31・無事にハピエンを迎えたようです
ケイトが自ら聖女だと名乗り出てクライヴの怪我を治した、その次の日。
ケイトとギルバートは、初めてのデートで訪れたカフェに面した湖のほとりにいた。
湖のほとりの柵に手をかけて二人が立ち、少し離れた場所で皆が見守っている格好だ。訳が分からないけれど、ケイトはサクラの頼みとあって了承した。
(これも、『ハピエン』のためなら)
ちなみに、その集団の中からはサクラの嘆声が聞こえてくる。
「……なにここ……! 指定したのは私だけど、本当に最高すぎるロケーション……!」
一方、ギルバートはジョシュアから渡されたブレスレットを握りしめ、じっと見つめていた。
昨日はドラゴン騒ぎでうやむやになっていたけれど、このブレスレットはギルバートにとっても想い出深いものだった。
彼は、このブレスレットを選んだ日のことを鮮明に覚えている。
「何だかおかしなことになってしまい……申し訳ございません」
「……まだ、ケイ嬢、とお呼びした方がいいでしょうか」
「いいえ。ぜひ、いつものようにケイト、と」
二人の戦いは昨日で決着がついていた。絶対に婚約破棄をされたくなくて王宮を逃げ出したケイトと、婚約者のことが好きすぎて神聖化し絶対に婚約破棄されたくないギルバート。
まったく意味が分からないが、二人が考えているのはほぼ同じことだったと理解し合ったのだ。
「ケイトが……王宮を出るにあたって一つだけ選んでくれたのが、このブレスレットで本当にうれしい」
「これは、ギルバート様から十三歳の誕生日にいただいたものです。それまでの贈りものと少し雰囲気が違って可愛らしくて。特別でした」
頬を赤らめるケイトに、ギルバートも微笑む。
「ああ。これは、私にとっても想い出深い。贈り物はいつも母である王妃殿下が選んでいたのだが……ある日ふと思ったのだ。ケイトに似合うものを自分で選びたい、と」
このブレスレットを贈った日のことを、ギルバートはよく覚えていた。
十五歳のある日、ギルバートはわざわざ宝石店へ足を運び、このブレスレットをつくらせた。王宮に職人を呼ばなかったのは、数多くの石やデザインを見たうえで、ケイトにもっともよく似合うものを贈りたかったからである。
既にしっかり拗らせていた彼は、このプレゼントを送り付けるだけで自分の気持ちが全部伝わると勘違いしていた。
そうして選んだブレスレットはケイトによく似合い、彼女はとてもうれしそうにした。だから、ギルバートはケイトから手紙を貰うたび、返事の代わりに高価な贈り物ばかりするようになったのだ。
「やっぱり、これはギルバート様が私のために選んでくださったものだったのですね。とてもうれしいのですが……でも、もっと早く知りたかったと思ってしまいます。このブレスレットに込められた気持ちだけではなく、もっとたくさんのことを」
「私はその……。ケイトのことを心から愛しているのだと知られたら、あなたが逃げ出してしまうんじゃないかと心配していた。そこに、自分の想いを恥ずかしくて伝えられない弱さも加わって……不安な想いをさせた。本当に、申し訳ない」
「……私にも、謝罪をさせてください」
「一体何の謝罪を」
これまでの自分の言動を深く反省しているギルバートは、ケイトからの申し出に目を丸くした。
「私はずっと、ギルバート様のお顔がとても好きでした……!」
「ケイトまってそれ言っちゃダメなやつ! ハピエンに必要ないやつ!」
サクラのツッコミが聞こえるけれど、ケイトは驚きで見開かれたギルバートの碧い目に向かって語りかける。
(きっと、こんなに想いを伝えられるチャンスはそうないわ。そして、きちんと伝えておかないと絶対にまたすれ違う)
「どんなに冷たくされても、ギルバート様のお顔を見られるだけで眼福でした。でも、王宮を出て気がついたのです。私があなたをお慕いしていたのは、それだけではないと」
「それは……私も同じだ。最初にケイトを見初めたのは、外見の美しさがきっかけだった。しかし、説明がつかないんだ。ここまできみを好きなことが、外見だけでは」
破れ鍋に綴じ蓋である。
「……私の想いは伝わったのでしょうか。『愛のない結婚生活』に続いていたりしませんか」
「愛のない……結婚生活……か」
ギルバートは、サクラの『予言』のことを知らない。しかし必死に考えていた。これまでのトラウマから彼女を救い、信頼してもらうためにはどうしたらいいのかを。
