第314話◆下準備
想像する構図を完成させるべくして出した指示は、二人の特徴を、俺が念頭に置いて出した物。
ナコにはその小ぶりな体格を活かして、亭主の作りかけの料理をカウンターに並べて欲しいとお願いした。
エミリオに向けては具体的な騎士の数の偵察と、可能な限り見込みの高い逃走経路の考案。
窓から俺達の姿が計画が全てご破算になる
この建物において窓を避ける必要のないナコは、群を抜いて構図の作成に適役だ
当の本人はこの役を地味だなんだと言い、終始不服そうだったが、何やかんや引き受けてくれて今に至る
現在、エミリオの方は二階の廊下から東西南北の敵の人数を数えてくれている頃だろう。
そして、かく言う俺は今、ナコの行動を見届ける事、それと酒場の入口前で敵の動きを監視し続ける事を並行して行っている
「弓は構えて一向に突入してくる気配は無い、か⋯⋯」
入口を見張ってはいるが、敵はずっと弓を構えているだけで全く動きを見せない
騎士団に寝返ってしまった杏華は、隊の矢面で腕を組んで立ち往生⋯⋯
作戦は順調に進んではいるものの、騎士達の行動に、俺は強い違和感を覚える。
何か妙だ⋯⋯何でアイツらはずっと待ちの体制を崩さない?
あの人数なら今にでも突入して来ても、おかしくはなんとも無い
アイツらの実力は本物で、数にも劣る俺達を取り押さえる事なんて訳無い⋯⋯まぁ、そのおかげで助かってる節はあるのだが⋯⋯
ましてや気の早いモンドレッド騎士団なら尚の事、網を張る事をもどかしく思うに違いないはず⋯⋯
「ナコ、そろそろ終わりそうか?」
なにか俺達の想定を超える次の一手を切り出される前に、早い所、変化の術の段階にありつきたい所だ
そこで俺は、一箇所に重点的に料理を置くナコの後ろ姿を、気持ち小さな声で呼び止めた。
「もうちと堪忍せい。全く、芳しい匂いを目前に欲を抑えるなぞ、お主は妾にとって実に酷な事をやらせよる⋯⋯」
この様子じゃ、まだ終わりそうにないか⋯⋯
幸い騎士団も出方を探るだけで、しばらくの間は思い切った行動には踏み出しそうにない
杏華がどこまで話したかにもよるが、この場で唯一。騎士団を誤魔化し通せる可能性があるのは俺だ
最悪、俺が白を切り通せば変化の術で2人はやり過ごせる
⋯⋯あくまでの手段だが、策は多ければ多い方が多い。後にも先にも万策尽きないように
それはそうと、そろそろエミリオから近況報告を受けないとな
逃走経路、見つかってると助かるが⋯⋯まぁ、望みは薄いよな
「ナコ、一階は頼んだ。俺はエミリオから今の形勢を聞き出してくるから」
「⋯⋯無駄話はせんように頼むぞ」
軽く頷いたナコからは、早く戻ってこいとのお達しが来た
二つの意味で、ナコを1人にしておくのはあまりよろしくない
攻められた時もそうだが、それよりもアイツが作戦に必要な料理に手を出さないかが問題だ
とにかく持ち場を離れすぎないよう、気をつけるか
〜
2階の廊下へと戻り、窓から偵察するエミリオの元へと訪れる
「どうだ、逃走経路は見つかりそうか?」
「⋯⋯歩兵80人、弓兵40人に騎兵が20人。おまけに魔法兵が30人⋯⋯努力はしてますが、手薄な所はなさそうです」
魔法兵30人か⋯⋯難しい所だ
騎士団に所属した魔法使いは上位魔法の使い手も多い。
そうなると、扱う魔法によっては、ナコの変化の術が見抜かれる可能性もあるな⋯⋯
「指揮官らしき人物は居たか?」
「⋯⋯」
エミリオが目を閉じて、無言で首を横に振る。
「今の所、そう見えるのは杏華と言う女の子だけです」
「⋯⋯⋯」
やはり隊を統率しているのは杏華に違いないか。人を先導することを不得手とした彼女が施した物とは思えない陣容ではあるが⋯⋯
この様子じゃ、否定しようにもしきれないな。
それに杏華の奴、華奢な姿を維持してはいるが、筋肉も以前とは比じゃないレベルに仕上がっている
学生だった事が嘘のように感じられる気迫⋯⋯あれは、本当に杏華なのかすらも疑ってしまう
「⋯⋯そちらの状況はどうです?敵の動向や神狐様の動き、など⋯⋯」
「手筈通り進んでる。アイツは不満そうだったのは置いておくとして、今の所敵の突入する気配はないな」
