宣言
パーティーに出席するなら婚約者のエスコートが必須なのだが、三番目の息子が私をエスコートするはずもなく、一人で公爵家のパーティーに出席した。それは、ルイーゼも同じで、こちらはレオンジェスが騎士として会場警護をしているから一人だ。学生の身分で警護というのも不思議だが、良い実入りになるから選んでいるらしい。
「ルイーゼ」
「フローレンス、そのドレス綺麗よ」
「貴女も綺麗よ」
お互いにドレスを誉めあったところで会場に入る。エスコート役がいないことを面と向かって言えるほど、ガルダイア公爵家の名は低くない。今回のパーティーも同じ公爵家ではあるが、格が違う。
「珍しいわね」
「珍しい? 何が?」
「あれよ、あれ。三番目の息子が招待されてるのよ」
私が見つけたのは、三番目の息子と仲睦まじい男爵令嬢が人目を憚ることなく、寄り添っている姿だ。あれは、寄り添っているというよりも、しなだれるというのが正しい。
「あれ、歩きづらくないのかしら?」
「歩きづらいと思うわよ。ほら、転びそうになってるもの」
「あら、ほんと。ついでに助けようとしたレオンジェスがヒールで踏まれたみたいね」
王族でありながら三番目の息子はパーティーに招待されることが少ない。それは出自が大きく関わっている。そして、今日の主催者である公爵家は、王妃を支持している数少ない貴族で、三番目の息子は皆勤賞だ。
「皆に聞いて欲しいことがある」
主催者の挨拶よりも先に壇上に上がって、三番目の息子が宣言した。腕に男爵令嬢を引っ付けたままに。
「あら、もしかして流行りの婚約破棄かしら?」
「ルイーゼ?」
「知らないの? 政略結婚を嫌がった貴族が大勢の前で宣言して既成事実を作るのが隣の国で流行ってるのよ」
「そんなもの流行らないでよ」
「小説でね」
「紛らわしいわね」
ルイーゼが投資先に選んだ商会は主に書籍を輸入している。それをお茶会で紹介すると、それを求めて令嬢たちが購入してくれる。
「良かったじゃない。フローレンス」
「婚約期間最短記録を更新できそうね」
「愛人を引っ付けて言うのが、決まりのようよ」
「そうなのね」
何を言っても良いが、せめて数少ない支持者には事前に知らせておくのが親切だと思う。制止することもできずに、公爵家の当主は困りきっている。
「私の側近であるレオンジェスのことだ。皆も知っての通り、タルメニ家は金に物を言わせて、レオンジェスに婚約関係を強要している」
タルメニ家とレオンジェスの家ーーアルダルナ侯爵家ーーが婚約関係なのは知られているが、同時に、アルダルナ家がタルメニ家の名を好きに使っているのも知られている。強要しているとは誰も思っていない。
「王族である私の権限でタルメニ家のルイーゼには、婚約破棄を申し渡す。さらに、レオンジェスへの精神的苦痛への償いとして、三十年間の慰謝料の支払いを命じる」
王妃を支持している公爵家では、三番目の息子の発言を止めることも否定することもできない。まさか自分たちの婚約破棄とは思っていないルイーゼは、飲んだシャンパンが気管に入り苦しんでいる。うつ向いているのを見て三番目の息子は、ルイーゼが反省していると思っているようだ。
「己の極悪非道な所業を悔い改めよ」
「殿下」
「公爵、私は王族として見て見ぬふりはできない。場を貸してくれて感謝する。公爵の忠信は父に必ず伝えよう」
王妃を支持している公爵の忠信を伝えられたところで、国王陛下からは苦言を賜るだけだ。むしろ、側妃の実家の公爵家から睨まれる。
「ハンフリー様」
「レオンジェス、私はお前の忠義に応えたかった。これで悪女から解放される」
「ありがとうございます。このご恩は忘れません」
一体、何の茶番劇なのかと思うが、当事者の一人であるルイーゼのことは置いてきぼりだ。ようやく気管に入ったシャンパンの苦行から帰って来たルイーゼは、ハンカチで滲んだ涙を拭いた。わざと勘違いをさせるようなことをしたわね。
「ルイーゼ、帰りましょう」
「えぇ」
後のことは主催者である公爵に任せることにして、ルイーゼの肩を抱いて馬車に乗る。肩を震わせているルイーゼは、おそらく笑いを堪えている。気づいているのは私だけだろうけど。
「くふふふ、はぁ、ははははは」
