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95/118

95.赤き薔薇は散らない。

王宮に戻ったウォルフが騒ぎを聞きつけて、

カルシアの館に駆け付けた。


身に纏うのは、レッドロラインの皇子としての正礼装だ。


ホールの人垣をかき分けて、ウォルフが目にしたのは、

雨の中庭に、ユウラがカルシアに打たれて倒れ伏している姿だった。


ウォルフの背中に戦慄が走る。


「ユウラっ!」


鋭く叫んで、雨に濡れるのも構わず

ウォルフはユウラに駆け寄った。


純白のローブデコルテは、泥にまみれ、

頬を赤く腫らして、唇の端が切れて血が滲んでいる。


その傍らに、カルシアが冷酷な笑みを浮かべて立っている。


(なんだ、これは……)


ウォルフの身体が震えた。

震えが止まらない。


(この下種な女が、ユウラに手を上げたというのか)


それは恐怖ではなく、怒りによるものだった。


この世で最も愛おしい存在を貶められたことに対する怒りだ。


ウォルフがきつく拳を握りしめた。

掌に爪が食い込んで、爪に白い筋が走っている。


(自身が殴られるのであれば、容易に耐えることができただろう。

しかしこれは無理だ)


怒りを通り越して、ウォルフは寒いと思った。


「大丈夫か? ユウラ」


ウォルフはユウラの手を取って、その身体を支える。


「平気よ、ウォルフ」


そう言ってユウラが弱々しく微笑んだ。


ウォルフの中で不条理に命を奪われた母と、ユウラの姿が重なった。


この女(カルシア)は、千度八つ裂きにしてもまだ足りない)


ウォルフはきつくカルシアを見据えた。

カルシアもまた、ウォルフを睨みつける。


ウォルフは腰に薙いだ元帥刀を引き抜いて、

カルシアの喉元に突き付けた。


二人を見守る観衆が、思わず息をのんだ。


「ぶ……無礼者っ! お前は誰だ?」


カルシアが上ずった声を上げた。


「おや、お忘れですか? 義母上。

 オリビアですよ」


カルシアが驚愕に目を見開いた。


「まさかっ!」


狼狽するカルシアを尻目に、ウォルフが低く笑った。


「いや、正確には18年前に

あなたの父君によって殺された姉、オリビアの振りをして

生き伸びた、第一皇子ウォルフ・レッドロラインですよ」


雨あしが強くなり、

カルシアを、ウォルフを、ユウラを容赦なく濡らしていく。


「近衛兵よ! 何をしているっ! この男をここからつまみ出せ。

 そのような戯言にいちいち惑わされるなっ!」


カルシアがヒステリックに叫ぶと、

ウォルフの周りに国王から遣わされた直属部隊が取り囲み、その身を護る。


「そこまでですな、カルシア第二王妃」


父王の使者として立てられた、古参の臣下が進み出て、

レッドロライン王の親書をカルシアの前に広げ、


「レッドロライン王はすべてをご存じでおられます」


そう告げた。

カルシアは臣下の言葉に、寂し気な笑みを浮かべた。


「そう……」


カルシアはそう呟いて、ぬかるみの中に膝をついた。

その身に纏う鮮やかな赤いドレスが、泥に塗れる。


雨は降り止まない。

カルシアを残酷なまでに濡らしていく。


カルシアは後ろ手に手首を縛りあげられて、

近衛府へと連行されていった。


その場に残されたウォルフの前に、

父王の遣わした側近たちが跪いて、臣下の礼をとった。


◇◇◇


少し離れたところで国王の事務次官、ハイネス・エーデンが、

無言のままにその光景に見入っていた。


誰に気づかれることのないままに、

ほんの一瞬、カルシアとその視線が交わる。


濃紫の紫陽花の庭に、雨に濡れた緋色のドレスが、

その華奢なラインをさらして雨に打たれている。


(深紅の赤薔薇は決して散りはしない)


ハイネスは唇を噛み締めた。


カルシアは美しい。

手首を戒められて、罪人として引き立てられていくその様さえ、

幻のように美しいとハイネスは思う。


カルシアはハイネスにとっての聖域である。

命を捧げて、忠誠を誓う唯一の女性(ひと)だ。


それが誰であれ、たとえ国王であっても、

その聖域を踏みにじることは許さない。


許されていいはずはない。


ハイネスの脳裏にふと、

エドガーを身籠った直後のカルシアの記憶が過った。


「お願いよ、ハイネス。

 わたくしを連れて逃げて」


ひどく青ざめた表情をして、カルシアが自分にそう言った。


後にも先にも、

カルシアが自分に手を差し出したのは、

その一回限りだった。


ハイネスは瞼を閉じて、大きく息を吸った。


(その手を取ることのできなかった不甲斐なさを

死ぬほどに悔いたところで、

結果、業火燃え盛る地獄よりもまだ恐ろしいその場所に、

あなたを置いてしまった)


その延長線上に、今夜があるのだ。


もし……、とか……だったらとか、

変えることのできない過去にいくら想いを馳せてみたとしても、

そんな追憶に何の意味がないことは、もう嫌というほど思い知っている。


(言い訳は致しません。

その罪は今度こそこの身をもって償いましょう)


ゆえに赤き薔薇は散らないのだ。

散らせはしないのだ。


(棘を心臓に刺してその血で薔薇を赤く染めてあげて歌った

 ナイチンゲールのように、

 私もあなたへの愛の歌を歌いましょう)


ハイネスは心に誓いを立てて、

ふっと微笑んだ。


そしてそっとエドガーに近づいて、

混乱に乗じてその身をカルシアの館から連れ出した。


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