19.いつもの診察
「ちょっと!何でアンタが陛下の診察してるわけ!」
穏やかな日々はあっという間に過ぎていき、ユナの謹慎があけた。謹慎明けは大人しくするだろうと思っていたのだが、どうやらユナはそんなタマでは無かったらしく、謹慎など無かった様に初日から色んなものに突っかかっていった。正直その心臓の強さは見習いたいところだ。
ティアンナの前で仁王立ちをするユナはいつもの如く目を吊り上げて声を張り上げると、手近にあった瓶を投げつけた。こんな事は慣れっこの為、ティアンナはひょいと避けると瓶が床の上でパリンと割れる。それを経費が……と思いながら一瞥した後、溜息混じりに口を開いた。
「前も言ったと思いますが、指名を受けているので私が診察しているのです」
「だから何でアンタなのよ!アンタ子爵の出でしょうが!」
「此処の勤務に爵位は関係ありません」
「私は伯爵令嬢よ!」
「だから」
このやり取りは何度目だろう。何巡もしている問答にいい加減飽き飽きしてくる。しかもこのやり取りをしているのは申し送りの朝礼中だ。本日の予定を伝えていただけなのにこんな風になるとは頭が痛い。
話を早く切り上げたい為、強引に話を切ろうとしてもユナが噛み付いて離さない。
他の同僚も止めようとしてはいるが、ユナの目にはティアンナしか見えていないのか全く聞く耳を持たない。もう今日の診察開始まで15分を切っている。皆こんな事よりもやらねばならない事が山ほどあるのだ。
「ユナ・ゴルダン」
騒がしい朝礼の中、厳しい声が不意に聞こえ、朝礼に参加していた人達が一斉にその声の主を見た。当然、ユナもである。
声の主、ゲルトは険しい顔でユナを見ており、僅かにユナの顔が歪んだ。
「ゴルダン、謹慎があけてどの位経つ」
静かな声に怒気を孕ませ、ゲルトは言った。
「1ヶ月です」
「そうだ、1ヶ月だ。なのに何故またこんな騒ぎを起こしている?何故自分が処分されたのか理解していないのか?」
普段、あまり表に出てこないゲルトの叱責にユナは居心地が悪そうに身を縮めた。悪い事をしているという自覚があるのか、はたまた叱責された事しか考えていないのかは分からないが普段見ない姿に少し心がスッとする。
「ゴルダン、君は少し話をした方が良さそうだ。着いてきなさい」
「……はい」
先程の勢いは何処へ行ったやら、ユナは肩を落としゲルトの後ろを着いて行った。途中、ゲルトが振り返り『もう支度に入りなさい』と指示をしてくれたお陰でそわそわとしていた人達が散り散りに支度へ行く。ティアンナは朝一の診察が無い為、ユナが割った瓶のカケラを塵取りで集めた。
「ユナにやらせればいいのに」
同僚の一人がしゃがんで掃除をしているティアンナを見て言ったが、ティアンナは首を横に振った。
「多分話長いと思うし、終わるまで待ってたら誰か怪我しちゃうでしょ?それに多分残っててもやらないと思うよ」
「確かにそうかぁ。本当まいっちゃうよね、あの子」
「んー、明言は避けたいけど、そうだよねぇ」
集めたガラス片を三重にした袋に入れ、危険と張り紙を張りゴミ箱近くに置くと、ティアンナは同僚との話もそこそこに今日の予定の準備を始めた。
今日はサフィールの診察の日である。だからこそ朝礼で伝達をした時にユナに詰められた。何故お前なのかと。
「あーあ」
朝から体力を消耗させる出来事によりティアンナのHPは半分を切った。もう疲れた、仕事したくない。布団に入りたい。だが書類の締め切りもあれば、サフィールの診察もある。感情のまま動いてはいけないのだ。
ティアンナはどうにか自分を宥めすかして、薬を入れる空瓶を三つ手に取ると薬棚の幾つもある引き出しから慣れた手つきで10種類程引き出すと持っていた小分けの器の中に薬草を入れた。それを作業机に置き、鍋に火をかける。それと同時にすり鉢を手元に置くと数種類の薬草をギコギコと擦り始めた。
薬を調合するのは無心になれるので良い。何も考えずにいられる。もう本当に疲れたのだ。
ギコギコとすりこぎを動かし続け、鍋の中身がフツフツと沸騰し始めたところで火を弱火にし、細かくなった薬草を飛ばない様に鍋へ入れればティアンナは漸く自分が落ち着いてきた事が分かった。
一度頭を真っ白にすると頭がスッキリする。多分何かしらを忘れて調整をしてくれてるのだろう。これはとても良い事だ。
