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通達

 この国の初代国王は賢王とも言えるし、愚王とも言える。周辺国のお家騒動などを教訓に法を定めたからだ。だが、その法が必ずしも善政を敷くとは言えない。


 現に、十七代目国王の三番目の息子は、とんでもないことを言い出した。思わず私は紅茶を飲む手を止め、ゆっくりとカップをソーサーに戻す。正面に座る婚約者となった国王の三番目の息子とその隣のーー多少、居心地悪そうに座っているーー令嬢を見据える。令嬢は居心地悪そうに座っているのであって、実際に居心地が悪いわけではない。その証拠に口元には勝ち誇った笑みが隠しきれずに浮かんでいた。


「今、何とおっしゃいましたか?」


「うん? 聞こえなかったかい? 君との婚姻が済んだら彼女を側妃に迎えたいんだ」


 王妃に良く似た甘い顔立ちで、穏やかな口調で話すからと言って性格が良いとは限らない。聞かなかったことにするという私の行為を無下にした三番目の息子は、愛人を容認しろと命令してきた。本人からすれば当然の権利であって、命令しているつもりも無いのかもしれない。


 カップをもう一度、持ち上げて少し冷めた紅茶を一口飲んでから私は気付かれないように溜め息を吐いた。笑顔で私の返答を待っている彼は、自分の願いが叶うと信じている。


「それは許可できませんわ」


「今、何と言ったのかな?」


「それは許可できませんわ、と申し上げました」


 彼は笑顔が固まり、蟀谷(こめかみ)が僅かに動き動揺しているようだ。それもそうだろう王族という立場上、否定されたことなど無い。奇しくも、先ほどの私と同じ言葉で聞き返してきた。


「それは王族である僕の言葉を拒否したということかい?」


「えぇ、今のわたくしでは許可できませんもの。こればかりは王族からの命令でも従うことは、できかねますわ」


 この国の法では、国王もしくは王太子は側妃を持つことを権利として認められていた。条件は多数あるものの、伴侶の許可を得ることという決まりがある。


「君は法を勉強した方が良いようだ。建国の時より定められているように、側妃になる者の身分は問わないとある」


「存じておりますわ。隣に座っていらっしゃる方が男爵令嬢であることも」


「なら、なぜ許可をしない? 僕の寵愛を独り占めしたいのかな? それなら心配はいらない。君のことを正妃として扱うつもりだ」


 法を勉強した方が良いのは彼の方だ。確かに側妃の身分を問わないと明文化されている。暗黙の了解で貴族令嬢からということもない。五代前の国王の側妃は娼婦だったし、過去には何度も平民の女性が側妃になったことがあった。


 政略的に結ばれた婚約ではあるし、私も寵愛を求めてはいない。側妃を持ちたいのなら勝手にしてくれというのが本音だ。初対面の顔合わせで、側妃候補が同席していようとも、免疫の過剰反応で食べることが、できない菓子ばかり用意されようとも、腹のひとつも立たない。


「先ほどより申し上げておりますように、許可できないのは、わたくしの立場によるものですわ」


「婚姻をしてすぐに側妃を迎えたら体裁が悪いということを気にしているのかな? それは問題ないよ。僕の()も婚姻と同時に側妃を認めたが、何も問題はなかった」


 問題がなかったというよりも起こせなかったというのが正しい。あの当時、問題があれば国際問題に発展し、今頃、我が国と彼の母の国とは戦争状態になっていた。仕方がなかったこととは言え、あの母にして、この子ありというのが、お手本のように見られる良い例だろう。


「分かりました。そこまで仰るのなら側妃を許可させていただきます」


「あぁ、用件は済んだから帰っていいよ。エルシーと約束があるから」


「かしこまりました。失礼します」


「あぁ、そうだ。君の名前は? 知っておいた方が良いだろうからね」


「フローレンス・ガルダイアにございます。ガルダイア公爵家の次女になります」


 挨拶と共に一度は名前を告げているし、婚約者となる者の名前くらいは事前に教えられているはずだ。それなのに彼は、名前を聞いた。覚える気など初めから無いのは分かりきっていたが、これが仮にも王族の末席に当たる者かと思うとため息が出てくる。


 聞いておきながら興味を失った彼は、男爵令嬢と仲睦まじく話している。王族なら何をしても良いと考えている証拠だ。だが、それで良い。下手に私に寵愛を持たれても困るからだ。


 付き人として連れてきた侍女と共に私は、公爵家の紋章が入った馬車に乗り込んだ。柔らかい座席に座ると、途端に疲れが押し寄せてきた。侍女は何も言わずに扉を閉めると、御者に合図を出す。ゆっくりと馬車は走り出した。


