108.ロザリオ
「ったく『暁の女神』が聞いてあきれるぞ! セレーネ・ウォーリア。
詰めが甘いんだよ! 詰めが。
剣術とシェバリエだけで渡っていけるほど、この世界はさあ、甘くないんだぜ?
まっ、所詮は素人だな、し・ろ・う・と」
ゼノアはソファーにふんぞり返り、ニタリと笑って鬼の首をとったように
思いっきりセナを見下してくる。
セナは拳を握りしめ、必死にその屈辱に耐える。
(このガキ、いつか殺る)
そこはかとない殺意を胸に秘めながら。
刹那、ドアのノックの音と共に、ゼノアの部下が部屋に通された。
「何事だ? 『請け』の最中だぞ」
ゼノアが厳しい視線で、自身の部下を一瞥し、
優雅な仕草でティーカップの紅茶を口に含んだ。
「申し訳ありません。ゼノア様!
ユウラ様を乗せた商船が撃破されました」
ブッ!
ゼノアが紅茶を吹いた。
「はあ?」
ゼノアのこめかみに、青筋が立つ。
「それは一体どこのどいつだ?
イシュマエルの商船を撃つということは、
闇市場そのものを敵に回すことと同義語だぞ?」
国ひとつ滅ぼされても文句は言えまい。
死の商人とはそれほどに巨大な権力と資金力を持つ。
「それが……、 他ならぬ我が国、サイファリアでございます」
部下の言葉に、ゼノアの顔つきが変わった。
その纏う殺気に部屋の温度がゆうにニ、三度下がったかのような感覚を覚える。
「どこの部隊だ?」
ゼノアの声色が一オクターブ低くなる。
「イザベラ様でございます」
ゼノアの瞳孔が開く。
「すぐにサイファリアへ戻る! 支度を」
いうが早いか、ゼノアが立ち上がる。
「おい、セレーネ! 悪かったな」
振り向き様に、ゼノアが吐き捨てるようにセナにそう言った。
「この落とし前は必ずつける。
望み薄だとは思うが、何かユウラの手がかりが分かれば必ず知らせる」
ゼノアの去った部屋のドアを、セナがぼんやりと見つめている。
知らず、頼りなげに自身を抱きしめると、ルークがその腕を取った。
「こっちへおいで、セナ」
そういってルークがセナを抱き寄せると、その胸の中でセナが咽び泣く。
「ユウラがっ……ユウラがっ……」
ルークの口づけが、セナに降りてくる。
額に。
鼻先に。
唇に。
セナが驚いたように、顔を上げてルークを見つめると、
そんなセナにルークが優しい微笑みを浮かべる。
「大丈夫、大丈夫だよ。セナ。
ユウラはああ見えて強い子だ。
君がちゃんと僕のもとに生きて帰ってきたように、
きっとあの子も無事なはずだ。
サイファリアは一筋縄ではいかない国だけど、
実行部隊の首長であるゼノアが請け負った
ユウラの情報は必ず共有しているはずだ。
だとしたら、みすみすユウラを殺すような真似はしないと思うよ」
ルークが冷静な声色でそう言った。
これがレッドロラインの軍師。
鬼神、ルーク・レイランドなのだ。
(あ~あ、私はまだまだだなぁ)
セナはそんなルークを見て、自身を恥じる。
◇◇◇
船体の物置には、少女たちが捕らえられ、
その幾人かは悲し気にすすり泣いている。
ユウラの隣に座る少女もまた、ひどく泣いている。
美しい亜麻色の髪を背に流し、
上級貴族が身に纏う上質のドレスを身に纏っている。
「ねぇ、あなた……そんなに泣かないで」
そういって、ユウラが隣に座る少女を抱きしめた。
少女が驚いたようにユウラを見た。
「ありがとう。ごめんなさいね、
こんなときに取り乱してしまって」
少女は恥じるように頬を赤らめた。
「だけど悲しかったんですもの。
このリアン国に戦火で亡くなった方の
追悼慰霊団の代表として訪れたのはいいものの、
警護の者が襲われて、わたくし一人こうしてこの船に攫われてしまって……。
恐ろしくて、悲しくて、心細くて……」
そう言って少女はなんとか笑顔を取り繕う。
「わたくしはレーナ・リリアンヌ・ミレニスと申します。
あなたは?」
レーナの問いに、ユウラは戸惑いを覚えた。
「ユウラ……です。
ファミリーネームはわかりません」
そう言って寂しげに微笑む。
「そう……」
事情を察したレーナが、顔を曇らせる。
『ユウラ、あなたの名前よ、理解できる?』
全ての記憶が靄の中に消えてしまった後で、
仮面の女騎士が自分をそう呼んだ。
(私の名前はユウラ)
今ユウラが自身について知っていることは、それだけだった。
「あら? あなた、騎士のロザリオを下げているの?」
ユウラの衣服から、
肌身離さずにずっと首から下げていたロザリオが覗いている。
「紫水晶のロザリオ……? とても高価なものね。
あなたもしかしてどこかの国の王族の専属騎士だったのではなくて?」
レーナの言葉に、ユウラの心臓が脈打つ。
知らずその頬に涙が零れる。
白い靄の中に、その面影を求めて手を伸ばすが、届きはしない。
「そうかも……しれませんね。
今はもう思い出すことはできませんが、
命を懸けて、その方をお守りしたいと、
かつての私は望んでいたのかもしれません」
ユウラは微笑もうとして、失敗し、
顔を伏せて咽び泣く。
そんなユウラをレーナがそっと抱きしめる。
「大丈夫、大丈夫よ。ユウラ。
今度はわたくしがあなたを慰める番ね、
生きている限り、諦めてはいけないわ。
今のように少しずつ思い出していけばいいのよ。
きっとあなたの大切な人ともいつか出会えると思うわ」
そう言ってレーナがユウラに微笑んだ。
刹那、耳を劈くような轟音を響かせて、
船体が大きく揺らめいた。




