18・顔がいい、だけではないようです
ジョシュアとともにホテルに戻ったギルバートは、この後のことを思案していた。
「ケイトは……私だとはまったく気が付いていない様子だった。いつもと態度がまったく違った」
「いやそれはないでしょう。ていうか、一緒にいたのってあれ絶対に異世界から来た少女じゃないですか気付いてないんですか」
「あの純粋で素直なケイトだぞ。嘘をつくはずがないだろう!」
「んなわけありますか。『モルダー』と名乗った瞬間、彼女は安堵しながら頬を染めておいででしたよ?」
「ケイトが、私が誰なのか分からないというのであれば……それを利用してもいいかもしれないな」
「ああ。別人としてなら優しくして差し上げられますか」
すっかり色ボケしていて話を聞かない主君にジョシュアは呆れ気味だったが、ギルバートは至って真面目である。
「……私は、心を入れ替えようと思う。身分を偽ってでも、もう一度ケイトと関係を築きなおしたい」
「それ、後で本当のことを話したら嫌われるやつじゃないですか」
「明日、また来てくれと言っていた。贈り物は何がいいと思う」
「あれ、ケイト嬢のお言葉をそういう意味にとりました? どっちかと言ったら追い出したい方の意味に思えたんですが」
強烈なジョシュアの嫌味をスルーしてしまうほど、拗らせすぎたギルバートの目覚めはおかしな方向に進んでいた。
でも一応、大枠はシナリオ通りだった。
◇
一方、就寝の支度を終えたケイトとサクラはベッドに座り、ガールズトークを繰り広げていた。
「ギ……ギルバート殿下が……私にモルダーと名乗ってくださったわ……」
「ああ……いい! パン屋に居候したりいろいろ予定と違うけど、でもこれはシナリオ通り……!」
二人とも感激しているところだったが、その方向はまったく違うようだ。
ケイトの感激は、エルネシア王国の名前の呼び方に起因する。この国では、名前を呼び合うときはファーストネームが基本だ。
しかし、恋人同士や家族など特に親しい相手に限ってはミドルネームで呼ぶことを許すこともある。当然、これまでケイトは『ギルバート』というファーストネームでしか呼んだことがなかった。
しかし、今日彼は自分をミドルネームで呼ぶようにケイトに言ったのだ。
もちろん、ファーストネームとして伝えているため、本来の意味からかけ離れているところではあるのだけれど。
それでも、今日顔を合わせた瞬間に婚約を解消されると思い込んだケイトにとっては、至福だった。ちなみに、サクラの感激に関しては説明するまでもない。
「ねえ、ケイト。ケイトはギルバート様のどんなところが好きなの?」
「えっ」
突然の質問に、ケイトは頬を染めた。
「ゲームでは『ケイトは幼い頃からギルバートに憧れていた』っていう設定しか明らかになってないんだよね。それですれ違いまくりのシナリオに発展するから、随分なご都合主義だな、って思ってたんだけど! 本当のところはどうなの? あのギルバート様を好きになった理由があるんでしょう?」
「それは……」
「それは?」
顔を寄せてくるサクラに、恥ずかしそうに俯いたケイトはぽつりと呟く。
「……顔がいいのです」
「あー顔! わかりますわかりますそれはもうわかります!」
「でも……顔がいい、だけでは説得力に欠けますよね、婚約破棄したくないという」
「いいいい全然いい! むしろそれだけでいい! だって、私もパッケージを見たときにギルバート×ケイトのシナリオから攻略したいと思ったもん! でも難しすぎて死ぬまで攻略できなかった……つら……ううん、死んでよかった……」
サクラの同意に、ケイトは目を瞬かせる。実は、ケイトは仲の良かった侍女のアリスにでさえ『ギルバート様の顔が大好きです』と話したことはなかったのだ。
ケイトとギルバートの婚約は政略結婚の一つ。ギルバートを慕っていることを隠しはしなかったけれど、顔に一番の魅力を感じていることは誰にも内緒だった。
