88.エマ・ユリアス2
これだけの数の銃口が自分に向けられる経験なんて、
そうそうできるものではない。
エマ・ユリアスは軽く現実逃避をかねて、遠くを見た。
(う~ん、どうしよっか)
勢いで飛び込んではみたのの、正直涙目になる。
先ほど身を挺して庇った少女は、恐怖のあまり隣で泣きじゃくっているので、
肩を抱き寄せてやるなり、背中をさすってやるなりしてあげたいけど、
大丈夫、だとはさすがに言えない。
(ユウラさんは、もう最上階に着いたかしら?)
エマはぼんやりとそんなことを考えた。
視界の端に、翻るマントが見えた。
命のやり取りをする妙な静寂の中を、軍靴の音が近づいてくる。
大理石のロビーの床を、コツ……コツ……と規則正しい音を響かせて
こちらに近づいてくる。
それはまるで軍神のような眩さをその身に纏い、
この命を狩りにやってきた死神のようだとエマは思った。
エマは諦めにも似た境地で、瞳を閉じた。
一瞬瞼の裏に、憎まれ口を叩くエドガーが過った。
そして自嘲する。
(馬鹿ね、わたくしも。
どうしてこんな時にわざわざあんな
おバカさんのことなんて思い出すのかしら)
エマの心に淡い切なさがこみ上げた。
(さようなら、エドガー様)
エマは密かに、心の中でエドガーに別れを告げた。
それは今生の別れで、もう決して生きて会うことはできはしない。
それでもエドガーを想うとき、
エマの心はこの戦場の中にあっても、
甘やかで温かな気持ちに満たされる。
そんな愛しさを抱いて往けるのなら、それも悪くないとエマは思う。
エマは隊服の上から姉の形見のロザリオに触れた。
「天の父なる神よ、どうか我が罪を許し、
天の御国へと導き入れ給え」
エマは昔教会で教わった祈りを唱える。
そんなエマに一瞬死神が苦笑したように思えた。
「銃を下せ」
凛とした声色がロビーに響き渡った。
その声に、エマはハッとした。
荒ぶるテロリストたちをその一言で制したのは、女性だ。
白の騎士服に身を包み、月の女神の仮面で顔を覆っている。
「セレーネ様」
屈強な男たちがその前に跪く。
『解放戦線 暁の女神』を名乗るテロリストの将、セレーネ・ウォーリア。
その仮面の下の素顔については、色々な憶測が飛び交う。
ものすごい美人だという人もいれば、
醜い傷跡があって、それを隠すために仮面をつけているのだという人もいる。
またその素性についも、どこかの国の王女だったという人もいれば、
傭兵だったという人、または殺し屋だったという人もいる。
エマの心臓が早鐘のように脈打った。
(この声は……)
エマの脳裏にその人物がよみがえり、心臓が早鐘のように脈打つ。
(馬鹿なっ! そんなはずはないわ)
エマは自身の脳裏に過ったその考えを必死で打ち消した。
しかし自身の意思とは裏腹に、その身体がひどく震えて止まらない。
「この者に危害を加えることは許さない」
もう一度放たれたその声に、エマは確信を得た。
(わたくしがこの人の声を聞きまちがえるはずがない)
そう思うと同時に堪えきれない、
感情のうねりがエマを支配する。
食い入るように白騎士の女を見つめるエマの瞳に涙が溢れた。
そんなエマを隠すかのように、白騎士の女はエマをその身に抱き寄せる。
その拍子に白騎士の女の美しいプラチナブロンドの髪が、
エマの頬を掠めた。
(そうよ。わたくしが、この人を見間違うはずがない)
エマは泣き崩れてしまいそうになる自分を必死に奮い立たせた。
「泣くな。貴様それでも赤服か?」
少し呆れたように、セレーネが言った。
「泣かなくていいと言っている。
すでに王宮には連絡を入れているから、
少ししたら近衛兵が管制塔に辿りつくだろう。
その前に我々はずらかるし、お前や、民間人に手を出す気もない。
そういう上からのお達しなんだ」
そう言ってセレーネはふと窓の外に目をやった。
「まあ、さしずめ後は正面ゲートでどんぱちやってる、
あの戦艦に一矢報いることくらいか?」
そう独り言ちる。
セレーネはエマを開放すると、ひらひらと手を振ってエマをその場に残して
立ち去ろうとした。
「待ちなさいよっ!」
エマがセレーネの背中に向かって叫んだ。
「ひとつ訂正しておくわ。
さっきわたくしが泣いたのは、殺されることが怖かったからじゃない。
あなたがセレーネじゃなくて、わたくしの姉セナ・ユリアスだと思ったからよ!」
セレーネは一瞬足を止めた。
それでも振り返らずに、再びその足を踏み出した。
そしてテロリストたちも、セレーネの後についてどこかへ行ってしまった。
残されたエマは、
セレーネの去った出口を見つめて、ただむせび泣く。
非力な幼子のようにその膝を抱えて顔を埋める。
二年前に戦場で死んだと思っていた、最愛の姉が生きていた。
しかもこの国に仇をなすテロリストの将として、
仮面を被り、名前を偽り、しかもこの局面で自分の命を救ったのだ。
(なぜ?)
エマの脳裏に様々な疑問符が過り、
その思考はひどく混乱している。
「エマっ! 無事か?」
刹那、声がした。
その声がエマの思考を現実に引き戻す。
「エドガー……様っ!」
その姿を認めてエマが目を見開くと、
エドガーが膝をかがめて、エマを覗き込んだ。
「お前、泣いているのか?」
そうエマに問うたエドガーの、
真剣な眼差しに、エマは目を反らした。
今のエマはその目を直視することができない。
しかしエドガーはエマから視線を逸らさない。
無言のままにその腕を引き寄せて、エマをきつく胸に抱きしめた。