「お嬢様、大丈夫でございますか?」


「えぇ、大丈夫よ。エマ」


「差し出がましいことを。しかし、聞きしに勝る方でございましたね」


「本当に、ね。まさか三番目の息子でありながら側妃が持てると思っているのだもの」


 そう、彼は国王の三番目の息子であるというだけで、王太子では無い。王太子は国王の側妃ーーこの国の公爵令嬢ーーの第一王子が内々に決定している。法の下、王もしくは王太子と決まっている以上、法を改正しない限り、彼は側妃を持てない。だから許可できないと返答するしかなかったのだ。ただ、積極的に勘違いを正そうとしなかっただけのこと。


「自分が王太子になれると本気で思っていらっしゃるのかしら?」


「そのように見受けられましたね」


「我が国を危機に陥れた女の息子が王太子になんてなれるわけ無いでしょうに」


「お嬢様、お言葉使いが少々」


「あら、失礼」


 声を大にして言えないだけで、多くの貴族は王妃を嫌っている。特に王妃よりも年配の夫人たちは露骨に関わりを持とうとしない。


「お嬢様、到着したようです」


「お父様に伝えてちょうだい。着替えたら参ります、と」


「かしこまりました。お伝えして参ります」


 今回の婚約は国からの打診というよりも国王個人からの泣き言で決まった。ガルダイア公爵家としては王家と縁続きになる必要を感じていないし、嫌われ者の王妃の息子を義理の息子ともしたくない。それは、どの家も同じで、国王の幼馴染みである父に泣きついた。


「お父様、フローレンスです」


「入りなさい」


「婚約者となる三番目の息子との顔合わせを終えて参りました」


 父の執務室に入ることは、ほとんど無い。むしろ会話をすることも稀だ。ソファに座って向かい合うことに居心地の悪さを感じながら返答を待つ。


「どうだった?」


「側妃を容認するようにと打診されました」


「男爵令嬢を側に置いているとは調べていたが、顔合わせ初日だぞ」


「私が行ったときには、すでに隣に座っていました」


 婚約の話が本決まりになる前に、父は身辺調査をしていた。その結果を事前に教えられていたから隣に侍らせたとしても、取り乱しはしなかった。だが、父はそうは思わなかったようだ。


「隣に? いったい何を考えているんだ。あの若造は」


「王族は何をしても許されると思っているのでは?」


「さすが、あの王妃の息子だ」


「それで、陛下は条件を飲んでくださったのですか?」


「あぁ。婚姻後、特別に()()を持つことを認められた」


 王族の伴侶となった女性は貞淑を求められている。万が一にも王家の血筋を持たぬ者を後継ぎにしないためだ。だが、今回の婚約は王家から何の利益も無いものだ。だから条件を出した。


「普通は不敬だとして婚約を解消すると思いましたけど、認められましたのね」


「それほどまでに、他の家に年齢の合う令嬢がいないということだろう」


「三番目の息子が産まれたときに、名のある家は婚約を急ぎましたものね」


 年齢が近い令嬢のいる家は急いで婚約を決めた。もし、成長して性格が合わないなどの問題が発生したときは、婚約者を入れ替えてしまおうと紳士協定が結ばれている。かくいう私も侯爵家の次男と婚約をしていた。婚姻したら一部の領地を割譲される予定だった。


「だが本当に良いのか? 学院では婚約者でありながらお飾りになるぞ」


「かまいませんわ。私が三番目の息子に嫁ぐことで王家に貸しを作ることができます」


「そうだが、お前はまだ十八だ。家のためだけに嫁ぐ必要はない。それが貴族の義務であってもだ」


「大丈夫です。私が嫁ぐことで、他の家は我が家に強く出られませんわ。そして、わたくし自身にも」


 利益のない三番目の息子に嫁がせたくない他の家は、私が婚約者であるうちは強く出られない。これは色々と大きい。王家からの利益は無くとも国全体からの利益はある。


 まだ渋っている父は何か言いたそうにしていた。口を開く前に執事が入ってきて母の訪れを告げる。


「マドリーナが?」


「はい。お嬢様の顔合わせの首尾をお聞きになりたいようです」


「うむ・・・だが」


「いずれ知られることですわ。むしろ、すでにご存知でいらっしゃるかと」


 私は渋っている父の背を押した。社交界の淑女と呼ばれている母が今回のことを知らないはず無い。執務室に入って来た母は、扇で口元を隠しているが、機嫌が悪いのは一目で分かった。


「ずいぶんと早い帰りだったようだけど、三番目の息子は最低限の義理すら果たさなかったようね」


「その通りですわ」


「さすが女狐の息子ね」


 母は聞きたいことを聞くと、高笑いをしながら部屋を出る。おそらく明日には伯爵家までの全家に三番目の息子がしたことが知られている。


「そう悪いことにはなりませんわ」


「うむ」


 父は納得していないようだが、なるようにしかならない。それに、今回の件で政敵とも言えるバスコミダ公爵家に貸しを作ることができた。娘しかいない公爵家を存続させるには婿入りだが、そこに王妃が息子を入れようと画策した。王妃、さらに、その母国の干渉を避けたいバスコミダ家にとって、私の申し出は捨て置けない。