『顔が好き』と口にした瞬間、自分の想いが一気に軽いものに見られそうで。いや、自分でも客観的に考えると完全にそうではあるのだけれど。
「聖女サクラ様は……少し私と似ている気がするわ。なんというかその……趣味嗜好とか、好きなものの愛で方とか」
「ちょっとそれ私も思ってたんだよね! エネシー城のケイトの部屋で完璧すぎるカバーイラストの本の数々を見てから! もしかして、ケイトもオタクなのかなって」
「オタク」
突然降ってきたネイティヴの発音をケイトは目を輝かせて復唱した。
「サクラ様……サクラ様がよく仰っている『ハピエン』とは恋愛小説の登場人物が無事にハッピーエンドを迎えることに近いのでしょうか」
「そうそうそれ! この世界の恋愛小説には結末は一つしかないでしょう? でも、そうじゃないのもあるのよ! いろんな分岐があって、違った結末になっちゃうやつが! だから私はケイトと一緒に来たの!」
後半のほうは意味が分からなかった。けれど、薄々感じていた『サクラは自分と趣味を共有できる』という事実がうれしくて、ケイトの胸は弾む。
「私、初めてですわ。本の世界にのめりこんだり、誰かの顔を特に好きだと言うことを認めてくださる方に出会ったのは」
「そうー? でも意外だなぁ。ケイトって、ルックスの良さに左右されるタイプには見えないから……ましてや、その顔のために王宮から逃げ出すなんて! きっとギルバート様もケイトのことは清廉潔白な聖女だと思ってるよ」
「そんな……」
ギルバートにとって、ケイトはただの国から決められた婚約者に過ぎないはずだった。そうでなければ、あんなに冷たく振る舞うことはしないだろう。何と答えたらいいか分からなくて、ケイトは言葉に詰まる。
「でも本当にケイトってギルバート様の顔だけが好きなの? そのために、貴族令嬢にしては珍しく厨房に入ってお菓子をつくるなんてこと、する? だってはじめはお父様に叱られたんでしょう? シナリオに書いてあっただけだけど! ワハハ!」
快活に笑うサクラに、ケイトは急に恥ずかしくなった。
「……ギルバート様の喜ぶお顔が見たいな、って」
「ふぅん。やっぱり、顔がいいだけじゃないんじゃない? ケイトの顔に書いてあるよ! ほら、言っちゃいなよもう!!」
パジャマ姿で首元に巻き付いてくるサクラに揺さぶられて、ケイトは赤くなった頬を隠し、困惑する。
自分は主に、彼の顔が好きなわけではなかったのか、と。
いつ婚約破棄をされるのかと緊張して暮らしてはいるけれど、それでもギルバートに会うと最高に幸せなのは彼の顔がいいからだと思っていた。そうでなければ、一体、どうして。
脳が理解を超えたので、話を本筋に戻す。
「ギルバート様は明日また私に会いに来てくださるって。もしかしたら……ひさしぶりにきちんとお話ができるかもしれないわ。私としてではないのが悲しいけれど……」
その瞬間、サクラの顔色が変わった。
「いい、ケイト? 明日のデートは雰囲気のいいカフェに行ってお話するのよ。それで、何を聞かれても適当にはぐらかすの! まだ本当のことを答えちゃダメ」
「どうして……? でも、ギルバート様は私が元婚約者だとはお気づきではない様子だったわ。だって、もしそうだったら私と話したいなんて言ったりしないはずだし」
「それは……。でもね、ケイト。このデートでの会話はすべて『バッドエンドその1、愛のない結婚生活』に繋がっているの。ヒーロー……ギルバート様がケイトに心の内を全部みせてくれるようになるまでは、絶対に本当のことを言ってはダメ!」
「……何となくわかりました、サクラ様」
『聖女サクラ様』の言葉に、ケイトは神妙な様子で頷く。すると、サクラはケイトの手を取った。
「すべては、ハピエンのために」
「ハピエンの……ために?」
話はまとまった。