5・ここは乙女ゲームの世界って何でしょうか?
「あの、聖女サクラ様」
「なに?」
「先ほどから聖女サクラ様がおっしゃっているのは、神からのお告げ……のようなものなのでしょうか」
「はい?」
サクラは目を見開いて首を傾げた。何を言っているのか分からないという表情だ。でも、意味が分からないのはケイトのほうも同じである。
ただ、小さい頃から聖女としての矜持を教え込まれてきたケイトにとって、本当の聖女であるはずのサクラの言うことは絶対だった。
「私もお告げに近いものは受けたことがあるのですが……異世界からいらっしゃった聖女サクラ様はやはり違いますね。そんなにはっきりと見えるなんて」
嘆声を漏らすケイトの様子はお構いなしに、サクラは彼女の両手を握った。固く、強く。
「いいですか、ケイト様。私は、あなたとギルバートのハピエンが見たいの。ハピエンは、本当に、尊い」
「ハピエンは、と……尊い」
あまりにも真剣な様子に、ケイトは思わず復唱する。
「シナリオでは、聖女云々は関係なくギルバートに愛されていないと信じ込んだケイトが一人で姿を消すっていう内容なのよ! そして、彼は国中を捜索するの。で、ケイトを見つけた彼は身分を隠してもう一度すれ違いからの真実の愛を見つけるっていうストーリー……あああ! めっちゃ回りくどいけど、そこがいいの!!」
二人の『ハピエン』に関わると、やっぱり、サクラの感情は決壊するようだった。
(残念だけれど、聖女サクラ様がおっしゃることは何ひとつ分からないわ。でも、明日のお祈りは彼女と一緒にするべきね。そして、彼女の気が済んだところで王宮に帰ってもらいましょう)
いくら恋敵とはいえ、異世界から来たばかりの聖女様を自分には守る義務がある。辻馬車に揺られ、目の前で生き生きと話すサクラを眺めながら、ケイトはそう思ったのだった。
移動中、サクラはケイトに自分の話をしてくれた。
「私はね、市川さくらって言うの。この世界風に言うと、サクラ・イチカワだね! ケイト様と同じ十八歳よ。今日、大学の帰りにトラックに轢かれちゃって……あそこで、私は死んだのよ、たぶん」
「サクラ様……」
ケイトにも、異世界から来る人々は異世界での人生を終えた上で来ているという知識はある。『トラック』が果たして何なのかは分からなかったけれど、壮絶な悲しみと不運が彼女を襲ったのであろうということは想像できた。
(こんなに優しくて可愛らしい聖女サクラ様が……随分お辛い目に)
それでは心の痛みが癒えていないだろう、と想像し何と声をかけていいか分からなかったケイトだったが、サクラのバイタリティはその斜め上を行くようだった。
「……で! 目覚めたら乙女ゲーム『エルネシア王国の軌跡』の中にいたというわけ! 信じられる!? この幸運を! だって私、死ぬ直前に考えたのが『あー、ケイトとギルバートのハピエン見てない!』だったんだもん。どうしてもこのルートだけは難しくてクリアできなくて! ネットで攻略見るのはなんかポリシーに反するし! だって推しは私の手で幸せにしたいし! だよね?」
「え……ええ、そうかもしれません」
ケイトは何となく頷いてしまう。勢いに押されたのはもちろんあるけれど、『推しは自分の手で幸せにしたい』というのは、慕う相手を自分が幸せにしたいという類の意味なのだろうか。
(いいえ。それに近い概念はこの国にもあるわ。私も、大好きな本の登場人物が金糸で刺繍されたハンカチを全種類揃えてしまったもの。作家さんの身になればいいな、って思った瞬間記憶が飛んで、翌週には馴染みの商人が恐ろしい請求書を)
ケイトにとって背筋が寒くなる夏の思い出である。
ちなみに、それは名門侯爵家にとっては取るに足らない金額だった。ケイトにとって恐ろしいのは、金額ではなく品物の明細のほうだった。
ケイトが回想をしている間に、サクラは嬉々として今日の出来事を話してくれる。
「で、目の前にいたのがギルバートの護衛騎士のジョシュア様でさぁ……。あ、彼は別シナリオの攻略対象なのよ? つい魅入っちゃったら、『その恰好……異世界から来た聖女か』って聞くんだもん。んなわけないじゃん、っていう意味で『はい?』って答えたのに、肯定したと思われてさぁ……。おっちょこちょいっていう性格は、ジョシュアルートじゃなくても変わらないんだね」
「……」
ケイトは目を瞬かせて黙りこくる。
ほかにも、サクラが話してくれたことをまとめると、こうだった。
この世界は乙女ゲーム『エルネシア王国の軌跡』の世界で、このゲームには、一つの世界を舞台に八つのシナリオ+一つの隠しシナリオが存在する。ヒロインと攻略対象も同じだけあって、サクラが見たいのは、『ケイト×ギルバートのハピエン』らしかった。
(意味が分からないことだらけだけれど……この世界から見ると聖女サクラ様は異世界からいらっしゃった。同じように、このエルネシア王国が存在するこの世界のほうを異世界とする見方があってもおかしくはないのかもしれないわ)
ケイトの頭も、意外と柔軟だった。