記述がない魔物
小部屋、そして療養所を抜けて、日光を万遍なく帯びた地を踏む。
気を失っていた時、無意識に身体が陽の光を渇望していたのだろうか。陽の光を浴びると、不思議と力が湧いてくる。
⋯⋯雨が止み、空が晴れ、日が昇った帝国に大衆が多く、皆は挙って動き始めていた。
活気づいた街並みには様々な物が設けてあり、そこには俺の目を引く物もあった。
こうして足を進めながらゆっくりと街を眺めるのは、ルーメン王国に初めて訪れて以来か。
近くには市場もあるようで、料理や果実に由来する物などの芳醇な香りが街全体に漂ってる。
「なぁナコ、お前はこの街の店を回ったのか?」
これまで芳しい匂いがするんだ。あのナコがそれを不意にすることなんてできやしないはず。
────だが、俺の予想とは裏腹に⋯⋯今のナコは冷静だった。
まさかあの食に目がないナコが、その匂いに釣られず、周りに開かれた露店に目もくれず、俺の隣で看護師の背中を追っているではないか。
狐の姿ゆえに周囲の目を引き、その視線が俺達に刺さる。が、食を前にしてこれほどまでに冷静なナコも珍しい。
「⋯⋯とんだ野暮な奴じゃ。この妾が風前の灯火であるお主を他所に食に走ろうとでも?」
「あ、いや⋯⋯」
いかん、この反応⋯⋯俺はとんでもない地雷を踏んでしまったらしい。
────くっ、非常に気まずいな⋯⋯。
さっきもそうだった。甚だしい心配をかけた事に怒り、俺に噛みついてきた⋯⋯。
許さないと言わんばかりに未だに素っ気ない態度を取ってくるし。
「神狐様⋯⋯調達の際、その事に憂いていましたよ。主様と一緒に食べ歩きたいと言い、最終的には神狐様が率先して調達に赴きましたけどね」
冷たい態度を取られ、思わず俺がため息をついた時、後ろに居たエミリオが耳打ちで語りかけてきた。
そわっとした感覚が耳元を伝い、寒気が走る。
「事が落ち着いたら、貴方から食事に誘ってあげてくださいね」
「⋯⋯分かったよ、少しは彼女に寄り添えるようにしなきゃだな」
「ええ、その通りです」
返答後に優しく微笑むエミリオ。
「あーそれと、シエラ⋯⋯この妖精さんの事なんですけどね」
話題は一転。ナコに関連した話から、妖精シエラの話へと変わる。
丁度気になっていた所存だ。
「ん⋯⋯?」
「────この子、他の人間からは姿を視認できないようです」
俺達の周辺を流麗に飛び回る妖精──看護師や、その他の人間が反応を示さない理由。
それがエミリオの口から明かされた。だが、もはや驚くまでもない。
蜂を魔力で具現化したんだ。変化の術のひとつぐらい、使うことすら造作もないはずだろうよ。
「妖精は神話の時代の生き物と聞く。この世界でも伝説に近い存在なんだろ?」
「ええ、そうですね。妖精は神話の時代にされ、現代でも目撃情報は極小数です」
「じゃあ答えは出てる。その子が一部の人間に見えるような、妖精ならではの姿を消す魔法を使っているだけだ」
幻なら幻でナコが何かを口に出すはずだ。それが無いと言うことは、シエラは実物であり、れっきとした生物であるという事だ。
⋯⋯少なくとも、俺達の間ではな。
「術、ですか。じゃあシエラは一体⋯⋯?」
エミリオは深く思い悩んだ面持ちで、不可解な言葉を発する。気になるが、彼女は俺にそれを打ち明けようとはしてくれない。
彼女らの出会いの事情を知らない俺からすれば、何を言っているのかさっぱりだ。
「ん?何がだ?」
「あ、なんでもありません。こっちの話です」
「おいおい⋯⋯」
⋯⋯はぐらかされた。腑に落ちないがために追及したと言うのに。
そもそも俺と妖精シエラは未だに言葉1つ交わしていない。
