突入
この学院は学年ごとに棟が分かれている。だから学年が違えば会うことも少ない。そう思っていた私は甘いのだろうか。
「また来てるわよ」
「ゆっくり昼も食べさせてくれないのね」
三番目の息子と愛人は入学してから一ヶ月の間、毎日欠かさず三年生の棟に来ては、昼食を摂っている。それぞれの学年棟にも食堂はあり、同じ内容が提供されている。むしろ一年生の棟からこちらに来るだけで大幅な時間の無駄だ。
「ここに居たのか。探しただろう」
「婚約者なのに王子に手間をかけさせるなんて最低ね。もう一度、マナーを勉強したらどう?」
「ご用件は?」
顔見知りでもあるし、もう三年も同じなのだ。食堂の席など暗黙の了解で決まっている。だが、入学式が終わって一週間で学んだのだ。毎日欠かさず来るのなら席を変えてしまおう、と。学友たちには申し訳ないが、これもゆっくり食べるための苦肉の策だ。
「あぁ。エルシーが婚約者と交流した方が良いと言うので来てやったのだよ。本来なら王族に足を運ばせるなど以ての外だが、エルシーが言うから許してやろうと思っている」
「さようでございますか」
このやり取りも今日で一ヶ月だ。いい加減、聞き飽きた。つまりは、私がいかに駄目な婚約者か、いかに素晴らしい愛人ーーエルシーーーか、この二つを見せつけたいだけのことだ。
「明日は、そちらから来るように」
「私お腹空きました」
「そこのお前、持ってこい」
無駄に関わりたくない者は、さっさと言う通りに食事を運んで立ち去る。予鈴がなる前に退散し、教室に向かうのが賢いやり方だ。食べ終わった食器は、自分で片付けなければいけないのだが、彼らは放置する。
「いっそのこと出入り禁止にしてくれないかしら」
「一ヶ月じゃ無理ね。我慢よ、ルイーゼ」
「次の授業は何だったかしら?」
「領地経営学よ。三番目の息子が大好きな」
領地経営は規模の大きさの違いはあれど、基本は同じだし、嫁ぎ先で夫が不在の時には家を守らねばならない。これは、王族も同じだ。実際に経営することは無くとも貴族たちが正しく運営できているか判断しなければいけない。
「騒がしいだけなのよね」
「一応、私たちの実地訓練なのだけど、ある意味実地訓練かしらね」
王家直営の領地経営を模擬実践するのが三年生の課題だ。領民の数から税収、天候から農作物の収穫量を考えて運営する。実際は王宮の文官が運営するから民には影響が無いが、最適かどうかは判断される。
「みなさん、課題を提出してください」
それぞれが考えた領地運営計画書を提出する。そのあとは、過去に起きた災害に対する対応策を学ぶ。
「今から三十年前に、川の氾濫により領地が水没した地区のことです。みなさんは何が大切だと思いますか?」
「そんなのは簡単だろう。水没していないところに引っ越せば良い。むしろ川の氾濫を防げない領主は無能だ。すげ替える必要があるな。当時の王家は何をしていたんだ?」
腕にエルシーを引っ付けた状態で三番目の息子は自慢げに案を発表した。天災ということもあるし、対応しなければならないのは川の氾濫だけでは無い。
「だいたい過去のことを聞いても役に立たないだろう。それより、宝飾品の店を増やす方が良い。娯楽に金を使えば経済は回る。これは子どもでも分かる理論だ」
「・・・今は三年生の授業です。一年生の棟にお戻りください」
「私は王族だ。すでに習ったことを聞くのは時間の無駄だ。むしろ三年の授業も私には不要だと思うが、聞いてやろうと言うのだ。感謝しろ」
「さすがです。ハンフリー様」
エルシーが名前を呼んだことで、三番目の息子がハンフリーという名であったと思い出した貴族は多い。名を呼ぶのは不敬だという王妃の意向とその息子は、肩書きで呼ばれている。内心では、あの女やあの息子という辛辣な言い方をしているが、表では取り繕う。それが貴族というものだ。
「そうですか。では、授業を進めます」
王族なら何をしても許されるということは無い。それは、貴族も同じだが王族は特に気を付けなければならない。
「では、例題です。この地区は税収が少ないことが問題ですが、治安はまずまずです。この問題を解決する方法を考えてください」
「そんなものは簡単だ。税率を上げれば良い」
簡単に言うが、そんなことをすれば領民は他のところに移る。そして、いつかは領地が滅ぶ。