「では、来週の準備がありますので、失礼します」


「あぁ」


 準備は終わっているが、話し合っても仕方ないものだ。それに、あの王妃の息子が愛人を愛人のままにしておける訳がない。私とて何の対策も無しに野放しにしているつもりは無い。


 婚約者の顔合わせから入学式までの一週間、三番目の息子はエルシーと町でデートをしていたようだ。すでに側妃扱いで、高級店でドレスや宝飾品を買い漁っていると報告が上がっている。私は、その報告書を紅茶片手に読む。


「入学式は今日なのに、お飾り婚約者と噂になってるわよ。フローレンス」


「貴女も読む? 流行りの恋愛小説より面白いわよ。ルイーゼ」


「読ませて貰おうかしら。それで、開会まで一時間なのに油を売っていて良いの?」


「何のこと?」


 入学式開始までの間、私は学院のカフェでお茶をしていた。生徒の親も来るため正門も裏門も馬車で混むのだ。それを避けるために早い時間に登校していた。


 悪友と言うのがぴったりな友人のルイーゼ・タルメニ侯爵令嬢が話しかけて来た。彼女の兄が私の元婚約者だ。


「またまた惚けちゃって。例の彼が答礼の原稿が無いって騒いでるわよ」


「お飾り婚約者の出る幕じゃないわ」


「婚約者が用意を忘れたって吹聴してるみたいだけど、それでも?」


「それでも、よ」


 答礼の原稿の用意は婚約者の仕事ではない。都合の良いときだけ婚約者扱いは止めてもらいたい。ただ、誰を貶しているのかは、きっと理解していない。


 報告書を読み終えたルイーゼは満足したように息をついて紅茶を飲む。空のカップに追加を注いでおく。


「面白かったわ。続きが出たら読ませてね」


「もちろん」


「あら? 愛人さんのお出まし?」


 ルイーゼが視線を向けた先に私も目を向ける。エルシーが走って一直線に来る。面倒だから来なくて良いのに、という願いは虚しく砕けた。修羅場を期待してルイーゼは笑いを堪えている。テーブルの下で足を蹴っておく。


「婚約者なら王子を助けようと思わないんですか?」


 きちんと名乗られてもいないのに家格が下の者から説教されて答える者はいないと思う。学院では初対面の時に名乗り、許可を得られたら後は省略するという決まりがあるが、私は許可を出した覚えが無い。


 無視をするというのが正しい対応なのだが、目の前の男爵令嬢は分からないらしい。いくら何でも最低限は家で教えといて欲しい。


「聞いてるんですか? 人が話しかけてるのだから無視をするのは、最低だと思います。同じ貴族としてどうかと思います」


 それなら同じ貴族として挨拶無しはどうかと思います。これは、妹の言葉を借りるなら、おまゆう、というやつかと納得した。


「ちょっと聞いてんの!?」


 テーブルを叩かれたから視線を上げる。ルイーゼも眉間に皺を寄せて男爵令嬢を見る。


「わたくしに話しかけてましたの?」


「アンタ以外に王子の婚約者はいないでしょうが。バカじゃないの?」


「きちんと挨拶されていませんでしたので、答えなかったのだけど、答えた方が良かったようですね」


「当たり前でしょ」


「そう。で、ご用件は?」


 ここは学院のカフェだ。このやり取りは多くの学生が見ていたし、男爵令嬢が三番目の息子の愛人だと知っている。


「婚約者なんだから王子の役に立ちなさいよ。答礼の原稿の用意は、婚約者の役目なんでしょ!」


「あら、そんなお役目があるとは存じませんでしたわ。だとしたら第二王子殿下は答礼の原稿をどうなさったのかしら? 婚約者がいらっしゃるけど、留学なさっていましたし」


「もう良いわよ! アンタなんかに頼んだ私がバカだったわ」


 答礼の原稿は定型文が学院で用意されている。そこにどう手を加えるかが腕の見せ所だ。ルイーゼは男爵令嬢が見えなくなってからお腹を抱えて笑う。


「あーおっかし」


「笑い過ぎよ」


「だって、下手な芝居より面白いのよ。これを笑わずして何を笑えって言うのよ」


 三番目の息子は、愛人を横に侍らせて学院が用意していた定型文をそのまま読み上げた。毎年、何かしらの変更があるため、ほとんどの学生は定型文だと気付いていない。


 入学式も無事に終わり、私も留年することなく三年生に進級できた。

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