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21・湖畔のカフェでとんでもないことをいわれました

「……私と、結婚してください」


 その言葉は、ケイトが夢にまで見たものだった。そして、ギルバートはどこから取り出したのか分からないほど大きなバラの花束を抱えている。


(なかった。あの花束は紅茶を注文したところまでは、絶対になかったわ)


 完全に許容できる容量を超えたケイトの脳裏には、初めてのツッコミが浮かんでいた。


 けれど、アンダーソン侯爵家に生まれた『聖女』としてではなく、一人の女性として愛するギルバートに結婚を申し込まれる。


 それは、どんなに恋焦がれても叶わないものだと分かっていた。その夢がふわりといきなり目の前に降ってきたのだ。


 ケイトは頬をつかんでぎゅっと握る。痛い。これは、間違いなく現実である。ただ、それを受け取ったのは『ケイ・スクライン』だったけれど。


「モルダーさん、ちょっと、こちらへ」


 ギルバートがケイトにいきなり結婚の申し込みをした瞬間、背後の新聞紙がザッと立ち上がった。そして、大きなバラの花束を抱えたギルバートは、ジョシュアによって少し離れた場所へと連行されていく。


「あの……」


 ジョシュア様、と呼び掛けていいのか戸惑うケイトに、ジョシュアはぴりっと返す。


「すぐに戻ります」


「は……はい」




 呆然としたままのケイトを一人置いて、ギルバートとジョシュアはこそこそと話す。


「今ここでケイト様に身分を明かすと。そういうことでよろしいのでしょうか」


「いや、全然まだだ。ただ、泣いている顔を見たら、気持ちが高ぶってしまってつい……」


「つい、では済みません。この花束だって、ただプレゼントするだけにしてくださいとあれほど。……もしここでケイ様が殿下からの求婚を承諾したらどうなさるおつもりですか」


「それは……もちろんすぐに王宮に……あ、ケイトは私をモルダーだと思っているのか」


「ええ。やるならきっちりやらないと。中途半端に距離を縮めては、嫌われますよ」




 内緒話をする二人を見ながら、ケイトは混乱していた。


(あれは……本当に……ギルバート様なのよね? 私が何をお話ししても相槌しか打ってくださらなくて、お菓子も食べてくださらない、あの)


 ケイトが知っている彼は、いつもクールで言葉少な。側近に連行されて行動を咎められている姿など見たことがなかった。


(もしかしたら、本当に『モルダー様』なのかもしれないわ)


 でも、ケイトがギルバートの美しい顔を見間違うはずもなかった。と同時に、ある考えが頭をもたげる。


(彼は……サクラでも私でもなく、『ケイ』を結婚相手として選ぶということ……?)


 喜びで赤く染まっていた頬から、すうっと熱が引いていく。ケイトはこぶしをぎゅっと握りしめた。


 そこに、ジョシュアとの密談を終えたギルバートが戻ってくる。


「さっきの話は……また改めてさせてください」


「あの……はい」


 一体どういうことなのか、と聞くに聞けないケイトに、ギルバートは熱のこもった視線を向ける。


「私は……あなたにもっと私のことを知ってほしいと思っています。」


「……!」


 ずしっ、と重さすら感じるバラの花束がケイトの手に持たされる。一瞬よろめいたケイトの肩をギルバートが支えたので、正面から抱きしめられるような形になった。


「……勝手に触れてしまい、申し訳ありません」


 そう告げた彼の声色は、ケイトがよく知る冷静なものだった。そして、二人はゆっくりと離れる。


「いえ……あの……」


 彼がそっと触れた肩に、まだ感触が残っている。頬を赤くし、なんとか問いかけるケイトの言葉をギルバートは遮った。


「返事はまだ結構です。もう少し私を見て判断していただけますか」


「は……はい」


 彼があまりにも真っ直ぐに見つめるので、投げかけたかったはずの言葉たちはケイトの脳裏から立ち消えていく。そうなると、頷くしかない。


「ありがとうございます。今日はこれで失礼します。供の者に送らせましょう」


 ギルバートは優しく微笑むと、ケイトに向かって恭しく礼をし、去って行った。


「ケイ様、こちらへ」


 ジョシュアにエスコートされながら、ケイトはぼうっとした意識のまま歩く。


(何が起きたのか、分からないわ)


 さっき、抱きしめられるような格好になったときの肩の感触を思い出す。


 ――顔がいい、だなんて、考える隙すらなかった。





「すぐに、王都に戻る。王宮から急ぎで聞いている案件はあるか。急を要するものから順にこなしていく」


 馬に跨りながらサッと頭を切り替えたギルバートにジョシュアは舌を巻いた。


「いえ。執務は数日先の分まで済んでおります」


 二日間、第二王子が王宮を空けることは国王も了承済みである。自分たちがからかいすぎたせいでこうなったのだから、当然の計らいとも言えた。


 ただ、成人した王族として多くの執務を抱えるギルバートは、いつまでも恋にかまけているわけにはいかなかった。


 やっと、主君がいつもの優秀な姿に戻ったことにジョシュアは安堵する。これだけの切れ者なのに、どうしてあの婚約者が絡むとあんなことになってしまうのか。


 そもそも、最初から恥ずかしがらずに想いを口にしていたらこんな事態には陥らなかったのに。ケイトが聖女すぎるという幻想も育つことがなかったはずだ。


「バラの花束、ケイ嬢に喜んでいただけて本当によかったですね」


「ああ。お前が言った通りだ。躊躇したが……贈ってみるものだな」


「むしろ三日前までに贈っておくべきだったと思いますけどね」


 恋とは、本当に恐ろしい。危なっかしすぎる主君を見ながら、ジョシュアはため息をついたのだった。


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