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10.屋台でのカツアゲ


 あの日断れる筈もない、エミリオの依頼に頷く事しか出来なかったティアンナは、診察までの日々を死刑執行待ちのような気持ちで過ごしている。


 左手のフィティルオーナから貰った指輪を撫でる。これを取れば髪が銀髪に変わり、瞳の色も紫に変わる。フィティルオーナの写身としてサフィールの隣に立つ事が出来るのだ。


(でも)


 頭をよぎるのはエミリオの言葉。


『寧ろその逆と言いますか……』


 その言葉がティアンナの心に影を落とす。

 サフィールはフィティルオーナの写身、つまり自らの伴侶が出て来るのをあまり良く思っていないらしい。


(好きな人がいるんだろうな)


 だから出て来るのを良く思っていないのだろう。そう思ってティアンナは一人笑うと自室にある鏡台の前に座り、左手の指輪を引き抜いた。引き抜くと同時に髪色と瞳の色が変化する。未だ慣れない色に、現実感が無い。そしてこの変化への戸惑いとほんの少しの喜びの中に忌々しさが追加された。


 本当は今すぐにでも言い出せば良いのだろう。でも他人から得た情報と仕事が、という言い訳で言い出せずにいる。先延ばしにしてもいつかは言わねばならない事なのに。


「はぁ……」


 ティアンナは鏡の前でガックリと肩を落とすと、指輪をはめ直した。

 今日は久しぶりの休みである。ここ数ヶ月は業務に中々慣れず、休日も出勤をしていた。だが今日は職場に赴く予定の無い休み。一日部屋に籠るのも良いが、本屋で目的の本を探すでも無く、ブラブラと彷徨う事にしたのだ。

 いつも一つに縛り上げている髪も今日は下ろし、櫛を通す。湿気で広がりやすい癖毛だが痛みは無い。何故か髪色が変化した後、痛みが消えたのだ。


「癖毛も治らないかな」


 ぽつりと願望を口にして、ふふと小さく笑う。


「なんてね」


 この癖毛が無くなったら誰だか分からなくなってしまうかもしれない。そう思ったらこのままでも良い気がした。


 身支度を整え、街に出たティアンナは久しぶりの雰囲気に心躍る気持ちになり、まるで初めて皇都に来た人の様に周りをキョロキョロ見回してしまった。


 恐らく半年ぶり位に出た街は色々と様変わりしており、数歩歩くだけで驚いてしまう。以前あった店が無くなったり、店舗が大きくなっていたり。屋台も種類を変えていた。流行というものがあるのだろう、甘いドリンクが多くあり、その近くにチョコクロワッサンの屋台がある。甘いものと甘いものの組み合わせは飽きそうだと感じたが、屋台の前には沢山の若者が並んでいた。


 そういえば、とティアンナはお気に入りだった焼き鳥の屋台をキョロキョロと探す。確か前はここら辺にあった気がしていたのだが見当たらない。もしかして撤退したのかな、と少し残念に思っていると道を一本入った場所に変わらぬ店主と屋台が見えた。


「あ」


 自然と口元が緩んだティアンナは脇にある道に進み、屋台の店主に話し掛けた。


「すみません、もも塩一本下さい」

「はいよ〜」


 串を受け取り、屋台の横にあるベンチに座ると鶏肉の油滴るそれを早く頬張ろうとティアンナは口を開けた。あーん、と音が聞こえそうな程大きく口を開いたその時、突然真横から邪魔が入った。


「お姉さん、美味しそうだね」


 口を大きく開けたまま、固まるティアンナ。焼き鳥に意識が持っていかれていた為、隣に人が来た事も気付かなかった。瞬きも呼吸も暫し忘れ、固まっていると横の人物がひらひらとティアンナの目の前で手を振ってきた。


「お姉さん、だいじょうぶ?」


 目の前の手でハッと意識を戻したティアンナはパッと口を閉じ、片手で覆う。


「え、あ、大丈夫です!」


 まだ事態を把握出来ていないが、ティアンナは勢いのまま返事をした。片手は口元、片手は焼き鳥。

 何故話し掛けられたのかも分からず、それが誰なのかも分からず、ティアンナは自分の隣を瞬き多めで見ているとその人物がふわりと微笑んだ。


「ねぇ、美味しそうだね、ソレ」


 再び言われ、ついでに今度は焼き鳥を指差される。もしかして食べたいのかな、と少し心を落ち着かせたティアンナは横の屋台を指差した。


「あ、ここで売ってますよ」

「うん、知ってる」


 笑顔で即答され、再び固まるティアンナ。視線だけ動かし、屋台の店主を見れば彼も此方を気にしていた様でパチリと目が合った。目が合った店主は細かく何度も頷いた後、何故か最後に大きく力強く頷く。一体どういう意味で頷いたのかティアンナは分からず、またまた困惑した。


「えと、」

「うん」

「あの、」

「うん?」

「ど、どうしたい感じですか?」


 相手の意図が分からず、ティアンナは直球を投げる。だって分からない。相手がどのような言葉を求めているのか。店主の頷きの意味だって。


 何を言っても『うん』と笑って返事をする不思議な人はティアンナの言葉に再び『うん』と言う。そして柔和な笑みを浮かべ、前に下がっていた三つ編みを背中に流した。


「ボク、お金無いんだ」

「!」


 強奪する気だ!焼き鳥かお金を!