「税収が上がれば領地が潤う。問題など何もない」
これが正解だと思っているなら王族の教育は、どうなっているのか。
「ねぇ、ハンフリー様」
「どうした? エルシー」
「税率を上げなくても、あるところからもらえば良いのよ。だって持たざる者に施すのが貴族の義務なのでしょ?」
もっともらしいことを言っているが、二人ともその場しのぎの案でしかない。どうせ言葉だけだ。それに三番目の息子が上に立つことはない。
「教わることなど無いな。エルシー行こう」
「私、喉が渇きました」
「カフェでお茶でもするか」
授業を引っ掻き回すだけ回して去っていく二人を安堵の溜め息で教師は見送っている。あの様子だと今日、午後から歓迎会だということを忘れていそうだ。
「今日の授業は、ここまでにします」
教師の合図で思い思いに歓迎会の準備に移る。制服から正装に着替えて新入生を迎える。
「ねぇ、来ると思う? ルイーゼ」
「そうね。来ると思うわよ。ただ、騒ぎがありそうだけどね」
「そろそろ着替えに行く?」
「コルセット締めないといけないからね」
「学院のパーティーくらい無しにして欲しいわ」
学院主催だから酒は無いが、軽食は出る。会が始まるまで、摘まみながら待つのが定番だ。
「まぁ、ほとんどの新入生は誰かしらのエスコート役がいるわよね」
「婚約者がいながら他の令嬢をエスコートすることは、まず無いわよね」
「そのまず無いことが起きたわよ。貴女の婚約者よ」
ルイーゼが視線を向けた先に居たのは、三番目の息子とその愛人だが、何か怒っているようだ。二人とも制服姿だ。この会場では浮いてしまっていた。
「おい! どういうことだ」
「どうかされましたか?」
「どうして歓迎会があることを教えなかった! お前はエルシーに嫉妬して嫌がらせをしたんだ」
歓迎会のことは入学式でも伝えられているし、ここ一週間はドレスの発注を忘れないように通達される。令息は制服をベースにフロックコート寄りに仕立てられる。
「何度も通達があったと思うのですが、お聞きになっておりませんか?」
「いつだ? そんなものは聞いていない」
「おかしいですわね。それに歓迎会は学院が始まって以来、毎年行われてきました。知らぬ、というのも難しい話かと」
歓迎会を純粋に楽しみにしていた新入生は、騒ぎ立てている三番目の息子と愛人を冷ややかに見ている。その視線に気付いて三番目の息子は、エルシーを連れて会場をあとにする。
「あれだと、まだまだ言いがかりをつけてきそうね。フローレンスは、どう考える?」
「私に虐められたと言い出すんじゃないかしら?」
騒ぎなど無かったように歓迎会は始まった。私は親戚の繋がりがある家の者とは祝いの言葉と共に挨拶をした。無事に終わり、また授業を受ける日々が始まる。
「来ないわね、あの二人。何か知ってる? フローレンス」
「歓迎会での騒ぎが陛下の耳に入って、叱られたそうよ」
「なにそれ。お父様に叱られたら大人しくするとか、子どもね。フローレンスも子守りが大変ね」
愛人の方も三番目の息子がいなければ、単独で突撃する勇気は無いようだ。カフェと違い逃げ場が無いからだろうが、安全なところから喚くなど小物だと吹聴しているのに、気付かないようだ。
「あんなに大きな子を持った覚えは無いわ」
「それで、婚約解消はしないの?」
「しないわ。だって政略結婚って、そういうものでしょ?」
私が三番目の息子と結婚するのは有益だからに過ぎない。どの貴族からも難色を示されている三番目の息子と結婚してくれるというだけで、国王から感謝されている。たいていの無理難題は国王権限で押し通してもらえる。
「政略結婚って、そういうものじゃないと思うけど、そういうことにしておくわ」
「私が政略結婚することで、貴女の家にも益があるじゃない」
「そうなんだけどね。父なんかは悦んでるわよ」
三番目の息子と結婚したあと、私は愛人を持つことができる。それは、元婚約者であるルイーゼの兄だ。そして、私が子を産めば、相手が誰であろうと、三番目の息子の子として扱われる。
「我が侯爵家に他国の王族の子が産まれるって」
「血筋はともかく、扱いはそうなるわね」
「侯爵家が他国の王族を貰い受けることなんて天と地がひっくり返っても無いのよ」