「ルイーゼ」
「あぁ、おっかし。婚約破棄を自分の口からじゃなく、あの方に言わせるなんて、さすがの私もびっくりだわ」
「えぇそうね。ふふふ、笑いを堪えるのに苦労したわ」
馬車の中なら会話を聞かれる心配もない。淑女らしからぬ笑い声を上げる。これでルイーゼの婚約破棄は噂ではなく、真実として広まる。
「あの方が宣言したのだもの。箝口令を敷くこともできないから、真実として伝わるわね」
「これから大変ね」
「えぇ、あちらの家が、ね」
「まさか慰謝料の額の方が少ないなんて思いもしないでしょうからね」
アルダルナ侯爵家が好きに使っているタルメニ家の金は、慰謝料の三倍だったりする。つまり、単純に使える額が減る。さらに、タルメニ家が援助しているから付き合いを続けていた家も今回のことで手を引くだろう。
「父にすぐに伝えないといけないわね」
「私も母に伝えておくわ」
「頼もしいわね。マドリーナ小母様なら明日の昼頃には伯爵家までには伝わっているでしょうから」
笑いが止まらないまま馬車はタルメニ家に到着した。エスコート役のいないルイーゼが早い時間に帰ってくるのは、いつものことで執事が出迎える。
「お休みなさい」
「えぇ、お休みなさい」
家に到着すると、すでに事情を知っているお母様が玄関で待っていた。ただの事実確認だ。
「お帰りなさい。フローレンス」
「ただいま戻りました」
「それで、ルイーゼは婚約破棄されたのかしら?」
「えぇ、されましたわ」
「まぁ、それはそれは、お気の毒ね。あちらの家が」
高笑いをしたお母様は、自分の部屋に戻る。これから目ぼしい家に事実を認めた手紙を朝一番に届けるために徹夜をするのだろう。
「お嬢様。旦那様より今日は、ゆっくり休むようにとのことです」
「ありがとう。湯に入ってから眠るわ」
「かしこまりました」
ドレスを脱いで、湯船に浸かると体が解れるのが分かる。髪を乾かすのをエマに任せると、用意された軽食を食べる。部屋で食べるからマナーを気にせずに好きなように食べた。
「お嬢様。お茶のお代わりはいかがですか?」
「貰うわ。エマも座って」
「はい。失礼します」
エマが淹れた紅茶を飲んで、パーティーであった婚約破棄騒動を話す。侍女たちの横の繋がりというのは無視できない。
「婚約破棄を自分の口から言わずに、他人任せですか」
「そうなのよ。これから大変よね」
「詳しくは存じませんが、慰謝料程度の額では無理なのでは?」
「無理ね。だけど、慰謝料の金額は法律で決まっているから減額はできても増額はできないわ」
婚約破棄に伴う慰謝料は爵位に応じて上限が決められている。これは、無理難題な慰謝料を求められて没落することを防ぐためだ。だから、慰謝料の増額を求めることは禁じられている。いくら家計が火の車でも関係が無かった。
「それに、婚約破棄の理由が金で支配していたから。それなのに慰謝料以外の金を受け取ることは、もう一度、支配を望んで受けることになるのよ。せっかく三番目の息子が悪縁を絶ち切ってくれたのに、そんなみっともないことできないわ」
「アルダルナ侯爵家は、どうなるでしょうか?」
「縁戚から借りるのではないかしら? 返す当ての無い借金でしょうけどね」
紅茶を一口飲んで、深く息つく。時間にすれば短くともパーティーは疲れる。しかも三番目の息子が騒動を起こした。両家の当主が決めたことではないにしても、すでに既成事実として貴族たちに広まっている。
「エマ、明日は王城に呼ばれるだろうから支度しておいて」
「かしこまりました」
今回の婚約破棄は、三番目の息子の独断で行われたことだが、無能な婚約者が手を煩わせたと考える人がいる。それは三番目の息子を産んだ母親である王妃だ。正式に決まる前から婚約者としての心得や王子妃として王子の支え方など事あるごとに呼び出された。十中八九、息子の手を煩わせたとして叱責のために呼び出される。
気の済むまで話に付き合わされるから朝食は遅めに、そしてしっかりと食べる。以前に呼び出されたときは昼食前で、さらに王妃の食事が終わるまで待たされた。こちらは茶の一杯も飲まずに待たされることとなり、さすがにそれは問題視された。
「料理長より焼き菓子を用意したとのことです」
