23・パンは売り切れです
それから少しして『ベーカリー・スクライン』には新メンバーが一人加わった。
「エミリーです! よろしくお願いします!」
ふわふわの髪を高い位置で二つ結びにしているので印象は少し幼いが、ケイトやサクラとほぼ同年齢に見える。甘えた雰囲気の声はケイトがこれまでに出会った令嬢にはいないタイプで、新鮮だった。
「ケイと申します。よろしくお願いいたします」
「サクラです! お仕事するのは初めて? 分からないことがあったら何でも聞いてね!!」
挨拶をするケイトとサクラを満足そうに見ながら、クライヴが言う。
「サクラとケイのおかげでこの店も大分忙しくなっただろ? 店番がいればいいと思って人を雇うことにした」
確かに、二人がこの店にやってきてまだ一週間ほどだけれど、来客数は目に見えて増加していた。
以前は昼過ぎにはすべてのパンが売り切れ、店じまいをしていたのだが、今は昼を過ぎてからもクライヴとサクラがパンを焼き、ケイトとエリノアで店番、というのが日常だ。
ケイトもサクラも、何の不満もなくむしろ楽しい毎日なのだけれど、次期経営者としてクライヴは二人の労働環境を気にしているらしかった。
その結果、アルバイトとして雇われたのがエミリー、というわけだ。
「エミリーは何歳なの!?」
サクラがすかさず聞く。
「十六歳です!」
「!!」
サクラの目の色が変わった。目を輝かせて、クライヴとエミリーを交互に見ている。
(よく分からないけど……また『隠しルートのハピエン』のことを考えているみたいね)
ケイトは納得した。
「うるせーな。まだ言ってんのか」
クライヴは面倒そうにしてサクラの額にデコピンをくらわせると、奥の厨房へと入っていく。初対面以来、サクラは暇を見つけてはクライヴに『好きな子はできたか』『気になる人はいないのか』と質問攻めにしていた。
ケイトは自分のことには鈍くても、人のことなら何となく分かる。
サクラがケイトとギルバートを応援してくれているように、自分もクライヴのことを『応援』したかったが、いかんせん経験がないため分からない。今日も、二人のやり取りを見守るばかりだ。
「それにしても、ケイさんって、すっごくおキレイですねえ」
「あ……あの……」
こてん、と首を傾けて話すエミリーに、ケイトは戸惑う。
「私、この町で一番の美人は自分だと思ってたんですけど……完敗です」
困惑しているケイトのことはお構いなしに、エミリーはニッコリ笑って言い放つ。
「すっごい! キャラ濃すぎ!! でもこのタイプは乙女ゲーのヒロインじゃないわ! ヘイト集めすぎ!」
空気を読まないサクラの絶叫が、開店前の店内に響いたのだった。
そこから一週間ほど経ったころ。
「こんにちは、ケイ嬢はいらっしゃいますか」
「!」
忙しい時間が終わり、バイトのエミリーも帰って行った。一息つきかけたところで、急にふらりと現れたモルダーに、ケイトは目を瞬かせる。
「い、いらっしゃいませ、モルダー様!」
「こんなのシナリオにない」
隣から呆気にとられたサクラの呟きが聞こえたけれど、彼の来店に舞い上がってしまったケイトにそれを気遣うだけの余裕はない。
「今日は早く執務……仕事が終わりまして。明日の朝食のパンを買おうと思……」
そう言いながらモルダーは店の商品棚に目をやる。
そこにあるのはがらんとした棚。パンどころか塵一つない。掃除好きなクライヴの努力の賜物である。
つまり、見事に空っぽだった。
「ごめんなさい……最近とても繁盛していまして。お昼ぐらいに追加でパンを焼くのですが、それでもお茶の時間にはすべて売り切れてしまうのです」
「そうでしたか。クロワッサン・ダマンドは王都でも大流行りだと聞いています。本当によかったですね」
「はい。モルダー様が王都で広めてくださったおかげです」
「いえそんな。今日はパンを買うことは叶いませんでしたが、ケイ嬢のエプロン姿が見られただけでも幸運です。今日も、本当にお美しい」
「あの、」
(こんなに、話してくださったこと……ないわ……)
ギルバートにとって自分は『ケイ』なのだと認識しつつ、あまりの幸せに頬が緩んでしまう。
「いい……」
耳元でサクラがぽつりと呟く気配。喜びにトリップしかけていたケイトは、一気に現実へと引き戻された。
「よしっじゃあみんなでパンを焼こう!」
「「え?」」
フリーズから回復したらしいサクラの叫びに、ケイトとモルダーは顔を見合わせる。そして、同時に頬を赤らめたのだった。