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21.思いもよらない


 これは大変な事になった。


 ティアンナはサフィールから匂いが違うと言われ、持ち帰った薬の成分を分析機にかけ、その結果を見て力なくその場にへたり込んだ。


(大変なことになったぞ)


 持っていた結果を何度も見る。だが結果は変わらない。何度見ても睡眠導入剤では無く、興奮剤が入っている。いや、正しく言うと睡眠導入剤ではあるのだが成分に興奮剤が混入してしるのだ。それも結構な割合で。


 何故こんな事になったのか。ティアンナは心当たりのある出来事を思い浮かべた。


 あの日、この薬を調合し終わった後、ティアンナは直ぐ出るからとほんの僅かな時間、自分のデスクに置いて席を離れた。その用事はすぐ終わるものでサッと部屋に戻ってくると自分のデスク近くにユナが居たのだ。申請書を提出したのだろうとその時は思っていたのだが、もしかしたら違ったのかも知れない。


 思い返せばいつもより文句が少なく、挙動不審だった様な気もしてくる。証拠は無いが、それをやりそうな人物でもあるのでユナを擁護する気持ちよりも『やってしまったな』という呆れの方が大きかった。


 残りの二つの薬を分析しても結果は同じだった。こんな薬を作る暇があるならもっとやる仕事もあるだろうに。ティアンナはガックリと肩を落とし、成分結果を手にゲルトのところへ報告に向かった。






「薬がすり替えられてただと?」

「はい……」


 端的に説明を終えたティアンナにゲルトは不機嫌さを隠す事なく、渡された薬と成分結果を見た。


「確かに違うな」


 まじまじと結果を見てからゲルトは薬の匂いを嗅いだ。


「匂いはわからない。これの匂いの違いに陛下は気付いたのか?」

「そうなんです。私も違いは分からなかったのですが」

「余程鼻が良いのだな」


 それにはティアンナも同感だった。何故サフィールが違いに気付いたのか。匂いが違うとは言っていたが、本業の薬師であっても気付かない程だ。寧ろ同じ匂いだとも言ってもいい。それくらい匂いに変化は無い。


「同じですよね」

「同じだな」


 薬師二人は揃って首を捻った。


 だが問題は匂いではない。問題は薬がすり替えられていた事だ。何故?どうして?などの問題の動機も大切だが、今はこれが起きてしまった事に対してどう処理をしていくかを考えなくてはならない。


 まさか薬をすり替える様な人間がいるとは思っていなかったティアンナの認識の甘さも今回の問題だ。医務室で取り扱っているものは薬だ。それは使い様によっては人を害する事が出来る。だからこそ管理は厳重でなくてはならないのに、ティアンナは少しの間であれば大丈夫だろうとそれを放置した。しかもそれは皇帝陛下への処方薬である。今回は事前に気付き、尚且つ興奮剤を入れられていただけだったが、これが毒薬だったら?

 事はこんな悠長な報告ではすまなかった筈だ。


「私が気を抜きました」


 ティアンナは頭を下げ、ぐっと瞼をきつく閉じた。自分の甘い管理が皇帝であるサフィールを危険に晒した。臣下としてあってはならない事だ。瞼は閉じているが目頭に熱いものが込み上げる。


 今年になって副室長となり、頑張ってきたつもりだった。でも些細な気の緩みでこんな事が起きてしまった。


 すり替えた人間が1番悪いのはティアンナも分かっている。だが、すり替えられる隙を作ったのは自分だ。

 ティアンナは今までの努力が砂の山の様に崩れていく感じがした。


 ゲルトは厳しい顔付きでティアンナを見ていたが、一向に頭を上げない姿を見て、短く息を吐いた。

 ゲルトとしてもすり替えをした人物が悪いのはわかっている。だが、ティアンナを叱責しない訳にもいかなかった。


「此処で扱っているのは薬だ。少しの間でも目を離してはならないと新人の頃より何度も言ってきたと思うが、何故それを守らなかった。事が事だ。後で処分は言い付ける」


 頭を上げなさい、とゲルトが言うとティアンナはゆっくりと姿勢を正していった。ティアンナの顔は不自然に凛々しくなっており、どうやら全ての感情を出さない様に顔面に力を入れている様だった。

 普段の情けない顔を知っているゲルトは一瞬吹き出しそうになったが、今はそんな雰囲気ではない。なんとか堪え、咳払いをひとつした。


「それよりもこれを誰がやったのか調べないといかんな」


 ティアンナから視線を逸らし、ゲルトは天井の隅にある水晶玉がはめ込まれた魔導具を見た。


「あれの映像を管理課に言って見せて貰うか」


 そう言われ、ティアンナも振り返り天井を見る。もう見慣れてしまい、存在を忘れかけていたがそこには映像を記録する魔導具が設置されていた。名を記録玉と言う。そのまんまだ。


「記録玉、ですか」

「あれを見れば一目瞭然だろう。言い逃れも出来ん」

「確かに……」


 ティアンナはこの報告の中でユナの話を出してはいない。何故なら『だと思う』という曖昧なものだったからだ。ティアンナが犯人に仕立て上げようとしていると思われても嫌なので事実を話すだけに留めた。それでもティアンナは犯人はユナだろうという確信がある。だってこんな事をする同僚はユナ以外に考えられない。もし万が一ユナで無かった場合、人間不信になってしまうかもしれない。


 ゲルトはティアンナを伴い、そのまま管理課へ足を運んだ。担当に軽く説明し、管理してある記録玉の映像を確認させて貰うと思った通り、ユナが薬をすり替えている映像が残されていた。