「では……ケイトと結婚したら……おはようと、おやすみのキスは絶対にする」
唐突に告げられた言葉に、ケイトは頬を染めて顔を上げた。
「……キ、キス? キスって、あのキスですか? 本当にしてくださいますか」
「ああ。ああ見えても、国王陛下と王妃殿下は今も欠かさずにしている」
「えっ……それは意外です! でもあの国王陛下が愛妻家でいらっしゃること……とても素晴らしいですわ」
「それから……私がケイトのことをお茶に誘うのは、あなたの顔を見て癒されたいからだ。それだけは、分かってほしい」
「そういえば、どんなにお忙しそうでも毎日必ずお茶には誘ってくださっていたような……。でもそんなの、おっしゃってくださらないと分かりません……」
「すまなかった。次からは、どんな想いも必ず言葉にする。会いたかった、きみの顔を見ると元気が出る、と伝える」
「何なんですかその幸せな甘い言葉……!」
「それと、ケイトがお菓子を作ってくれたら、大切に少しずつ食べたいのが本音だ。その場で食べなくても許してほしい」
「それなら、もっとたくさん作ります。私は、あなたがおいしそうに食べる姿が見たいのです」
「そのお菓子までも、大切にとっておきたくなると言ったらきみはどうするのか」
「では……もっともっと、たくさん」
「……そうか」
ギルバートの口元が緩んで、ケイトの涙腺は緩んだ。頬を涙が伝う。この場所で初めてのデートをしたときとは違う、温かい涙が。
「あと……これからも、モルダー様とお呼びしてもいいでしょうか」
「それはとてもうれしいな。……だが、二人だけのときにしてもらえるか。執務に身が入らなくなる」
「分かりました、二人だけのときに。それから、私が一方的にお話するだけではなく、ギルバート様も私にいろいろなお話をしてくださいますか。一日に起きた、たくさんのことを」
「もちろんだ。だが、私はケイトのことを心から愛している。一日の終わり、話を聞かずにあなたを抱きしめることがあっても、許してくれるか」
「ギルバート様……」
ケイトはついに言葉に詰まった。もう何も不安はない。ギルバートはケイトを抱きしめて告げてくる。
「……私と、結婚してくれるか」
「……は、」
「うわぁぁぁぁあああ!」
護衛騎士たちも、無関係なはずの通りすがりの観衆も、手のかかる二人にため息をついていたジョシュアでさえも。
彼らを取り囲むすべての人の涙腺が緩み始めたとき、一番に号泣をはじめたのはサクラだった。
「いい……! なにこれ……静かにしていようと思っていたのに……なんでか泣けてくるう……う、う、ご、ごめん、続けて? 本当に、ごめん……感動しちゃって……! 邪魔者は消えるから! 音が入らないところに!」
「サクラお前自重しろよまじで!」
呆れ顔のクライヴがサクラの手を引いて退場するのを、ケイトは慌てて止めた。
「サクラ……ありがとう。あなたがいてくれたから、私、素直になれて、勇気が出たの」
ケイトはこれまで、ギルバートの態度に寂しさを感じたことはあったものの、不満を覚えたことなど一度もなかった。
つまり、サクラが現れて『ハピエン』のことを言いださなければ彼の想いに気付けなかったのだ。
「ケイト……! ヒーローに渡すのが惜しい!! ……うう……目を覚ましたギルバートならきっと大丈夫だと思うけど! えぐっ……うっ……あの、二人でもう一回あの場所で抱き合ってもらってもいいかなぁ……」
号泣したまま、サクラは湖のほとりの柵を指さす。そこは、さっきまでケイトとギルバートが語らっていた場所よりも景色がさらにきれいで。『ハピエン』に絶好のロケーションだった。
二人は顔を見合わせて微笑んでから、サクラの指示通りの場所に行き抱き合った。ギルバートの腕の中で、ケイトは幸せそうに笑っていた。
「はー。」
やれやれ、と頭を掻くジョシュアの耳には、涙声まじりの可愛らしい鼻歌が聞こえる。サクラの声だった。
「……サクラ嬢はこの国の国歌を歌えるのですか?」
「いいえ、このゲームのエンディング曲です」
「……は、はぁ?」
なぜこのタイミングで異世界から来たこの少女は国歌を歌うのか、と剣呑な視線を送りつつ、それは意外とこの幸せな空間にぴったりで。
ジョシュアは、不覚にもうるっときたのだった。
こうして、異世界から来た少女がきっかけで発生した勘違い聖女と拗らせ王子様による逃走劇は、めでたし、めでたし、で幕を下ろした。
……のかもしれない。