39.鏡よ、鏡よ、鏡さん。どうしてこのわたくしがオリビア・レッドロラインなのかしら
アカデミーでのオリビア皇女の歓待の宴は続く。
日が暮れると、校舎がライトアップされて、
楽団が音楽を奏でる。
中庭にはキャンドルがゆらと揺れて、
幻想的な雰囲気を醸しだし、
いつもは軍服を身に纏う士官候補生たちも、
今はそれぞれ礼服に身を包む。
本日の主役であるオリビアも、
衣装替えのために今は控室にさがっている。
ユウラはアカデミーのカフェテリアの自販機で紅茶を購入し、
喉に流し込んだ。
オリビアからウォルフの無事は聞いたのだが、
それでもその姿を見るまではやはりどうにも落ち着かない。
「いくら特別任務っていったって、
電話の一本くらい、くれてもよくない?
ウォルフの薄情者っ!」
ユウラが独り言ち、
唇を尖らせる。
刹那、中央階段に向かって、
一組のカップルが歩いていくのが見えた。
男性は慣れないタキシードを身に纏い、
赤面しながら、隣のドレス姿の女性を
ぎこちなくエスコートしている。
それでも男性の腕に手を重ねる女性は、
ひどく幸せそうに男性に微笑みかけている。
そんな二人をユウラは微笑ましく思う一方で、
切なさが胸に募る。
『ユウラ、お前は俺の妹なんかじゃない。
お前は俺の女だ』
そう言って出征の前日、
ウォルフは自分に婚約指輪を渡した。
ユウラは知らず自身の薬指に触れて、
その冷たい感触に下を向いた。
「お……おい赤髪!
お前、こんなところで何をしているんだ?」
そう言って、いつの間にかタキシードを身に纏った
エドガーがユウラの前に立っていた。
「あの、えっと……。
只今準備中のオリビア様待ち……です」
ユウラがぎこちない笑みを浮かべて、
後ずさる。
「ふ~ん」
エドガーがユウラの頭のてっぺんからつま先までを、
じろじろと不躾に眺める。
ユウラはいつもの赤の軍服姿だ。
「あの……何か?」
ユウラが小首を傾げると、
エドガーがユウラの手を取った。
「来い! 赤毛。
そんな不景気な顔をしなくても大丈夫だ。
任せておけ!
この私がお前を最高の女にしてやる!」
エドガーはユウラに不敵に微笑んで、
駆け出した。
手を引っ張られたユウラがバランスを崩し、
前につんのめりそうになる。
その拍子に、ユウラの髪に差していた、
銀の髪飾りが落ちた。
エドガーはユウラを自身の控室に連れて行き、
「こいつを最高の女にしてやってくれ」
そう言って専属スタイリストの前にユウラを突き出した。
◇◇◇
「鏡よ、鏡よ、鏡さん。
どうしてこのわたくしが
オリビア・レッドロラインなのかしら」
オリビアが身支度を終えて、
虚ろな眼差しで鏡を見つめている。
ワインレッドのイブニングドレスに、
王族のティアラを頂くオリビアは、
どこからどう見ても絶世の美女である。
しかしその眼差しは、死んだ魚のように
どんよりと濁っている。
「ちょっ、ちょっとしっかりしなよ」
そう言って、隣に控えているルークがペチペチと
オリビアの頬を叩くと、
うっすらとオリビアの瞳に涙が滲む。
「すぐそばにですねぇ、死ぬほど好きな女がいるのにさあ、
何が悲しくてこの俺は女装せにゃあならんのですか。
ねぇ、ルークさん」
オリビアは両の掌で顔を覆って、
さめざめと泣きだした。
そんなオリビアの魂の叫びに、ルークが後ずさる。
「やっ……嫌だなあ。ほんの二時間くらいの辛抱じゃない。
長い人生、二時間くらい頑張ってみても罰はあたらないんじゃない?
その後は、君もフリーじゃん?
思う存分ウォルフに戻ってユウラに会えば……」
ルークがなんとかオリビアを宥めようとするが、
オリビアの眼差しが再び虚ろな光を宿す。
「はは……ははは。なあ、ルーク、
お前この後の俺のスケジュール知ってる?」
乾いた笑いとともに、その頬に涙が伝い落ちる。
「ご……ごめん。当分無理そうだよね……」
ルークが気まずそうに視線を彷徨わせた。
「オリビア様、お時間です」
タイムキーパーの声に、オリビアのスイッチが入り、
嫋やかにエスコート役のルーク・レイランドの腕に手を重ねる。
中央階段を降りたあたりで、
オリビアは目敏くユウラの落とした銀の髪飾りを見つけて、
その手に取る。
「ユウラっ!」
鋭く叫んで、きつい眼差しを周囲に向ける。
「ユウラがいないっ! あいつどこに?」
蒼白になって取り乱しそうになるオリビアを、ルークが制す。
「落ち着いて。有事の報告はまだ受けていないよ。
それに今夜、このアカデミーは、
国の威信をかけて警護に臨んでいる。
そう易々と何かが起こるとは考え難い」
ひどく冷静な声で、オリビアの耳元に囁く。
「でもっ……だけど……俺の政敵とかかも……。
もしあいつに何かあったら……俺っ……」
オリビアが小さく震えている。
「だったら尚更平気な振りをして。
この場にはカルシア様の腹心も何人か、
エドガー様経由で紛れ込んでいるのだから」
ルークの言葉に、オリビアがきつく唇を噛み締める。
「嫌です! 離してくださいっ!
エドガー様。
私はオリビア様の専属騎士で、
今は勤務中なんです」
中央階段の上で、ユウラが泣きそうな声を出している。
「ユウラっ!」
オリビアがその名を呼んで、
その場に固まる。
ユウラの淡いピンク色のやわらかいドレスがふわりと揺れて、
まるで桜の精が、その場に舞い降りたかのような愛らしさだ。
そしてその隣に佇み、ユウラをエスコートするのは
エドガー・レッドロラインだ。
「これはこれは、姉上っ!」
エドガーがオリビアに微笑みかける。