エミリオとナコは、見る限りではシエラに少しだけ信頼を寄せているようだが、申し訳ないが俺自身は全く信用していない。
2度も煮え湯を飲まされるのは勘弁願いたい物で、用心深く行かなければ命取りとなる。
⋯⋯皮肉にも、スアビスの一件が教訓となっている。
エミリオがはぐらかした事で、俺はシエラに更なる不信感を抱く。
そもそもの話、ナコと結託してたとは言え、初対面で蜂をけしかけてくるなんて、ありえないだろうが。
⋯⋯もっとも、それはナコに心配かけた俺が悪いんだけどよ。
とにかくだ。妖精シエラはまだ据え置きとして、最初は看護師への恩返しに専念だ。
それからナコとの仲直り⋯⋯その次に妖精シエラの素性暴きに取り掛かるとしよう。
「冒険者様、間もなく到着でございます。ここからは大変危険ゆえ、決して気を緩めませぬよう、お気をつけくださいませ」
「お、おう」
エミリオ、ナコ達との会話はここまでか。
俺達を先導する看護師からの注意喚起、それが場の空気を一変させた。
シエラは舞いをやめ、エミリオは耳打ちで話していたため俺と距離を取り、そのまま正面を向いた。
一方のナコは終始一切の隙を見せていない。彼女は変わった事は何もせず、ただ指示に従うだけ。
「ワタクシの願いと言うのは他でもありません。秘境に育つ薬草を根刮ぎ奪ってゆく────憎き魔物の退治です」
目的地を向かう足を動かしたまま、顔は動かさずに看護師が願いを述べた。
⋯⋯そんな事か、と遠慮する規模の願いではないと心で思っていた。
魔物の退治は実戦経験が少ないからこちらとしても利益がある。是非その魔物退治とやらを遂行させて欲しいと、心から願っていたが⋯⋯。
「なんだ。単なる魔物退治か、それならお易い御用だぜ」
「いえ、そんな半端な願いではございません。最も肝心なのは、秘境を訪れるその魔物の正体です」
「⋯⋯帝国に巣食う魔物じゃろ?秘境とやらが何処か分からぬが、なればこそ大方の予想はつくはずじゃが?」
突如としてナコが俺と看護師の間に口を挟み、質問をする。
薬草を餌として生きる魔物、俺達の知らない秘境⋯⋯どうやらそこ魔物とやらはナコにも分かっていないらしい。
「それが、魔物の生態を記録する書物に記述がない未未知の魔物なのです。ギルドに討伐依頼を出してはいますが、腕利きの冒険者の方々は皆、レベリオンの方にいらっしゃいますので⋯⋯」
「記述がない⋯⋯そんな事があるのかしら?」
そこで更なる不明点の説明を求めるエミリオ、ナコと同様、口を開けるのは本当に突然だ。
「⋯⋯と、申しますと?」
「帝都は何処と比べても規模が大きい街。書物や情報の流通も多いはずよ。未知の魔物なんてそうそう居るもんじゃないし、まず秘境って何?」
確かにエミリオの言う通りだ。
帝都は帝国きっての集落。その分、古来からある書物などもあり、魔物の生態に限りはしないが、生物の生態や技術についてなどを一際詳しくいられる訳だ。
それが帝国を強国たらしめる所以⋯⋯。
その国の住人がそれを知らないとなれば、魔物の正体はまるで見えてこない。
「帝都の街道沿いに進んだ先にあるモレッコ宿場町、その遥か先にある巨大樹ドリュアスがその秘境です」
「「────巨大樹ドリュアス!?(ほほう、巨大樹とな⋯⋯!)」」
⋯⋯妖精シエラ含めた、俺以外の皆が驚く。
蚊帳の外とはこの事か。有名な地名すらあまり知らない俺からすれば、何に驚いているのか。
まぁ、只事ではないのは確実だな⋯⋯。
話についていけないのは御免だ。ここはひとつ、俺からも質問を出してみるとするか。
「すまん、この国には結構疎くてな⋯⋯巨大樹って何だ?」




