さらぬ別れじゃ
全身の力が一気に抜ける。妾は膝から崩れ落ち、爆発的な妖力の消費に、俄然身体が疲労を感じる。
兼ねてより召喚しておった炎は維持する妖力が消えた事に伴い、消え去った。
"宝玉"の解放に付随して、取り繕われた着物もまた、元の擦り切れた物へと姿が戻る。
────酒呑童子⋯⋯奴は退魔師の計らいで異界へと封じ込まれた。
魔法陣を展開し続けるには多大な妖力が使われる。妾は退魔師の躓きを補ったに過ぎぬが⋯⋯。
それとて、身体にかかる負担は並大抵の物ではなかったか。
この身体、やはり⋯⋯永年の封印によるものか、変調をきたしてしもうておるようじゃ。
かつての妾ならばこのような消耗、何と言うことは無かった⋯⋯。
しかし、何をおいても気がかりであるのはこの退魔師⋯⋯。以前に出会った記憶はあるが、其上は妾を"ナコ"と呼んだ。
何を感じたのか⋯⋯此奴、此度はこの妾を稲荷大明神と、神名で呼んでおった。
「はぁ、はぁ⋯⋯」
妾同様、此奴の息も絶え絶えであり、力の消費に苦しんでおるようじゃった。
此奴は地べたに横たわり、胸を押さえて体力の回復を待つ⋯⋯。
怪しさに満ちるのは確かじゃが、妾に力添えしてくれた此奴に牙を剥くほど、鬼畜ではない。
なんなれば今の所は邪心も感じぬ、何かを企んでおる訳でも無さそうじゃ。
じゃが、う〜む⋯⋯やはり気になるのぅ。
「ふぅ⋯⋯深く礼を言おうぞ、童よ。其方の力添えが大いに妾の助けとなった」
会釈をした後に神経を研ぎ澄ませ、周りの気配を探るも、魔物の気配がせぬ。
魔物共め、おめおめと縄張りへと戻ってゆきおった。
じゃが、今ではそちの方が都合がよいか。
くふぅ⋯⋯これでようやっと一息つけよう。此奴も宿敵である一体の封印が完了し、肩の荷が軽くなった事じゃろうな。
猫又は⋯⋯あれは止むを得ぬ状況じゃ、致し方あるまい。
「とんでもございません。こちらこそ、僕は稲荷大明神様に助けられてしまいました。お礼を申し上げるのはこちらの方です」
「くふっ、そうか。現世には珍しい、敬虔な奴じゃ」
⋯⋯誠の心か。此奴は全身が痛むであろうにも関わらず、妾に深く頭を下げ、地につけた。
さぞや激痛が走った事じゃったろうに⋯⋯根を上げることもせんとは。
此奴には邪心を一切感じぬ。シエラとはまた違った、神を心より敬う純粋の心を持っておるようじゃな⋯⋯。
幼くして強大な物の怪を退ける実力、実に真っ直ぐな信仰心⋯⋯何を取るにしても、此奴には"邪な気配"がない。
まるで、若き日の妾を見ておるかのような──。
⋯⋯いや、余計な事はよい。今は先を急がねば。
「さて、はよぅ行かねばなるまいな⋯⋯」
「⋯⋯"和也"様を追うんですね?」
「むっ。なんじゃ其方、妾達の事情を存じておるのか?」
妾は片眉を上げる。妾達の事情を知りうる物はエミリオとシエラのみ。退魔師は知る由もない⋯⋯。
何を理由にしておるのか⋯⋯それにも関わらず、此奴は事情を知っている様子を見せた。
「とある冒険者様にお聞きしまして⋯⋯少しではございますが、把握はしております」
「(とある冒険者⋯⋯エミリオか⋯⋯)」
彼奴め⋯⋯誰彼構わず仔細を言いふらしおってからに。
ため息をつかざるを得ぬな。もしや此奴が妾を神名で呼ぶのも、エミリオの仕業か⋯⋯?
