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24・みんなでパンを焼くと楽しいです

「まってまってまってほんと無理、やばいやばいやばもう死んだ」


「分かりますわ、サクラ様。これは、『尊い』ですわ」


 ベーカリー・スクラインの厨房。その端っこで、ケイトとサクラは手を握り合っていた。少し離れた場所にある作業台にはクライヴとモルダーが立ち、二人でパン生地を捏ねている。


 売り物のパンはすべて売り切れてしまった。それならば早々に店を閉め、夕食用のパンを焼こうということになったのだ。


「私……ギルバート様のあんな服装、初めて見ましたわ。クライヴと同じコック服をお召しになって……。ここはヴェルサイユ宮殿の鏡の間か何かでしょうか」


「田舎町のパン屋のしょっぱい厨房が一気にノーブルな空間に……! ていうかケイはなんでヴェルサイユ宮殿の鏡の間なんて知ってるわけ?」


「異世界からいらした方がお書きになった小説で知りましたわ」


「あー、そーゆう」


「サクラ、しょっぱい厨房って聞こえてっぞ!」


 こそこそと話している二人にクライヴの不満そうな声が飛んでくる。


 一方、モルダーは真剣にパン生地を捏ねていて、ケイトとサクラの視線にはまったく気がついていない様子だった。当然である。彼にとって料理など人生で初めてのことだ。


 加えて、王宮では『色恋事以外に関しては全てにおいて優秀』と評される生来の資質に従い、本気でパンを捏ねていた。小麦一粒たりとも妥協がない。


「なかなかきみの見本通りにならないな。べたべたする」


「そうですね……少し温度を下げてみましょうか」


「……ほう。こんなに器用に魔法を使えるとは」


「俺はこれぐらいしかできませんよ」


 意外と仲良くパンを捏ねている二人を見守りながら、サクラはさらに瞳をキラキラと輝かせる。


「ねえ。私、そっちは嗜んでこなかったけど……いま、新たな扉が開こうとしてる。人知を超えた麗しさだもん」


「二人は本当に絵になりますね」


 うんうんと頷いたケイトに、サクラはぐっと顔を寄せた。


「ねえ。ケイはギルバート様のお顔が好きなんでしょう?」


「……は、はい」


「じゃあ、クライヴは?」


「え?」


「クライヴもギルバート様に引けを取らない美形っぷりだと思うの。美少年系でちょっと系統は違うけど。……あの顔で口が悪いなんて最高すぎかよ!」


「あの顔でからその後全部聞こえてっぞ! そんなくだらない話ししてんなら手伝え」


「あ、ごめん」


 サクラは厨房用の帽子をサッと被り、二人の手伝いに入る。三人が楽しそうに作業する光景を眺めつつ、いつも冷たいギルバートのことを思うと一歩も踏み出せなかった。


 一人、食材庫を開けてトッピング用のドライフルーツやナッツを準備する。サクラもクライヴもエリノアも、具入りのバゲットが大好きで、自分たちのために追加でパンを焼くときはトッピングをたっぷり練り込むのが日常だった。


(……ほんのり甘くて食感の良いパンはギルバート様もお好きなはず)


 そこで、さっきのサクラからの問いを思い出した。


 ――じゃあ、クライヴは? という。


(クライヴも本当に顔がいいわ……。それにとても優しいしいい子。でも、全然、ときめかない)


 ケイトは、自分は婚約者の顔が好きなのだと信じ込んでいた。たとえ冷たくされたとしても一緒にいると楽しいのも、彼が喜んでくれるとうれしいのも、彼に何かしてあげたいのも全部、顔がいいからのはずだった。


 もし、あのギルバートの美しい顔がゴリラになってしまったら。ケイトは、異世界から来た学者がつくった動物図鑑に載っていた『ゴリラ』のことを思い浮かべる。


 毛むくじゃらで、真ん丸の目に低い鼻、分厚いくちびる。それでも中身がギルバートだと思うと、とても愛しい生き物のような気がした。


(どうしたらいいの。顔は推せないけれど、それでも婚約解消は絶対に嫌かもしれない)


 ぼうっと考え事をしながら、ケイトは頭上の棚に手を伸ばす。瓶に入ったドライフルーツをとるためだ。つま先立ちをしても、あと少し、届かない。


(……届かない)


「これか」


 急に視界が暗くなったので、ケイトは驚いた。けれど、さらに自分の状況を把握して腰を抜かしそうになる。


 モルダーが背後に立ち、ケイトが取ろうとしている瓶に手をかけているのである。ケイトの背は彼に触れている。あまりのことに、心臓が止まりそうになってしまう。


「あ……ありがとうございます」


 身を固くし、何とか答えるとモルダーの低い声が頭上から響いた。


「……バラの香りがします」


「バラ、でしょうか」


「……」


「……」


「「!」」


 そこで二人は気がついた。一週間前の、あの大きなバラの花束のことを。


 ちょうど昨夜、ケイトはクライヴの魔法でバラの花を元の状態に戻してもらい、バスタブにいれたのだ。


 モルダーから贈られたバラは当然、上質なものだった。華やかな香りが強く、ケイトは贅沢なバスタイムを過ごしたのだった……けれど。


(ギルバート様からいただいたバラの花を入浴に使ったなんて、絶対に言えない)


「勘違いだったら恥ずかしいところなのですが」


「は、はい」


 勘違いなどではない。純然たる事実である。けれど、真っ赤に染まってしまったケイトは返事以外の言葉が発せない。


「あのバラの花は、あなたにそうやって使っていただけたらいいな、と思って贈りました」


「……!」


 この状況にどう対応するべきなのか、ケイトはサクラに視線を送る。婚約破棄をされず、『ハピエン』に向かう方法を知っている彼女なら打開策をくれるはずだった。


 けれど、パン生地を前にしたサクラは真剣である。こちらを見向きもすることなく。必死に生地を捏ねている。


(そういえば、さっきサクラ様は『こんなのシナリオにない』と仰っていたわ。お告げを受けていないということよね、きっと)


 それならば、自力で何とかしなくてはいけない。


 代わりに、厨房の大きな窓の向こうからこちらを見つめているジョシュアが見えた。


 目を見開いて、ぱくぱくと何か言っている。『やっとみつけました、なにしてるんですか、ギルバート様、しつむがまだのこっています』こんなところだろう。


「……ジョ、お付きの方があちらに」


「まずいですね。見つかってしまいました」


「と、おっしゃいますと……?」


「今日は彼を撒いてきたのです」


 モルダーはくすりと笑みを見せる。ケイトが知らない、ギルバートの新たな一面だった。


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