20.拗らせたもの
サフィールの即位から7ヶ月。フィティルオーナの写身が現れたと感じてから6ヶ月経った。
相変わらず忙しい日々を送っているサフィールだが、それ以上に慌ただしい日々を送っていたのは宰相だ。エミリオの父であるコストナー公爵はフィティルオーナの写身が一向に現れない事に焦っていた。ここ3代くらいは公示してから大体3ヶ月以内には見つかっていたのだが、まさかの半年越え。あまりに遅すぎる。
先日、過去の文献を見ていたが最長8ヶ月見つからなかった事があるらしい。まさかこの最長期間を更新してしまうのでは?と嫌な汗をかいた。
何故コストナー公爵がこんなにも焦っているかというと早々に二柱の写身で統治をしないとこの国に禍が降り掛かると言われているからだ。迷信じみた言葉ではあるが、この国の歴史書はそれを真実だと示している。先に言った最長8ヶ月の皇后不在期間では5ヶ月目に山が噴火した。他にも皇后不在3ヶ月を越えた時代には大なり小なり天災に見舞われたとある。
これは早々に手を打たないと国に被害が出る事なのだ。
コストナー公爵はサフィールにフィティルオーナの写身捜索をもっと予算を掛けてやるべきだと主張したが、当のサフィールの顔は暗かった。彼も天災がいつ来てもおかしくない状況だという事は分かっているのだが、すんなりとそれを受け入れる事が出来ない。国と自分の心を天秤に乗せて、グラグラと揺らす。突然の即位であれよあれよと大した決意もないまま、あっと言う間にこの場に立たされた男にはまだ国が全てとは言えなかった。
だがそれでも国民が苦しむのは見たくは無い。ましてや天災だ。起これば被害は甚大だろう。サフィールは周りの臣下の説得により会議の最後には予算の上乗せを決定し、フィティルオーナの写身捜索に本腰を入れる事を決めた。私情で国を乱す事はしてはならない。愚かな若き皇帝だが、それだけは理解していた。
長い会議が終わり、サフィールは執務室に戻るとそのまま人払いをした。エミリオが何か言いたげに見てきたがそれを黙殺し、ソファーに身を預ける。目を瞑り、溜息を吐けば扉がカチャリと鳴り、エミリオが退室した事がわかった。
「国の為、」
解ってはいるが、気持ちが追いつかないと言うのがサフィールの正直なところである。それなりに国の為と勉強をしてきた筈なのだが、何故か心がついて行かない。最近、その傾向は強くなるばかりである。
理由は分かっている。ティアンナだ。
薬を処方されてから彼女の事が頭から離れなくなった。いや、もう数年前から離れる事は無かったのだが、頻繁に会う事になってからは数年分の思いが溢れんばかりに募っていく。
もう慣れた仕事での顔と、その後の雑談での困った顔。へにゃりと顔を弛緩させて笑う姿はいつ見ても心が和んだ。
エミリオはどうやらサフィールの気持ちを察している様で何とも言えない顔で二人のやり取りを見ている。もしかしたら呆れているのかも知れない。そんな雰囲気も感じられた。
『もう彼女から別の人に変えましょうか?不毛ですよ』
そうエミリオから言われた事もある。だがサフィールは今だけだ、と言いそれを受け入れる事は無かった。
不毛だなんて自分が1番分かっている。それでも僅かな関わりを断つなんて出来なかった。悪足掻きだと自分で理解している。その上での不毛な想いなのだ。
忌々しくは神を宿すこの身体。これが無ければ真っ直ぐにティアンナに想いを伝える事が出来るものを。
サフィールはソファーから立ち上がり、執務室の椅子に腰掛けた。こう悩んでいても仕事は溜まるだけだ。書類を手にインクを染み込ませたペンを走らせる。
(そういえばティアンナは丸文字だな)
診察の時に見る字を思い出し、頬を綻ばせる。そして直ぐに苦々しく顔を歪ませた。
何故、何故こんなにも心を奪われるのか。渇望にも似た欲求が心を占めるのか。
対面している時、何度手が伸びそうになった事か。その白い頬に触れ、自分だけを見て貰いたい、そう何度願った事か。
ティアンナの話す声をずっと聞いていたいと、そう伝えてたら彼女は困った様に眉をまた下げるのだろうか。
「何故、」
何故ティアンナの髪は栗色なのだろう。あれが銀色であれば、こんなにも苦しむ事は無い。
ペン先から黒いインクがポタリと落ちる。じわりじわりと白い紙に染みが広がっていった。
フィティルオーナの写身捜索が大規模で行われると発表されて少し経った頃、サフィールは定期的な診察の日を迎えていた。
