第2話◆七瀬杏華と小野寺祐馬
────廊下を歩いていると、皆が談笑する声が聞こえてくる。
重い足取りの中、瞼を擦りながらゆっくりと教室の中へと足を踏み入れた。
その瞬間、教室は数秒だが静まり返り、また笑いの満ちる物へと戻る。
「────おい和也、お前だけ遅刻だぞ」
俺に声をかけてきたこの女性は俺の担任。担当は国語、人気絶頂の『上原 優香』先生だ。
女性の割に口調は男勝りで、あまり女性のような物言いをしないのが特徴。
性格も同様に男勝りで、基本的に生徒からも女性としてでは無く男性として話しかけられることが多い。
その割には女性男性双方から人気があると言う。
その上、結構生徒を気にかけてくれるためか他のクラスの生徒からの信頼も暑いとのこと。
俺は少し厳しすぎると思うから、そこまで好きじゃないが⋯⋯。
彼女への印象は、口うるさいの一言で済ませている。
「すみません、色々あって⋯⋯以後気をつけます」
⋯⋯先生は人の嘘を見抜くのが人一倍上手く、それで嘘を見抜かれてきた生徒は数しれず。
「⋯⋯まぁお前が寄り道するということは何かあったのだろう?深くは聞かないからとりあえず席に付け」
「(おいおい、何故バレてる)」
⋯⋯まぁ、このように下手に模索をして来ないあたり優しい⋯⋯のかもしれない。
先生としては良くない行動とは思うが、ここ最近上原先生は俺に対する接し方が他の生徒と違うように感じて仕方がない。
初めての遅刻だが、放課後呼び出しの気配が漂う。特に忘れ物や遅刻に手厳しいから⋯⋯。
⋯⋯遅刻した俺が悪いのは確かなんだが、なんともだるいものだ。
さてと、さっさと席につこう。
溜息をついた後、席に着こうとバッグを足元に置く。
その最中で俺に声かける小柄な女の子──
「おはよう和也!君にしては珍しいね!」
こいつは俺の昔っからの幼馴染でたる『七瀬 杏華』
元気いっぱいで仲良しの女友達⋯⋯昔からの親友で、何処へ行こうにも一緒だった記憶がある。
流石に高校生ともなるとそこまでずっと一緒にいるということは少なくなった。
少し悲しいが、もう子供じゃないしな。
また、幼馴染と言えど、朝起こしに来るとか小説であるような展開はない。というか来られたらそれはそれで迷惑だったりする。
そういう展開があるとすれば、たまに夕飯を作りに家にやってきてくれるぐらいだ。
夕飯を作ってくれるだけでも本当に有難い。ちなみに幼馴染と言うだけであり、それ以上でもなんでもない。
彼女なんて以ての外だ。
「うぅむ⋯⋯」
自然と突然にも俺に睡魔が襲いかかってきた。この調子じゃまた明日も遅刻をしてしまいそうだ。
⋯⋯ダメだ。まだ眠いな、これは睡眠授業になるかもしれんな。単位は落としたくないんだが。
俺は頬を両手で摘み、眠気をどこかへと流す。
「あ〜!また夜遅くまでゲームやってたんでしょ!この杏華ちゃんにはお見通しだぞ〜!」
俺があくびをした事に反応して、杏華は俺をからかうように睨み、首を突っ込んできた。
こいつも昔から勘だけは鋭い。
⋯⋯心配性になったのは『あの事』が原因なのだろうが。
「そんなんじゃねーよ⋯⋯昨日は家事とかで忙しかったんだ。」
──嘘だ、家事なんぞ帰ってきてとっくのとうに済ませている。
下手に心配させると、杏華は俺の家まで乗り込み、寝不足の原因を取り上げようとする。俺は子供じゃねーってのに。
「本当かな?和也はいつも遅くまでゲームをやりすぎるじゃん、前にも夜中に連絡した時だって同じだったよ?」
「ぐっ⋯⋯確かにそうだけど、今日ばかりは嘘じゃないんだ、信じてくれ。」
疑いを一向に辞める気配がない杏華に嘘はつきたくない⋯⋯。けどこれだけは仕方ないんだ。何もかも取り上げられて暇な一日を過ごしたくない。
「和也がそう言うなら信じないこともないけど⋯⋯じゃあさ、今日の部活のサッカーやらない?最近、やってるところ見てないしさ」
「⋯⋯サッカーか。わかった、今日の放課後部活寄ってみるよ」
厳密にはスポーツはやってない。部活は昔サッカー部であっただけで、もう長らく顔を出していない。
サッカーの感覚、もう忘れちまったしな。
確かに杏華の言う通りではある。サッカー部に顔ぐらいは出すべきか。よし、少しダルいが、杏華の為にサッカー部へ直行するか。
「ホント?それなら今日はサッカー部、私も見に行くね!」
「⋯⋯⋯へ?」
────見に行く、だと?