小手調べとして動きを監視しているのか、何かしらの意図があっての行動なのか。
何もかもが疑心暗鬼になる状況下において、適切な判断を下せるエミリオの存在は凄く頼もしい
気がかりは多いが、このまま騎士団が監視をかまし続けてくれれば、こちらとしても何かと都合がよい
⋯⋯そんな中でも、エミリオは相手の動きがを訝しんでいるようで、腕を組み、悩む表情を見せる
「どうかしたのか?」
「⋯⋯どうも緩慢な足取りだなと。掌で踊らされているような⋯⋯そんな感じがしてならないんですよ」
「考え過ぎ⋯⋯とも言い切れないのが現状だからな」
用心深く行くか。そろそろナコの方も下準備が終わった頃だろう
「じゃあ一旦、ナコを二階に連れてくるよ。彼女の意見も聞いて再度作戦会議と行こう」
「了解です。でしたら私は監視を続けますね」
俺は頷き、そのまま再び階段を下りる。
極力足音は立てないよう、窓から身体が見えないように体勢は低く。
一歩、一歩、ゆっくりとつま先だけで降りる
下の階へと近づくことで、良い方向へと変わり果てた下の階のその光景がどんどんと視界に広がっていく────
⋯⋯そこには、俺達が初めて訪れた時と遜色ない程に整った酒場がある。
無造作に倒れていた椅子は元の場所に、まるで今の今まで例え矢を向けられていた状況下でも営業していた感じを匂わせるような雰囲気。
複数のテーブルの上には飲みかけのお酒入りジョッキ、申し訳程度の料理⋯⋯
想像以上だ。まさかナコがこんな所でセンスを発揮するとは⋯⋯驚いた
「よし、これならば彼奴も満足するじゃろうて」
満足そうに腕を組み、独りでに頷くナコの後ろ姿。
俺は身長の都合上、屈みながら近づかないと行けない。
ようやくナコの肩に手が届く位置に。
そのまま俺はゆっくりとナコの肩を手で叩こうとした瞬間──
「おっ?!」
ナコが突然、動き出した
右腕が一瞬だがナコの前方へと行き、急に身体を右に捻っては右腕をこちらに向けて振り抜いてくる──
同時に、右手に哀炎猛牙を生み出してその刃が俺の喉元を切り裂く寸前
「⋯⋯⋯」
哀炎猛牙が首の横の瀬戸際で止まり、ナコが手を止めて少し経った後に、それは妖力の粒子となって消滅する
「⋯⋯驚かせおって。何者かが潜入してきよったかと思うたではないか」
「す、すまん⋯⋯」
俺の気配に気づいていなかったのか
ナコは俺を敵の気配と勘違いし、攻撃を仕掛けてきたらしい
もう少し気づいてくれるのが遅かったら、俺は確実にあの世行きだった
以前、記憶の中で体験した事と酷似していて、そこから感じたが⋯⋯やはり今のナコの力は弱まっている
哀炎猛牙が発する妖力の圧に、その力の弱まりの影響が顕著に現れているのを感じた
まぁ、九尾と一尾の違い故だろうが⋯⋯記憶のナコは常に神聖さを放っていたから余計差を感じやすい
「よいよい。それよりも見てみよ、どうじゃ?これは⋯⋯中々にして傑作ではないか?」
ナコは整えられた料理など、周辺を指差す。
どうやらナコにとっても、これはかなり上出来のようで、それもあって上機嫌だ
いつもより活気ある声で、見てくれと言うナコ⋯⋯彼女はどこか、褒めて欲しそうな目をしていた
「⋯⋯おぉぉ」
圧巻の一言だ。正直、これほどまでに違和感なく整えられているならば、何も怪しまれずやり過ごせるかもしれん
ある程度の違和感は拭い切れないと腹を括ってはいたが、これは⋯⋯すげぇ、人工的に作られた景色には一切見えないな
限られた料理とお酒で、よく違和感ない空間を作れたもんだ
「本当、お前に頼んで正解だった。ありがとな」
「そ、そうか。ま、まぁ当然じゃ」
⋯⋯?
またこの程度の事で照れてるなんて⋯⋯。
ま、そんな日もあるって事なのかもしれん
とまぁナコのおかげで、これで決行までは1階にこれと言った用はなくなった
後は上で作戦のおさらいと意見交換だな
それも手っ取り早く終わらせて、アイツらが動く前に作戦を実行に移さないとな
「2階へ戻るぞ。敵にバレないようにな」
「⋯⋯うむ、分かっておる」
俺は窓を避けるように⋯⋯一方のナコは大きな足音だけを立てないよう、ゆっくりと階段へ一直線に歩を運ぶ