 ティアンナはもしかしたらと薄ら考えていたが、まさかこんな身綺麗な人物が物乞いなどする訳無いだろうと思い、その考えを早々に捨てていたのだ。

 だってその男は生地の良さそうなローブに石が何個も付いたブローチを付け、履いているブーツも草臥れた感じは無く、金具は新品の様に輝いていた。耳にあるピアスもシルバーのみの簡素な作りだが安物であれば放つ事の出来ない輝きを見せている。きっと上等なものだろう。

 そんな装いの男がお金が無いと言う。信じられない気持ちで串を持っている手に力を入れた。


「あ、あげないですよ?」


 店主をチラリと見ながら言えば、店主はもう関わりあいたく無いのか視線をわざとらしく逸らした。ティアンナは裏切られた気持ちになり、思わず悲壮な顔をする。


「えー、はんぶんこでも良いよ」

「知らない人とはちょっと……」

「ボク結構モテるんだけどな」


 潔癖症では無いが、串に刺さっているものを道端で半分こに出来る程、気にしない人間でも無い。とても抵抗がある。ティアンナは気持ちベンチの端により、彼と距離を取った。


「ボク凄いモテるんだよ」


 二度目のモテる発言。そして男は離した距離をいとも簡単に詰める。逃げ場の無くなったティアンナは間近にある男の顔を見て青褪めた。


 男は確かに整った顔立ちをしていた。男と言うよりも女よりの顔をしており、薄桃色の髪を気怠げに三つ編みにしている。もしかしたら髪色のせいで女性の様だと思えるのかもしれない。色素の薄い灰色の瞳も神秘的と言えば神秘的だろう。長い睫毛は楽しげに細められる目を美しく彩っている。口元のホクロも言われてみれば色気がある気もする。

 確かにモテるだろう。だが、ティアンナにはそんな事どうでも良かった。距離をグイグイ詰める人は一様に苦手なのだ。


「あの、お金あげるのでこれで買ってください」


 ティアンナはポケットに突っ込んでいた焼き鳥のお釣りをガバッと取るとそのまま男の前に突き出した。にんまりと笑った男はその手の下に両手を広げる。その瞬間、ティアンナは手からお金を落とした。ジャラジャラと音を立てて大きな手のひらに落ちていく。情けない気持ちになり、急に泣きそうになった。


「わあ、君って優しいね!」


 ありがとう!と弾んだ声を出した男は自分の手のひらにある貨幣を一枚一枚数えていた。大きいお金を崩した為、お釣りは程々にある筈だ。それこそ焼き鳥3本は買える程に。

 自分のお金が一瞬にして見知らぬ人の物になったのを悲しい気持ちで見つめていたティアンナは失意のまま、ふらふらとベンチから立ち上がった。


「じゃあ……失礼します……」


 もう買い物どころの気分では無くなったティアンナは元来た道を戻ろうと背中を丸め、とぼとぼと歩き出す。するとカツアゲをした男がティアンナの腕を掴んだ。他人に触れられるという経験があまり無い、ティアンナはそれだけでビクリと体を跳ねさせる。驚きと怯えの混じった顔で男を振り返れば、男は悪意も無い空っぽな笑顔でティアンナを見ていた。


「えと……あの、」


 振り払いたいが、そんな事をしても良いのだろうか。ティアンナは居心地の悪さから早く逃れたいが為に困惑の声を出す。

 男はベンチに座ったままな為、ティアンナが見下ろす形となる。若干上目遣いの男はにっこりと微笑んだまま、軽くティアンナを自分の方に引き寄せた。一連の出来事からあまり体に力が入っていなかったティアンナは簡単にふらつき、男の近くによたよたと引っ張られる。

 

「その優しさは君だからかな?それともこの国の国民性?」


 楽しげな声に、弧を描く目元。突然の国民性の話に困惑しか出ない。会話のキャッチボールをする気などさらさら無さそうな会話のセンスにティアンナはただただ翻弄された。男の言葉ひとつひとつを考えるが頭が良くわからんと悲鳴をあげる。

 自前の困り眉を更に下げ、男を見る。ふるふると泣きそうな顔を見て、男はフッと笑った。

 

「ねえ、優しいキミ」


 声色が少し下がった男は、ティアンナの腕を撫でる様に突然指先を下へ下へと動かした。そんな触れられ方をされた事の無いティアンナは小さく悲鳴を上げたが、男はそれを楽しげに見ただけで動きを止めはしない。するりするりと撫でる様に、遊ぶ様に骨張った指を滑らす。


「ねえ、君ってさ。本当に人間?」


 ぴたりと止まった男の指先、その指はアメジストに触れて止まった。ぞわりと背中が粟立ち、本能的にティアンナは男から手を引いて胸元に左手をやった。そして守る様に右手で左手を包み込む。


 男は指輪に触れていた指先を見てから、ティアンナに視線を戻した。にっこりと微笑み、もう一度同じ事を繰り返す。


「人間なの?」


 質問の意図が分からず、また先程の行動の意味が分からず、ティアンナは耳元で自分の心音を感じながら頷いた。


「に、にんげんです……!」


 早く此処から立ち去りたい。そんな気持ちでティアンナはもう一度力強く頷いた。




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