練習するだけなのに、何故そんなことをする。
もしかして今日は──!!
「あっ⋯⋯」
まさかと思い、カレンダーに目をやった。
⋯⋯案の定、俺が恐れていた事態に陥ってしまった。
何たる偶然か、今日は水曜日──それはサッカー部が紅白戦に力を入れる曜日。
そうだ、今日顔を出せば⋯⋯間違いなく紅白戦に参加させられる。
練習だけなら顔を出すのにも面倒ではないんだが試合となると⋯⋯クソッ。
しゃあねぇ⋯⋯とにかく顔を出さなきゃな。
「へいへい、お好きにしてくれ」
上機嫌な杏華を他所に、俺はバッグの中から次の授業の教科書等を出す。
その傍らに、またも溜息をついた。
「(試合、やだな⋯⋯)」
〜
────何事も無く、4限目を無事に終える。眠気の殆どが消え、気がつけば昼休みに差し掛かっていた。
ふぅ⋯⋯やっと1日の半分が終わったな。
最後の二限も早く終わらせてサッカー部に行こう。
学校と言う退屈の2文字に縛られた時間を逸早く終わらせたい。
次の授業の教科書をまえもって出しておく事で時間を有効活用。
⋯⋯そして準備が終わったと同時に、昼休みには毎回。のだ俺の親友が教室に訪れてくる。
「────和也!売店行こうぜ!」
コイツの名前は『小野寺 祐馬』俺のもう1人の親友⋯⋯。
髪型はオールバック。恵まれた体格で身長は180にも及ぶ。スポーツ万能でイケメン。まさに理想の男性って訳だ。
そんな彼は、教室の扉を豪快に開き、満面の笑みで俺の席へと歩み寄ってくる。
「相変わらず声がデケーな⋯⋯」
こいつの声は教室に響く。
普段から大声を上げているせいか、あまり注目は浴びなくなったが⋯⋯コイツはこれでいいのだろうか。
「しゃあねぇだろ!生まれつきで昔っから大声を上げなきゃ気が済まないだよ!」
この大声を毎日浴びせられれば、そりゃあ体は慣れ、耳もコイツの声を許容するようになる。
現に俺のクラスメイト達はこちらへピクリとも反応を示していない。
多分こいつには適度なツッコミを入れるぐらいが丁度いいのだろう。
⋯⋯俺は渋々と椅子から腰を上げた。
そうだ、コイツと売店へ赴くためだ。文句は垂れるがこれが何気ない日常。
この掛け合いは何千と繰り返した。
「それでいい!それでこそ我が親友!では売店に行こう!」
売店⋯⋯。
俺と祐馬は基本的に売店で物を買って昼食を済ませる。祐馬の母親はシングルマザーで仕事で手が回らず、弁当を作ることが出来ないらしい。
⋯⋯俺の母さんは⋯⋯数年前に行方不明になって以来会っていない。
昔食べた母さんの弁当⋯⋯食いてぇなぁ。
「並ぶ前に行かねぇとな。祐馬、どうせお前は"焼きそばパン"だろ」
〜
階段を降りて一階へと到着する。その間も俺達は他愛もない話を続け、談笑する。
「おっと⋯⋯これはすげぇな」
階段前までも行列に飲まれており、前に進むのも困難な程に人だかりが出来ている。
俺は困惑し、思わず声を出して驚いてしまった。
階段の上から売店にかけて長蛇の列。生徒達の声が四方八方から聞こえる。
「へへっ、まぁ並ぶのも売店の醍醐味ってもんだろ?和也は何を食べるんだ?」
「適当に済ませる予定だ。特になにか食べたい物はなくてな」
こいつは体も声も大きい体質だが、喧嘩はしないタイプな上、何かとクラス内でも慕われている男だ。
多分こいつに恋する女も少なくない。
よくそんな注目を耐えれるなとは思う程に、能天気すぎる奴だ。
「ちぇっ、計画性のねぇやつだな」
そのまま俺達は最後尾に並ぶ。長蛇の列であるが、売店を経営するおばさん方は皆ベテランで、手際がいい。
いつも通り、遠からず最前列になるはずだ。気長に待とう
「───あっ!和也〜!祐馬く〜ん!」
「おっ、和也。あれ杏華ちゃんじゃねえか?」
「ん、杏華か?」
祐馬に教えられ、売店の行列の奥から杏華が走っているのを発見する。
近づく彼女の声がやがて俺の耳にまで入ってきた。
スカートがめくれそうになるのを必死に抑えている姿が愛おしいが⋯⋯そんな事するぐらいなら走らなくてもいいのにと思う。
「⋯⋯ぜぇ」
杏華は俺たちの元へと到着して、少しだけ疲れたのか息を荒くして膝に手をつけていた。
「お前も来てたのか。何買ったか見せてくれよ」
「⋯⋯か弱い乙女に聞くことじゃないよ。」
杏華は頬を赤らめ、目を逸らしながら持っていた袋を俺らが見えない背中側に移す。
「ごめんな杏華ちゃん!こいつそう言うデリカシーとかないんだ!許してやってくれ。」
⋯⋯うっ、俺は何か行けない事を聞いてしまったか?