いつも通りの問診の後、先日受けた血液検査の結果を確認したティアンナが何度か頷き、紙から顔を上げた。
「今回も問題なさそうですね」
薬師の顔をしたティアンナはいつ見てもサフィールには新鮮だった。いつも自信なさげに眉を下げていた子がハキハキと話す姿に感動さえも覚える。
「それは良かった」
「コストナー小公爵も問題ないですね」
「ああ良かったです」
テキパキと結果の紙を渡し、ティアンナはいつもと同じ薬を二人に渡す。いつもと同じ流れだ。
だがその流れの中で、サフィールは違和感に襲われた。それは直感に過ぎないので、何とも説明しづらいのだが自分の中の勘がこれは違うと主張する。
サフィールは眉を顰めながらティアンナが処方した薬を手に取るとそれを探る様に見た。いつもと違う様子にティアンナもエミリオも何事かと見ていたが、何かを確認する様に蓋を開け匂いを嗅ぐサフィールを見てティアンナは眉を下げ口を開いた。
「陛下、何か気になる点が?」
問われたサフィールはいや、と戸惑いつつも瓶をテーブルに置き、言い淀む。
「いや、なんだ…」
「はい」
「匂いが、」
「匂い?」
「匂いが違う気がするんだが……」
「匂い、ですか……」
薬草が原料である薬だ。匂いはそれなりにある。ティアンナは自分でも薬の匂いを嗅いでみたが、何も違いは分からない。専門家であるティアンナが分からないのであれば普通分からなそうなものだが、それでもサフィールは違うと言う。
何度もクンクンと匂いを嗅ぎ、ティアンナは首を傾げた。だがサフィールが違うというものをそのまま渡す訳にはいかない。
「これは一旦持ち帰ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」
「コストナー小公爵もよろしいですか?」
「どうぞどうぞ」
若干青褪めた顔をしたティアンナは持ってきた薬をそのまましまうと、突然ハッとした顔をした。
「どうした?」
気になったサフィールが訊ねれば、青褪めた顔から真っ白に変化したティアンナが泣きそうな程目を潤ませながら小さく声を震わせる。
「いえ、あの、もしかしたら」
瞬きをすれば涙が落ちそうな程潤んだ瞳にサフィールは咄嗟に立ち上がった。
「大丈夫か!?」
そのままの勢いでサフィールはティアンナの横に座り、顔を覗き込む。その行動にティアンナは驚いた様だったがそれよりも顔色を無くす程の事態に心を持っていかれている様で顔色に変化は無かった。
サフィールは震えるティアンナの手を握る。自分よりも遥かに小さい手は冷たく汗ばんでおり、彼女の心情が察せられた。
触れた手がピクリと動き、ティアンナが眉を下げた顔でサフィールを見る。戸惑いが見えたがそのまま手を握り続けた。
慰めようとした行為だったのだが、触れた瞬間から心臓がうるさい位に脈打った。自分でも驚く程、手から感じる彼女の存在に涙が出そうになる。触れたくて堪らなかった存在に触れられたからだろうか。やっとだ、と心が叫んでいるのが分かった。
「陛下」
そう言ったのはエミリオだった。
見つめ合う二人を呆れ顔で見ていた彼は呼びかけたサフィールの事を無視し、ティアンナに問い掛ける。
「ティアンナ嬢、何か思い当たる事があるのですね」
顔色が戻らないティアンナは口をギュッと結んだ後、大きく頷いた。その顔はもう仕事の顔に戻っている。
「はい、調べまして後程ご報告させて頂きます。恐らく報告は室長からになると思いますが」
「わかりました」
仕事の顔をしたティアンナはエミリオの返答を聞いた後、その顔を崩す。言わんとしている事は解ったが、知らぬ振りでサフィールは彼女の言葉を待った。エミリオが自分を呆れた声で呼ぶのが聞こえたが、視線だけ動かし無視をする。その途端、大きな溜息が部屋に響いた。
今のはエミリオの溜息であり、ティアンナに対してのものではない。サフィールに向けてのものだ。
サフィールはティアンナの手を握る力を強めた。段々と体温が戻ってきたティアンナの手が愛おしくて離す事が出来そうにない。
最初は慰めからだった。だがその気持ちは一瞬で消え去り、今は下心しかない。
「あ、あの陛下」
おずおずと困った顔をしたティアンナが僅かに手を動かす、それだけなのに欲情した。
「ん?ああ」
流石にまずいと感じたサフィールはわざとらしく返事をし、ゆっくりと手を離す。離れる手をティアンナはじっと見つめていた。何を思って見ていたのかは分からない。だが、自分と同じ名残惜しさであれば良い。
そうサフィールは心の中で独りごちた。