「やはりか」

「…………」


 ティアンナは無言のまま、それを見る。分かっていた事ではあったが、実際見ると戸惑いしか無い。


「何故こんな事を……」

「もうこれは、親も庇いきれんだろうな」


 少し前も処分を下されたばかりだ。その際は父親の嘆願により懲戒免職は免れたが、今回は難しいだろう。


「さて、どうするかな」


 ゲルトは疲れた顔でそう言うと、深い溜息を吐いた。


「こんな問題児、勤め始めて25年経つが初めてだ」


 ティアンナが働き始めてからずっとユナが居たのでこれが普通だと思っていたが、どうやら普通では無かったらしい。ティアンナの口から乾いた笑いが意図せず零れた。



 ユナへの処分は即日行われた。管理課へ行った後、すぐにゲルトは己の上長へ報告。事態を重く見た上長はユナを呼び出し、事実確認を行った。仕事の途中で呼び出されたユナは自身の栄転の知らせだと浮かれながら医務室を出て行ったが、何故今までの態度で役職がつくと思っているのか。呼び出された理由を知っているティアンナは不思議でならなかった。

 結局ユナはその日、終業時間となっても戻って来ず、翌る日、朝礼でゲルトより懲戒免職となった事実を伝えられた。理由もぼかさず説明され、改めて薬の管理を徹底する様、言い渡された。

 ティアンナの処分は減給2ヶ月。割合は20%だ。中々の減りようだが、これは仕方のない処分である。そもそもティアンナがちゃんとしていればこの様な事にはならなかったのだから。

 同僚からはドンマイと声を掛けられた。




 そして迎えた2週間後のサフィールの診察の日。予めゲルトから今回の顛末の報告を受けていた二人はティアンナに会って早々、慰めの言葉を掛けてきた。


「大変だったな。とばっちりも良いところじゃないか?」

「私もその人知ってますが、中々の人物でしたよね。聞き耳騒動と言い、あの人は何しに仕事に来てたんです?」

「本当、ご迷惑をお掛けして申し訳ないです……」


 本来であれば関わり合う事の無い身分の二人にそう言われ、ティアンナは恐縮しきりだった。肩をすくめているからか体がいつもより小さく見える。ペコリと何度も頭を下げれば、サフィールが手で制してきた。


「謝るな、謝るな。君はよくやってくれてるんだから」

「そ、そう言われましても……」

「今回のは確かに残念だったが、結果的には何も無かったんだ。良かったじゃないか」

「………はい、陛下がそう言われるのであれば」


 何となく納得いかないが、これ以上サフィールの言葉を否定する訳にもいかず、ティアンナは尻すぼみになりながら答えた。サフィールは微笑んでいるが、サフィールの後ろにいるエミリオはやはり納得していなさそうな顔をしている。無表情に近い顔でサフィールを見ていた。


「……」


 安易に許すな、と言いたいのだろう。彼は皇帝なのだ。威厳も規律も大切である。

 だがそんなエミリオの様子など知ったこっちゃないサフィールは無表情の側近を無視して話を続けた。


「もうじき今年が終わるだろう?」


 突然の話題変更にティアンナは目を瞬いた。

 薬のすり替え話から、何故か今年が終わる事を言われ、キョトンとする。今年は様々な事があり、季節もゆっくり感じる事が出来なかったが確かにあと一ヶ月と少しで年が明ける。つい最近まで暑かったと思うのだが、今は寒いくらいだ。


 ティアンナはエミリオをチラリと見てから頷いた。


「そうですね、今年は早く感じました」

「私もだ」

「奇遇ですね、私もです」


 無難な返事をすると向かい側の二人が大きく頷く。それはそうだ、今年サフィールは父を亡くし皇帝の座についた。そしてエミリオはその皇帝の側近。ボロボロになるまで仕事をしていたのだから時間の経過も早かろう。


 ティアンナはふと、今年の初めの事を思い出す。あの時はこんな風になるなんて全く思ってもいなかった。またいつも通りの日常で一年が終わるのだと。

 だが、蓋を開けてみれば突然の皇帝崩御と新皇帝即位、そして自分の変化。フィティルオーナの写身になるなんて誰が予想しただろう。

 それに副室長昇進。まさかまさかの出来事だった。最初こそは慣れなかったが、今はだいぶ仕事のペースが掴めてきた。仕事は元々嫌いじゃなかった為、やりがいを感じ始めている。


 目の前のサフィールを見ながらそんな事を思い返していると急に彼が『どうだろう?』と訊ねてきた。

 何か聞き漏らした?とティアンナが首を傾げるとエミリオの驚いた顔が視界に入ってきた。


(やっぱり聞き漏らしてたんだ)


 もう一度訊ねようとティアンナが口を開き掛けた時、サフィールの赤い瞳が鈍く光った。ティアンナが話すよりも早くサフィールの口が開き、エミリオが背後から焦った様子で『陛下!』と呼び止める。だが、サフィールは気にもせず言葉を発した。


「年越しの花火を一緒に見てほしい」


 止めようとするエミリオに、ポカンと口を開けるティアンナ。

 サフィールは強い意志を宿した赤い瞳に懇願を滲ませ、じっとティアンナを見ていた。ティアンナは前回掴まれた手の温度を思い出し、その瞳と同じく顔を赤くする。

 返答をしようにも彼の言葉には是としか答えられそうにない。

 

 視界に苦々しい顔をしたエミリオが入ったが、ティアンナは彼の瞳に促されるがまま、小さく頷いた。


「そうか、良かった」


 何処かホッとした顔のサフィールを見て、何故か心がギシリと軋んだ。




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