頬の赤さと言い、袋を咄嗟に隠した素振り⋯⋯公に言える物ではなさそうだ⋯⋯。
「もう⋯⋯」
未だ頬を赤らめる杏華。そんなに恥ずかしい事とは知らずに、なってない質問をしてしまったことを後悔。
俺には女性の知識がないから、この日まで知らず知らず女子に聞いてはいけない質問をしていたのだろうか。
⋯⋯思い返すと、不安で仕方がないな。
「ところで杏華ちゃん、今日の売店の品、どうだった?!」
俺達の間に僅かな沈黙が続いた後、その沈黙を破ったのは祐馬だった。
祐馬はかなりの大食らいだからな。並べられた品物の詳細が気になっているようだ。
売店に陳列された食べ物を聞き、杏華に対して目を光らせる祐馬だったが、それに対しても目を逸らす杏華。
「⋯⋯⋯」
薄々勘づいてはいたが⋯⋯この反応、多分だが杏華は祐馬に気がある。
まぁ友達である俺には一切関係ないが⋯⋯少しばかり心に穴が空いたような気分だ。
「今日はいつもと同じだよ、変わったものとなれば稲荷寿司だったかな⋯⋯」
へぇ〜稲荷寿司か。俺は入学以降一度も見た事ないが⋯⋯そんなものが売店に置かれることなんてあるのか。
「稲荷寿司ッ!?杏華ちゃんありがとう!!絶対に買ってみせるよ!」
"稲荷寿司"。その言葉で祐馬のテンションは爆上がり。感謝の言葉を述べ、目の色変えた祐馬は一瞬だが杏華の手を握る。
こいつもこいつでデリカシーが無い。急に女の子の手を握るなんて⋯⋯俺じゃ到底成し遂げられん。
「───!!大丈夫だよ!私、もう行くね!」
「おう⋯⋯じゃあな、気をつけて戻れよ。」
一目散に教室へと階段を駆け上がっていく杏華。手を握られ驚いた表情は、恋する乙女同然。
その愛おしい姿は行列に挟まれて少しずつ見えなくなって行ってしまった。
⋯⋯あーあ、あれは完全に気があるな。
それに比べ、祐馬と来たらなんだ。
目の前の行列を早く動けと言わんばかりの鋭い目で前の生徒達を睨みつけている。正直言って怖すぎだ。
⋯⋯それのせいか、心無しか列の進む速度が早くなった気がする。
ついでだし俺も何か買っていこう。ここ最近昼飯は抜きにしてたんだが⋯⋯まぁ、たまにはな。
こいつは睨みつけるこんな性格だが、悪気は無い。クラスの皆にも知れ渡ってる事だ。
何も反応されない、それだけが友達である俺にとっての唯一の救い。こいつのせいでの方に視線が向くのは本当に勘弁だからな。
⋯⋯さてと、昼食を済ませたら歴史の先生に声をかけてみるとするか。
この御札の謎、未だに気になるしな。
「(⋯⋯早く列が動くといいんだけど)」
携帯を眺めながらのんびりと待つ。
ついでにこの隙間時間で御札に刻まれた文字、写真撮って検索してみるとするか。
どうせ何も分からんだろうが⋯⋯やるだけ価値がある。