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2・逃走することにします

「……異世界から、聖女様がいらっしゃったのですか」


 侍女から告げられた言葉を信じ切れなくて、ケイトは自分に言い聞かせるようにもう一度反芻した。


「はい。今日の午後、急に神殿に現れたそうなのです。髪色は、神様からの加護を最大限に受けていることを示す黒。……ギルバート様と同じだそうですわ」


「なんてことなの……」


 それきり、言葉が続かないケイトに侍女のアリスは申し訳なさそうに続けた。


「異世界からいらっしゃった聖女様の年齢は十七、八歳ほどということです」


(……ギルバート様とお似合いだわ)


 この世界にはたまに異世界から人がやってくる。 


 そして彼らは、もれなく素晴らしい能力と知識を持っている。この国きっての商人も、王宮で重用される魔法道具をつくる凄腕の技師も、皆異世界人だという。


 どうやら、向こうの世界には魔法というものが存在せず、科学の進歩が著しいようだ。


 アリスによると、異世界から来た聖女の名前はサクラというらしい。年齢も髪色も、ケイトの婚約者・ギルバートとぴったりお似合いである。こうなるともう、勝ち目はなかった。


「ケ……ケイトお嬢様! 一体何をなさっておいでですか」


 真っ青な顔をしたアリスに、ケイトは取り出したばかりのワンピースを畳みながら答える。


「逃走の準備です」


「と、逃走」


 ケイトとギルバートの婚約は、国に決められた政略結婚でしかない。類まれな能力を持つであろう本当の聖女が召喚された今、たかが侯爵家の令嬢であるケイトに勝ち目はなかった。


 ギルバートは第二王子だが、王太子であるギルバートの兄フランシスは既に王太子妃として隣国の王女を迎えている。


 そうなると、異世界からやってきた『聖女様』と結婚するのは彼しかいないのだ。


 もし、自分の目の前であの美しい顔に憂愁の色を浮かべ「婚約を破棄する!」なんて言われたら。


(少し、いいかもしれない……)


 いや、絶対に立ち直れなかった。


「ケイトお嬢様、どうか冷静になってくださいませ。ギルバート殿下でしたら、きっとわかってくださいますわ」


「そんなはずないわ。だって、ただでさえ愛されていなかったのよ、私。いつもいつ婚約破棄されるのかって怯えていた……。異世界からいらっしゃった聖女様を差し置いて選んでいただけるはずがないの」


 聖女に与えられた任務と言えば、毎日国と国民の平和を祈ること。


 そして、有事の際に癒しの魔法を使うことだ。


 普段はポーションを使って傷を治すものだけれど、聖女だけは魔法で直接傷を癒すことができる。ケイトが生まれて以来戦争が起きたことはないが、いざというときのために訓練を受けていた。


 ケイトは大きなトランクケースに、手当たり次第本を詰め込んでいく。


 どれも、かつてこの国にやってきた異世界人たちが書いた恋愛小説の数々である。ツンデレもクーデレもヤンデレも全部、エルネシア王国では乙女の心をときめかせるものとして一般的だ。


(こんなに素晴らしい物語をお考えになる異世界人ですもの。聖女様のお力もとてつもないもののはずだわ)


 ケイトとギルバートが出会ったのは、まだ物心もつかない幼少の頃。その頃は、確かに仲睦まじい関係だった。


 一緒に本を読み、花を愛で、王宮でかくれんぼをした。ケイトは優しいギルバートのことが大好きだった。


 それなのに、いつしかギルバートはケイトと目を合わせることがなくなった。直前まで側近たちと親し気に会話を交わしていても、ケイトの目の前に来た途端、なぜかスン、と静かになってしまう。


 ケイトは、その落ち着いたクールな横顔もそれはそれで好きだったのだけれど、急激な彼の態度の変化に心を痛めていた。


 ギルバートに会えると、ケイトはついうれしくておしゃべりになってしまう。でも、彼は彼女から微妙に視線をずらして頷くだけ。たまに微笑んでくれれば、ケイトは天にも昇る心地がした。


 そんな関係にもかかわらず、ギルバートは婚約者として王宮に部屋を持つケイトのことをお茶に誘ってくれる。もうこれは義務からの誘いに違いない。少し悲しいけれど、今は、それだけで幸せだったはずなのに。


 トランクケースに荷物を詰め終わると、いよいよ侍女のアリスが泣きそうになっていた。


「お嬢様。とにかくお待ちくださいませ。今、ギルバート殿下にご相談できるよう取次をお願いしてまいりますから!」


「アリス、待って!」


 ケイトが止めるのも聞かず、おろおろとしたアリスは慌てて部屋を出て行ってしまった。


(……時間がないわ。もし、アリスが運悪くギルバート殿下への取次を叶えてしまったら。……きっと今日、私の目の前で彼から婚約を解消する言葉が告げられる。そんなの、絶対に嫌! せめて、私の知らないところでお願いしたい)


 ケイトは、机の引き出しを開けて便箋を取り出し、ギルバートへのメッセージを走り書きする。『今回の件は、すべて、国王陛下の裁可に従います』という内容だ。


 アリスの目に付きやすいよう寝台横のサイドテーブルの上にそれを置くと、重いトランクケースを引きずってそろそろと廊下に出た。重い。


(誰もいない……うん、大丈夫だわ)


 アリスが戻ってくるまでに、この王宮から誰にも見つからず逃げ出さなくてはいけない。


 でも、本ばかりが入っているトランクケースは思ったよりもだいぶ重くて、普段自分で重い荷物を持たないケイトの細腕では運ぶのが難しかった。


 幼少の頃から出入りし、勝手知った王宮ではあるけれど、無事にここから抜け出せるのか。ずー、ずー、とトランクケースを引きずりながら、なんとか移動をはじめたケイトを不安が襲う。


 その瞬間、甲高い少女の声が響いた。


「ああああっ! 本当にいたあああ! ケイト・エリザベス・アンダーソン侯爵令嬢!!」


 ――いけない、見つかってしまった。


 声がした方を確認すると、そこには肩までの艶々の黒い髪が特徴的な少女がいた。


 知性を感じさせる、きりっとした目。髪の色と同じ黒い瞳がとてもミステリアスだ。


 そして淑女にしては珍しい、膝が出るスカートを履いている。そこから伸びる足がすらりと長く、シンプルに格好いい。加えて、なぜか瞳をキラキラさせ頬を赤らめていた。


(……ああ、彼女が聖女サクラ様なのね)


 ぼうっとした頭で、ケイトはそう思ったのだった。


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