私とルイーゼの兄は、国が認めた公式の愛人関係となる。法律上、子どもは父親の籍に入る。つまり、国王の三番目の息子の子どもが、侯爵家嫡男の子どもという、ややこしい状況が出来上がる。
「それにね、フローレンス」
「それに?」
「私の婚約が解消されそうなのよ」
「解消されるのに、どうして嬉しそうなのかしら?」
「ふふふ、それはね。私の婚約者が、あのご令嬢の取り巻きの一人だからよ」
三番目の息子が見初めたご令嬢は恋多き人物らしく、見目と地位があれば誰とでも仲良くする。反対に、見目と地位が無い者へは見向きもしない。ゆくゆくは側妃になるから地位の無い者は、いないも同然という考えのようだ。
「あら、それは大変ね。あちらの家が」
「そうなのよ。この間も向こうの家からお詫びにと、宝石が贈られてきたのよ」
「宝石で許されると思ってるところが、甘いのよね」
「同じ侯爵家でも、あちらは貧乏。こちらは裕福。しかも、宝石は親戚の男爵家に用意させてるのよ」
ルイーゼの婚約者は、侯爵家の嫡男なのだが、家が貧しすぎて騎士団に学生の身でありながら勤めている。先代と当代の当主が相次いで投資に失敗し、借金がかなりの額となっていた。入ってくる税収のうち、国に納める分を除いた大部分を返済に充てている。
「今、婚約破棄になったら困るのは、あちらでしょうに」
「本当にね。どうするのかしら? いずれ婚姻して縁戚となるから、という理由で我がタルメニ家の名で豪遊している分は」
「その、いずれ、が無くなるのだから返して貰わないとね」
タルメニ家は投資にも成功し、ルイーゼ自身もいくつかの投資をして個人資産を持っている。それを充てにしているのは分かりきっていた。
新作のケーキが出たと聞いてカフェで楽しんでいると、三番目の息子の愛人が険しい顔で近づいて来る。絶対に楽しい話ではない。
「レオンジェスと別れて! お金で人を支配するなんて最低だわ。お金があれば何をしても良いというの?」
「何のこと? それよりも貴女とは挨拶もした覚えが無いのだけど」
「質問に質問で答えないで! レオンジェスは貴女の奴隷じゃないの」
レオンジェスーーアルダルナ侯爵家の嫡男で騎士団に入団ーーは、ルイーゼの婚約者だ。レオンジェスや父親が金に支配されているという方が正しいが、指摘したところで喚くだけだ。
「別れるのは構わないわ。でも、それは彼が望んでいるのかしら?」
「当たり前でしょ。お金よりも大切なものが、この世にはあるの。レオンジェスは、そのために貴女と別れるのよ」
「そう。お金よりも大切なもののために別れるのね。もし、そうなら応援するわ」
婚約が解消になりそうだというのは事実だ。実際に、その話を両家でしてはいる。ルイーゼから聞いたから間違いない。
「エルシー!」
「レオンジェス」
「どうしてカフェに? ハンフリー様が探していたぞ」
「ごめんなさい。私、どうしてもレオンジェスのために言いたいことがあって」
「エルシー、俺のために」
見つめ合う二人は恋人同士にしか見えない。ダンスでも無いのに手を握って、そして婚約者の目の前で思い合う科白を言うのだから、本当に周りが見えていない。感激をする前に、貴族としての心得を教えといてくれれば良いのにと本気で思う。
「さぁ、行こう。ハンフリー様を待たせるわけにはいかない」
「そうね」
一体、何の茶番劇が繰り広げられているのか分からないが、いなくなってくれるのは嬉しい。あとは、このやり取りが他の学生がいるカフェで行われたことを彼らが気づくかどうかだ。
「ルイーゼ様、ご婚約者様は大切なもののために解消されるおつもりなのかしら?」
「そのようですわね。大切にされているのが何かは存じ上げないのだけど」
「まぁ、そうですのね。大切なものがあるのは素敵ですわね」
ルイーゼの婚約者が解消したがっているという噂が広まった。少なくともルイーゼの家が金銭的援助をしていることは、高位貴族なら知っている。反対に、タルメニ家が援助をしているから他の家は交流を続けているとも言い換えられる。私の家もタルメニ家が援助しているから一応、アルダルナ家を侯爵家として扱っているに過ぎない。
そうでなければ落ち目の侯爵家よりも頭角を現している伯爵家のいくつかと関係を結ぶ方が有意義だ。来月の公爵家のパーティーは、この噂で持ちきりだろう。