プロローグ
ここは主人公が住まう世界とは異なる異世界、とある寂れた神社での、名もなき出来事⋯⋯。
主人公と狐の神が出会うきっかけとなったちょっとした悲しい物語。
⋯⋯
憎き人間だが、己を崇拝してくれる村を見守っている⋯⋯力を奪われ、亡き者にされた仲間の神を弔いながら。
そして崇めてくれる者達の加護だけは、日々欠かさず行っていた。
己が使命として加護を施していた⋯⋯それに間違いは無いと微塵も疑わず。
しかし、それは自分の意思とは異なるものであり、はっきりと言えナコ妾は⋯⋯人間に対して加護は施したくはなかった。
人々が今日はどのような貢物を差し出してくれたのか⋯⋯ナコは自分の住まいの扉の前を確認しに行く。
外に目をやれば、そこには──。
────無音で悲鳴も聞こえぬ民家に、自分でも驚くほどに火が周っていることを気にかける。
⋯⋯
「(⋯⋯火事かのぅ。全く、世話の焼ける奴らじゃ⋯⋯)」
外で起きている異変に気がつく。村の人々に手を貸すため⋯⋯妾は渋々と重い腰を上げた。
一体何事じゃ?大方、親の目を盗み悪童が火遊びに興じておるのじゃろうが。
⋯⋯むっ。
────しかし、妾の考えとは裏腹に⋯⋯それは村の者が起こした火災ではなかった。
妾の目に広がる、悲惨な光景──
たかだかひとつの家ではない。数々の民家に火の手が上がり、それはもはや悪童の仕業とは思えぬほどに、常軌を逸したもの。
幾人かの村人は逃げ惑う。血を流し、倒れる者に己の棲家を燃やされ、膝を崩す者もおった。
⋯⋯世話のかかる奴らじゃ⋯⋯!
妖術を使って火災を鎮火させるためにも、妾は一目散に民家に赴く──脚に力を込め、地を駆ける。その只中でも火の手は更に強さを増してゆく。
このままでは村の崩壊も視野に入ってしまう。最悪の事態が見据えた妾は、解決に死力を注ぐ事を覚悟した。
「くっ、弓矢っ⋯⋯?!」
────燃える民家の元に辿り着く寸前、突如として妾の頭上から矢の雨が降り注ぐ。
頭上より感じたおぞましい殺気を、逸早く察知した妾は、人間には到底到達出来ぬ領域の反応速度で、後方に宙返りし、既の所で躱した。
「⋯⋯また貴様らか」
その折に民家が全焼し、崩れ落ち、視界を遮っていたその先が露になる。
⋯⋯不意打ちのために待ち構えておった、と言う訳か。
そう──妾に矢を飛ばしたその正体は、追い返したとて、性懲りも無く幾度と村に食料や資材を奪いに来る山賊者達。
実を言うと、これは初めての襲撃ではなかった。幾度となく加護する村に侵攻を試みる達。
毎度、妖術で追い払っても日を跨いでは再び襲いに来る此奴らに心底嫌気が刺していた。
それのせいで、近頃はつくづく機嫌が悪い⋯⋯喉を通る食事も、美味なる物ではなくなりつつある。
そして、休ませる暇を与えぬと言うか。
追い討ちをかけるかのように、後方からドスの効いた低い声が、ナコの耳の奥⋯⋯そして、不思議と辺りの平地に謎の声が響き渡る──
「狐神と言うのはお前だな?」
────篭った声と共に忽然と姿を現す謎の大男。
謎の大男は逃がすまいと、退路を断つと言うた様子で、妾の後ろに立ちはだかる。
黒騎士を模したような姿をしており、顔は兜で隠されており確認することは不可能。
此奴のドスの聞いた声は辺りの空気を一変させ、周囲には不穏な空気が流れ始める。
「⋯⋯まんまと姿を現しおったか。貴様が此奴らの頭目か?」
その突然な出来事に対しても、妾は一切の怯みを見せない。
⋯⋯怯えは相手に付け入る隙を与えてしまう、妾はしかとそれを心得ておる。
「ご名答、だが知った所でお前がどうこう出来る話ではない」
────その言葉が終わりを告げる瞬間、謎の男は手っ取り早く始末するためか、不意に、常人には見えぬ速度で腰に添えていた剣を振りかぶる。
その動きに反応した妾も、負けじと妖術を扱い、謎の男と退治するが⋯⋯。
〜
───度重なる何者かの襲撃により酷く力を消耗していた。
頼れる唯一の仲間の神が、この黒騎士に殺され⋯⋯妾だけが生き延び、小さな村を1つ、命を張って守っておった。
「くっ⋯⋯!」
妾の前に依然として仁王立ちする謎の男。
彼の力は凄まじく、実力者と名高い妾をも翻弄する程の技を繰り出していた。
此奴⋯⋯!汗ひとつかかぬ、飄々とした態度。妾の攻撃が、一切聞いておらぬとでも⋯⋯!