「ありがとう」
社交界に出てもいない令嬢を呼び出して飲まず食わずは、数少ない支持者たちからも評判が悪かったらしく、王妃は居心地が悪い思いをした。だが、そこで反省するのではなく、事前準備を怠ったと小言を頂戴することとなった。
「今日は帰れるのかしらね」
「立ったまま夜を明かさせるのではありませんか?」
「洒落にもならないわね」
案内された応接室では、侍女と騎士を後ろに侍らせた王妃がソファに座っていた。王族に向けた挨拶をすると声がかかるまで待つ。
「貴女は一体、何を学んでいるのかしら? 聞きましたよ。ハンフリーの手を煩わせた、と。何度言ったら分かるのですか? 婚約者ならハンフリーの考えを理解し、雑事を片付けるべきでしょう」
「申し訳ございません」
「謝るだけなら誰でもできます。本当に無能なのだから。陛下にも何度となく別の優秀な令嬢を婚約者にすべきと申し上げているのに。他には婚約者がいるとか。そんなもの王命で破棄すれば良いのです」
頭を下げたままは辛いけど、上げて叱責されたことがあるから仕方ない。王妃は人に傅かれるのと支配するのが好きだ。つまりは、優越感に浸りたい。
「国のために貴族は従う。それが貴族のあるべき姿だと言うのに、従わない貴族の多いこと。あぁ、従わないと言えば、貴女はハンフリーに従わなかったと聞いていますよ」
「申し訳ございません」
「国王となるべき者には、側妃がいて当然なのです。それを許可できないなどと、王族の言葉に否を唱えるとは。不敬罪で処断したいところですが、仮にも公爵令嬢ですからね。次は無いことを胆に銘じなさい」
そろそろ足が疲れてきたところで、侍女が王妃に耳打ちをした。昼食の時間になるのだろう。
「話は昼食が終わってからです。そのままで待ってなさい」
「かしこまりました」
王妃が退出すると、私は体を起こした。命令に背いたことになるが、誰も咎めない。それもそのはず。ここにいるのは、側妃のために用意された使用人だからだ。
「ガルダイア嬢。こちらで休憩をなさってください」
「ありがとう」
はしたないが靴を脱いで侍女の指圧を受ける。王妃が戻るまで騎士たちは外で待機する。本来なら私も退出しなければならないが、王妃からの命令で挨拶をした状態で待機していることになっている。
「王妃は陛下と昼食を摂られたあと、夫人たちを招いてのお茶会の予定です」
「つまり、晩餐前までは戻られないということですね」
「はい。そして、そのまま晩餐に出られてお休みになるかと思われます」
エマが言った冗談が現実味を帯びてしまった。このまま帰っても侍女や騎士たちは、私の不在を誤魔化してくれる。だが、王妃の所業を陛下が咎めることは、まず無い。これは、王妃が嫁いできたことに大きく関わり、今度こそ面倒なことになる。
「どうしましょうね」
「ガルダイア嬢。エマ様をお呼びしております。何か召し上がっては如何でしょうか」
「そうするわ」
王妃を敬っているように仕えているが、実のところ側妃による監視をしているに過ぎない。陛下が使えない以上、仕方ない。
「お嬢様」
「エマ、今日は城に泊まるわ」
「かしこまりました。一度、邸に戻り報告して参ります」
エマが邸に戻ることで、私が王妃によって城に止め措かれることがお母様に伝わる。そして、お茶会が始まるまでの間に、今日の参加者全員の耳に入っている。王妃はさぞ居心地の悪い思いをするだろう。
「ガルダイア嬢。昼食の準備ができました」
「ありがとう」
応接室で食べると知っている料理長はフォークひとつで食べられるものを用意してくれた。時間稼ぎのために陛下たちに出されるのは、食べるのに技術がいるものが続くだろう。このことで陛下は、私が王妃に呼び出されていることを知る。知ったところで何もしない。
「昼食が終わられましたら、私どもはお茶会の準備のために席を外します。部屋の外で騎士が待機しますので、ご安心ください」
「分かったわ」
食べ終わった頃にエマが戻って来た。バスケットには時間を潰すための本が入っている。
「奥様からです。楽しいお茶会になりそう、とのことでございます」
「いつもながらに早いわね」
「同感です」
エマは勝手知ったるとばかりに紅茶のお代わりを淹れている。