まぁよい、いずれにせよ彼奴には以前の件も兼ねて説教じゃ。
此奴が妾達の事情を知っておるならば長話は無用。エミリオとシエラを連れ、はよぅ主様の後を追わねば。
「⋯⋯そろそろお別れじゃ。短き物であったが、良き時間を過ごせた。達者での、退魔師よ」
「──!!お待ちくださいっ!」
立ち上がってその場を後にせんとする妾を、嗄れた声で呼び止める。
狐耳をピンと立て、妾は声に反応して振り返り、何用かを問う。
「なんじゃ」
先を急ぐが故、著しい時間の浪費は避けておきたい。元よりこの街で主様と出会うと見通しを立てておった。
空の暴君、街の救援なぞ以ての外じゃ。色々な事象が重なり、主様はみるみると遠ざかってゆくのを妾は看過できぬ。
⋯⋯不平を言うても変わらぬのはそうじゃが、ちとは主様も此奴も、妾の気持ちを分かってはくれぬものか⋯⋯。
「無礼を承知で述べさせていただきます──僕も、稲荷大明神様と行動を共にさせてはいただけませんか?」
「⋯⋯⋯」
おっと、これは衝撃じゃな⋯⋯驚きのあまり耳先を立ててしもうた。
しかし、返す言葉が出んのぅ⋯⋯。
此奴が⋯⋯退魔師が仲間入りを申し出るとは、思ってもおらんかった。
此奴が仲間となれば大きな戦力になる。主様を追うべく、此奴を向かえ入れるのは大いにありな話じゃ。
しかし⋯⋯。
「すまぬが、却下じゃ」
妾は主様の意向に従うまで。妾の一存で此奴を向かい入れる事なぞ出来ぬ。
エミリオ、シエラは妾に従うであろうが、一連の動向を決めるのは妾ではなく、主様。
妾が断りを入れた瞬間、此奴は悲しみの表情を浮かべる。
哀愁漂う顔をしながら此奴は下を見る。
「⋯⋯承知しました」
理由を問うことも無く、拒否をただ受け入れるだけじゃった。
その潔さも、真っ直ぐな信仰心ゆえじゃろうな。
純粋な童を突き放すのも、しばし胸を締め付けられる。加えて実力者と言う点もあり、拒絶するのもやはり名残惜しくもある。
が⋯⋯よくよく考えれば此奴にはまだ、己が使命としてすべき事が残っておったな。
「そう落ち込むでない。妾は其方を想って断っただけじゃからな」
「⋯⋯どういう意味でしょうか?」
退魔師が顔を上げた。酒呑童子に傷つけられた顔は、若々しく、そして凛々しい。
⋯⋯主様ほどではないがの。
「至って簡単な事じゃ、其方はまだ猫又を追う役目が残っておる。妾と行動を共にし、それが疎かになってはいかんであろう?」
「妾が加護するのは真心を持つ、与えられた任をしかと完遂する真人間だけじゃ」
憎かった人の子も、此奴のような真人間ならば嫌いではない。
⋯⋯此奴の気概が高まるように、ここは檄を飛ばしてやるとしようかの。
「⋯⋯猫又を仕留めた後ならば、仲間入りを考えてやらんこともない」
何よりも、責務を果たす事こそが神に向けた献身である事。それは今も昔も、そして遙か先も、決して変わりなき事じゃ。
此奴が偏に妾を敬ってくれよるならば、妾の啓示に従わぬ道理はありはせんはず。
神の存在を世に知れ渡らせるのは混乱を招く、名を馳せればドゥンケルに目をつけられる。
⋯⋯じゃがまぁ、此奴は言いふらすような事はせんであろう。
「いいえ、僕は身分を弁えていませんでした。そして、この話はご放念ください。僕には退魔師としての立場がある事を失念しておりました。誠に勝手ですが、どうか御許し下さい」
むぅ⋯⋯此奴の心に負のオーラを感じる。このままでは芳しくないのぅ。
言い方が悪かったかのぅ、妾が断りを入れた事により、此奴の心が折れかけておる。
表情と瞳は曇り、語り口が弱々しくなっておる。
妾を心より敬うが故か、神との対話においての精神面は甚だしく弱いようじゃ。
まぁ、身を捧げてきた者に拒絶されるのは放心した気分になるのは妾にもよぅ分かる。
しかし、言葉を選んだつもりであったのじゃが⋯⋯うぅむ、主様然り、やはり男の子と言うのは難しいものじゃ。
一肌脱がねば解決はせん⋯⋯か。
「────何も落ち込む事はなかろう?」
立ち戻り、妾は退魔師の目の前で屈む。
妾よりもちっとばかし大きい此奴の肩に、妾は手を置く。
彼奴は呆け、ただ妾の目を見ておるだけ。
「其方が妾を敬っておるのであろう?それならば、妾はいつなんどきも其方と共にある」
「さらぬ別れじゃ。じゃが約束しよう、妾達は再び巡り会う」
退魔師の雲がかっていた瞳を見つめながら、妾は優しく微笑む。
⋯⋯主様以外には躊躇なく目を合わせられる。実に不思議じゃ。
「アークと言うたな」
「⋯⋯?」
此奴の名を上げた事に伴って早まる此奴の心音に、希望が芽生えた表情。うむ、これならば⋯⋯。
息と言葉を整えるため、コホンと咳払いをする。
────さあ、神を尊敬する尊き1人の童の心に、激励の灯火と綿々と残る記憶に残響を──。
「退魔師アーク!この妾、稲荷大明神こと狐神ナコは、其方の男らしき勇姿と名を胸に刻んだ事と共に!」
「見事猫又を討ち取れば、其方の頼もしき永劫の盟友になる事を誓おう!」
「仲間入りなどではなく、妾一人が其方の盟友として成る事を!ここに宣言してしんぜようぞっ!」
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