「その程度か?少し骨がある奴と聞いていたんだが⋯」
妾が誇る妖術は、全くと言っていいほどに効いてはおらず、妾だけが一方的に力を消耗する状況になりつつあった。
膝をつき、傷ついた妾は何故に幾度となくこの村のみを襲うのか。ふと頭の中に浮かんだ疑問を黒騎士に投げかけた。
「人の子よ、なぜ貴様は村を襲う?妾の大切な人を⋯⋯なぜ貴様は殺める?」
「ふんっ、お前なんぞに教えられるほど簡単なことではない。先程も言っただろう?"お前如き"では、どうこう出来る物ではない⋯⋯とな」
質問に答える気は無い、か。
「くふふっ⋯⋯」
⋯⋯そこでニヤリと笑い、言葉を発する。
戦いには敗れたが、妾は勝ち誇る⋯⋯。
妾の思惑は、まさにその通りとなった。
名演技であったか。妾が必死に戦う姿⋯⋯此奴も手応えがなかったであろうな。
妾が貴様の本当の思考を読めぬとでも思っておったのか。今の問いかけも、この戦いも⋯⋯全ては、"あの子"を遠くへ逃がすための物。
「愚かじゃな⋯⋯貴様が探しておった童、既に遠くへ離れているぞ?妾に気を取られすぎたようじゃな、無様で仕方がないのぅ!」
「⋯⋯チィッ!」
────妾の煽りに腹を立てたのか、はたまた、妾を魔術で苦しめるためか、謎の呪文を唱え始める黒騎士。
しかし、そう易々と攻撃を受けまいとその場を離れようとするが、見えない力に引き寄せられ、逃げようにも逃げられない。
「────!!」
そして次の瞬間──詠唱が終わると同時に、青紫色の魔法陣が展開され、妾の意識はなくなりその場へ倒れ込んでしまった。
意識が遠く、暗闇に飲まれゆく。
妾が死しても、"あの子"が生きておればそれでよい⋯⋯。
しかし、その呪文は⋯⋯まさか──。
〜
⋯⋯そろそろ、この屈辱な領域から解放か。
封印されてから500年の時が流れた。
意識が飛び、死を覚悟したが⋯⋯目覚ませば、そこには無限に広がる暗闇と、紋章が刻まれた天空が目に入る。
あれから、妾は妖力を順調に溜め込んでいた。
意識的には、あれから500年⋯⋯。
身体も無くば、音も無い。水も無くば、楽しみであった食事の時もない。
心に大きな狂いが生じた時もあった。
じゃが、こうして正気を取り戻し、遂に念願の封印から逃れる所まで来ておる。
今や妾の実体は消え、意識だけが奇怪に残っておるが、良きにも妖力を累積することは出来た。
あとは⋯⋯妾の憑依先に相応しき、良き獲物を見つけるだけ。
とはいえ、この封印は易々と破れるほど、簡単には作られておらん⋯⋯。
封印を解いてもらうには外部からの接触が不可欠⋯⋯長年の時を使い、封印を解くために考えた策。
────ほう、あの童⋯⋯彼奴に決まりじゃな。
自分の封印を解いてくれる、いかにも非力そうな人間を見つけ、彼に対して1度限りの大きな妖術をかける。
「──こんな所に⋯⋯森なんてあったか?」
ナコの目に映るは、見たこともない奇怪な服装をした、みすぼらしくも愛い男の子。
ほぅ⋯⋯みれば中々によい童ではないか。
此奴は妾の実体を取り戻すためのよき協力者となってくれよう。
お世辞にも妾とは釣り合うとは言えぬ人の子ではあるが、今は一刻を争う事態⋯⋯文句は言えまい。
⋯⋯と、言うても此奴の"生"を食らい生命力を妖力に変換するだけなのじゃが。
⋯⋯
憑依。