危機感を糧に生まれし産物
接近されれば並外れた聴力で位置を特定される、あらゆる動物が持つとされる心音がある限りは。
⋯⋯どちらにせよ、俺はナコの目に映る運命にあるということ。
それならいっそ、最後まで足掻いてみたい。
抵抗がどういう結果を生む事になるかは定かではない⋯⋯ただ、今の俺はとにかく負けたくない一心だった。
「一か八か!」
────俺は物陰から勢いよく飛び出す。
1歩足を踏み出し、不意を突く形で、迫るナコを全速力で横切った。
「やはりそこにおったか!往生際の悪いやつじゃ、はよぅ捕まればよいと言うに!」
突然の出来事に、流石のナコも僅かだが対応に遅れが出る。
凄絶な反射神経を用いて反応し、行動に移すまでには大した時間を要することはない⋯⋯。
しかしながら、物陰から急に飛び出してきた俺を捕らえきれなかったのは想定外のようで⋯⋯。
小回りの利く動きが可能なナコも失速を余儀なくされた。
俺はその間に距離を取った俺は足に持ちうる力全てを注ぎ、温室図書館を駆け走る。
「見違える程に腕を上げたのぅ主様、まぁ⋯⋯狐の婿たる者はそうでなくてはあるまい!」
後ろでは珍しい事に俺を褒めるナコの姿が見えた。内心少し嬉しいが、今はその感情に浸っている暇などない。
間一髪の所でナコの妨害から逃れた、ナコの追跡から逃れつつ、"異質な魔力"の反応が強くなる方向に向かい始める。
〜
────温室図書館の最奥地に到着した。
依然としてナコの追跡を振り切るまでに至っていないが、それも今となっては好都合と言えるかもしれん。
「⋯⋯空間魔法か、結界があるとなると先には進めないな」
辺りの風景は一転し、図書館と思わしき設備はまるで消えており、全てが自然に侵食されたような。
室内にいると言うのに、日中の雑木林に居るような錯覚に陥ってしまう⋯⋯それほどに周辺の景色は自然そのもの。
"異質な魔力"の発生源はもう目と鼻の先、それに伴って反応が強くなり痛みも増す。
しかし⋯⋯先に進もうにも、人間が施した結界に大して為す術はなく、お手上げ状態。
「⋯⋯どうしたのじゃ?愉快な追いかけっこはもうおしまいと言うのか?」
結界を突破する方法を模索してから、程なくすると、突然にも手はほのかな温もりに包まれる。
俺が足を止めて立ち往生していた事に不思議がるナコ。
彼女は長々と疾走を続けていたのに、息を切らす気配すら見せない。
俺が気づかないとでも思っているのか、ゆっくりと後ろから近づき、さり気なく俺の腰に尻尾を巻き付けようとしていた。
「なぁ、この先から何か感じないか?」
「⋯⋯むっ?」
ナコを意識を別の物に集中させた、拘束されても特に問題はない。
⋯⋯魔力に反応しているのは俺だけじゃない、それを確認したかったのもあって、俺はナコに魔力の反応があるかを質問した。
ナコは目を瞑って周辺に注意を配る、そして直ぐにこの図書館の異質な気配に勘づく。
「うむ、言われてみれば微かに感じるの。しかし何か妙じゃ⋯⋯」
────先程までの緩んだ表情からは一変。
今までにない真面目な表情になり、遊戯をする雰囲気ではなくなったことを、俺達は同時に理解した。
この結界を超えるには俺だけでは力不足だ、結界によって守られている事から、都市にとって重要な箇所ということは分かる。
「⋯⋯ダメじゃな、今しがた強い胸騒ぎがしよる。主様、妾は一先ず引き返したい⋯⋯共に来てはくれぬか?」
異質な魔力の正体を突き止める絶好のチャンス、それを目の前にして⋯⋯ナコは退散を望む。
どこか落ち着かない様子で、必死にお願いしている所を見るに、冗談でもなく裏があるわけでも無さそうだが。
⋯⋯今考えれば、ナコの勘は毎度のように的中していたな。
ナコの妖術を使えば軽々と結界の先に侵入が可能、それを加味してもこのチャンスを逃したくはない。
「なんだか知らんが、構わないぞ。エミリオにも来てもらう事も兼ねて、ここは一旦引き返す事にするか」
⋯⋯素直に話せば、俺も若干だが嫌な感じはしていた。
異質な魔力と俺の肌は相容れない関係。
魔力との接触する体が拒絶反応を示し、痺れるような痛みが全身に流れ込んでくること。
俺の身体が敏感過ぎるのか、それともナコが異様な人物だからなのか⋯⋯。
よくわからんが、とにかく俺が伝えるまで、ナコが異質な魔力の存在を認識できていなかった事は確かだ。
「うむっ、賢明な判断じゃ。さればしばし早足で戻るとしよう」
時には引き返す心も大切と考えた自分は、素直にナコの言う通りにするだけ。
元の場所まで戻るのに必要な時間は、ほんの数分⋯⋯来る時、所々で停滞したために辿り着くまでには時間を浪費したが、今回は違う。
ナコは俺を追いかけることに夢中であったが故に肝心な事を忘れている。
それを考えても戻るまでに大した時間はかからないと確信した俺は、ナコと一緒に引き返そうと思った時。
一瞬だが、結界から漏れ出した魔力が俺の背筋を凍らせる⋯⋯。
「⋯⋯この気配!」
「どうかしたのか主様?はよぅ戻らねばいかんぞ?」
魔力の流れに反応し、咄嗟に振り返って身構える俺。
その俺を心配しているナコは何事かと首を傾げていた。
⋯⋯今、ここでみすみす引き返せば、俺だけでなくナコまでもが二度と宝玉に触れることは出来ない。
そういった危機感と共に、俺の心には、これまでに1度としてない不思議な感覚が流れ込んできた。
────感受性が一際強くなり、刺激や外界からの反応に敏感となる。
身の置かれた場所の些細な変化や危険物に逸早く気がつける状態、これは俺の強い危機感から生まれた"偶然の産物"。
生命の危険に陥った時、強大な驚異が迫っている時⋯⋯発動する時は様々だが、今回の場合は感覚がまるで違う。
⋯⋯感受性が強くなったおかげか、身に覚えがある異質な魔力の持ち主が誰なのか⋯⋯今の一瞬で悟った。
かつて俺の前に立ちはだかった女、独自の魔法を生み出した名高い女。
そして、エミリオの元パーティー仲間でもある危険人物。
「────幻影女傑マーガレット⋯⋯!」




