4・一緒に逃げました
部屋に戻ったケイトはサクラの指示通りトランクケースの中身を入れ替えることにした。
(とにかく、身の回りのものは最低限にして……お金に換えられるものを持って行けばいいのね)
「うわっ! 重いと思ったら分厚い本が五冊も入ってる! しかもこれカバーイラストがめっちゃ好み! 表紙にイケメンが何人もいる! 塗りがきれいすぎ……! ねえケイト様、これの絵師さん誰?」
絵師、とは。首を傾げてしばし考えてから、ケイトはやっとその可能性に思い至った。装画を担当している異世界人の名前を答えると、サクラはうっとりとする。
「へー! こっちの世界にも神絵師さんっているんだぁ。本が入ってるって聞いたときは問答無用で置いていけって気分になったけど、これ見ちゃうとなぁ。……良いよね……はあ」
とろんとした瞳で表紙を見つめるサクラに、ケイトは親近感を覚えた。
ケイトは、分かりやすいオタクである。
普段、貴族令嬢たちの間では隠しているけれど、王都の端にあるアンダーソン侯爵家にはケイト専用の書斎がある。
その、窓がなく四方を壁いっぱいの本棚に囲まれた部屋の中央には一人掛けのソファが置かれていて、実家に戻るとケイトはそこで一日を過ごすのだ。
表向きは音楽や乗馬、挿絵のない小説を楽しみ、本当の趣味はギルバートにさえ明かしていない。
推し装画師に理解を示してくれそうな聖女サクラに、この本の素晴らしさについて語りたい気持ちをぐっとこらえる。
今はそれどころではないのだ。ケイトは五冊入っていた本のうち、二冊を本棚に戻す。
「荷物は最低限にいたしますわ」
「気持ちは分かるよ……ほんとつら……」
「お金に換えられるものを詰めますわ」
と言いつつも、ケイトが持っている宝石の多くはギルバートから贈られたものだった。いくら冷たい婚約者とはいえ、身の回りの品を送るのはエルネシア王国での義務でありマナーだ。あれもこれも、絶対に売り払うことなんてできない。
クローゼットいっぱいのジュエリーを前に固まってしまったケイトをサクラがのぞき込む。
「でも、どちらにしろギルバート様にいただいた宝石類はいくつか持って行った方がいい……と思うな?」
(さすが異世界からいらっしゃった聖女様だわ……)
ケイトは何も言っていないのに、サクラは彼女が何を考えているのかをすぐに察したようだった。そのことに、素直に感動する。
「そうですね。自分で購入したもののほかに、ギルバート様にいただいたものもいくつか持って行くことにします」
そう言って、ケイトは彼に初めて贈られたブレスレットを身につけ、将来結婚指輪をつくるために買ってもらった石をそっとトランクケースにしのばせた。
急ごしらえの荷造りを終えたケイトは、サクラにも動きやすそうな服を手渡す。
「えっ? 貸してくれるの? ケイト様!」
「ええ。その服では動きにくいでしょう。……脚が見えています」
サクラのスカートはケイトからするととても短い。さっきから、階段を上ったり自分を支えたりしてくれているうちに、下着が見えやしないかとケイトはひやひやしていた。
(聖女サクラ様は、私の荷造りを手伝ってくださった優しいお方。サクラ様がギルバート様の前で恥ずかしい思いをしないようにしなくては)
「わあ! どうしよう! この辺がぶかぶかだわ!」
ケイトの想いを知らず頭からワンピースをすっぽりとかぶったサクラは、服の胸のあたりを引っ張っておどけている。
(……でも……聖女様はずいぶん変わったお方ね……)
少し首を傾げてサクラの姿を眺めてから、ケイトは微笑む。
「ここには、じきに私の侍女であるアリスが戻ってくるはずです。彼女に頼めば、きっとちょうどいいサイズに直してくれるはずだわ」
サクラの背中に回り、細かなボタンを留めながらさらに続ける。
「この部屋にあるものは、聖女サクラ様のお好きなようにしていただいてかまいません。……どれも、あなたのものになるはずの物たちです」
王宮の、この比較的奥まった場所に設けられたケイトの部屋は、第二王子の婚約者という立場を鑑みて与えられたものだった。第二王子の婚約者といえど、お妃教育は長いものになる。ケイトは数年前からこの部屋を賜り、週に数度は滞在するようになっていた。
(そう。今度から、この部屋は聖女サクラ様のもの)
感傷に浸るケイトに、サクラはあっさり言った。
「え? 私、ケイト様と一緒に行くんだけど」
「「……」」
暫しの沈黙が流れる。
「あの……聖女サクラ様?」
聞き間違いかもしれない、と目を瞬かせるケイトに、サクラは念押しをする。
「だから、私はケイト様と一緒に行くの」
「……ど、どういうことですか。いけません。あなた様はこのエルネシア王国を光に導く聖女様です。この国を離れるなんて」
ケイトはやっと状況が飲み込めた。このサクラは、自分と一緒に逃走すると言っている。しかし、そんなことを許してはいけない。聖女は、国の安寧のため絶対に必要なのだ。
「そうよ。聖女であるケイト様は、長期でこの国を離れてはいけないの。旅行ぐらいなら大丈夫みたいだけど……だから、逃亡先は王都に隣接した小さな町と決まっているのよ!」
「いいえ。聖女は異世界からいらっしゃったサクラ様で……」
堂々巡りの会話に、サクラがしびれを切らす。
「あー! もう違うの! とにかく、いい? 私は絶対にケイト様と一緒に行くの。だって、町に辿り着くまでに、分岐が三つもあるのよ……? 心配で一人では行かせられないの! ヒーローとの会話なんて、何一つないのに、本当に信じられないと思わない!? 初っ端で間違っただけでハッピーエンドじゃなくなるなんて、あああ! 難易度高すぎなのよ! だからこそケイト×ギルバートのハピエンは尊いんだけどね!!」
「あ……あの、聖女サクラ様?」
サクラは不思議な話になると急に饒舌になる。ケイトはどうしてもついていけなくて、呆気にとられてしまう。
「あ、ごめん」
困り顔のケイトに気が付いたサクラは、こほん、と咳払いをしてから続ける。
「……まず、移動手段は馬車でも徒歩でもないの。正解の選択肢は辻馬車! 行き先は、王都に隣接するミシャの町よ! あとは……まあ、私が一緒に行くから問題ないわよね! 行くわよ! ケイト様!」
……と、いうことで、二人は王宮を出てから少し離れたところで辻馬車に乗ったのだった。