ティアンナは淡々と薬を作りながらそれを瓶に詰めていく。もう慣れたもので1時間もあれば三つは作れるようになっていた。出来上がった薬を持って調合室から出るとティアンナは自分のデスクへと戻る。
「今日もいっぱいだ」
書類の束を見て、溜息を一つ。ティアンナはばさりと書類を机に出すと期限の早いものから手を付けていった。
「調子はいかがですか?」
そうして時間は過ぎ、サフィールの診察の時間となった。ティアンナは診察時の定位置に座ると早速定型文を口にした。
「特に問題はないな」
「薬が体に残っている感じとかも無いですか?」
「そうだな、今のところは感じた事が無い」
ふむふむとティアンナは診療録にペンを走らせ、そこに挟んであった検査結果に目を通した。
「先日の血液検査も問題無さそうですね。あ、こちら控えですのでお持ち下さい」
「それは良かった」
「コストナー小公爵もどうぞ」
「ありがとうございます」
二人とも渡された検査結果をまじまじと見ると、お互いの結果が気になったのか紙を交換し始めた。結構なプライバシーだとは思うのだが、本人同士が納得しているのなら他人が何か言う事もない。
ティアンナは見せ合う程二人は仲が良いのだな、とその様子を眺めていた。
「無茶な生活をしていると思っていたが、健康で良かった」
「私なんて胃がたまに痛いので絶対何かあると思いました」
「若いと検査値も健康な事が多いんです。お年を召した方が同じ生活をするとまた別の結果になると思いますよ」
「悪い意味でか?」
「そうです、悪い意味でです」
そうか、気をつけようとサフィールはその検査結果を机の端に置いた。
「あとコストナー小公爵、胃の不調があるのなら検査課で胃の検査をした方が宜しいかと」
「あ、やっぱりそうですか」
「自分の体は自分が一番分かりますからね。おかしいな、と思ったら検査した方が良いです」
「わかりました、また検査受けに行きます」
心なしかしょんぼりとしたエミリオを得意げに見ているサフィールに思わず顔が緩んだが、ティアンナは気を取り直して咳払いをした。
「では今回の薬です」
ティアンナはいつもと同じ薬をコトンとローテーブルに置いた。それを二人が手に取ったのを確認すると店仕舞いだと言わんばかりに診療録とペンを片し始める。これはあまり長居してはいけないだろうというティアンナの気遣いなのだが、サフィールはいつもこれが気に食わなかった。出来るなら仕事を抜きにして話をしたかったからだ。
その指輪の贈り主には悪いが、初恋を長引かせたいサフィールにとってこの時間は貴重だ。
もうサフィールの気持ちを察しているエミリオは呆れ顔をするだけで特段何も言ってはこない。フィティルオーナの写身が出てくるまでは好きにしていいと暗黙で思ってくれているのかも知れない。
「ティアンナ嬢、お茶に付き合ってくれないか?」
「へ?」
「この間、美味しいお茶を淹れてくれただろう。その礼だ」
「え、へ、あの……」
早々に立ち去ろうと思っていた為、サフィールの申し出に明らかに動揺したティアンナはそっとサフィールの後ろのエミリオを見る。すると笑顔で頷かれた。これは飲んでいけという事なのだろう。
「じゃ、じゃあ少し失礼します」
そもそも皇帝陛下の申し出を断れる筈も無かった。ティアンナは纏めていた荷物を自分の横に置き、じっと目の前のサフィールを見る。いつ見ても整っている顔立ちに胸が何度も撃ち抜かれそうになる。キラキラと眩い金髪が、目に痛い。宝石の様な美しい瞳に長い睫毛、微笑むと睫毛の影が瞳に掛かり何とも言えない美しさになる。
(後々この方の隣に並ばなくちゃいけないなんて……)
見劣りする事確定で少し悲しくなった。
「どうぞ」
いつの間にやら入ってきた侍女がティアンナの前にカップを置く。中身をゆっくりと入れられ、紅茶の匂いが鼻腔を擽った。
琥珀色の紅茶は目にも美しい。ティアンナはカップを口元へ運び、一口飲む。紅茶の芳醇な香りが口いっぱいに広がり、幸せの心地を味わった。
「気に入ったか?」
「あ、はい。とても」
「それは何よりだ」
そうして幾つかの話題を話した後、紅茶が無くなったのを機にティアンナはサフィールの執務室を後にした。サフィールはまだ引き留めたそうにしていたが、仕事の関係でエミリオに咳払いで止められ、分かる人には分かる悔しそうな顔でティアンナを見送る。
当のティアンナはサフィールのそんな気持ち等気付く訳もなく『ではまた次の診察で』とにこやかに去っていったのだった。




