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20・ここでもまた勘違いのようです

「……私と、結婚してください」


 どうしてこうなったのか。


 ミシャの町に隣接する小さな湖のほとりに面した、この町で一番おしゃれなカフェ。そのテラスにある特等席で、ケイトは瞳孔を全開にして固まっていた。


 目の前のギルバート、もといモルダーはリアルに大きなバラの花束を抱えてケイトの瞳を見つめている。


 状況を理解する時間が欲しかったケイトは、これが冗談だったら、と思ったのだけれど、そんなはずがないというのは彼の熱っぽい視線から明白である。


 さっきまで濡れていたはずの頬はすっかり乾き、驚きのあまり涙も引っ込んだ。


(ど……どうして……こんなことに……)


 ケイトは、とりあえずさっきまでの出来事を一通り思い返すことにした。


 


 午後、すべてのパンが売り切れたぐらいの時間にギルバートはやってきた。


 二日連続で王宮を空け、公務や執務はどうしたのだろう、とケイトは思ったものの誘われるままについていく。その先が、このカフェだった。


 ギルバートは平服を身につけ、顔の下半分にストール風の布を巻いて変装している。昨日は分からなかったけれど、肩につきそうな長さの髪も、短く切られていた。


 一生懸命見た目を変えたのは分かるが、身もふたもない言い方をすると、目の前にいるのはただのギルバートである。


(こんなにラフな格好のギルバート様を見たのは初めてだわ! 顔がいいと、どんな服装もお似合いになる……)


 ぽーっと婚約者を見つめてしまいそうになる自分を抑えて、何とか平静を保つ。二人とも同じ紅茶を注文し終わると、湖畔のカフェテリアには静寂が訪れた。


(いつものこの感じ……。ギルバート様は、私のことがお好きではないからお話ししてくれないのだと思っていたけれど、ほかの女性と一緒でも変わらないのね)


 ギルバートの後ろのテーブルには、足を組み新聞を広げて顔を隠す男性がいる。きっとあれはジョシュア様なのだろう、とケイトは推察した。


「ケイ嬢は……このミシャの町で生まれ育ったのでしょうか」


「……あの……近くで、育ちました」


 ほとんど嘘をついたことがないケイトは、それ以上の言葉が出なかった。


「小さな頃からあの『ベーカリー・スクライン』の手伝いを?」


「え……いえ……それは、最近で」


 近年、ギルバートがケイトにこんなに話しかけてくれた記憶がない。ケイトは嬉しくて、何でも話してしまいたい気分になる。


 でも、彼のこの姿勢は『ケイ』に向けられたものなのだと思うと、胸の奥がちりちりと痛んだ。


「それにしても、あなたは本当に美しいですね。昨日、あの店で働いている姿もとても素敵でした。白いエプロン姿が可憐でしたし、箒とちりとりがあんなに似合うなんて」


 『モルダー』は『ケイ』をとにかく褒め殺す作戦でいるらしかった。奥で、ジョシュアが顔を隠すために広げている新聞が小刻みに揺れているのが見える。


 笑っているのをまったく隠せていないが、ケイトにもそれを指摘する余裕がない。


(こ……これはどういうことなの……!)


 心臓がドキドキと早鐘を打つ。いつもと違いすぎるギルバートの様子に困惑しきりのケイトは、慌てて話題を変えることにした。


「あの! 今日……これを作ってみたんです。クロワッサン・ダマンドがお好きだとおっしゃっていたので……似た甘いパンを。お口に合うと良いのですが」


 ケイトがギルバートに差し出したのは、今朝サクラと一緒に作ったプチメロンパンだった。一口で食べられるお菓子のようなサイズのものが五つ、丁寧に包まれている。


「……これを、私に」


 ケイトがテーブルの上に置いた包みを、ギルバートは大切そうに受け取る。その仕草は、いつもと同じだった。


(いつものギルバート様は……ここで、お菓子を開けずにしまってしまう)


 ギルバートが自分のことをケイトだと気付いていないと信じる彼女は、ここで賭けに出る。


「モルダー様。もしよかったら、今食べてみてくださいませんか」


「……今?」


 ギルバートは驚いたような視線をケイトに向けてくる。


「はい……あ、あの、今日初めて焼いたんです。もちろん試食はしたのですが……モルダー様の感想をお伺いできたらと」


 ギルバートに見つめられてしまったケイトは、もうどうしようもない。町娘のはずなのに、その設定はすっかり頭から抜け落ちている。


ただ、舞い上がっているのはギルバートも同じだった。


「ああ。……私は……大切なものは、持ち帰って少しずつ食べたい性質なんです。このパンも本当は……。だが、あなたが言うなら」


(……え?)


 ケイトの引っ掛かりをよそに、ギルバートはそのまま包みを開けて、プチメロンパンを口に入れた。そしてもぐもぐ、と咀嚼していく。


 そして、指に少しだけ残ってしまったフィリングまでも、もったいなさそうに舌で舐めとった。


「うん、うまい」


 その感想は、ケイトが昔聞いた、懐かしいものだった。まだ、ギルバートがケイトに冷たくなる前の、心からの飾らない声色だ。


 小さな頃からケイトがその顔に恋焦がれ、ずっと彼のそばにいたいと思うようになったあの頃の。


「……ケイ嬢?」


 はっとしたような、ギルバートの声遣いにケイトは我に返った。


(……いけない)


 ケイトの頬を、いつの間にか涙が流れている。あわててケイトはギルバートに背を向け、ハンカチを取り出した。


(こんなことで泣いたら……変だと思われてしまうわ!)


 ケイトの望みは、サクラが教えてくれる婚約破棄を避けるための未来に辿り着くことだった。


 普通なら、恋敵として彼女が言っていることを疑ってもおかしくなかったけれど、いつも興奮した様子で『ハピエン』を語るサクラをケイトは信じ切っている。


「申し訳ございません。少し、体調が。今日は失礼してもよろしいでしょうか」


 立ち上がり、髪で彼から顔を隠すようにして告げるケイトを見て、ギルバートも席を立った。


 そして、そのあと、件のシーンに繋がる。


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