はどうなります?」


 これがエミリオの仕事だとは理解している。主人を諌める仕事。だが言葉にすればする程、感情的になってしまう。

 サフィールは俯いた。エミリオの言う事はよく分かる。だが、これは最後の足掻きなのだ。


「……分かってるよ」


 絞り出した様な声だった。静かに部屋に落ちる声にエミリオは息を飲む。エミリオもサフィールが全てを理解してティアンナを誘った事は分かっている。寧ろこれに対してサフィールが一番理解しているのも分かっていた。


 エミリオは下唇を噛んだ。理解してても制御出来ないものならば他人が止めなくてはならない。目の前の主人にとどめを刺すのは他ならぬ自分なのだ。


「彼女をあなたは捨てる事になるのですよ!」


 エミリオの悲哀を孕んだ声にサフィールは机を拳で叩いた。


「分かってると言ってるだろう!!」


―――バン!


 激しい音に、エミリオはビクリと体を震わせた。自分の思考でいっぱいいっぱいであった視界に怒りを露わにした男が目に入る。

 エミリオは初めて見る主人の明らかな怒りに目を見開いた。


「そんな事は百も承知だ!しょうがないだろう!私は彼女を、ティアンナを愛している!もう何年もだ!お前に分かるか!?知りもしない決まった相手が出来るからと想いを伝えられない苦痛が!」


 サフィールの叫びにエミリオは言葉を失った。今にも泣きそうな言葉に呼吸さえも止まる。

 怒りで目を見開いたサフィールはエミリオの胸倉を掴むと、慟哭にも似た声を出した。


「分かるのか!?触れたいのに触れられない相手が居る事が!ティアンナの全てが欲しいのにそれを他人に奪われるという事が!!」


 愛する人を愛せない。愛する人が他の誰かを愛する。自分の知らない顔を見せ、愛を育む。自分には出来ない全てを他の誰かが彼女に施すのだ。


―――愛を囁き、唇に触れて、抱き締めて、頬に触れて、手を繋いで


 何故心はティアンナを欲しているのに隣に居ない?これ以上の気持ちをフィティルオーナは与えてくれると言うのか。

 この気持ちは何処にいく?


 瞼を閉じればいつでも浮かぶ困った顔。へにゃりと笑う顔はこちらも気が抜ける。仕事の時のキリッと澄ました顔は最初見た時違和感しか無かった。だがそれも今では愛おしい。ティアンナが仕事を頑張ってきた証でもあるから。


 愛しい、愛しい人。


 体中がティアンナを欲しているのに、それを望めない神の器。


「ただの人間のお前に」


 サフィールは顔を歪ませ、そしてエミリオの胸倉から手を離した。


「お前に、何がわかる」


 あの激しい声はもう無い。だが絶望しか無い言葉にエミリオは何も言う事が出来なかった。




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