1.皇帝の番
皇城の真紅の絨毯が引かれた長い長い廊下。壁は大理石で作られており、等間隔に金で出来た燭台が飾られている。天井には幾つもの簡素なシャンデリアが飾られており、見上げるとその光の反射で目がやられる程だった。
そんな廊下の曲がり角、一人の白衣姿の女が困り眉ながらも険しい顔で壁に張り付いていた。視線の先には騎士服を着た男二人、仕事中であるのに話に花が咲いている様で、次から次へと話題を変え、話し込んでいた。
「フィティルオーナ様はいつ出て来るんだろうな」
女が壁に張り付いている理由、それは彼らの今の話題にある。
「かれこれ3ヶ月だろう?もうそろそろ出てきてくれても良いと思うんだけどなぁ」
「だよなぁ。だってもう出現はしてるんだろう?」
「公示されてるんだ。居なかったら問題だろ」
女はハラハラとした面持ちで会話を盗み聞いていた。誰かにこの現場を見られたら不審者扱いされるだろう。だが運が良い事に今、この廊下には誰もいない。居るのは女と騎士達の3人のみである。騎士達に至っては女の存在も気付いていないだろう。だからこそ気を抜いて雑談をしているのだ。
女は騎士の言葉を一言一句聞き漏らさぬ様、自身の息も潜め様子を窺う。騎士達は聞かれているとも知らず、尚も話を続けた。
「今日は何人来た?」
「今のところ3人」
「で、どうだった?本物居た?」
「居たらこんな話してねぇよ」
「あー……だよなぁ」
「もう銀色の染め粉も紫の点眼も売らない方が良く無いか」
「規制しても作るやつはいるだろう。無駄じゃ無いか?」
「まあ、確かに」
「フィティルオーナ様、早く見つからないかなあ」
「本当になぁ」
最後には二人して溜息を溢し、肩を大きく落とした。その動作に困り眉の女は冷や汗を流す。ドッドッドッと心臓は早鐘を打ち、口から出てきそう。万が一に備えて口元を手で隠した。
(なんでこんな事になっちゃったんだ)
フルフルと震えている体を止める事もせず、女は何度も頭の中でそれを繰り返す。
何故自分なのか、答えのない問い掛けを自身に投げる。騎士達の話題が次に移ったのを確認した女は壁に背を預け、誰も居ない廊下にずるずると座り込んだ。
―――『フィティルオーナ様』
彼らの言っていた言葉がぐるぐると頭の中を巡る。自身にしか聞こえない声でフィティルオーナと呟いた。呟いた声は騎士達の雑談と鳥の声にかき消える。吐き出したい息を飲み込んで、女は頭を抱えた。
フィティルオーナ、とはこの国の皇后となる者の名称である。由来はこの国、神聖カラブリア帝国の建国神話まで遡らなくてはならない。
神聖カラブリア帝国、この国は極北にある島国である。島国と言っても国土は広く、大陸との距離も離れている為、独自の文化を持ってはいるが、世界の中で栄えている国の一つである。一年中気温が低く、一年の三分の一は雪に閉ざされている。だが、皆慣れているので不便はない。また、この国は魔法が発達している。だからだろう、雪の中でもその景色を楽しむだけの豊かさがあった。
さて、そんな神聖カラブリア帝国の成り立ちだが、これには二柱の神が関係する。
男神クインツィアートと女神フィティルオーナだ。
元は何もない、岩石だらけの荒野だったというこの島に女神が祝福を、男神が知識を与えた。
女神の祝福は土地を豊かにし、作物が多く実ったと言う。またそれに伴い畜産も発展し、人々が餓えることは無くなった。
男神の知識は人々の生活を豊かにし、様々な産業を作り、発達させた。そして知識を得た人間は組織を作った。議会を作った。王を立てた。
初代皇帝はニ柱が選んだとされる。
ある青年の夢に現れた二柱は彼に王になるよう告げた。だが青年は首を縦には振らず、
『愛する者とひっそりと暮らしたい』
そう言い、拒否をした。驚いた神だったが王の資質を誰よりも持つのは彼だと確信していた為、島中の人間の夢の中で彼の存在を告示する。
神に指名された青年は周りに促され、王となった。
即位の日、青年の髪はクインツィアートと同じ太陽の様な金髪と全てを見透かす赤眼へと変化した。神の代理人となったのである。
そして女神フィティルオーナは言った。
『貴方の望む平穏はもう望めないでしょう。ですが、愛する人と共になる事は望めます。私と同じ銀髪、紫の瞳の者を見つけなさい。その者が貴方の生涯の伴侶となるでしょう』
王は言われた通り、銀髪、紫眼の女を探した。女を一目見た王は直ぐに恋に落ち、妻とした。女も王を愛し、公私共に王を生涯支え続けたと言う。
神聖カラブリア帝国の皇帝は血筋により決まると言われている。この長い歴史の中で簒奪を企てられた事は当然何度もあった。だがどれも皇帝にはなれず、処刑されている。何故なら即位式の際に髪色と瞳の色が変わらなかったからである。変化する事が皇位を継ぐ者の絶対条件、それを満たさぬ者を神は許さなかった。
それに対して皇帝の伴侶、皇后は血筋関係無く現れる。皇帝が即位して暫くすると髪色と瞳の色が変化するのだ。不思議と既婚者は変化しない。女神が何かしらの配慮をしているのだろうと言われている。だが過去には恋人が居るのにも関わらず変化した人物も居たらしい。建国して1000年程経つが、はっきりとした基準は未だに解っていない。
フィティルオーナの写身に伴う変化を『月祝印』と言う。その印が出た者は出来るだけ速やかに申し出なければならない。皇后となるのだ、当然だろう。
「本当、どうしよう」
未だ廊下に座り込み、絶望している女、ティアンナはガシガシと自分の頭を乱暴に掻く。仕事柄短い爪でも頭皮に少しの痛みを感じた。
数本抜けた生まれながら栗色の髪をじっと見て、溜息を漏らす。いつも困った様に潤む緑色の瞳は下がった眉のせいか泣き顔にも見える。その顔のまま、左手の人差し指に嵌っている指輪を見た。
シルバーの華奢な土台にアメジストが可憐に鎮座している。何度見ても指にあるそれに、これが現実なのだと思い知らされる。
「なんで私に月祝印が出ちゃうの」
緑色の瞳から困惑が落ちる。突如吹いた風が一つに縛った栗色の髪を揺らした。
ティアンナ・ブロアーテ。なんの変化も無い彼女が実はフィティルオーナの写身だと誰が信じるだろう。
アメジストの指輪が笑う様にキラリと光った。